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老いて楽しく

余生を楽しむ

実がなる木は楽しい

2019-06-19 10:03:27 | 日記
梅の実
 
我が家の狭い庭に一本の梅の木がある、平成元年3月4日、近くのホームセンター島忠から、幹回り2センチ樹高80センチ枝が3~4本出ている苗木、一本380円を二本買ってきて植えた、一本は植え方が悪かったか、夏過ぎには枯れてしまった、因みに種類は豊後梅、梅の中では実が大きい。

一本は元気に育ち2年目から花を咲かせてくれたが、当然実は付かない、桃栗3年 柿8年というが、何年くらいたって実をつけたか記録がない、狭い庭で伸び放題伸ばしたら、狭い庭を席巻してしまう、年を取って剪定の時梯子を使わずに済むように、最初から思い切って背が伸びない様に剪定をした、年を取って梯子を使い刈り込み、落ちて怪我でもすれば、『年寄りの冷や水』と世間の笑い物になる事必定。

現実に近くの人が、高さ120センチのスチール製物置に上り、植木刈り込み中足を踏み外し、頭から落下、脳を損傷して防衛医大で一週間後に亡くなった。

初夏から梅雨時、夏に掛けて徒長枝が伸びて2mを超すが、冬 葉を枯らした裸木は樹高は150センチくらい。

樹は小さいが花の時期には幹にも枝にも、一杯花を咲かせて芳香を放つ、新芽が伸びてくると、新芽にアブラムシがびっしり、だが環境に悪いので消毒は一切やらない、消毒をしないせいか茂った葉の中に虫もいるのか、名も知らない小鳥が来て、葉陰を動き回るついでにアブラムシも食べてくれればいいのに、アブラムシには目もくれない。

消毒しないから、実が熟す寸前にポロポロ落ちてしまう、少し惜しい気もするが、落ちた実は自然に還元されていくだろうからいいか。
 
樹は小さいが植えてから31年、毎年花と実を楽しませてくれる
 
葉のない時はこんな小さな樹、刈り込み失敗、花付きの寂しい年
 
刈り込みを失敗しなければ、樹は小さいが花はいつも一杯つけてくれる
 
我が家で3番目に咲く花 一番福寿草 2番クロッカス 3番梅の花
 
花が散って一週間、枯れた花弁を頭に付けて、産毛をまとい可愛い梅の実の赤ちゃん誕生
 
数日経つともうこんなに大きな実になる、此の頃は葉も余り茂らず、良い実になる様に陽が当たる様になっている、自然の摂理は素晴らしい。
 
実が熟す頃になると葉が茂り、実に強い日差し当たらないようになる。
 

消毒しないから、熟す頃になると、気前よくポロポロ実が落ちる、もう少し遠慮しながら落ちろと言いたい、余り落ちると惜しい気もする

 
最終的にはこれだけ収穫できた、さて梅酒にするか、梅ジュースにするか
 

朝の光芒

2019-06-12 15:22:47 | 日記

 

5月から6月頃の夜明けの航空記念公園の日の出が美しい、6月の夏至前になると、日の出が4時半頃になる、その日の出を見るためには、3時半過ぎには家を出なくてはならない、その新緑の頃の夜明けの景色を見たくて、毎年何回も通った。

その頃はまだ体力もあり、気力も行動力も充実していた、6~7年前の話だ、毎回写真を撮ったが、中々思った写真が撮れない、下の写真はその中のある朝の日の出の写真で、前夜雨が降り、朝は快晴、樹間に靄がかかり、木々を通した朝日の光に心洗われた、一つの目的のために早朝散歩、中々訪れない機会を訪ねて足を運ぶ、健康に大いに役立ったと思っている。

この写真が優れたものとは決して思っていない、だが健康のための早朝散歩で、見つけた朝日の写真、自分の写真集の中の思い出の写真である。
 
東の空に朝日が昇る寸前、周囲の景色や輪郭が見えてくる
 
5月から6月には日の出も早くなり、朝日の光も力強くなる、そんな時期航空記念公園の東端の木立に昇る朝日が素晴らしい、昇ったばかりの朝日が真正面から差し込み、新緑の木々に素敵な光芒が差し込む
 
木々の間を通る光の筋、とても美しい光景だ
 
少し日が高くなった木立の中を散歩する人、光芒の中に立つ人
 
前夜雨が降り、朝天気が回復した時は朝靄が立ち込め、日差しも柔らかく
 
日も少し高くなり新緑も鮮やかな中に朝日の光芒が
 

疲れた

2019-06-02 12:56:57 | 日記
健康の為歩いたが、最後はバテバテ
 
数日前ウオーキングの会が有り参加した、昨年7月左膝を痛め整形外科に1ヶ月通院完治した、今年2月右膝を痛め1ヶ月通院全治した、その後右足親指付け根に痛みを感じ、ウオ―キング会を2回さぼったので、暫く長距離は歩いていない、余り休んでいると仲間から忘れ去られてしまう、参加することにした、長距離歩行はしていないので、少し不安があった。

今回参加以前に、川越新河岸川の桜を見る会で、1万歩少々歩き、その後恵比寿駅界隈の史跡探訪に参加、1万歩程歩いて膝の痛みも疲れも全く感じられなかった、今回は少し距離があり不安を感じたが。

 北参道から歩き始める、最終目的は日比谷公園まで、決められたコースをただ歩くだけでなく、リーダーが道々各施設 建造物 史跡などを解説してくれ、見学していい勉強になる、それを楽しみながら快調に歩く、時々リーダーが足の調子を心配してくれる、その心遣いが嬉しい、快調ですよと答えていたが、不安が的中した、目的地近くの桜田門辺から太腿 ふくらはぎに疲れが出て、目的地日比田公園に着いた時は、非常に足が重く感じられた、松本楼の前で解散になり、松本楼でビールでも飲みながら「ハイカラビーフカレー」を食べようと思ったが、疲れてビールを飲む気も食欲も全くなし、真っ直ぐ有楽町駅へ向かった、家に帰ったら17,000歩 以前はこのくらいなんでもなかったが。

有楽町駅迄の歩行が、普通の人の半分の速度、足が重くよろけて転ばなくてよかった、有楽町駅でエスカレーター エレベーターもなくそれを探す気力もなし、やっと階段を上った、電車で腰掛けられてほっとした。
 
所沢駅ホームへ集合、待っている時に最新型特急が入線した、まるっこくて優しいヘッド 可愛い感じだ
 
窓がとても大きく眺望がよさそう、座席もゆったりした感じ、秩父の山並みと緑を眺めながら乗って見たくなった、折が有ったら秩父迄行って駅前の「祭の湯」へ浸かりに行こうかなどと思った
 
北参道駅から歩き始めて、建設中の国立競技場を右手に見て てくてく歩く、外見はほぼ出来ている
 
国立能楽堂へ寄る、今日は公演もなさそう静かなたたずまい、しっとりと重みがある、
 
道すがら大きな気根(乳房)を付けた銀杏の古木を発見、説明をする古老
 
明治天皇が四五年に崩御され、当時青山辺は練兵場で、ご葬儀がこの地で行われ、御柩車が置かれた葬場殿跡、当時に植えられた楠の木
 
絵画館前の銀杏並木を会話を弾ませながら歩く会員、銀杏の新緑が目に優しい
 
豊川稲荷に参拝と休憩。豊川稲荷の山門の脇に坂がある、写真右下に九郎九坂の木票がある、その昔当地1ツ木町の名主の先祖「九郎九」が移り住み坂名になった、近くに鉄砲練習場が有って 鉄砲坂とも云う
 
江戸時代江戸城を守る為36の見付があったと言われるが、現在 四谷見付 市ヶ谷見付などあるが、赤坂見付も枡形櫓の石垣が残るのみ
 
赤プリ本館 周囲の庭園がよく整備されている、女性は建物より花に興味が強いか
 
桜田門近くのお堀端を会話を楽しみながら歩く、自分ではこの辺から足が怪しくなった
 
日比谷公園松本楼のメニュー千円少々で庶民的な値段 人気のハイカラビーフカレーも¥1,100
 
絵画館前の新緑の銀杏並木 この先端まで尖った樹形 さぞかし手入れが大変だろう
 
参考資料 上記並木の黄葉の頃 H25年写す 新緑も黄葉時期どちらも素敵な景色
 
参考資料 昭和二年の同銀杏並木
 

老人の転倒は重大事故

2019-05-30 16:00:19 | 日記
年を取ったら細心の注意を
 
今朝 草むしりで出た大量の塵を集積所へ運んだ、烏 猫に荒されぬ様ネットの中にゴミを廃棄、同じ班の男性が何かソワソワ、見たら塵集積所の反対側に男性が倒れて血を流している、直ぐ近くのお年寄りが塵袋を両手に下げ捨てに来た様だ、僅か数十歩の距離、サンダル履きで気楽に捨てに来たのだろう、何処にもつまずく段差もない、何かの拍子に躓き、両手に塵袋を持っていて、顔から地面に落ちだようだ。

第一発見者が119番に電話する、救急車到着までの、僅か5~6分が非常に長く感じられた、ごみ捨ての奥さん達も何人かいて、起こして上げたらと言う、頭を打っている人を素人が矢鱈動かす事は出来ない、
言葉を掛ければ返答があり、左手が動かないと訴える、脈拍は正常、呼吸も正常、左手も触ると感じると言う、動かすのも僅かに動く、素人だが脳に大きな損傷はないと思った、其処に救急車のサイレンにホットした、救急隊員の適切な処置、担架に乗せられた、娘さんは救急車で同行しなければならず、家の戸締り、その他必要な物持参を簡単に話した、これで救急処置をしてもらえると安心した。

 朝の塵出しのとんだハプニング、年を取ったら、足が弱くなるので、細心の注意が必要と我が身に染みて感じた。
 

天狗の腰掛け杉 2題

2019-05-25 11:11:28 | 日記
似た樹形があるものだ
 
 旧友が御嶽山のボランテアを遣っている、年に何回も登り10数年過ぎ、御嶽山は自分の庭の様に隅から隅まで知り尽くしている。
 
 その友が8月に咲く可憐な花「レンゲショウマ」の写真を毎年メールで送ってくれていた、写真で見るのもいいが、自分でも自然の中に群生している生のレンゲショウマを見たくなり、友に御嶽山案内を頼んだ、快く承諾してくれて、レンゲショウマの写真を撮り、レストハウス 御嶽神社 御師の家を何軒も案内してくれ、七代の滝 古代欅等案内して貰った。

 何の変哲もない杉林の中を歩いていると「天狗の腰掛け杉」と云うのが有り、真っ直ぐ伸びた幹から、同じくらいの太さの枝が出て、それが1mくらい横に伸びて、あと真っ直ぐに上に向かって伸びている、正に天狗が腰掛けるにはもってこいの枝振り、天狗の腰掛け杉だ。

 その後ウオーキングの会で、府中市界隈を歩いた、府中と言えば何と言っても「大國魂神社」だ、参拝した時に山門 拝殿 本殿は勿論、境内の巨木、御神木 何気なく数十枚の写真を撮って来た。

 先日暇が出来たので古い写真を再現してみた、 各年別 各サークル別 日常の写真 あらゆる物を画像で残し、年月日 場所 施設を記入 ホルダーに分類保管している、全ての画像は数万点になるかもしれない。

 大國魂神社の或る木がどこかで見たような気がして、記憶を辿って見た、思い出した、御嶽山へ行った時に写した「天狗の腰掛け杉」と全く同じだ。
 

御嶽山中の杉林の中に「天狗の腰掛け」杉

この時は面白い枝の伸ばし方をするものだと写真を撮り、保存しておいた
 
大國魂神社にも、同じ枝振りの木が存在していた
上記御嶽山の「天狗の腰掛け杉」の事は忘れていた、ウオーキングの会で府中市内散策に連れて行って貰い、大國魂神社を参拝した時に、何処かで似たよう木を見た思い、写真を撮っておいたが、何処で撮ったか忘れていた、先日古い写真を再現した時に、6年前に御嶽山を訪れた時に撮った写真を見て、ここだったのかと思い出す。
左程珍しい事ではないが、全く地域が離れたところで、同じような樹形を発見した
,
 

終活 気楽になった

2019-05-22 09:26:41 | 日記

遣るべき事を遣れば気が楽に

 

もう20年以上前になるか、朝霞市に在る古刹に墓地の永代使用を申し込み取得した、墓地は買うのではなく永代使用を認められたのであって、自分の土地ではない、代々その墓地に埋葬者がいて続けば永代使用できる、だがその墓地を継ぐ人が居なくなり無縁墓になれば、お寺の意向で遺骨は合同墓に移され墓仕舞いになる。

昨年家内がその墓地に、川越の石材屋に建墓を注文した、生前に建墓すると「寿陵」と言って、墓石名を赤字で書き縁起が良く長生きすると言われているが、小生の知る範囲では、生前建墓した人は、墓が出来て比較的短時日であの世へ旅立っている人が多い、墓が出来て安心してしまうのか、小生も生前建墓は反対したが、家内が自分のお金で建てるのだからと建墓した、墓石が出来上がり、新しい墓に開眼供養を住職にしてもらった、小生立ち会わず。

生前建墓「寿陵」目出たいと云うが、大きな疑問を持っている、自分では墓をまだ見たこともない、健康で大勢の人と交流して、人生を楽しみたいから。

それでも自分の年齢を考えると、僅かな預金と不動産、争い無い様に相続させたいから、法律家と何回も打ち合わせ、法に適し、相続人も納得する内容の遺言書を作った。

相談に乗って貰った法律家も初対面、法律家も小生と初対面、最初面談した時に、お互いを理解し合え信頼を持って話すべきと思い、初対面は雑談の様に過ごした、誠意ある法律家と思い、先方も小生を信頼てくれ、遺言書作成の本論を何度かお会いして話し合った、素人が考えていることと、法に叶う事は違う点も数多くある、その点を調整し、相続人に配分を説明して納得して貰い、法律家が遺言書原文を作成してくれた。

公証人役場へ法律家と同行、公証人が遺言本書作成、副本2通、本書は小生が保管、副本は公証人役場に保管、あと一通は法律家が保管、小生死後は直ちに遺言が執行される。
公証人役場で公的文書作成となるとその重みを感じる、緊張した時間だったが、これも終活行事の一つ、諸手続きを終え安堵感もある。

収まるべき墓もあり、公的有効の遺言書も出来、人生最終段階に入った様だが、どっこい まだまだ多くの人と交流し、残された人生を謳歌しようと思っている、遣るべき事を遣ってしまうと、人間気が楽になる。

相談した法律家は信頼できる人なので、小生の死後、幾多の変更手続きが有る、家内も高齢化して諸手続きも大変、死後処理の後見もお願いしようと思っている。

 
航空公園は朝の散歩で何百回行ったことか、航空公園反対側、行政道路沿いに「公証人役場」が有るのを初めて知った。
 
この証書は公的に有効で、裁判所も認める証書、公的文書作成となると、緊張する
 
表紙 裏表紙以外、遺言を記したページには、全て「公証」の文字が穿穴されていて偽造は決してできない、内容変更する時は、法律家 公証人立ち合いで変更する、当然ある程度の手数料を支払う
 

東大和市 ウマカンベ―祭り

2019-05-16 09:52:25 | 日記
ささやかな親睦会
 
東大和市で7~8年前から南公園広場を利用して「うまかんべー」祭りを開催している、東大和市に住む旧友から、こんな祭りがあるから行って見ないかと誘われたのは6年くらい前だったか、催しを始めて初年度だったか2年目だったか、知名度も低く出店店舗も少なく、祭り参加人数も少なかったが、友と祭りを楽しんだ。
 
ゆるキャラ「うまかんべー」も一役買って祭りを盛り上げていた、お椀を被り大きな舌を出し、旨さを表現か
 
このウマカンベ―祭りを機会に、旧友が集まって親睦会を遣ろうと話があり参加した。
残念な事乍ら年々旧友も欠けていき、この祭りに3人の友が集まった少し寂しい、年齢を考えると仕方ない事か。
この祭りも年々知名度も上がり、今年はフリマも多くの店を出し、出店露店も多くなり、好天に恵まれ今年は大変な賑わい、露店でワンカップでも買って、何かおつまみを買い、休憩所で一杯と話しもあったが、何せ凄い人出土埃も多い、何処か店で親睦会を遣る事に一決。
 
会場外にも、フリマが多くの店を出し客を呼び込み、活気がある
 
東大和市と喜多方市は姉妹都市、喜多方市からは多くのブースを開き、酒の産地 銘酒の宣伝に余念がないが、喜多方と言えばラーメンが銘酒の人気を上回る、喜多方ラーメンを家族が待つ桟敷席へ運ぶ人も
 
東大和市に住む旧友、御嶽山ボランテア他、市内の各種ボランテアに参加、東大和元気ゆうゆう体操の指導員も遣っている、そのバイタリテーには敬服、東大和市の名士だろう、小生の遠く及ばぬ人格
じゃがバター 串焼き お好み焼き ラーメン食欲をそそる匂いが充満、大変な人気で行列ができていた
 
近くの「ガスト」で乾杯、日本酒好みの我々、何故かガストは日本酒を置かない、仕方なくレモンサワーで乾杯、これが何と氷水を飲んでいるよう、何とも詰まらない飲み物
 
年を取っているから野菜を摂ろうと野菜サラダが酒のおつまみ
 
ピザもスパゲッテイも旨かった、少食になった我等この辺のおつまみで充分
 
レモンサワーは水みたい、サントリーオンザロックにしたが、何故か酔いがこない、酔いもなく締まらない親睦会になった、我々は「磯丸水産」あたりで、サザエの壺焼き 焼き蛤 刺身盛り合わせで、濁り酒を飲むのが性に合っているのか
 
色々飲んだり食べたと思ったが、会計は一人当たり2千円、ハイボール4個とあるが実際は6杯飲んだ、会計して外へ出た後で分かったのだが、此方が故意に誤魔化したのではなくて、店側のレジミス、此方は悪気など一切ない爺さん達、儲かったと喜ぶ年でもない、些細な金額、そのうち日を改めて楽しく過ごせる親睦会を遣りたい思う
 
東大和市南公園は旧日立航空機立川工場跡地で、戦時中米空軍の3回に亘り爆撃を受け、工場は壊滅し、100人以上の犠牲者が出た痛ましい跡地、その一角に有った変電所が、米戦闘機の飽くなき機銃掃射にあい、建物は蜂の巣状の弾痕、戦争遺跡として残っている
 

米戦闘機の機関銃弾が、厚さ10数cmのコンクリート壁を貫通している、恐ろしい威力。

 
日立航空機工場内に給水していた高さ25mの給水塔、平成7年まで機能していた、変電所と共に戦争遺跡として保存計画だったが、諸般の事情で解体された
 

恵比寿駅周辺散策 楽しかった

2019-05-11 11:35:33 | 日記
楽しい仲間達と歩く
 
去る8日に、史跡を探訪する会に参加させて貰った、当日は5月中でも希にみる快適な一日、気温23度 無風 湿度40%日の出から日没まで雲一つない快晴、こんな恵まれた天候の中、一行20人ばかりで恵比寿駅周辺を探策した、もう10年来の皆顔見知りの仲間たち、気楽な会話を楽しみながら新緑の街を歩いた。

恵比寿駅と言えば1企業名が駅名になった珍しい駅、駅周辺の建造物、施設は恵比寿ビールに関係したものが多い、そのエビスビールに関係した施設を見学、エビスプレイスガーデン38階の展望台から360度都内全体の眺望を楽しみ、39階のレストランで食事と下界の景色を楽しむ。

アメリカ橋 恵比須神社参拝、東京都写真美術館鑑賞 爺ヶ茶屋も行程に入っていたが、これは省略。

爺ヶ茶屋とは武蔵野台地から目黒川に向かって下る坂で、江戸時代は坂の上から眺めると、坂下には田圃が広がり、遠くには富士も眺められ、眺望のいい坂で、坂ノ途中には武蔵野台地から湧き出る泉があり、旅人たちの憩いの茶屋があった、3代将軍家光が巻狩りの折立ち寄り、茶の旨さによく立ち寄り「爺ヶ茶屋」と命名して愛し、よく通ったと云う。
今は市街化して湧き水もなく、茶屋跡もなく地名として道路脇に茶屋坂の木標が残るのみ。 
 
明治34年の恵比寿駅、1企業の名が地名 駅名になったのは珍らしい。  エビス記念館資料より合成
 

恵比寿駅から動く歩道を5つ乗り継ぎ、何歩も歩かないで出たところが「アメリカ橋」

1904年セントルイス万博に展示された橋を買い取って、移設した橋でアメリカ橋(恵比寿南橋)と言い、狩人が歌って有名になったが、何の変哲もない橋、写真を載せる程でもなし。

 
アメリカ橋から恵比須神社へ向かう道、新緑が五月晴れに映えとても綺麗だった、活力を貰い、癒される
 
エビスビール記念館 あまり見る物もなし、
 
ガーデンプレイス38階から20倍望遠で富士を望む、快晴 無風 湿度40%条件良く、倍率が高く三脚もなく手振れが少なく幸運だった、
 
東京タワーも比較的近くに、スカイツリーも遠望できた
 
快晴 気温23度 湿度40% 汗をもかかず快適に歩いた後、眺望を楽しみながらのビール何とも言えない喉越し  
 
エビスビアーレストランもあるが、まだ目的半ば、先の一杯でホロリ酔う
 
東京都写真美術館へ向かう仲間達、展示写真はベトナム戦争の枯葉剤作戦で傷ついた人、後遺症で苦しむ人 アウシュビッツの大量殺人の傷跡 原爆の悲惨さを展示していた、人と人が殺しあう決してあってはならない事、世界で小さな紛争が起きているが、日本は70年以上平和を享受している、何時までも平和で有って欲しい
 
駅周辺の施設を巡るので、余り歩かないで済むと思っていたが、家に着いたら、1万歩近かった、これでも少ない方だ、普通15000歩くらいは歩く
 
 

終活

2019-05-03 11:24:48 | 日記
「遺産相続」は「争族」にならぬよう
 

最近高齢化社会になったせいか、「終活」と言う言葉をよく耳にする、小生も3年ほど前から体力 行動力 思考力等の衰えを感じ終活を意識し始めた。

本屋から「遺言書の書き方」「エンデングノート」など買ってきて、終活に必要なことを勉強してみた、人の生き方は千差万別、億万の財産を残す人もいるだろう、大きな借財を残す人もいる、自分に合った「遺言書」を書かなければと思った

自筆遺言書も法的に叶ったっものであれば、遺言書に沿った分与がなされるが、法に合わない遺言書は相続人から異議が出ると、審査され家庭裁判所から許可が出ない、法に叶った分与でも、金銭が絡むとどうしても問題が起きる、小生の僅かな財産も分与で、「争族」など起きたら成仏できない。

昨年秋も深まった頃、所沢西武へ用が有って行った時に、2階回廊に法律家が机を並べ10人程が相談に乗っていた、自分も関心が有ったので、ある法律家に話しかけ、その後その法律家と2月以降何回か事務所を訪れ相談した。

自分が思っていた分与も法的には叶わない点を幾つか指摘された、そんな点を修正して概略の遺言書が出来たので、最大の相続権者の妻にこんな形の分与だと話し納得した、倅にも話をして相続分はこれだけだと話し同意を得た。

只 法的にはこうだと言っても、其処には人間関係が大きく絡む、法に叶っていても、私は親を一生懸命介護した、貴方は介護しなかったので、私の取り分が多い等色々な問題も絡む、問題山積だ、双方が納得して法的に叶った遺言書であれば、遺産分与も問題なく終わるだろう。

エンデングノートは、自分の死後の処理などを書き込み、意向を記すのであって、遺言書にはならない。

近々司法書士と公証役場へ行き、公証人立ち合いで遺言書が作成される、相続人も納得の上の「公文書」で法的にも心配なく、小生の死後文書通り配分されるだろう、これで安心出来る、だが公文書とは言え、年月を経ると事情も変わる、途中で書き換えも可能だ、因みに費用は数10万円、平穏無事に遺産相続が出来れば、安心して死出の旅路に付ける安いものだ。

小生死後預金名義変更 年金手続き 不動産名義変更その他幾多の手続きがあるだろう、妻も年を取り大変な労力、それも法律家に総てを任せた。


後悔先に立たず

2019-04-27 10:06:35 | 日記
転ばぬ先の杖
 

小生10数年前に車は廃車して、誕生日の更新前に免許も返納した、免許証を返納に行った時対応したお巡りさん「一度返納手続きをすると、2度と運転できませんよ」と念を押された、当然そのつもりで返納したのだが、お巡りさん気遣ってそう言って呉れたのろう。

廃車するに当たって悩んだ、今迄より行動半径が小さくなり、旅行もいけなくなると思った、だが旅行は電車で車窓を眺めながら一杯やるこれが楽しい、車では絶対できない事。

各種用足しも不便になると思った、だが年間車の維持費がなくなった分タクシーを利用すれば不便を感じないかと、廃車と免許返納をした。

人間だれしも、自分はそんなへまはしないと、変な過信を持っている、人間の能力なんてそんなに差があるものではない、詰まらぬ過信が大変な事故を起こして、大きな悔いを残すことになる。

年を取れば、眼 耳 感受性が衰え、瞬間判断 瞬発力 動作の鈍さが顕著になり、一つの操作ミスでパニックになりあとの動作を間違え、大事故に繋がった事故があった。
先日 昔社会的地位があった人らしいが、超高齢で僅かなミスでパニックになり、清掃車は横転、自転車は真っ二つに折れ、2人死亡多数の怪我人が出た、物損事故は金銭で弁償できる、2人の命と怪我をした人の後遺症があった時、それをどう償えるのか。
先日奥さんと子供を失くしたご主人が、胸の苦しさを切々と訴えていた、家族を失った人、怪我をさせた人にどの様に償っていくのか、人の命は元には戻らないのだ、此の犠牲者の為 償いに煉獄で身を焼き反省すると良い、それでも自分の心は癒えぬだろう。
 
自分で早々に免許返納したのに大変な葛藤があった、だが事故で人の命を奪ってしまったら、それは殺人だ、一生心に大きな負担を背負い、墓場へ行くまで、悔悟の念が離れないだろう、そんな心の負担を背負わない内に廃車と免許返納をした、車がなくどんなに不便かと思ったが、公共交通機関を利用し、近場は自転車で用を済ます、タクシーを使う事は殆どない、全く気楽な生活だ、足を使うせいか健康増進に繋がった様だ。

この事故に対する警視庁の対応も、なんだか変だった、以前社会的地位が有ろうがなかろうが、大事故を起こした当事者で過去の地位も年齢も関係ない、只大事故を起こした加害者である。