私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

梅雨入り雑感

2011年05月30日 | 随想

 東海地方も梅雨入りを発表されました。3日前(27日)小雨模様の天気になり畑に出ることが少なく、部屋に閉じこもりがちになりました。
 梅雨入りに合わせるように台風2号が発生し、石垣・沖縄・奄美大島に沿うように北上しています。先ほど宮崎県が暴風圏内に入ったと報じられていましたが、今愛知沿海部・知多半島に大雨警報が発令されたと報じています。
 朝方は、ほんの小雨程度でした雨は9時ごろから本降りの雨になりました。3日目になると外の出るのも”おっく”になり何をして過ごそうかと思案します。そしてごく最近のグリンピースと、2週間ぐらい前にあった”小さな出来事”を取り上げてみることにしました。

   
  3日前、雨間をぬって”グリンピース”を採ってきて、翌夜テレビを見ながら二人で実にしました。予想収量の約3割ですが、実にしてみると思ったより量があり、噛んでも甘く見た目も綺麗で女房にすすめられて写真に撮ったものです。 この時期我が家では、”緑の葉もの”の野菜が少ない時期で重宝しています。(この他に、莢豌豆を作っています)女房には、小分けして冷凍し、子供たちや私の兄弟が来た時に持たせてやる”さんだん”があるようです。勿論塩茹でや、豆ご飯、卵焼きに入れて私もいただいています。

  NHKドラマ「おひさま」を楽しみに見ています。ちょうど私たちの朝食の時間で、耳が悪くなった女房のため昨年秋頃から”文字表示”画面にして「朝画面を見て・昼からは文字を読む」?、それに大方付き合っています。そんな歳になってしまいましたが、ドラマの時代設定が私の同時代、主人公兄弟が私より3~5歳上程度になっておりますから、自分の若い時と重ね合わせながら興味をもって見ています。

 二週間ぐらい前でしたか、主人公の陽子先生が初めて担任の教室の画面で「男女共学になっている」を感じ取りました。私の場合小学校は男女別教室・女房は山間部出身ですから聞いてみると、児童数が少なかったから、同教室だったが別席とのことでした。
 ドラマを見ていそうな若い人に聞いてみると「全然意識しない!」年配者は「疑問を感じなかったが、言われてみると本当に変ですね」でした。
 調べてみると、明治以降第二次世界大戦が終わるまで法律で、一部の高等教育(東京音楽学校)を除いて、日本に
男女共学 は存在しなかったようです。

 毎日畑に出ながら、折々に”私だけでなく絶対に誰かも気づいて居る筈”!!と思いながら、意を決めてNHKにメールしてしまいました。折り返し自動的に「受け付けました」のメールが返ってきました。
 個々に返答が来るはずない!と思い?「NHKドラマおひさま」で検索するまでに日にちがかかり、3回目でようやく到達して・・・この画面の「時代考証」の欄でご意見を申し上げるんだ!を知ることになりました。それに こんな若い人達によって作られているんだーも知り、勉強になり賢くなりました。

 結果 一回メールしただけで意見を投稿はしませんでした。どう考えるかはNHKの問題だと考えたからです。
 私は、小さな文を書く場合でも「基本的な情報」を自分の都合の良いように解釈しないを新たにしました。また そんな生き方をしていきたいと思っています。

 この文章は二日がかりになってしまいました。前日は雨と台風の情報で気が散って、後段は上手く表現出来ない(力不足?)ためです。雨の日の雑感でした。 
 

 

 

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雨の畑と花

2011年05月23日 | Weblog

  23日も予報どおり午前11時頃より雨になりました。昨日イモの苗を植えましたから、今日の雨模様は期待していた訳で、午前中はゆっくりして、午後から小雨の中畑の見回りに出かけました。作業をするのでなく、ゆっくり作物を観察するわけですから、いろいろのことが見えてきます。先ず、この一週間で見違えるように作物が生長しています。そして花が咲き始めているのが目に留まり、果菜類にカメラを向けてみました。

        
 トンネルを外した時と比べると見違えるように大きくなりました。まだ側枝は切っておりませんが、左右2本ずつの4本仕立てにします。もう一番なりはきているようですが摘果して、2番なり以降で着果を目指します。人工授粉はしません。第一果が着果した節までの側枝は摘除し以降は原則放任します。

        

        

        

        

        

 こうして花を見ると、今までの骨折りを忘れてしまいます。私は畑にでると「お元気ですか」と声をかける感じで作物を見るようにしています。極力無農薬に心がけています。だから、日当たり、風通しを良くし、適宜の追肥に気を使います。
 私のスイカの作り方を書いてしまいましたが、参考にしてください。これで自家用、進物に充分間に合っています。

 

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サツマイモ苗植え

2011年05月22日 | 野菜つくり

 4~5日前の予報では、今日22日(日)は午後から雨と報じていました。もう9日間も日照りが続いていましたから、心待ちしていたら前日になって、朝9時ごろから雨、翌23日も雨の予報に変わり、絶好の”藷苗植え日和”です。すでに5日前に120本ほどの苗は切ってあり水桶に入れてありましたから、あさ8時ごろ水40ℓも持って出かけました。

        
 5日間水につけてありましたから、白根が出ていました。実はこの状態が(もう少し白根が短い方が良い)植える苗の良い状態と思っています。しかし苗を切って4~5日目に雨が降るとは言えません。今回は全て好条件に恵まれたと思っています。

        
 この時間、どんより曇っていました。畑は白く乾ききっていましたから水を充分掛けてやりました。この作業が終わって1時間後に雨が降り始めました。畝を作るときに”いも化成”が入れてあります。

 

        
 手前の3列は二週間前3日雨が続いた初日植えた苗です。一列に33本・今日3列植えましたから、約200本これで今年は終わりにし、あとの畑は休ませます。 今年は、苗作りを含めて好調に来ました。後の苗は他所へゆきます。

 後方に見える施設は、社会福祉法人サンライフ施設群です。他施設2を含めて7棟が集合している「福祉ゾーン」にある畑です。小さい頃は、見渡す限りの畑(桑畑が多い)でした。ここには私と同年代のお年寄りが多く入って見えます。
 元気で畑仕事が出来ることは”ありがたい”事です。

 

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考えてみると

2011年05月17日 | 野菜つくり

 5月15日、日曜日 朝7時からのNHKの番組で「熊本のスイカ作り」を見ました。市場に出荷されるスイカで生産量は日本一を誇るそうです。この4・5月が最盛期で、当然ハウス栽培で温度管理のもと、緻密な栽培技術で作られていることがよく解りました。

 考えてみると?私の野菜栽培技術は、戦前のはるか昔の技術で”とても売れるものは作れない”と痛感いたしました。とても、新しい技術を導入野菜作りをする気概も湧いてきません。それに”人間そのものも、過去のものと自覚して” ”しかし前向きに生きていこう”と考えました。
 自家菜園という範囲内で、自然の陽気に従った露地栽培で、農薬を極力使わない安全野菜作りをする事を再認識しました。

 13日から17日まで5日間掛かってトンネル外しなど、当場の目標を達成することが出来ました。一区切りついただけで、これら作物は日に日に成長していきますから仕事は次々出てきます。
 今日行ったスイカでトンネルを外し、第一回追肥の方法を紹介します。

  
 トンネルを外したスイカです。             蔓を中央にまとめ、黒マルチをめくり、両側に溝を切ります。
                                 有機肥料、ポカシを施しました。

 
肥料を覆うように溝を埋めてもとどおりにします。   敷きわらは、ビール麦を作ってありましたから
                                  敷き、蔓を左右に誘因しました。

 写真右上方はカボチャですが、敷き藁をしたスイカ、カボチャの2回目以降の追肥は、写真左の両側にできた溝に施します。スイカの場合樹勢をみて追肥は4回ぐらいまでします。

                      

       
トンネルを外した胡瓜(左から)ピーマン、ナス、トマトです。 トマト以外は、上記スイカの施肥方法で追肥がしてあります。

       
 枝豆、トウモロコシも追肥土寄せをしました。これから畑は日に日に緑ぽくなってきます。夏の野菜の主力圃場の一つです。

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連日畑で頑張っています

2011年05月14日 | 野菜つくり

 連休明けの5月7日から、京都の2泊3日の旅は好天に恵まれましたが、10日からは雨模様の日になりました。9日帰りは家の近くのバス停に4時過ぎに降りましたから、帰路畑に寄ってみました。案の定3日間の留守に畑の作物は目に見えて大きくなっており、 予報では10・11・12日傘マークなっていましたから「困ったな!」の思いが頭をよぎりました。・

 10日は朝方から小雨模様のなか、サツマイモの苗を切り(雨が好都合)畑へ植えましたが、午後からは本降りの雨になり畑に出れず、11日は断続的な大雨になり、12日は前日ほどではないですが、一日中雨になりました。5月には珍しい全国的な雨だったようです。
 明けて13日は朝から快晴に恵まれ風もあって畑も乾いて、14日と午前、午後と畑に出て無理をせずに頑張りました。写真は昨日、今日の畑の状態です。 

   
  左・人参です。ようやく本葉が2枚ほど出て緑の列が確認できるようになりました。人参は作物のうちで一番長くかかって収穫できる(約8ケ月)野菜です。 右・スイカです。蔓がトンネルに着きはじめましたから、来週には外します。カボチャは13日に外しました。

   
   玉ねぎの早生が収穫時です。          スナック豌豆です。

   
  キャベツです。青虫に要注意・・・          里芋です。13日一番に苗床から植え替えました。

        
 トマトは13日にトンネルを外し、支柱を立て誘因しました。トマトには元肥が入れてありません。追肥も遅く施します。(第一花房に実が付いたころ) 手前がミニトマト、奥が大玉トマトです。

       
 胡瓜は14日トンネルを外し、ネットを張り誘因しました。胡瓜・ナス・ピーマン・スイカ・カボチャはこの機会に第一回の追肥をします。この時だけ黒マルチをめくり、溝を切り化成肥料・ポカシを施して覆土し、マルチをもとどおりにします。奥のトウモロコシは追肥・土寄せをしなければなりません。

 ナス・スイカ・ピーマンの順にトンネルは外していく予定です。

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宇治・平等院・散策

2011年05月11日 | 旅行

 75歳で自動車による行動はやめて、ここ数年はもっぱら交通機関を使うようになりました。京都の娘のところに行くには、京都駅からJR奈良線を年2回は利用していました。今回は途中下車して宇治・平等院に寄ることにしました。四十数年ぶりに訪れたことになります。長い年月で記憶はほとんど薄れて街並み、境内を含めて初めて訪れる感覚で、鳳凰堂の前面に立った時に遠い過去がよみがえってきた思いでした。
 5月のゴールデンウイークも過ぎて、9日の月曜日午前10時ごろでしたが案外の人出に驚きました。年配のご婦人、ご夫婦が多い感じで世相と豊かさを実感しました。(私もその一人・・・)境内へ進んでゆくと修学旅行生が多くなりました。平等院は表門(北門)は公共交通機関を利用した人の、南門はマイカー、観光バスを利用した人の通用門のようです。

 京都南郊の宇治の地は、平安時代初期(790~)貴族の別荘が多く営まれていました。長徳4年(998)摂政藤原道長の別荘宇治殿となり、その子関白藤原頼通は永承7年(1052)この宇治殿を寺院に改めました。翌天喜元年(1053)西方極楽浄土をこの世に再現させたような現・鳳凰堂が建立されました。
 
 平安時代後期世相は、「末法思想・釈迦の入滅から2000年目以降仏法が廃れ、世の中が乱れる考え」から、極楽往生を願い、阿弥陀如来を祀る仏堂を貴族たちは盛んに造営しました。これら伽藍は今は現存することなく、建物、仏像、壁画、庭園を含めて平等院は唯一の史跡です。建武3年(1336)楠木正成と足利氏の兵火や、応仁の乱などの災害で多くの塔堂は廃絶し、鳳凰堂のみが存続しています。

       

       

              
          鳳凰堂と阿弥陀如来本尊です。 仏師 定朝作

     

     

     
 鳳凰堂の阿弥陀如来像を囲む小壁には、五十をこえる菩薩像が掲げられており「雲中供養菩薩像」と呼ばれています。

     
     CG復元された「雲中供養菩薩像」です。

       
        表参道、商店店先の”ふじ”です。

       

       
        境内の”藤棚”でツツジも綺麗でした。

       
        鐘楼に新緑が映えていました。

       
 表門から入って南門から出ましたから、結果宇治の街並みを散策することになりました。そんな思い付きの人は皆無で、私一人が歩いている感じで、「宇治茶」を売る店を数軒目に留まりました。

 スライドショーを貼る

宇治・平等院

 

 

 

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5月の畑

2011年05月06日 | 野菜つくり

 4月25日に購入してきた苗等を28日29日30日と3回に分けて畑に植えました。畑に出るたびに観察はしていましたが、今日トンネルの中を”のぞく”ようにして写真を撮ってきました。今年は平均気温が低めの感じですが、全ての苗が”健康でいい感じ”と言ったところです。
 連作はしないよう心掛けていますから、果菜類については”接ぎ木苗”は使っていません。写真を撮るため”トンネルの一方の蓋をあけた”というより”通風のため蓋の一方をあけた機会に写真を撮ったわけです。今後気温が高くなるにつけ、トンネルの中ほどを2か所、3か所とあけていきます。 トマト、ナスなどは苗がトンネルに届く感じ、スイカ、カボチャは蔓がトンネルに着く感じになるとトンネルを外します。ピーマンが一番遅くなるのは”ピーマンは寒がりや”だからです。

       
       左から胡瓜、ピーマン、ナス、トマト列で、畝間隔は1.2メートルになっています。西側になりますが、開けたトンネルはこのままにします。
    
   左からスイカ、カボチャ(自家苗)で、カボチャは約一週間前にに植えてあり、だから大きいです。

    
   左からトマト、ナスで株間隔は75cmです。

    
   左から胡瓜(自家苗)株間隔は60cm、ピーマンは75cmです。

       
       枝豆とトウモロコシです。(自家苗) トンネルは上記の果菜類などです。スイカ、カボチャは別の畑に作っています。

 今年は、2割ほど全てで少なくしました。「無理をせず長く続ける」を目標に・・・「作柄を含めて、美しい畑にしたい」と念願しています。出来るかな??・・・。

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徳山ダムから横蔵寺へ

2011年05月02日 | 旅行

 徳山ダムの帰路、横蔵寺へ寄りました。確か30代後半(四十数年前)2回ほど訪れた覚えがあり、郷愁みたいな思いが足を向けさせたと思います。”紅葉が綺麗でミイラ寺”という印象でした。やはり 広い駐車場に車一台なく、人っ子一つの影もなく、静寂と独占の散策・参拝になり、喧騒なこの時代貴重な体験をしました。
 四十数年は、風景の記憶はほとんど消えておりすべてが新鮮でした。

 
 横蔵の地は、中山道赤坂の宿から七里(約30㌔)北に位置し、横蔵街道という巡礼街道があり、一里ごとに薬師を祀っていました。
 平安・鎌倉じだいには、この辺りを本山として学問や文化の中心として栄えたようです。本堂裏の山頂近辺には、多くの僧坊跡があり、記録によれば、薬師堂、三重の塔、楼門、政所をはじめ三十八の僧坊があり多くの僧が修行していたようです。
 戦国時代には次々寺領を侵略されて、元亀の法難には織田信長に全てを取り上げましたが、慶長年間に再建されて、現在に至っています。
      

      
 もみじが平野よりも少し遅れて、若芽の時期でした。秋の紅葉の時は素晴らしい美しさを予想されました。

      
 宗派 天台宗   開山 伝教大師   延歴二十年(801) 桓武天皇の勅願寺
伝教大師自作の薬師如来を本尊としています。

      

          

 妙心上人の舎利仏(ミイラ)
 上人は天明元年(1781)横蔵に生まれ、両親の没後仏道修行のため巡礼にでます。西国、坂東、秩父の三十三観音、四国八十八ケう巡り、やがて信濃善光寺の万善堂で受戒されました。その後富士大行者を名乗り、山梨に住み。、文化十二年(1815)御正体山の洞窟で断食し入定されました。上人の遺体は村人によって祀られていましたが、明治二十三年出生地の横蔵寺に祀られました。

 私の歳では、よほどの縁がなければ二度と訪れることはないという思いの旅になりました。しかし 若い時と違って今は、こうして投稿をしますから簡単に忘れることはなく、永遠に記録は残るかも知れませんね。

 徳山ダムと横蔵寺の写真を集めてみました。

徳山ダム

 

 

 

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徳山ダム

2011年05月01日 | Weblog

 4月26日さそわれて「徳山ダム」へ行ってきました。濃尾平野を流れる木曾三川の一つ揖斐川の最上流に位置する、ダム湖は完成しましたが水力発電施設は建設途中の新しいダムです。同じ濃尾平野でありながら私の住むところは木曽川流域で、揖斐川流域へは初めて訪れたことになります。距離にして片道約80キロ、3人の仲間と期待した余裕の行程でした。

 徳山ダムは、堤高161メートル・総貯水容量6億6,000万立方メートル(浜名湖2杯分・静岡)は日本最大規模であり多目的ダムとしては日本最大、全ての日本のダムにおいても最大級の規模を誇ります。水害常襲地帯である揖斐川の治水および東海3県の水がめとして建設され、ダム建設に伴い徳山村全村が水没し、その後はダムの必要性について全国的な論争が起きるなど話題も多いダムでした。

    
 徳山ダム展望台地面に描かれた濃尾平野図面です。濃尾平野の西端(左手)には養老断層があり、この断層を境に西側は隆起して養老山地となり、東側は沈降する現象が古来より続いており、この平野を木曽三川が流れています。これにより、濃尾平野の地下には西側にむかって傾斜する構造が見られます。このような現象を濃尾斜傾運動と呼んでいます。 東濃丘陵から流れ出る木曽川、郡上の谷から流れ出る長良川は、濃尾平野に出るとこの傾斜により西へ西へと流れを変え、養老断層際の揖斐川へ向かって流れ、伊勢湾河口近くでは三川が添ったり合流するように流れて古来より水害が多い要因となっています。

    


           

    
 展望台から見下ろした、右から放水路・ロックフィルダム下流面(堤高161メートル)です。下方の工事現場は発電施設で初期の段階のようです。(平成26年度運転開始予定・最大15.3万KW)

   
 堰堤上から見た徳山湖で、右手に見えるは残雪をいただいた”能郷白山連峰”です。徳山村全村(466世帯移住)を呑みこんでいます。

   
 建設のため岩盤までを掘削して、雪崩防止工事をした対岸と、ダム堰堤の通路です。前日は小雨この日26日(火)も曇天で傘を持って出かけましたが、幸い使用することもなく幸運でした。揖斐川沿いに濃尾平野をぬけ山間部に入ると、ダム工事のために整備された二車線の道路と、2千メートル、3千メートル級トンネルが連続する感じで五本が印象的でした。行き交う車は皆無にひとしく、ダムでは大阪からの人3人に会う程度で雄大な景色を満喫できました。

 徳山ダムの場合「全村水没」という事態から反対運動は激しいものであったようです。補償交渉も長期化しておりましたが、1977年(昭和52年)、徳山ダムは水源地域対策特別措置法第9条指定ダムに認定され水没補償費の増額、生活再建策を提示するとともに集団移転地の造成と移転費補償等が話し合われるに至り、次第に住民も態度を軟化し、最終的に岐阜市に程近い本巣郡糸貫町ほかに集団移転することなどで合意した歴史がありました。

   

 在りし日の徳山村の暮らし・・・(徳山会館展示写真)

     

     

     

     

 1971年(昭和46年)、当時は高度経済成長に伴い中京工業地帯が急成長。中京圏の人口は急増し、水道工業用水はしばしば水不足に陥って、建設省による特定多目的ダム事業として事業計画が発表されました。しかし、1990年代以降景気停滞など社会情勢など変化により、水需要は鈍化傾向となり当初の水需要と次第にかけ離れる、いわゆる水余りという問題がダム反対派から相次いで指摘されました。電力需要の伸び悩みも、当初40万KWの計画から15.3万KWに変更されるなど時代に翻弄される面を今も抱えているダムと言えます。
 現在、徳山ダムの水を揖斐・長良川を経由して愛知県・名古屋市の取水口のある木曽川(犬山頭首工)まで44キロをトンネルでつなぐ事業が進められています。ところが2009年(平成21年)就任した河村名古屋市長が、水あまりの背景もあり負担金の凍結決定して波紋を呼んでいます。愛知県の前神田知事は「導水路が中止になれば、ダムの水を放棄させられるに等しい・・・」と述べています。前途多難のダムのようです。雄大な風景と裏腹に・・・。

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