私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

中宮寺

2011年11月05日 | 旅行

 法隆寺東院伽藍(夢殿)東側と言うより、東裏側にひっそりとたたずむ尼寺です。創建の飛鳥時代(6世紀~7世紀)は、西の法隆寺に対照した位置に建てられた、塔・金堂を配した四天王式伽藍であったようです。法隆寺は僧寺、中宮寺は初めから尼寺として計画されたと思われます。
 菩薩半跏像(国宝・如意輪観世音菩薩)はその本堂の本尊で、天寿国曼荼羅編帳(国宝)は講堂の本尊薬師如来像の背面にあったものと伝えられています。

 その後、平安時代には寺運も衰退し、室町時代のことはほとんど不明のようです。その後もたびたびの火災に会い、法隆寺東院の山内子院に避難し、旧地への再建がならず、ここに後伏見天皇八世皇女が御住職されて、以来尼門跡跡斑鳩御所として寺観を整えてきたのが今の伽藍のようです。

                
 中宮寺本堂です。高松宮妃殿下の発願により、昭和四十三年五月落慶した御堂です。一段高い本堂前面周囲に池を配し、池の廻りには黄金色の山吹を植えて、清楚で気品のある尼寺の雰囲気を漂わせています。

  
 本尊の如意輪観世音菩薩と天寿国曼荼羅編帳です。
 東洋美術における「考える像」として有名な思椎半跏のこの像は飛鳥彫刻の最高傑作です。お顔の優しさの中に”微笑み”を感ずることができ、スフィンクス、モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と評価されています。
    

          
  
   
 中宮寺は、法隆寺東院伽藍に隣接していますが、東裏に廻るためか参拝者が少なくなる感じです。40年前に訪れていますが、本尊の如意輪観世音菩薩が印象(好き)にあって足を運びました。寺全体の印象を含めて少しも変わっていませんでした。右の写真は中宮寺本堂の縁から夢殿を撮りました。
 40年前は、仲良し夫婦6組が中宮寺、法隆寺、唐招提寺、薬師寺、法起寺、法輪寺を回りましたが、現在は6人の男の内4人が亡くなり一人も病人になっています。人間側のほうが変わってしまったようです。今回の寺巡りでも「再度訪れることは無いだろう・・・」そんな思いがあったのも事実で、反面元気で「法起寺、法輪寺は来年訪れよう・・・」と頭をかすめました。

 

 


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