私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

ひ孫たちよ

2012年12月31日 | Weblog

  12月中旬に入ると例年にない寒い日が続くようになりました。マイナス零度以下の朝を迎える事が多かったですが、生活実感としては、寒さをそれほど感じませんでした。寒い朝のうちはあまり行動しなかった事や、いつの間にか”一枚多く着る”ようになっていました。老いの知恵ですかねー、お蔭と元気で、皆も頑張ってお正月を迎える準備万端整いました。

 曾孫とは、年3回ぐらい会っています。まだ11月初めに会って来たばかりですが、それでも、2回ほど電話やメールで「元気でやっていますか・・・」とお嫁さんに連絡をとりました。考えてみると、このひ孫たちには7人のおじいちゃん、おばあちゃんがいます。私たちは、大きいおじいちゃん、大きいおばあちゃんの部類にはいりますが、孫たちは、親を含めて序列をわきまえたうえで、平等に接してくれる感じです。だから、可愛いですがその序列を越えてはならないと思っています。ただしブログについては、私の特権の範囲と思っていますが・・・・?

 クリスマスが過ぎてから、『クリスマスの写真を出来たら送ってほしい!』とメールしました。          

            
   その写真を使って、30日の夜2時間ほど使って上の映像にたどり着きました。私にしてみると”あれや、これや” と思案して、初めて出来上がった構図です。頑張り屋で、心の美しい子に育ってほしいと願っています。この3人(男一人に女二人)の子たちが小学校に上がるまで頑張ろうかな・・・?。

 夕飯を済ましてからパソコンに向かい、途中”昆布巻き”を手伝い、10時45分に投稿しました。(例年紅白を見ながら、昆布巻きを作を習わしにしています)
 良いお年をお迎えください。  
       


案じた”餅つき”

2012年12月28日 | 随想

 過去毎年28日は、我が家の”餅つき”日になっています。
 
 しかし 数年前から私が”餅をつく臼数を少なくしよう”提案するようになりました。順次減らしてきて一昨年は7臼、作年は5臼にしてきました。今年は、思い切って2臼にしました。私の強い提案と話し合いの結果でした。(1臼は2升で2,4キロ)

 その理由ですが、先ず餅を食べることが少なくなりました。特に、若い者は極端に少ない感じです。それに、私たちが年老いたことです。機械でするといっても餅をつく労働は大変です。その餅を1~2日置いて切り餅にする訳ですが、真冬というのに汗が出て、つい愚痴が出ていました。

 今日28日は、午後から雨の予報が出ていて朝からどんより曇っていました。零下の冷えこみでしたが、早めの朝8時から掛かって、女房と仕事は分担して手際よく作業は進行して?、10時には大方の片付けも終えることが出来ました。

 ついた餅を”鏡餅”にするのは私の役目ですが、仕上がりはともかく、戸惑わずに仕事が進み、鏡餅が十四飾りと、切り餅が一枚と三分の一(切ると60個ほど)出来上がりました。
 『この程度なら来年もできそう!』疲れもなく、顔を見合わせて実感しました。『こつ』を覚えましたから、来年はモットかっこいい鏡餅を作ります。二人が元気でそろっていたら・・・、 畑から小さめのミカンを採ってきました。ちょっと大きい感じですが今年もこれでいきます。

 案じていた”餅つき”がすんなりいき、昼ごろから雪もまじる冷たい雨になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


光の屈折 (我が家の自然現象)

2012年12月24日 | 観察

 昨日はあれほど暖かかったのに、今日24日(祭)は寒い日を迎えました。予報では、北陸地方は大雪と伝えていましたが、昼過ぎには雪雲が流れ込んで一時雪が舞いました。
 外に出るのも”おっく”になって、以前から取り組んでいた『我が家の自然現象』について纏めてみようと考えました。

 我が家を建て替えたのは、もう30年余前になりますが、この現象に気が付いたのは3年ほど前です。朝仏壇に”お参り”するを日課としておりますが、燈明(蝋燭に火)を点けたまま縁側に出て、ガラス戸越しに、庭の南天の根元に”蝋燭の影”が映ってのに気が付きました。”光の屈折現象”程度に思って、しかし、”現象が起きる構造”になっている事は”珍しい”と考えて、写真を撮ろうとしましたが全く上手くいきませんでした。(過去一回薄い映像が撮れました)   

  
 お友達に話をして、アドバイスを貰ったら鮮明な映像が撮れました。(写真左・話すのが、ちょっと恥ずかしかったですが…)まだ数日前の事です。この写真があれば、投稿したくなって、しかし 「光の屈折」の言葉を知っているていどの知識では駄目と考えて、お友達に教えてもらい、且つ少し勉強しました。

 私なりに理解できて、それを図で表すのに苦労しました。

      

 
      

      
 3図の光源は、最上部写真・仏壇前の蝋燭の火のある所です。映像は、南天根元の蝋燭の火ある所です。
 光源と映像の間隔は、ガラス戸を中心に左・右4m10cmの、計8m20㎝です。(図では上・下になります)
 図の右側、
は、私の目線と思ってください。

 光源の蝋燭の光が、ガラス面に反射して私の目を通して脳裏焼き付き、脳が南天の根元に映し出した”幻の映像”??のようです。
 今回は、拙い図を使って、私が理解できた過程を発表した
だけでおわったようです。間違っていたら・・・もっと解りやすい図示方法があったら・・・教えて下さい。

    
 目線を上下左右に動かすと、僅かに火は移動します。光源を動かすと、その長さだけ光は移動するようです。
 

 


シャルム (12月どり玉葱)

2012年12月22日 | 野菜つくり

 『今年も、あと10日で終わりかー』と思わず呟いてしまいました。『坂道を荷車が”ガタゴト”音をた立て下るー』思いで、歳と共に一年が早く巡ってきます。つい”せんだって”80と言っていたのに、もう85・・・・。

 ほんに、短い時間の想いを、振り払うように畑にでました。今年試作した”12月どり玉葱”は、3月に種を蒔いて、6月に小玉の玉葱を収穫し、8月に本圃に定植したものです。その度に投稿して、結果は皆さんに報告します!と約束していました、から・・・・。

       
 畑に着くと、”トンネルのある道”の片側の楓の紅葉が目について、先ずカメラにおさめました。
 此処には、7本の楓の木が並んでいて、11月初めから12月一杯かけて順次紅葉していきます。毎年その美しさを投稿してして来ましたが、今年はその美しさを感ずることが出来ず”無視”してきたわけです。特に真紅が無かった感じで、来年を期待して一枚とり上げました。

 シャルム (冬どり玉葱について)
       
 250球を植えてあります。マルチを敷く前に元肥として鶏糞・化成肥料を入れてあります。8月末に定植しましたが高温のためか、約2割の球が腐りました。前から感じていましたが、肥料切れの状態です。試験採りしました。

    
  その為か生育が悪いです。                且つ球が割れているのが2割弱あります。
 今年の、12月どり玉葱の栽培は不成功でした。が、自家用に頼んで使ってもらいます。

 1)定植時マルチを敷いてあるから、追肥が適時行えない関係から元肥を(堆肥や鶏糞)多く入れる。
 2)定植時マルチを敷いてあるから、より高温になるために腐る球がでると考えると、ある期間日除けを
   する。これによ
って、球が割れるのも防げる?
 3)生育期間気温が順次下がって行くことを考えると、例えば11月頃よりトンネルを掛けて保温する。

写真上の左・4個の内大きいのが一つありますが、ここまで育てれば成功と考えて、上記の方法で再挑戦してみます。

 但しこんなことが起きております。毎年6月に玉葱は収穫して、風通しの良い日陰に吊るして保存します。ところが、9月を過ぎると、腐り始めてポトポトと落ち始めます。だから”シヤルム”に挑戦した訳です。が今年はそれが落ちないのです。どうも今年の玉葱は不作で、大きく育たず、結果小さく締まった硬い玉葱が幸いしたようです。
 『玉葱作りのこつは、大きくなく、硬い玉葱をつくる』事ですが、中々上手くいきません。

      


師走半ばの畑

2012年12月19日 | 野菜つくり

 昨日まで3日間ほどの朝は、冷えこみの無い(-0℃以下に)暖かい朝を迎えました。それ以前の6日間は-0℃以下で、特に13日は-3℃の冷え込みでした。こうなると畑の土も凍り付いてコンクリートの上を歩く感じになります。それが太陽の光が当たり始める9時ごろになると、凍てた土が融け始めて歩くと泥状になって靴にへばりつき、畑の仕事もできません。よくしたもので当地では、寒波と暖気が交互に来る土地柄で、北国と比べると暖かい方が多く有難いと思っています。17日夜から18日朝にかけて降った雪も、写真一番目の家の陰に僅かに残るだけになりました。

 その暖かい日の午後を選んで畑にでました。もう正月を迎える準備とか、もうそれに付随する仕事になってきました。

         
 この時期になると先ず葉牡丹の植え付けをします。毎年5軒分の本数(約40本)を確保するようにしています。此処だけは覆った雪を早めに取り除いてやりました。

         
  我が家分の4鉢の葉牡丹です。今年は冷えた分、紅白の色が綺麗に出たように思います。4軒の方がそれぞれ植えられた残りが10本ほどありましたが、散歩する人が・・・・『欲しい!!』と言って持っていかれました。

         

         
 白菜とキャベツですが、女房が進物(女のつきあい用)にと畑から採ってきました。これに2種類ぐらいの野菜を添えて正月前に配るようです。『私作る人、女房配る人』我が家の野菜作りはそんな一面をもっています。

         
 上記の意味もあって収穫したミカンと柚子です。柚子の木は一本、ミカンは七本あってかなりの量になります。が、小ぶりなミカンがある感じです。理由は『剪定』が下手だからです。無農薬で少し汚れていますが、結構美味しくいただいています。これからも安心が第一の野菜作りを心掛けていくつもりです。


各務原大橋 第2報 (完成まじか)

2012年12月15日 | 風景

 4月1日に『各務原大橋をつくる』を投稿してから、心情的には”ご無沙汰してる”という感覚でした。が、決して忘れ去った訳ではなく、2度3度と訪れて写真は撮っていました。しかし 橋の建設は高いビルを造るつくるのと違って、見た目が”変化が無く”過ぎてきてしまいました。
 各務原大橋については、一回の投稿だけで終わるのは”尻切れトンボ”の思いで、『橋の完成までを追うのが正当』という思いもあり、現場になるべく近い処の取材を願ってみましたが、『齢を考えると、ほどほどで・・・』と揺れてきました。

 9日の晩からの雪が大雪になって、雪が大方融けた12日好天にも恵まれ、思い出したように”各務原大橋”を撮りに出かけました。 (4月1日投稿の、「各務原大橋をつくる」を参照してください)

    
 家から車で10分と掛かりませんが、8月から来ていない思いでした。神明・小網橋(おもいやり橋)を渡ると200m足らずでA地点に到達し、これから先は新しく造られた道路です。

       
    この標識も来年3月には書き換えられます。『各務原市街→直線』と、距離も短くなる筈・・・・。

       

       
    橋の高さまで緩やかに登ってきて終っています。川島側の取付道路は100%完成しているようです。

       
  橋梁の最終南面です。上の写真のC地点と繋がれますが、未着工で距離は約10メートルです。銀色の円筒が四ッ見えますが、PCが埋め込まれており、594mの橋の橋台と橋桁を引っ張って固定しています。
 素人判断ですが、中空にワイヤを張って橋桁を吊るす方式と違って、ワイヤを橋の下に張って橋の強度を保つ新しい技術で、日本でも数例しか橋のようです。

       
 PC10径間連続フィンバック橋工法で594メートルの橋は、優美な印象を与えるようで期待しています。確か、木曽川に架かる多くの橋も、近世になるほど”美しさ”を感ずる橋になってきている印象をもっています。
       
 平成21年10月に始まった工事は上部が繋がっていて、素人目には資材の”片付け”に入っているように見えました。

 思い付きでしたが、最良の日に来たと思っています。その想いを出来るだけ少ない写真で表したいと編集したつもりです。それにこういう構造物に取り組んでみて、完成された物に対する美しさもさることながら、造る人の心にも触れてみたいと・・・夢みたいな事を思うようになりました。
  


師走の寒波 (続報)

2012年12月10日 | 風景

 この時期12月から3月を(農閑期)どう過ごすかを心配するようになりました。老後の生活は”野菜作りとパソコン”の2本立てで来た訳ですから、畑に仕事のないこの時期は例年の事で、今まで過ごして来ているから『つまらぬ事をあまり考えないでおこうー』と思いを切り替えるようにしています。

 昨日は今季の最低気温の朝を迎えて、カメラを持って畑に行き、撮った映像で投稿が出来たのも『やはり健康でいるから・・・』『これだけは配慮していかなければ・・・』と思つています。
 昨日は、結局午前・午後ともパソコンの前に居ることが多く、午前中は年賀状の裏面を自分の撮った映像で編集し、午後は「師走の寒波」を投稿し3時頃よりゆっくりしました。炬燵に入って・・・・

      
 風呂に入るため部屋を出て、外をのぞいて見て「雪が降っている!」と、9日午後6時39分の映像です。

      
 今日10日は、4時30分起床、外は”真っ白”でした。夜の明けるのを待って(6時30分)我が家の”東側の庭”を撮りました。庇の雪は20センチあり、この時期近年に無い大雪です。

      
     朝になっても、小雪や牡丹雪が降り続いており、写真は9時10分頃の映像です。

  10時頃になって雪も止み、畑を見回りながら写真を撮ってきました。

   

    

    

 畑の野菜が、すっかり雪の下に埋もれてしまいました。明日から天気は良さそうですが、畑の雪が融けるには一週間位かかるんではないかな? ブロッコリーとカリフラワーの生育が遅れる感じです。
 
 今日は、午前中年賀状の裏面の修正をしながら印刷を済ませ、午後はこの投稿で終わりました。物事を「休んでは、急がず、ゆっくりと済まして・・・」今日は終わります。

 


師走の寒波

2012年12月09日 | 随想

 今年は、季節の移り変わりが早い思いです。秋の紅葉も前年の事を思うと7日~10日早い感じで、11月29日に”永源寺と行基寺の紅葉”を見に行って、以後3日置きぐらいに”薄い氷”が張る日が続いていました。
 3日ぐらい前から日本列島には、寒波が来襲して北海道から東北地方日本海側は大荒れの日が続いています。予報ではそれが北陸地方に及び、それが背中合わせの岐阜県に及んでくると言っていました。

 今日9日も5時に起床しました。部屋の温度は何時も見る癖で”「8℃」でした。夜が”しらじら”と明ける6時半ごろの外の気温は「-2℃」で、今季最低の気温になりました。ある程度太陽が昇った8時半ごろ畑に出かけました。

    
 先ず畑の”水溜め”を確認しました。案の定厚さ1cmの氷が張っていました。この厚さですと、容器の形で取り出せます。この時期では珍しい厚さです。
         
 ほうれん草には、しっかり霜が付いおり、野菜にも”甘み”が増してくる時期です。実はこのほうれん草は、4回目に蒔いています。(10月初め)この列(10メートル)は小松菜、チンゲン菜が蒔いてあり、年末から1月にかけて頂くものです。

          
    畑の紅葉もここ4~5日ですっかり様変わりしてしまいました。(11月20日の写真をそえました)
   冬は”駆け足で”やってくる感じで、風邪を引かないように気をつけます。

 この寒波は、日本列島の日本海側を山陰・山口県まで大雪を降らせているようです。北隣の岐阜県山間部も大雪で、愛知の平野部にも今夜は雪になると予報は伝えています。昼前は晴れていた空に、午後は北から雲が流れ込んできました。

 

 


行基寺と紅葉 第2報 (酷道421号線)

2012年12月05日 | 旅行

 実は、三十数年前一人で永源寺を訪れた事があります。名神高速の彦根インターで降りて307号線で西へ向かい、八日市で421号線と交差しそれを左にとると永源寺です。421号線は鈴鹿越えで桑名に通じていることを知りました。
 永源寺参詣後その道を通って帰ろうと走り始めました。すぐ山間部に入り永源寺ダムを過ぎると道は二手に分かれており、当時は砂利道で車が通れる程度の一本道です。案内標識は不備「勘」で迷うことなく左にとりました。道は急な登り坂で人里からは離れた山中の”長い長い”運転になり、寂しくなり、次に不安が襲ってきました。
 やがて、下り坂になり開けたところに出てきて”ホット安堵し”見覚えのある307号線に出た時は、思わず”自笑”してししまいました。『あの時右にとればよかったんだ!』と思い、『狐に化かされた』感覚であった事が忘れられません。

     
 今回、滋賀県・永源寺、岐阜県・行基寺を訪れるにあたって、帰路を鈴鹿越えの421号線を提案しました。三十数年過ぎて、今はインターネットで簡単に調べられます。そして驚きました。421号線は「酷道421号」と言われる道だったようで・・・それがつい先日まで・・・。
 写真左=2トン車以上の車は進入出来ないようコンクリートでブロック、冬季や雨が多いと交通止めになる国道だったようです。
 写真右=難所の石槫峠に平成23年3月(2011)トンネルが開通して、1時間短縮できたドライブを楽しむことが出来ました。
 三十数年前は、もっと酷かった道だったから右にハンドルを切らなかったから良かった! 鈴鹿越えの421号線を体験できてよかった! 今は車に乗せてもらう立場になって思いました。

    鈴鹿山系を越え、昼食を済ませて、予定より早く(1時半)行基寺に着きました。

         
 今から約1,200年前の天平年間、聖武天皇の勅願により、行基菩薩によって建立されています。美濃、尾張、伊勢の接点にあたり、三国の守護霊場として七堂伽藍をそなえた寺院でした。

         
 元禄年間(1688~1704)徳川家康公のひ孫松平摂津守源義行公が高須藩主となり、当山を松平家の菩提寺と定めて伽藍を改築し、一部を城郭に擬して再興しました。『隠れ城』といわれる由縁です。

         
 寺は、鈴鹿山脈の養老山系中腹にあり東に濃尾平野が広がっており、眼下に木曾三川の揖斐川が流れています。永源寺より少し遅れて素敵な紅葉を見ることが出来ました。

         
      本堂で、徳川家ゆかりの寺だけに至る所に『葵』の家紋が施されて品格ある内陣です。

         
 高須藩主松平公の当山再建の折に作庭された”回廊庭園”は見事に調和がとれて、特に”月見の間”からの濃尾平野の眺望は心癒されます。

         
 松平家菩提寺をしのばせる小書院です。
 高須藩松平家は、尾張徳川家の分家、支藩でしたが、尾張藩主に後継者が絶えた場合は、相続人を出す家柄でした。事実、尾張藩17藩主の内8代宗勝、9代宗睦、14代慶勝、15代茂徳は高須藩松平家の出身でした。3万石の石高でしたが江戸城における格式は甚だ高く、徳川御三家に次ぐ名門であったと言われています。故に、明治時代になるまでは、一般の人の参拝は許されなかったと云います。

 幕末には「高須四兄弟」と呼ばれる、徳川慶勝、徳川茂徳、松平容保、松平定敬を輩出しています。特に松平容保は会津藩の藩主として官軍と戦い、兄弟敵味方分れて争う数奇な運命をたどっています。

 行基寺訪れて感銘をうけました。お奨めしたい寺院です。

 

行基寺と紅葉


永源寺と紅葉 第1報(近江路から伊勢路へ)

2012年12月02日 | 旅行

 11月29日仲間4人と、滋賀県・永源寺と三重県・行基寺へ行ってきました。その仲間と恒例の秋の旅は2年続けて”紅葉見物”となり去年は、湖東三山(滋賀県・琵琶湖の東)金剛輪寺・西明寺・百済寺へ行きましたが、今年はもう少し西にある永源寺を選び、帰路は鈴鹿山脈越えの国道421号線で三重県へ出るルートをとり、西美濃の国にある行基寺散策の行程を選びました。

 今回の日程決めも、紅葉の期間中で土日を避け、4人の都合の良い日が一致する日を選びました。それが、去年の湖東三山参りは12月5日にでしたが、今年は一週間早い29日”関西有数の紅葉の名所だから1時間早く出ようー”という事になりました。10分も走ると、東海北陸自動車で名神高速道に入って1時間15分で、順調に永源寺に一番近い駐車場に到着しました。

       
 山麓の駐車場周りと参道は、素敵な紅葉が広がっていました。この右手道路に沿って愛知川が流れており、対岸の大駐車場にはまだ4~5台の観光バスが止まっている程度で、人の流れに沿って参道を登り始めました。

       
 登りの急な石段が続くようになり、総門あたりでは”黄色の紅葉”だけが目立つようになりました。

       
 山門あたりでは”紅葉は終わって”立木だけが目立っていました『参道・山門・開山堂等を包む紅葉は、秋の日差しを受けての美しさに感嘆する風情が見られる』 と言われる風情は、半月ぐらい前だったようです。

    
 最盛期は過ぎたといっても、落ち葉を含めて紅葉の美しさの”名残りを”見、感じることが出来ました。

  愛知川右岸にある臨済宗永源寺派の大本山。南北朝時代、近江の領主であった佐々木氏頼が、寂室元光禅師を開山に迎え、伽藍を建立したのが始まり。その後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの修行僧を擁したといいます。戦乱の時代には兵火で衰えましたが、江戸時代に一絲文守禅師(いっしぶんしゅぜんじ)が住山されると、後水尾天皇や東福門院らの帰依を得て、さらに彦根藩井伊氏の庇護によって諸堂が整えられています。

    
 法堂の佛たちで、中央に「釈迦牟尼佛」左に「阿難尊者」右に「迦葉尊者」です。この三尊は、後水尾天皇(第108代・慶長年間)によって寄進されています。

       
 永源寺の散策は2時間かかりました。帰路愛知川(えちがわ)をわたり国道421号線にでると大駐車場には30台余の観光バスが止まっていました。
 421号線を左にとって愛知川沿いを上流に進み、結果は「三重県・桑名」を目指しますが、暫く走って”永源寺ダム”で車を止めました。

 愛知川は、鈴鹿山脈・御池岳(1,242)を源流に48K
流れて琵琶湖に注ぐ川で、永源寺ダムは農業用水を主目的に造られたダムです。周囲の山々を含めて美しい紅葉でした。

 

永源寺の紅葉