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老いて楽しく

余生を楽しむ

友人たちと呑む

2019-09-01 09:47:29 | 日記
深酒は禁物
 

同じ趣味を楽しむ会があり参加した、その会の顔馴染みの人から、会が終わった後で一杯やらないかと誘われた、アルコ-ル好きの小生時間的にも余裕があり、二つ返事で承諾した。

 会が終わり誘われた人と、近くの店に行く、もう一人誘っているが少し遅れて来るとのこと、取敢えず二人で乾杯、何かと話している間に遅れて来た人が熟年の美人、改めて3人で乾杯、途端に座が盛り上がる、武骨な男同士の話より、女性が入ると気分が華やぐ。

誘ってくれた人と女性が話が合い色々話していた、小生聞き役だったが、女性は世間の事に詳しい、話を聞いていてもうなずくことが多かった。
 4時から話が弾み、8時になってしまった、誘った人が酒の勧め方が上手で、中ジョッキの他酎ハイを何杯飲んだのか、女性も中ジョッキ3杯は新記録とか

解散して200mばかり離れたスーパーの駐輪場に自転車が止めてあり、家まで5~6分だが緊張していたので、無事家に帰ったが、家に着いて安心したのか、途端にフーラフラ足元もおぼつかず、家内に着ている物を脱がされ、直ぐ床へ入れというが、一日の汗と酒を飲んだんだのでシャワーと歯磨きだけはして寝た。

近年には珍しく酔っぱらった、時にはこんな事もあるかと思ったが、いい年をして、泥酔に近いのは反省しなければ。

膝を痛め通院中なので、アルコ―ルは控えていたので、普段では酔い過ぎの量ではないが、酔ってしまったのかもしれない。

 
気楽な雰囲気の餃子の王将で酒宴
 
人によってビールは瓶ビールしか飲まない人がいる、今日の友も瓶ビール派だ、取敢えず二人で乾杯
遅れて来た人が合流、改めて3人で乾杯、この後会話が弾む
 
ささやかなおつまみで、気楽なトーク
 
料理も少なくなり宴も終わり、友は勧め上手チューハイを重ねてしまった
 

仙台の豚足一本焼き

2019-08-28 14:02:56 | 日記
昔はとんちゃん焼き、今は牛タン焼き
 

50年近く前仙台に赴任した、会社で用意してくれた社宅は、仙台市の東外れ、市電(今は廃線になった)の終点 陸前原ノ町苦竹(にがたけ)だった、その町から200m歩けば田んぼと畑ばかり、仙台市の東外れ、警察署 東郵便局 造幣局 宮城野球場 陸上自衛隊苦竹駐屯地 なども近くにあった。

仙台市東端の場末の街だが、「とんちゃん屋」(もつ焼きの店をとんちゃん屋と言う)が何軒もあった、豚モツを醤油味か味噌味に付け込み、網かジンギスカン鍋で焼いて食べる、店によっては味をつけず、醤油だれ 味噌だれ両方を出してくれる、癖がなく美味い 酒は自販機にお金を入れれば、冷でもお燗でもコップ一杯出てくる、とんちゃん一人前と酒2~3杯飲んで500円くらいだったろうか。

退社時間になると飲み友達が「とんちゃん屋へあばい(行こうという意味)と誘ってくる」会社貸与の車で通勤していたが、当時飲酒運転の規制はなかった、店も社宅から僅か200~300mの近さ。

原ノ町交差点の南東角から、未開発の広い野原が広がっていた、その広場の一角にポツンとあばら家が1軒あり、夜 真っ暗闇の中に明かりがポツンと灯る、友にその店の「とん足」を食べに行こうと誘われた、友が「アブジ(朝鮮語で親父の意味らしい)に豚足と注文した、出て来たのは七輪に炭火と新聞紙そして塩、出て来た豚足を見てびっくり、豚足丸ごと一本、皮は剥いてあるが蹄はそのまま、蹄の上方には毛も残っている、なんとも野性的というか、原始的と云うか初めての経験。

太ももには肉が一杯 7輪の火にかざせば、脂身 コラーゲンが滴り落ち火がついて煙もうもう、焼き加減を見て塩を振り、50センチ以上の豚足一本を持って肉片にかぶりつく、何の味付けも加工もされてなく、単純に塩味だけこれが「絶品」原始人に戻ったような野性味だ、膝から下は肉は少なくコラーゲンたっぷり、油だらけの手を出された新聞紙で拭く、一見不衛生の様だが、この店から伝染病など出たことがない、翌朝起きると顔が脂ぎってギタギタ、コラーゲンが効いたのかその日の元気が出る。

社宅から近さもあり、結構病みつきになり、この店へ随分通った。

適当に日本酒 朝鮮の焼酎等飲むが、この脂っこさから朝鮮の焼酎が合う、他に煮込みや串焼きなどもあるが、殆どが豚足一本を注文する。
今仙台と云うと「牛タン屋」が有名だが、40~50年前は牛タン屋はあまりなく、とんちゃん屋が席巻していた。

 仙台でも豚足一本を丸ごと出す店は、この「アブジ」の店だけだったと思う。

 
白もつとんちゃん、味噌味 醤油味がある
 
網焼きかジンギスカン鍋で焼く
 
今店で出す豚足は食べ易い様に5~6センチに切ってあり味付けもしてある、一本丸ごとの豚足を食べたら、これを食べる気はしない
 
豚足の蹄部分、味付けして焼いてある、少量の肉とコラーゲンたっぷり、残念ながらトン足一本の当時の写真を持ち合わせない
 

亘理のはらこ飯

2019-08-18 09:16:43 | 日記
食品も進化して変わってしまう
 
仙台市から国道6号線を南へ下ると、名取市 岩沼市を経て、亘理町に入る、この亘理町は花や苺の栽培が盛んで、花や苺は段ボールに詰め出荷するが、出荷のための包装機材を、花業者が我が社から購入してくれて、お得意さんも多かった。

花栽培の大手の社長さんと、商売を通して懇意になり、社長宅を訪れ雑談もした。

亘理町は太平洋に面し、土地は平坦 東北だが気候温暖、阿武隈川に囲まれ、のびのびとした土地柄、人情温厚、お人好しとてもいい土地柄だ、そんな事が花 苺栽培に適しているのかもしれない。

秋から冬にかけ卵を抱き脂の乗った鮭が、産卵のため故郷の川を遡上する、住民はこの鮭を釣り上げて、独特の郷土料理を楽しんでいる。
花栽培業者の社長と会談中、「本社の社長も仙台へ来るのか」と質問、年に何回か来ると答える、「11月半ばから12月半ばに本社社長を招待したい、都合を調整してくれ」と言われた、特定業者の招待に社長を巻き込むのもどうかと、思案したが、社長に1泊2日の予定で来仙を要請した。

社長と得意先へ向かうが、招待されては酒はつきもの、社員に運転を任せた、一匹の鮭でこんなにも料理のレパートリーがあるのかと驚き、最後に出たご飯がこれがイッピン「はらこ飯」だった、鮭の旨味を凝縮した今迄味わった事がないご飯。  

鮭の切り身を甘辛醤油で煮込み、煮込んだ鮭をほぐし、煮汁は炊き込みご飯の味付けにする、キノコを少量炊き込む家もある、炊き上がったご飯を桶に移し、イクラが煮えない程の温度になった時に、素早く鮭とイクラを混ぜ合わせて、はらこ飯の完成、素晴らしい伝統の家庭料理だ。

40年以上も前の話、当時は家庭料理だったが、最近は亘理町 仙台市に「はらこ飯」店ができた様だ、お客に提供するため体裁よく形を変えたのか、味付けご飯に、鮭とイクラを載せた物、偽物とは言わぬが、家庭料理とは体裁が違ってきている
 
亘理町は阿武隈川の河口に面し、鳥の海には温泉もあり、平坦地で花やイチゴ栽培が盛んな土地柄
 
苺ハウスも各所に広がる
 
鮭の煮汁をご飯に炊き込み、イクラが煮えない程度にご飯が冷えたら、鮭いくらを混ぜ合わせる、上に炒り胡麻か刻み海苔を少々振りかけ、亘理の伝統的な「はらこ飯」が完成
 

郷土料理も近年、仙台あたりで「はらこ飯」店が増えたようだ、客に出す為体裁を考えたのか、素朴な郷土料理とは違った形態になってきたようだ、40数年も経てば時代の流れで仕方ないか、盛り付けたご飯の上に鮭とイクラを体裁よく載せてある、偽物と言わぬが郷土料理とは違う、これを混ぜたらイクラが潰れ、ぐじゃぐじゃ飯になってしまう、其の儘食べたら郷土料理と味が違うんだなー

 
椎茸にスパゲッテイだか麺を乗せたはらこ飯、偽物以外何物でもない
 
白いご飯に鮭とイクラを載せた偽物、これを鮭イクラご飯と言う
 
本物はらこ飯に添えるお吸い物、新鮮な真鱈の白子、好みによって2杯酢でも3杯酢でも良い、もみじ卸を添えた刺身はイッピン、白子の天婦羅も美味い、我が家の近くで新鮮なのを買えるのは、角上魚類しかない
 
白子汁、白子から良い出汁が出るので、出汁はいらない、単純に葱を添えれば素晴らしいお吸い物ができる、邪魔にならない豆腐なども添えていいかもしれないが、白子と葱のシンプルが一番いい
 

三陸沿岸の珍味 海鞘(ほや)

2019-08-11 10:12:27 | 日記
三陸沿岸の人以外は馴染みが少ない海産物と思う
 

 昭和43年に事業拡張のため、仙台へ転勤した。
気候 風土 習慣 人情の違う土地だが、暫くして近所にも友達ができた、仙台湾で鱧釣りをしたり、仙台一番の繁華街で宴会をしたり交友を重ねた。

 その宴会の料理の中に、小鉢に盛られた、幅1cm長さ5cmくらいの切り身が10片程、胡瓜の細切りと紅葉おろしが添えられている、今まで見たこともない料理、地元の人に聞くと「海鞘(ほや)」だという、「なんだそのほやというのは」と聞き返す、東京の私鉄に「保谷(ほうや)」という駅があるが、ほやなんて知らねー、云ってやる、海鞘を知らないのかという顔をされた、関東以西の人はあまりしらないですよねー。

 この海鞘は宮城県を中心に三陸海岸で収穫できる、関東の人には貝なのか、魚なのか海鼠(ナマコ)のようなものなのか、さっぱり見当がつかない。
 地元の人が「マア食ってみろ」とい云う、二杯酢に浸かった肉片を恐る恐る食べる、烏賊とは違う歯触りと弾力が有り、海の香りと少し甘みを感じるが、なんとも言い難い癖が有る味、初めてだし2切れほどで止めた。

こんなグロテスクな、海鞘だの海鼠を最初に食った原子人は相当勇気があったと思う。

 
 茶褐色の比較的かたい殻に覆わ れ、いぼいぼが有り、頭の部分には2つの突起がある、下の方には髭だか根だか分からぬ足がある、これが岩に取り付き群れを成して生息しているようだ、自分では実際の生態を見ていないので確たることは言えぬ。
形容、味をもって地元の人は、「海のパイナップル」と言っている、パイナップルには似つかわしくない、グロテスクな生物だ。
 
違う角度から見ると上に突起が2つある、明らかに+模様を描いている、これが給水口で反対側に有るのが  マイナス(-)を描いているこの突起が排水口だ
通人はこの排水口の切り口から、体液を生で飲む、これがイッピンと言うが、小生海鞘が好きでもそれはできない。
 
かたい殻を二つ割にしてもいいし、半分切って中身を出すもいい、綺麗なピンク色した肉に包まれ内臓がある、この内臓をきれいに洗い流し、適宜な幅に切ったものが海鞘の刺身だ。
 
きれいなピンク色の切り身を二杯酢に浸し、どうゆう理由か知らぬが、海鞘料理には必ず胡瓜が付く、その理由小生知らず。
 
同じように胡瓜が付く、三陸若芽が付いたり、紅葉おろしがあしらわれたり、店によって添え物も違ってくる
 
海鞘も炒めてスパゲッテイの具になったり
 
 
炊き込みご飯になったり、用途も広がってきたようだが、海鞘は刺身が一番
 

仙台湾で鱧(はも)釣り

2019-08-02 13:50:27 | 日記
鰻 穴子 鱧 八目鰻 みんな鰻の仲間?
 

以前自分では、穴子と鱧(はも)は同じ魚で、地方によって呼び名が違うのかと思っていた、だが同じ鰻目だが違う魚だった、鰻 穴子 八ツ目鰻 と同族がいるが一番獰猛か、大きな口に鋭い歯が内向きに生え、一度噛みつくと中々離さない。

昭和40年代から50年代仙台に赴任していた、近所にも友達が出来、「今度仙台湾へ鱧釣りに行かないか」と誘われた、初めての事だし二つ返事で連れて行って貰った。

鱧は日中岩陰や草場に身を潜め、夜 餌を求めて動く夜行性、仙台湾は直ぐ近く、日が暮れて明かりを灯し湾内へ漕ぎ出す、鱧を釣る時は明かりは絶対禁物、明かりがあると鱧は寄ってこない、星明かりの中で鱧釣りが始まる。

1m程の竿にタコ糸を結び、釣り針は付けず、先端に烏賊の切り身を結びつけて釣る、糸の長さは8~10mくらいだったろうか、海底につくと糸が弛むので底に付いたのが分かるが、何せ真っ暗闇、真っ暗闇でも目は慣れてくるものだ。

糸を垂らして暫くすると、竿を持って行かれるほどの強烈な引き、竿を離して糸を必死に手繰り寄せ、鱧が見えたら船底へ上げる、釣り針がないから上げれば鱧が餌を離し釣り上げ完了。

鱧釣りに行く前に友から注意を受けていた、サンダル 裸足は危険長靴を履いて来いと、納得できた、大きな口鋭い内向きな歯、噛まれたら大きな怪我をする。

餌に噛みついた鱧は、内向きの歯で引っ張れば引っ張るほど深く噛みついてくる、手繰る糸を一瞬でも緩めたら、鱧は食いついた餌を離してしまう、初めは逃げられる事が多かったが、慣れて来たら面白いように釣れた、港で船底の鱧を数えたら120匹を越していた。

4人で行って等分に分けようと言うが、捌き方も食べ方もわからず、15匹貰い、近所の魚屋へ裁きを依頼したら、家では鱧を扱った事がないと断られ、丁度その時仙台の北 泉市に家を新築し植木を植えたので肥料に埋めた、なんとも勿体ない話。

 
 
鱧の鋭い内向きの歯、小骨が多く骨切りして湯引きした鱧に梅の叩いたのか 酢味噌で食べたら堪らない、酒がすすむ
上のグロテスクな頭からは想像できない珍味、骨切りし、湯引きした鱧
 
鰻はご存知の通り、鋭い歯もなく、蒲焼にしたら最高、鰻の血には毒があり、調理中誤って血が目に入ると、半日くらい視力減退と痛みを感じる、あとは平常に戻る、ふぐ毒ほど強烈ではないが、60度で5分も熱すれば毒気は消える。
ある文書で、毒のある鰻の刺身は何処にもないと書いていた、少し勉強不足ではないか、浜名湖周辺は鰻屋が多い、「鰻の刺身あります」の看板が目に付く、自分でも食べたが、脂がのって、肉は歯ごたえがあり、静岡産 わさびが添えられていた気がする、蒲焼と違ったうまみがある、随分昔の話
鰻重もこうなるとちょっと寂しい
 
穴子 癖がなく煮穴子か天ぷらがうまい
 
八ッ目鰻、他の鰻科と違って口は吸盤状、目の下に7つの斑点があり、目と斑点7つで八ッ目と言うのか、食べると目に効果があると聞いていた、蒲焼で食べさせてくれるが、鰻より皮が厚めで、肉は弾力があり歯ごたえがある。
八ッ目鰻の老舗が巣鴨地蔵通りに在る、戦前小生子供の頃友達と巣鴨地蔵通りによく遊びに行った、その頃から八ッ目鰻の「にしむら」が有った、100年以上の老舗だ、都内には八ッ目鰻専門店はあまりないと聞く。
店の前にガラスの水槽に八ッ目鰻を飼っていた、ガラスに八ッ目鰻の吸盤がたくさん吸い付いているのは、子供心にちょっと不気味だった
 

昨年の7月と今年の7月の差

2019-07-25 08:52:52 | 日記
前回 江戸城の石垣には、連日多くの方に読んで頂きありがとうございました 
 
昨年の4日前(23日)は史上最高の気温を、「暑いぞ熊谷」で記録した、41、1度、新聞では「災害級」と報じていた。
昨年の7月は兎に角暑かった、猛暑日4日 真夏日23日 夏日4日、 晴10日 雨4日 曇13日 晴れのち雨 雨のち晴れ4日、小生の日記帳の記録。

それに引き換え、今年の7月は降雨11日 曇後雨 雨後曇12日 終日曇天は8日、終日晴れた日は0、 5月初旬並みの低温、23日まで日照時間は15,4時間、昨年の7月とは大違い。

昨年と今年の7月は大違い、地球の大気が大きく変化しているのだろうか、大きな災害など起きないように願いたい。
 
暑いぞ熊谷を地で行った、昨年7月23日 国内最高気温を記録した
 
 
当日40度を越した4地点、東京は39,6度だった
 
 
我が家の温度計も41度を指す寸前
 

江戸城の石垣

2019-07-18 13:02:10 | 日記
石垣の組み方色々
 

或るサークルで数年前、防衛省から皇居東御苑に連れて行って貰った、無意識にシャッターを押し100枚くらいになった、その時はそのサークル活動の一環の写真としてファイルした。

最近デジタルカメラで撮った写真の整理を始めた、数十年撮りためた写真は数万枚になる、その中に東御苑に行った時の写真の中に、ふと目に留まった写真があり、その写真をよく観察してみると、江戸城の一端を感じるものがあった、それは石垣だ。

小生「石工」でもなければ、石垣の知識は何もない素人だ、江戸城内の石垣を見て、石垣の積み方が色々あるのを写真をみて感じた、その江戸城の石垣他で、江戸城の歴史の一端に触れて見ようと思う。

 
 
江戸城北桔梗門を支える石垣、石工が加工して隙間のない整然とした石垣に支えられている、門は人を迎える所、整然とした石積みで人を迎えたか
 
お堀に面した石垣は、自然石を積み重ね、隙間に小さい石をはめ込み、強度を保っている、野ずら積みと言うのか?
 
角には巨石を交互に積み、石垣の美しい曲線を描き出し、あとは自然石の積み上げ
 
左面は自然石を積み上げ、隙間に小石を嵌め込み強度を保ち、それに交差する石垣は、石工の加工された石を積み上げる、こんな石垣の積み方の違いを一か所で見せてくれる
 
江戸城天守閣の石垣の一角、堀に面した石垣と違い、石工が加工した巨石を、寸分の隙もなく、傾斜も一直線的なよじ登り防御か
 
天守閣の石垣の一面、右半分は加工された石が整然と積まれている、左半分人がいる辺は、石の表面が崩れている。
3代将軍家光が、1638年幕府の威厳を示す、国内最大の5層6階58mの立派な天守閣を建設、19年後1657年、明暦の大火「振袖火事」で天守も焼け落ちてしまった、石垣もその猛火に炙られ、石の表面が焼け爛れ、変化してしまった、その後天守閣が再建されることはなかった
 
天守台その他城内建築物が焼失、その猛火に炙られ、焼け爛れた石垣の表面が今も歴然と残っている
 
天守台下の礎石にも焼けた石垣がのこっている、天守台辺は加工された巨石が整然と積まれている
 
天守台に上がる石段と石垣
 
この様に小さめの石も加工して隙間なく積み上げ、手も足もかける隙間がない、その防御施設によって、石垣も色々変えて積んだのか、
 
こんな石垣もある、信州上田城大手門右側の石垣に、真田石と言われる巨石が組み込まれている。 真田幸村の父 昌幸が築城の時、太郎山から掘り出した巨岩を、大手門の礎石とした、大阪城石垣にも巨岩が組み込まれている
 
松の廊下跡、浅野内匠守が重なる恨みを、吉良上野介にぶつけた因縁の廊下跡、此処に佇むと昔の出来事を、想像させてくれる
 
昭和天皇の「お印」は若竹、国内 中国などから珍しい竹を収集、庭苑の一角に植えられた、数が多いので2点表示した、小さくて見難いが竹の節が交互に色が変わっている
 
なんとも面白い節をした竹だ
 
東御苑に植えられている、珍しい竹8種

悪い種には 良い実は実らず

2019-07-13 10:57:35 | 日記
植物の生命力
 
家内が 調理の為にジャガ芋の皮を剥き、芽を包丁の角で取り、生ゴミで庭に埋めた、翌年の春 庭にジャガ芋が3つほど芽を出した、ジャガ芋なんか植えた記憶がないの何故? あの包丁の角でくり抜いた芽が、翌年芽を出したのだ、植物の生命力の強さに敬服。

せっかく芽を出したので大事に育てた、木も順調に生育して、ジャガ芋らしくなった、5月末頃可憐な花も咲かせ、7月初めには木も枯れ始めたので掘ってみた、実は小振りだが20個ばかり収穫、数日影干しにして、来年の種イモとして日の当たらない所へ保管。

今年2月末種芋を10個ばかり植えた、元気に芽を出し、木も順調に大きくなり、5月末には花も咲かせ、(ジャガ芋の花って可憐で奇麗ですよ)
7月初めに収穫したが、もっと大きい実がなっていると期待して、掘り上げてみてがっかりした、実が小さく未成熟、陰干しにしたら青みを帯びて来た、未成熟で青みを帯びたじゃが芋は、ソラニン チャコニン等の毒素を持ち、食べると発熱 腹痛 下痢症状が出る、食べるとえぐみが強く絶対食べてはいけない。

矢張りいい物を作るには、いい種を植えなければ良い物はできない、残飯として捨てた芽から出たのは、それなりの駄物にしかならない、今年収穫した芋は全て廃棄した。

3年間ジャガイモを育てた愉しみを味わった、だが駄物は駄物の教訓も得た。
 
残飯から出たジャガ芋を収穫(2年目)これを今年植えた
 
元気に芽を出し、木にも勢いがある
 
 
順調に育っている
 
6月には花も咲かせ、ジャガ芋の花は可愛くて意外ときれいだ、順調に育成して花も咲かせ、今年はい良いジャガ芋が収穫できると期待が膨らむ
 
7月初め期待を込めて芋を掘ったら、未成熟の子芋ばかり がっかり
 
水気を切る為一日干したら、青みが出てきた、前述の如く毒素を含む、すべて廃棄した。
元が悪いと結果も悪いことを実感した、良い勉強になった。
来年は近くのホームセンター島忠でいい種を買ってきて再挑戦してみよう。
 

栄枯盛衰

2019-07-06 15:19:39 | 日記
大型店も小売店も生き抜くのは大変だ
 

我が家の駅周辺の商店街で閉店が相次ぐ、何故だろう今年になってばたばた閉店した、小手指駅から半径50mくらいの所にハンバーガー屋が3軒あった、駅前に「バーガーキング」30m程離れた所に「モスバーガー」その斜め前道を挟んで、マクドナルドがあった、小生も時々ハンバーガーを買いに行き、店内は大勢の客でそれぞれ繁盛していた。

マクドナルドは2年弱前閉店、モスバーガーとバーガーキングは5月と6月相次いで閉店、繁盛していたと思ったが何故だろう、ハンバーガーも食えなくなってしまった。

同じ駅近くに靴のチエーン店「テイクワン」が3月閉店、建物を解体今は駐車場になっている、焼き肉チエーン店「安楽亭」も春に閉店同じく更地になっている。
平成26年7月8日開店した、弁当屋の「ほっともっと」も5年ほどでH31.3.31に閉店した道路の斜め前に西友があり、各種弁当 調理パン うどんそば スパゲッテイ等何でもあり、客足が伸びなかったか。

商店街を歩いていると、アレいつの間にかこの店が変わっているなんてことはよくある、大型店舗にしても、個人商店でも生き抜くためには大変だ。

今朝新聞の折り込み広告に、所沢のイオン(前ダイエー)が閉店の広告を載せていた、昭和56年1月26日開店、所沢に大型店舗がなく、開店から暫くは大変な賑わいで、店内整理の警備員を配置し混雑を整理して、大変繁盛していた。
その後にプロぺ通りに丸井が開店、メンズ館 レデイ館等近代的の様に見えたが、何時行っても客はまばら、数年で閉店、駅西口には昭和61年4月26日所沢西武 ワルツが開店、イオンは駅から少し距離があるせいか、客足は次第に減少、所沢東口には昨年 グランド エミオが開店、更に客足の減少につながったのか。
ダイエーは10数年前に閉店を宣言したが、所沢市や近隣住民が存続を希望し、創業者 中内 功氏の英断で存続したが、イオンに移行後、地の利不利だったか、弓折れ矢尽きたか。

昭和36年当時所沢の繁華街といえば、日吉町商店街(プロぺ通り)曽根の交差点から、市役所へ向かう所沢銀座(ファルマん通り)がアーケードを備え、映画館もあり蔵造りの商店が軒を連ね、人通りも多く繁盛していた、市役所が航空公園に移転して、人通りがガクンと落ちた。

昭和36年代当時所沢市の人口も6万人台、日吉町商店街は、地方都市の田舎臭い商店街だが所沢市の一番の繁華街、小生が所沢へ転居して58年大きく変貌し進展 近代化していい商店街になった。
36年当時から残っている店は只2軒「イセキ衣料品」「島田印房」のみ、あとは全部店が入れ替わった。

 
昭和30年代後半の日吉町商店街(現プロぺ通り)人口も少なく、まだひなびた商店街だった。   所沢市史より拝借
 
当時からあった衣料品店、「いせき」(平成26年1月3日写す)今は3階建てのビルになっている
 

昭和30年代からほとんど変わらぬ島田印房、(平成26年1月3日写す)58年間変わらず営業している2店、半世紀以上店を維持するには大変な努力、   現在のプロぺ通り早朝の為 人通りが少ない

 
昭和56年1月26日所沢に始めて大型店舗開店、当時のダイエーマーク、後にイオンマークに替わる、令和1年9月末閉店見込み、38年の歴史に幕を下ろす
 
昭和61年4月26日所沢駅西口に、西武 ワルツ開店、駅近とネームバリューは大きい
 
平成26年7月8日に盛大に開店、開店から暫くは物珍しさで繁盛する、スーパーの冷えた弁当より、あったかいうちに持って帰れるので、我が家も重宝していた、昼時 近くに仕事に来ていた職人がパラパラと買いに来ていたが、客足は伸びなかったようだ、平成31年3月31日で閉店した
 
平成30年3月2日グランドエミオが、所沢東口に開店した
 
開店当日の人の賑わい、所沢駅周辺の再開発を続行中、駅近くに大型店舗ができると、客足を吸収してしまうか
 

楽しい時間

2019-06-27 11:24:36 | 日記
よき友は大きな財産
先日ある会合の後、一杯飲まないかと友人に誘われた、会合は3時半に終わり、誘ってくれた友人2人で、近くのラーメンチエーン店日高屋へ行った、もう一人の人は打ち合わせがあるので少し遅れると云う、取り敢えず2人で乾杯、日高屋は麺類 チャーハンその他が主なメニューと思っていたが、なんと一杯飲むおつまみ一品料理が結構豊富だ、自分では日高屋は麺類を食べに寄ったくらいで、こんなメニューが豊富とは思ってもいなかった、誘ってくれた友は結構色々な店の情報に詳しい。

取り敢えず遅れてくる友が来る前に2人で乾杯、20分ほど遅れて到着した友は女性、改めて乾杯、小生いつもは男ばかり何人かで飲むが、えてして男ばかりだと話が朴訥で、思い出話や近況を語る、それも亦楽しいが、女性が一人加わると世間話し、人間関係など詳しく、男同士の会話とは違ってがぜん話題が豊富になる、女性が入ると座は盛り上がり、会話も弾む。

今一番日が長い時期、4時から飲み始めて、6時過ぎくらいには解散と思っていたが、誘ってくれた友が話術が上手く、女性もジョッキをお替りして意気投合、会話が弾んで8時近くになってしまった、4時間近くよく話し込んだものだ、とても楽しくいい時間を過ごした。

超高齢と言われる域に達し、よき同級生 よき友 時には女性を交えての宴席、幾つかの趣味のサークルに所属して友を得ている、こんな事が活性化しているのか、老化現象は否めないが、これと言う病気もない、今年初めに「帯状疱疹」を発症したが、皮膚科へ2回行って治った、体力があまり衰えていない為、軽症で済んだようだ。
 
後から来る友より先に、2人で乾杯自分はジョッキ 友は瓶ビール、他の友も瓶ビールに拘り、ジョッキは飲まない、結構拘る人がいるものだ
 
そら豆 唐揚げ 春巻きのおつまみ、
 
遅れた友が到着 改めて乾杯、これから楽しい会話が始まる
 
日高屋から50Mも離れない所に「餃子の王将」がある、どちらも半ラーメン 半餃子 半チャーハンを用意している、最近とみに少食になった小生にはうれしいメニューだ、半餃子もおつまみに
 
勧め上手な友にジョッキの後、酎ハイを2杯も飲んでしまった、気持ちよく酔い楽しく会話、いい時間を提供してくれた友に感謝