実は、三十数年前一人で永源寺を訪れた事があります。名神高速の彦根インターで降りて307号線で西へ向かい、八日市で421号線と交差しそれを左にとると永源寺です。421号線は鈴鹿越えで桑名に通じていることを知りました。
永源寺参詣後その道を通って帰ろうと走り始めました。すぐ山間部に入り永源寺ダムを過ぎると道は二手に分かれており、当時は砂利道で車が通れる程度の一本道です。案内標識は不備「勘」で迷うことなく左にとりました。道は急な登り坂で人里からは離れた山中の”長い長い”運転になり、寂しくなり、次に不安が襲ってきました。
やがて、下り坂になり開けたところに出てきて”ホット安堵し”見覚えのある307号線に出た時は、思わず”自笑”してししまいました。『あの時右にとればよかったんだ!』と思い、『狐に化かされた』感覚であった事が忘れられません。
今回、滋賀県・永源寺、岐阜県・行基寺を訪れるにあたって、帰路を鈴鹿越えの421号線を提案しました。三十数年過ぎて、今はインターネットで簡単に調べられます。そして驚きました。421号線は「酷道421号」と言われる道だったようで・・・それがつい先日まで・・・。
写真左=2トン車以上の車は進入出来ないようコンクリートでブロック、冬季や雨が多いと交通止めになる国道だったようです。
写真右=難所の石槫峠に平成23年3月(2011)トンネルが開通して、1時間短縮できたドライブを楽しむことが出来ました。
三十数年前は、もっと酷かった道だったから右にハンドルを切らなかったから良かった! 鈴鹿越えの421号線を体験できてよかった! 今は車に乗せてもらう立場になって思いました。
鈴鹿山系を越え、昼食を済ませて、予定より早く(1時半)行基寺に着きました。
今から約1,200年前の天平年間、聖武天皇の勅願により、行基菩薩によって建立されています。美濃、尾張、伊勢の接点にあたり、三国の守護霊場として七堂伽藍をそなえた寺院でした。
元禄年間(1688~1704)徳川家康公のひ孫松平摂津守源義行公が高須藩主となり、当山を松平家の菩提寺と定めて伽藍を改築し、一部を城郭に擬して再興しました。『隠れ城』といわれる由縁です。
寺は、鈴鹿山脈の養老山系中腹にあり東に濃尾平野が広がっており、眼下に木曾三川の揖斐川が流れています。永源寺より少し遅れて素敵な紅葉を見ることが出来ました。
本堂で、徳川家ゆかりの寺だけに至る所に『葵』の家紋が施されて品格ある内陣です。
高須藩主松平公の当山再建の折に作庭された”回廊庭園”は見事に調和がとれて、特に”月見の間”からの濃尾平野の眺望は心癒されます。
松平家菩提寺をしのばせる小書院です。
高須藩松平家は、尾張徳川家の分家、支藩でしたが、尾張藩主に後継者が絶えた場合は、相続人を出す家柄でした。事実、尾張藩17藩主の内8代宗勝、9代宗睦、14代慶勝、15代茂徳は高須藩松平家の出身でした。3万石の石高でしたが江戸城における格式は甚だ高く、徳川御三家に次ぐ名門であったと言われています。故に、明治時代になるまでは、一般の人の参拝は許されなかったと云います。
幕末には「高須四兄弟」と呼ばれる、徳川慶勝、徳川茂徳、松平容保、松平定敬を輩出しています。特に松平容保は会津藩の藩主として官軍と戦い、兄弟敵味方分れて争う数奇な運命をたどっています。
行基寺訪れて感銘をうけました。お奨めしたい寺院です。
行基寺と紅葉