老いて楽しく

余生を楽しむ

蕎麦打ち

2018-10-05 10:31:28 | 日記
門前の小僧 習わぬ蕎麦打ち
 
小生子供のころから母親がうどん 蕎麦を打っているのを脇で見ていた、18歳頃だったか僕にも打たせてくれと言って見た、母親が遣ってみるかと、脇でアドバイスしてくれた、中々上手だと褒めてくれた、褒められると嬉しくなる、母親も年を取ってきたので、そんな時間に家にいる時は、母親に代わってうどん打ちを遣った。

平成3年頃か、所沢の隣町三芳町に「蕎麦打ち道場」が有り、会社の同僚が蕎麦打ちに行かないかと誘ってくれ何回か通った、何とか蕎麦打ちも出来る様になった。

東所沢に住む知り合いが町内会の役員を遣っていて、町内バス旅行を遣るが座席が空いているので参加しないかと誘ってくれ、忍野八海へ団体旅行をした、その際忍野八海で7~8人のグループに分かれ蕎麦打ち体験が有り、そばを打つ人がいないので小生が、水回しから捏ねて蕎麦打ちまで全部遣った、そこで茹でて食べるのではなくパックでお土産に持ち帰った。

今年9月21日に秩父横瀬の辺で「ブドウ狩りと蕎麦打ち 餅搗き」サークル活動が有り参加してそばを打つ約束をしていた、7月末に左膝を痛め8月一杯医者通いをして、9月初めにやっと痛みが取れた、だが21日の葡萄狩り数キロ歩くのはまだ自信がなく不参加にした。

あいつ蕎麦打ちを遣るなんて言っていたが、自信がなくなり逃げたかのそしりを受けても仕方ない、だが自分の感覚では数キロを歩く自信はなかったし、振り返しが怖かった。

10月3日別のサークルが「根津美術館」「岡本 太郎記念館」「NHKスタジオパーク」を巡る会が有り、膝が回復して1ヶ月少々歩く距離が少ないので参加した、歩く距離は少なかったが、見学館内を歩く歩数は結構ある、家に帰り歩数計は1万4千歩以上を指していた、膝に痛みもなく、会員の皆さんに遅れる事も無く迷惑もかけずに歩けた。

親しき同級生が膝痛を心配して、膝にいい本を贈ってくれた、その本の指導に従い軽い運動をする事もいい効果を生んだのか。
 
忍野八海の道の駅で、水回し捏ねるのを終わり、打ち粉を振って蕎麦打ち始まり
 
少し広がってきたか、大きく延ばして薄くなり、周りに数ミリから1センチ程のひび割れが出たら、蕎麦打ちは失敗、饂飩と違って粘り気が少ない蕎麦は時間が長いと乾燥してひび割れする、ひび割れしない内に素早く打つのが良い、まえの写真より少し広がった。
 
厚さ2ミリくらいか、切るのも幅2ミリくらいだったと思う、何とか蕎麦を完成させてほっとした
 
富士山の湧き水 池の底まで透いて見える透明感。
富士五湖地方は昔郡内と言って、米の収穫が少なかった、玉蜀黍の栽培が盛んで、玉蜀黍を干して粉にして、主食代わりにしていた、蕎麦掻きと同じように、玉蜀黍の粉を練って熱い内にだし汁で食べるのも旨い、そのほか団子にして食べた、そんな風習が残っているのか、玉蜀黍がたくさん干してある、お断り小生郡内地方の生まれではない

最新の画像もっと見る

コメントを投稿