木曽川堤の桜を取り上げるようになったのは、まだ去年からです。それも「お花見!」といった感覚よりも、投稿するために写真を撮りにいくといった感じでした。人の少ない早朝の時間にいって堤の上に車を止めては、写真を撮ってくるといった程度でしたが、今年はちょっと目線を変えて見ようと、車を駐車場に止めて2時間余散策しました。堤防の上そして堤防の北側(遊歩道になっている)堤防の南側をです。
そして気が付いたのは、多くの桜の木に品種名札が付いていること、数種類ある感じで桜並木に色の変化があること、老木と若木が混在していることです。(4月3日投稿の「今春の桜を撮る」を参照してください。
ここは昔から『光明寺の桜』といって子供の頃(70数年前)親に連れられて行った記憶があるところです。距離で4キロほど、勿論歩いて履物は、下駄か藁ぞうり履きの時代でした。そんな記憶があるだけに「木曽川堤の桜の歴史を辿ってみよう」と考えた訳です。
木曽川堤に咲いている訳だからと、国土交通省木曽川上流河川事務所を訪れました。「あの桜は、天然記念物に指定されていて、管轄は一宮市になっています。一宮博物館を訪ねてください」でした。”えー堤の桜は、天然記念物になってるの!!”の感覚で、私の周囲人のほとんどがそんな認識でした。
早速連絡を取り、丁寧に資料の案内受け(一宮中央図書館)且つ博物館からも資料の提供を受けることが出来ました。その資料を使って纏めました。
1)黒い線は、木曽川堤で天然記念物に指定されている桜植樹区間で、右矢印は江南市草井町です。左矢印は
一宮市北方町で区間は約9キロです。
2)緑線は、県道になっており2車線で交通量もかなり多いです。県道は一宮市浅井町大野で堤防下へいき、北方
町までは(赤線と点線)一宮市市道になり、一方通行で交通量は極端に少なくなります。その赤線の所は、今回
桜を散策したところで、昔の桜並木風情の残しています。
3)黄色は、木曽川に架かった橋をさしています。ここでは、木曽川は二手に分かれて大きな中洲(島)つくっています。岐阜県各務原市川島町です。
名勝及び天然記念物指定の由来
木曽川堤防上に植えられた桜並木をいいます。この堤防は、別称「お囲い堤」とも言われ、慶長13年(1608)徳川家康の命により、僅か2ヶ年で完成された、犬山市と弥富市を結ぶ木曽川左岸に構築された約47キロに及ぶ堤防の一部です。
この堤防に、桜が植えられたのは明治18年(1885)年今から128年前のことでした。前年の洪水で損傷を受けた堤防の補修に際し、時の愛知県知事勝間田氏の要請をうけ、地元有志が苗木を寄付、それまで植えられていた松を伐採し堤防の両側に植樹したことに始まったようです。その後幾たびかの補植が行われ、最初葉栗村から始まり、浅井、宮田から草井と広がって徐々に桜並木としての景観が整い、開花時の見事さと、種類貴重さから昭和2年(1927)に国の名勝及び天然記念物に指定されました。
その指定の説明に・・・
「明治十八年堤防の両側数里に植栽セル所ニシテ樹種ハ彼岸桜及枝垂桜ヲ主トシ交フルニ少数ノ山桜ヲ以テス。花色ノ紅白花形ノ大小種々アリテ変化ニ富メリ。現存ノ樹数千余ニ達シ花時盛観ヲ呈ス比類ノ桜ヲ多数列植セル名勝トシテ全国唯一トイフベシ。」とあります。
私が親に連れられて花見に行った頃には、光明寺の桜は、樹齢30数年になっていて居たはずです。
昭和8年当時の写真で、桜並木と堤防に掛けられた茶店です。子供心に三味線の音が聞こえてきた記憶
がよみがえります。
もうちょっと早く纏めたかったですが、諸々の事情で遅くなりました。なんか2報から3報になる感じです。