「縁は異なもの、味なもの」ということわざがありますが、この歳になってそんな”縁に出会う”事になりました。そのきっかけですが、先ず最初に、Oさんですが、私と同じ町に住んで見えて・・・、約10年余前「郷土史発刊」で仲間になり、以後おつきあいしているお友達で年齢でいうと、私より数年後輩の方です。
そのOさんが、約2年前、「右脳視床下部内出血による」闘病生活に入られ・・・、今は半身が不自由でリハビリに励んで見えます。趣味は、読書とパソコンです。私が月に一回ぐらい、お話相手に伺っていると云う感じでした。
そのOさんが、居室が近いSさん(写真左)とお友達になられて・・・、私を紹介していただいたと いうわけです。私からみたSさんは、書家で、写真とパソコン等が趣味と云った、多才な方と思っています。私より2年先輩です。
「第三腰推骨折」で歩行には、乳母車が必要のようです。郷土は京都府舞鶴で・・・、奥さんを亡くされ、子供たちの生活拠点が尾張西部である関係から「老人ホーム太郎と花子」に入居して見えるようです。
私がOさんの所へお邪魔するたびに、Sさんの所に寄るようになったのは、今年春近くなってか らでしょうか?、同年代で(戦前の教育を受け?戦後の混乱期に青春時代を送った?)話が合い弾むようになりました。写真とパソコンが同一趣味(Oさんも)だったことも理由であったと考えています。
そして10月16日午後「太郎と花子」にお二人にお会いしようと車を走らせました。玄関を入ると広い~広いホールがあり奥の方で人が集まり、音楽が聞こえてきました。「Sさんは、イベントが好き!」という事を聞いていましたから、部屋へ向かわず、そちらへ足を向けました。佐々歌謡舞踊団の慰問ショーが開かれており、案の定、Sさんがカメラを持って最前列で頑張ってみえました。私も同席して1時間見物させてもらいました。
3日後、家でとれた「冨士柿」を持ってお邪魔した時「あの時の写真をこんなふうに、編集してみました」と見せてもらいました。それを見て「Sさん、これだけ切り抜き合成写真が出来るなら、もう少し明るく!編集に変化を持たせたいですね!」
「Sさんなら出来るはずです」 と申し上げました。そして、Sさんの写真を貸していただいて、私なりにフォトチャンネルを作成してみますからと、お願いしました。それが、下記のフォトチャンネルです。
そして、了解を得て私のブログで公開することにしました。二人で「百八十歳の老人の共同制作と考えて下さい。その心は、老後の自立をお互い願っていることです。
佐々歌謡舞踊団