私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

今年の3月は寒い (大震災Ⅶ)

2011年03月30日 | Weblog

昨日(28日)久しぶりに午前・午後と苗床作りで、目いっぱい働きました。今年の3月後半は寒いという感じで、暖かい日を選んで野菜の種まきなどはしましたが、夏の果菜類などの苗床、さつまいもの苗床少し準備した程度でした。

 幸い畑の様子や農作業などのは、ブログで投稿してしますから、昨年3月の投稿を見てみると「もう準備している!」事を知り、無風の好天に恵まれてハッスルした訳です。果菜類やトウモロコシ・枝豆を蒔く苗床は、畳4畳ほどの広さで、高さ1.5mのハウスを作りました。さつまいもの苗床は熱量が必要ですから野菜くずや稲わら・鶏糞などで70㌢程度入れて、ハウスを(3畳程度)つくりました。 
 イモ苗床は、一週間程度で地熱が来ますから種イモを植えます。これから夏野菜に向けて畑作業が忙しくなります。

 以前触れましたが、二人とも野菜作りが好きで・・・しかし 一緒に仕事をするとトラブルが(男と女の考え方に違い)起きて、”私の畑と 女房の畑”と別けていました。それが近年あいまいになってきました。私が女房の畑の力仕事に”手を貸す”という感じでです。私が早くいって耕耘、畝立てなどの力仕事をすまし、女房は種まきなど軽い仕事し、私は別の畑へ行くか、帰るようにしています。(早く行ったら、早く帰る感じ・・・)
 家庭菜園にしては、広い畑を耕していますが、ぼつぼつ本気になって縮小していかなばと考えています。しかしパソコンで疲れた目はほんの少しの時間で治ります。畑には人との触れ合いもあります。野菜との対話は世の中の雑念を忘れさせてくれます。
 野菜作りとパソコンと調和をとり、そして年齢・体力と調和をとり、それに女房と調和をとって生きていきます。 

 
 桜便りが聞けるようになりましたが、前年より開花が一週間遅いと言っています。昨年3月の投稿ブログを見て”去年は3月22日に咲いてる”を知って(24日投稿)、昨日畑に出る前に同じ所を写真に撮ってきました。木曽川堤の桜で一回りしてきたら40分ほどかかりました。

     
     去年3月22日撮影映像です。

     
     昨日3月28日の同じ場所から撮った映像です。

     
     去年3月22日撮影映像です。

     
     昨日3月28日の同じ場所から撮った映像です。

「開花が遅い、早い」はよく耳にします。ブログをするようになってようやく多くの映像を計画的に保存できるようになりました。報道を確かめたくて、行動する余力まだある感じで「そうか、こんなに違うんだ!」を初めて体感した映像です。去年と思うと10日は桜の開花がおそい感じです。年々再々四季は繰り返されますが、全く同じ春は来ないわけですね・・・すべてに!。

 東北・関東大震災が起きてから3週間が過ぎようとしています。今の日本は歴史に残る災難にあっているようです。大地震、大津波、原発事故と有史以来の三重大災難です。ここは国民一人一人が力を合わせて乗り切らなければなりません。後世に残る復興を教訓を残したいものです。世界に向かっても・・・・・。

 東北地方の被災者が最大の被害者ですが、一人一人がそれぞれの立場で力を合わせて支援をしましよう!!。私は、非常時のときのリーダーの判断が”如何に大切か”を今回痛感しました。

 国会が始まりました。政治家は日本のトップのリーダーのはずです。自分の立場にこだわっていませんか、自分の組織にこだわっていませんか、国民の目線まで下がってきて判断して、大局的立場で決断してください。
 貴方こそ日本のリーダーだと、思える人を期待しています。

 


3月の芽生え (大震災Ⅴ)

2011年03月27日 | 野菜つくり

 今朝も薄氷が張る朝を迎えました。私の起床は4時半から5時と言ったいったところですが、今朝は5時「あっ、遅い!」といった感じでした。東の空はほんのりと明け始めていました。雲一つない晴天で、日中は雲が出たり、風の強い日もありますが良い天気が続いています。しかし 今度の災害で被災された人たちのことを思うと、この好天を素直に喜べない重苦しい気分にふさがれています。

 今朝は、その気分を吹っ飛ばそうと、カメラを持って”畑の若い野菜”を撮ってきました。最近、日を選んで畑に蒔いたものです。昨年までは”春野菜はこんなに力を入れなかった”思いでした。が今年は”前向きの心境の変化”が起きて・・・、
 今年は寒い感じもあって、ビニールトンネルをしましたから、折々に中を覗いて日ごとに、目に見えて成長するさまが、自分ながら驚ろいていました。それを”災害の復興”と重ねあわしせて、取り上げる気になりました。私の一人”よがり”かな?・・・

 確かに、一番早く蒔いた大根には「黒マルチ」を敷きました。遅かったホウレンソウなど葉菜類には、ビニールトンネルをして、肥料は発芽した幼根を傷めないように施して、特に灌水は、初めに発芽まで充分水分があるように”たっぷり”やり、以後過保護にならないよう、暖かい日を選んで2回ほど灌水しています。
 その効果が、この野菜には出ている思いで取り上げる気になりました。
 

          
          大根です。元気な色をしていると思います。

          
 ホウレンソウで、そろって綺麗に発芽しました。のびのびと育っている感じです。過去には成長途中から変になる失敗もあって、気を緩めづ配慮が必要と考えています。

          
   小松菜・青梗菜・かき菜など3種類がまいてあります。ちょっと多めに蒔いてありますから間引きします。

           
 6月に収穫予定のキャベツの苗です。本葉2~3枚で一回移植します。今年は苗から初めて作りました。

 やはり東北地方の災害のことは頭から離れることはありせん。最近の報道は復興に向けての前向きなものが多くなってきましたが、「涙がこみ上げる映像」に”世の無常”を感じます。反面”良かった”と思いであついものがこみあげてきて、被災者の人の前向きな姿に”頭が下がる”思いをしています。
 毎年繰り返してきましたが、今の畑の野菜を見て”適時、最適な支援があれば”日に日に育つ作物と、復興を重ね合わせてしまいました。

 重ね合わせるものがあまりのも小さすぎるかもしれません。それほど今回の災害は甚大です。特に原発事故は終局に向かうには、まだまだ予断を許さない状況のようで新たな問題が起こっているようです。汚染・避難移住の問題です。が、すべて力を合わせてこり越えなければなりません。

 昨日テレビを見て、私なりに不審の思った報道・発言が2点ありました。
 「津波は天災だけれど、原発事故は人災だー」元地域のリーダー 「地域の皆さんは、混乱してみえるでしょうねー」司会者の問いかけ・・・私は今の時期”不安をあおる”感じがします。(とっさの記・憶認識で・・・・)


東北・関東大震災 (4)

2011年03月22日 | 随想

 今日22日で大震災11日目を迎えました。お彼岸の21日は一日小雨で、畑には大変良い雨でしたが被災された人の事を考えると素直に喜べない思いでした。
 一転今朝から快晴に恵まれましたが、私達二人は身体が”どんより”して横になる事が多くなっています。原因は、本当に久しぶりの観光バスの旅行で疲れたのが原因のようです。

 具体的に昨年秋ごろから決まっていた「親鸞聖人七百五十回忌法要」が今回の大災害が起きて「被災者支援のつどい」に代って、開催されそれに参加しました。

          
           御影堂門             

          
          御影堂内

 
 このお彼岸の3連休中も頭から離れなかったことの一つは福島原発事故のことです。どうも今回の災害は『想定以上の地震(マグネチュード9.0)想定以上の大津波(14㍍)が来たこと!』が未曾有の被害をもたらしたようです。
 見方、言い方を変えると、私達には、初めて体験する災害であり、地震・大津波の被害は復興させねばならないし、原発事故は収束しなければなりません。
 ここは、国の力と英知を集めて、国民はそれぞれの立場で協力して、後世に技術と教訓を残したいと思います。

 ただし、原発事故については私たちは、ただ”祈る”だけしかありません。報道から、当事者の方々の決死の努力はヒシヒシと伝わってきます。私達素人にも効率的な放水、外部電源導入の設定など明るい面も感じますが、すごい不安もあります。
 
         

          

 地震・津波報道も最近変わってきました。事態は進展しているはずだから当然だと思います。
 昨夜のテレビで感動した事を・・・   
  5日前にその小学校は「地震が来た時の避難訓練」をしていたそうです。11日地震が来たとき訓練どおり、町指定の避難所(鉄筋二階建て)に子供全員が避難したそうです。ところがリーダーの先生の判断で避難所を出て、山の高い方え逃げたそうです。後のテレビの取材で近所の老人が「5分遅かったら津波にのまれていた」と話していました。「その映像が残っています」と放映されました。
 小学校低学年に見えた、「子供たち20~30人が、列を組んで一生懸命走っている」後姿で、目に焼き付いています。
 この子たちが、助かって本当よかった!リーダーの先生に万雷の拍手を送りたい・・・です。

 反面、頭をかしげるテレビの段組みもありました。「いま しなければならないことはなんですかー」の問いにー「外食をして景気を良くすることー」と答えていたゲスト出演者が・・・ありました。私には???
(上記は、とっさのの記憶と印象で書きましたから正確でないところがあると思います)

 災害非常時のリーダーの判断は明暗を分けます。子供を救ったリーダーの先生に心から敬意を表したいです。こんな歳でもそんな人でありたい、そんな判断ができる人に育ちたいとと思います。
 しかし 今の立場では
義援金を出して・・・買いだめをしない普通の生活をします。郵便局には女房が行きましたが、初めての心配があったようでしたが帰ってきた顔はよかったです。


3月の畑第3報 (大震災Ⅲ)

2011年03月18日 | Weblog

 東北関東大震災は今日で一週間の節目を迎えました。地震・大津波被害の救済援助は、困難を極めながらも道なかばの感じで長期化が予想されます。 福島原発は、消防・警察・自衛隊の決死の対処にかかわらづ、予断を許さない状態のようです。 災害地の皆さんは、厳しい環境の中でも冷静で、その発言には本当に頭が下がる思いをしています。

 ここは、国を挙げてこの未曾有の難局を乗り切らねばならないと思います。私の家は、息子達との同居家庭です。夜は女房と暖かい部屋でテレビを見て、被災地の映像を見て”悲鳴をあげー、涙ぐんでー”います。しかし 平穏な生活に”ありがたい、もったいない”と思いながら・・・。
 私たちの今してる事と言えば、夜のほんの少しの節電と、買いだめをしないことぐらいです。が、献金しようと二人で話し合いきめました。

 最初の一日半は、テレビに釘づけでしたが「自粛もいいが、行動しなければ・・」と畑に出るようになりました。
 この一週間のうち暖かい日が2日ありましたが、朝は「霜が降りて、氷が張る」冷え込みで、日中は北風の強い日が多く午後から畑に出るようにしました。
         
 右のトンネルの中は、小松菜・ホウレンソウ・青梗菜を蒔きました。
 左はネギの苗です。去年9月下旬蒔いて仮植えです。5本づつ植えてありますが、6月下旬まで分けつ、成長した苗を本圃に定植します。

         
 イチゴにマルチを敷きました。真ん中と左右両側に溝を掘り、有機肥料888たっぷり施しています。4年前まではこんな畝を2~3列作りました。が孫が大きくなりイチゴ狩りにこなくなりましたから・・・。

         

         
 ジャガイモ植えは一日かかりました。今年の「男爵イモ」は大きく、ほとんど三つ切りにしました。白いのは「苦土石灰」です。「きたあかり」は二つ切りで計230株を寒さを考えて少し深めに埋めました。

 

 

 


東北・関東大震災 (Ⅱ)

2011年03月14日 | 太平洋地震

  2011・03・11日15時46分、東北地方太平洋沿岸を震源地とするマグネチュード8,8(後に9.0に)の地震が襲いました。この日私は、朝9時ごろから畑に出ました。 主な仕事は今月末にはつくる「さつまいもの苗場」の準備で(約500本の苗をとる予定)2時間ぐらいかかりました。 

 お昼になり、キャベツなど4~5枚の写真を撮って帰り、午後2時ごろからその写真を使って投稿のためパソコンに向かっていました。いつもテレビは点しておくことが多い方で、テレビのスタジオが「揺れていますー地震のようです!」が耳に入ってきました。ほんのしばらくして「目まいみたいなを感じて地震だと気づき・・」反射的にストーブを消し、外に出る窓の錠を解放にしました。 しかし 時間にするとほんの数秒程度でパソコンに向かいましたが、以後目はテレビに釘づけになってしまいました。

 初回は、14・46分マグネチュード9.0が、15・00分、15・15分、15・26分(マグネチュード7・5クラス)の地震が、東北から関東沿岸500㌔奥行200㌔で未曾有の巨大地震が起きていたようです。
 この詳細は、まだ知る由もなかったですが、初期のテレビの放送が「連呼・・絶叫に近い感じで・・・津波に対して警戒してください!! 逃げてください!!」が耳に残っています。
 この初期の段階で頭に浮かんだ事は、阪神・淡路大震災よりももかなり被害甚大になるという思い・・・津波のことが頭に付いて・・・インドやインドネシァ被害の津波映像がかすめました?
 一応、写真だけを挿入した「3月の畑・第二報」を閉じようと考えて、短い文と投稿時間「15、13、11秒」を打ち込んで投稿しました。
 
 以後、その日は夜10時まで、翌日は午前中テレビにつきっきりでしたが、ぼつぼつ畑に出るようになりました。ここでは、地震・津波の情報はテレビなど報道に任せて、私の感じたことや思いに触れたいと思います。

            
 3月12日11時48分テレビ放映の映像です。
11日の津波被害が大きく報じられる段階から、福島原発の事故は注視していました。日本の力と知恵を集めて被害を最小限にとどめてください。私には祈るしかないですが・・・。

            
 3月11日15時31分のテレビ放映の映像です。音声は津波に対する警報を連呼していました。

            
 3月11日15時30分のテレビ映像です。上2枚の写真は民放の映像だったと思います。大津波警報10㍍以上の映像で、この時点で被害が並々ならぬと予想しました。
 
11日、12日と日が経つにつれてテレビの詳細映像に、驚愕と悲惨で涙ぐんで声も出ません・・・それが実感です。

            
 3月12日11時44分映像です。悲惨な映像が多い中「良かった!!」の思いで、身に熱いものが込み上げてきた写真です。
お母さんや小さな子の姿に涙があふれてきました。

 日本は未曾有の難局に遭遇しているようで、国は全力を挙げて難局に立ち向かってください。そのための不自由は忍びますから・・・。

 この災難は、日本をためしているように思えます。国民一人一人をためしているように思えます。社会の組織がためされているような気がします。
 乗り切って大きく育ちましよう!!。
 

 

 


3月の畑 第2報 (大地震 Ⅰ)

2011年03月12日 | 野菜つくり

 写真を挿入して文章を入れようとしたら地震が発生しました。最初めまいが起きた感じでしたが、ゆっくりした横揺れで地震だと気づきました。
 震度7です。 テレビはつけっぱなしですから関東から東北にかけてかなりの被害が出ているようです。政治の混乱と大地震が 日本を襲ったようです。

とりあえず・・・・投稿!!!(3:11日-15・13・11秒)

 昨日は投稿以後テレビにつきっきりでした。老体を案じて、いつものように10時に床に就きましたが。朝は普段通り4時40分起床して、テレビで一夜明けた情報を見て過ごしています。

 目が覚めて早々、3時59分長野県北部に起きたマグネチュード6.7の地震が目に入ってきました。以後長野県北部の地震と、東北地方太平洋地震を交互に報じています。津波は北海道から沖縄まで日本全土に及び、地殻変動も近辺に及ぶ感じで「東海・南海プレート」が心配です。こちらの方が早くくる予測でしたから・・・それに約120年前になりますが、美濃から尾張を襲った「濃尾地震」が頭をよぎります。明治初期で7千余人の犠牲者は甚大であったと思っています。

 取り合えづ「3月の畑・第2報」をまとめます。


 上図キャベツ・レタスは2月20日植え付け(投稿)のものです。まあ~順調に育っています。キャベツは穴あき・レタスは穴なしビニールでトンネル栽培です。土の表面が緑色に見えるのは、トンネル栽培で施肥(鶏糞と有機肥料888)を前もって入れてあるためです。


 2月20日蒔きの大根です。穴なしビニールのトンネルをしています。朝は薄い氷や霜が降りて、日中は冬日であったり、春日の時期はこんなものです。暖かい日を選んで2本に間引きします。

 


誕生日&83 随想

2011年03月09日 | 随想

 近年なって夫婦で誕生日を確認(意識)するという事はほとんどありません。いや、ず~っと昔からそんな調子でした。それは、社会全体が貧しくてそんな風習が無かった時代でもありました。だから、何かの書類に生年月日を記載する必要で覚えている程度でだったようです。
 以前と違って誕生日を自覚するようになったのは、60歳(還暦)を過ぎてから、子供たちが節目で祝ってくれるようになってからだと思っています。私は2月5日、女房は12月27日で子供達からプレゼントが
届くようになって、心のうちで喜びお互いに年を確認し合う感じの晩年です。子供たちの私達親に対する思いは、娘は『きめ細かく』息子は『粗い』感じですが、私はそれでいいと思って納得しています。男には外に役目(家庭を守る)があるからです。

 今になって、若い者の家庭のような誕生祝いをすることはできませんが『せめて言葉だけでも!』の思いもしないわけではありませんが・・・ 照れくさくて出来ない感じです。
以前、金婚式を迎えた時に女房が『祝いたいと言いましたが』 『50年ぐらいで・・・祝わはない!』 60年になったら・・・と、強く止めた経緯がありました。
 
ところが、今年結婚59年を迎えました。正月に来た娘に私の思いを話して、「ダイヤモンド婚」を計画してくれるようです。”私自身この機会に思いっきり感謝の気持ちを伝えたい”娘に伝えた”思いの理念です。
 祖母・両親も90代まで長生きだったことが60年まで伸ばした根拠でした。が おかげと2人とも80代にしては元気です。私は(長男)7人の兄弟ですが”まめで生存”しています。妹は、私より年上の旦那を亡くしていますが、あとは共に夫婦でそろっています。親からもらったDNAだと皆口をそろえて感謝しています。

 夫婦共に「年金友の会」に入っています。最初からではなかった覚えですが、「誕生日おめでとうございます」のささやかなプレゼントが送られて来ていました。過去ほとんど意識することは無かったですが今回は”思いが揺れ”ました。その小さな小箱を開けずに2日ほど置いてありましたが、明けてみたら{拡大鏡}でした。 
 「怪しからぬ!まだそんなじゃない!」 「しかし、世間一般から見ると、83歳はそんなお年寄りなんだ・・・」  ここは素直にとりいれて、いただいておこう~必要になった時には使えばいいからーそう思うと気が楽になりました。
                   
 拡大鏡を使って2~3枚の写真を撮っておきました。何時になったらこれが必要になるだろう?出来るだけ遅く使うよう眼の健康管理に気をつけます。

 
 八十路の人生は、ある意味控えめの決断(納得)をする道のようです。さみしいことですが大切だと思います。しかし 控えるばかりでは息が詰まります。幸い私には、精一杯打ち込める野菜作りや、パソコンがありますから・・・。

 


3月の畑

2011年03月03日 | 野菜つくり

 2月28日と3月1日と二日続いての雨になりました。雨前に落葉をすき込んだ畑の、消石灰を撒いての2回目の耕耘をして、大量に撒いた落葉も土の中にすき込んで目立たなくなりました。
 
ジャガイモ作付の畑は石灰窒素を撒き耕耘して、この15日に植える予定をしています。種イモは男爵10㎏と出島1㎏です。今年の男爵は特大で、三つ切りにしなければならない感触です。10㎏の種イモをすべて三つ切りは初めてで、ちよっと不安を感じています。まあ~臨機応変に対処します。

 今日は午前中畑仕事の”どうしてもの当て”もなかったですが、作業着で畑に出ました。出れば畑には何らかの仕事(草とり)があります。特に気が付くのは畑の草が、地上の草丈より地下の根っこが大きく広がっていることです。
 暖かくなり地温が上がり始めると、草丈が一気に伸び始めます。『見えないところで、力を蓄える』 これは私達人間にも当てはまるとと考えています。

         
         ブロッコリ-とカリフラワーです。

         
         菜花です。

 昼帰るときに収穫してきました。ブロッコリ-とカリフラワーは一週間ぐらい前から、ぼつぼつ採っていましたが、今日一気に(30個ほど)収穫しました。ブロッコリ-は以後側枝を3月いっぱい収穫できます。
 菜花は今盛んに収穫できます。我が家の貴重な新鮮野菜です。