私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

三寒四温の畑

2012年02月29日 | 野菜つくり

 2月下旬になって2日か3日おいて雨の日がおとずれるようになりました。『三寒四温』とか『一雨ごとに暖かくなる』という時期が来たとことを肌で感じます。
 具体的には、26日(日)晴れてはいましたが、北風が冷たく、畑に行ってみようかと外にでると、頬をさす風の冷たさに部屋に引っ込む・・・・そんな日が27日と2日続きました。予報では「28日朝方の冷え込みは零℃以下、ただし日中は暖かくなるでしょうー」でした。
 結果は、愛知県には気象観測地点が47ケ所あるそうですが、46ケ所で零℃以下、後の1ケ所は伊良湖(知多半島の先端で太平洋に面した)だけだったそうで、これも珍しいと思います。
 予報どおり28日は朝から快晴に恵まれて9時ごろ畑にでました。玉ねぎの最後の追肥と、露地のイチゴの追肥と、地面に黒マルチ敷きの作業です。ところが、驚いたことに畑の地面が凍てついて作業が出来ません。思案の末しばらく休んで待つことにしました。が、南側の日向はポカポカの陽気で40分ほど休んで作業にかかることが出来ました。

 女房に帰り野菜を採ってくるように頼まれていましたから適量を採って昼に帰りました。

    
   菜花、ほうれん草、人参、ねぎ、キャベツ、ブロッコリーで無農薬栽培です。しかし年を通して無農薬栽培ではありません。夏の野菜でアブラムシ、トウモロコシのアワノメイガ虫、白菜の青虫に最小限使っています。 病気用の殺菌剤は使わず、連作は行わない、畝間・株間を広くとって日当たり、風通しを良くすることを心掛けています。


 氷は、どんな形式で成長するの?

 28日の朝の冷えこみは書きましたが、この日は作業が頭にあって気にもとめず、帰り手を洗うため、雨水を溜めてある桶の所へ行って・・・4つの桶全て氷が張り、一番小さい桶が氷を割らずに取り出せて裏をみてビックリしました。

        
        カメラを持ちに帰って12時35分撮った写真です。氷の厚さは2センチでした。

 髪の毛のように細い氷は、水から揚げると”ポタポタ溶けていく”感じで、10枚ほど撮りましたが1枚だけが良く映っていました。氷はこんな感じで厚みを増していくのかなー。早朝だったらどんな結晶だっただろうー
 
 今迄氷の裏側を観察したり、気に留めたことはなかったです。
興味は湧いてきましたが、あまり深く考えななくて頭にだけ留めておこう。そんな1枚の写真です。

 


春近し

2012年02月25日 | 野菜つくり

 女房の共をして、月2回ぐらいはスーパーへ買い出しにいきます。何時も行って目にしていた訳ですが、前回2月上旬に行ったときは、並んでいる商品に強い印象を受けました。
 店に入るとすぐ野菜売り場がありますが、茄子、トマト、胡瓜、ピーマンなど夏の野菜がいっぱい並んでいるのが目に飛び込んできました。特に今冬は冷え込みが厳しくて感じたかもしれません。が”昔は店頭に並ぶ野菜で季節を感じたもの”で、その郷愁感みたいなものが根底にあるからかもしれません。
 真冬に『夏の野菜を、ハウスを建て暖房をして冬に出荷する』をしなければ農家が経営できない?、夏の野菜を、冬食べることが、豊かな食生活?そんな現状に本心疑念を感じています。

 我が家では、野菜はもっぱら自家栽培で供給しています。確かこの時期一年で一番野菜が少ない時期です。しかし、昔と比べると品種改良されていること、トンネル栽培で数種類の新鮮野菜が供給しています。ビタミン不足に陥ることは決してありません。女房も”原則自家野菜を食べる”に徹していますから、トマトや茄子等を買うことはありません。が、見てると胡瓜だけは3~4本買うようでポテトサラダに入っています。

 作る私としては、春から初夏にかけて収穫できる野菜を適時蒔いておくよう心がけています。20日に蒔いた大根とほうれん草は4~5月収穫を目指して蒔きました。
 下に紹介する水菜、春菊、ほうれん草は3月~4月収穫できるよう11月下旬に蒔いたものです。トンネル蒔きで、寒さに向かう時期て生育も遅々としていましたが、灌水にも心がけてきて此処まで育ってきました。

 3日ぐらい前から日中急に暖かくなってきて、23日の雨を予定して、たっぷり自然の雨を与えようと、前日からトンネルを外してやりました。23日は夜のうちからの恵みの雨になり、午後には晴れ間がでて、翌日は快晴に恵まれて夕方に又トンネルで覆いました。朝日に映えた水菜、春菊、ほうれん草をカメラに納めました。

    

    

 一週間か10日で収穫できそうです。3月に入ると苗床蒔きの葉野菜を作るため、鶏糞、苦土石灰を撒いて耕耘しました。久しぶりの土の匂い・・・・ ”春近し”を実感しました。          


初種まき

2012年02月21日 | 野菜つくり

 『梅の花が10日から2週間遅れている』そんな陽気ですが、昨日(20日)大根とほうれん草の種まきをしました。20日の朝もー0℃近い冷え込みが、前日19日は今冬一番の冷え込みでした。
 1月30日の「凍てた朝」に「今季一番の冷え込みで、厚さ2センチ8ミリの氷が張りました」と投稿していますが、19日の朝は4cmの氷になりました。
 しかし、朝方の空気は冷たいですが、太陽が高くなり日差しがあると畑に出る気分になります。春が近くなってきた思いで、短い時間ですが畑に出るようになりました。

 20日は10時過ぎて「種まきをしてくるから、昼の帰りはおそくなる」と書いて畑にでました。 

   
  カメラを持って畑に出て、まず19日に張った氷を撮りました。厚さ4cmの氷は、初めてじゃないかな?…そんな記憶です。

 冬の衣装ですが、作業をしていると結構暑かったですよ。畝の長さは10メートル巾1メートルで畝をつくりました。黒マルチをしいて穴をあけました。

   
  ほうれん草は15センチ間隔で三条蒔きに、     大根は20センチ間隔で二条蒔きにしました。
 一穴に、ほうれん草は5~7粒、大根は3粒蒔きにしました。ほうれん草をこんな状態で蒔くのは初めてで(試験的)3月中旬以降なればマルチ無でトンネルだけでいいです。

  
 マルチを敷く前に、乾燥気味ですから充分水まきました。肥料は鶏糞、化成を鋤きいれてあります。

 3月入ると、トンネル使用で3~4種類をまきます。暖かい日には夏の果菜類の予定地に「根肥え」を入れていく予定をしています。
 


朝焼けに惹かれて

2012年02月19日 | Weblog

 此処で紹介する映像は、一週間あっためてようやく投稿する気になりました。20数枚の写真を毎日1~2回眺めて駄目なのを破棄し、いいのを選んで来た結果4枚の写真になりました。
 今回は「朝焼け雲」 を撮る目的で出かけたのが、時間が遅れて目的が達せず、来た以上は写真を撮って置こう・・・の期待外れの迷いがあったのが長引いた原因だと思っています。だから、思いきってすべてを”破棄”すればいいけど、中に目を引く”美しい!”と私が感ずる写真があったのも事実です。

 私は一年を通して起床は5時前後です。それに朝早い時間に外に必ずでます。日常生活で家から出る場合(畑に出るときも)玄関を使うことはほとんどありません。東に面した出入りできる窓口を専用にしています。振り返ってみると、息子に家督を譲って隠居してからのようです。

 その東の出口は、一段高く、隣の屋根もあり視野は広くないですが、明け方の空模様がいやでも目に入ってくる状態です。
 2月12日は、日曜日もあって少し遅れて外に出ようとしたら、東の空が「真っ赤に朝焼け」しているのが目に飛び込んできて、ちゅうちょせずに、カメラを持ち車に乗りました。フロントガラス(前面)は氷が張りついて、溶かしても直ぐ凍りつく冷え込みに中を細心の注意で車を走らせました。
 途中朝焼けを気にしながら、木曽川堤までほんの数分の距離でしたが、着いて直ぐシャッターを押したのが一枚目の写真でした。6時53分でした。    

     

     

     

     

 4枚の写真は、6時53分から59分の間に撮った写真です。車で走っている間は、朝焼けの赤い雲は確認できましたが、地平線上に太陽が顔を出した途端に雲は”黄金色”に変わったようです。
 大袈裟な言い方かもしれませんが、太陽が昇る朝方の景色は”刻一刻”変化していくことを体感しました。

 この写真は、ほとんど同一地点で、堤防の南側(1,2,4枚目)や北側(3枚目)を撮っており、3,4枚目は陽差しで木立に堤防の影をつくっています。
 冬の木立や草原に、ほんの一瞬ですが『黄金色』を見ることが出来ました。3枚目の写真は、木曽南派川河川敷にある「遊歩道とサイクリングロード」です。
 
こんな『感性』と行動力を何時までも持ちたいと願っており、『朝焼け』は何時かものにしたいと考えています。

     

 

 

 

 


大明神社の神紋の由来(1)

2012年02月15日 | Weblog

 
 江南市宮田神明町の氏神『大明神社』拝殿石垣に『家紋模様石』が組み込まれています。この拝殿は、昭和12年頃(1938)建立されたといわれていますが、過去70年余にわたり地域住民に深く認識されることもなく過ぎてきていました。
 しかし、昨年10月『秋季例祭』の際、他所の郷土史家の来訪を受け「全く、由来などなどについて返答すること出来ず・・・」今回、微力ながら調査・検証することになりました。 

 

 
拝殿石垣の側面に組み込まれた『家紋模様石』です。
   
  東側の『左重ね三つ巴紋』です。       西側の『梅鉢紋』です。
小さな町の氏神に、このような石組があることは大変珍しい事と考えて調べ始めました。先ず図書館へいって、家紋で『左重ね三つ巴紋』と『梅鉢紋』にたどりつくのは容易でしたが、疑問を解く原則「何時、たれが、何処で、どうしたか」を辿っていくのに大変な苦労をしました。
 結局、明確な回答を得られないまま、推測を交えて纏め投稿することにしました。

大明神社の由来 
 この地方に人が住みついたのは、古墳時代(3~4世紀)と言われています。神明地区も人が住みついたのは定かでありませんし、神が祀られたことも不詳とされて居ます。
 尾張藩の「寛文覚書(1661~1673)」に「宮田村に大明神と天王社あり」と記されています。今の神明地区を指していると思われます。が、翌延宝年間(1674~1680)木曽川の氾濫により社殿が流失したと言い伝えられており、数年後の元禄2年(1689)に再建されたと伝えられています。今の大明神社のある木曽川沿いの地点であったと推測できます。

 神明地区では、北の木曽川沿いの「大明神」と、地区南方にあたる八幡の森に「八幡社」が祀られていました。ここも 創立年は不詳とされていますが、「寛文覚書」の記録から「大明神」よりも遅い創立と推測されます。
 それを証明する燈籠が一対ずつ残っています。

           
    八幡宮 天保7年11月(1836    大明神 寛政4年11月(1792)
 八幡宮の燈籠が大明神より44年遅く建立されていますが、地域北方木曽川沿いに「大明神」を氏神とする一族と、地域南方に「八幡社」を氏神とする一族の”二つのグループ”があったと考えられます。

 八幡宮の燈籠の年号、天保7年の約30年後には徳川幕府は「大政奉還」して明治の新時代を迎えます。封建的な幕藩体制から脱却して近代国家目指すには、明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図して政策がすすめられました。
 
明治政府の神仏に関する主な政策
l  神仏分離令   (慶応4年3月発令~明治元年12月廃止)
l  郷社・氏子調令  (明治4年7月発令~明治6年廃止)
l  神社合祀令   (明治39年発布)
 
 神仏分離令は、”廃仏毀釈”運動につながり混乱を招き、郷社氏子調令は不評で共に早期に廃止されましたが、「一村一氏神」の形態は定着していきました。
 しかし、一族の氏神信仰はそのままで明治政府は、税の支出を抑えるため明治39年神社合祀令により明治42年に八幡社と大明神は合祀されています。
 それを証明する碑が残されています。

           
    明治42年10月吉日建立        明治42年10月吉日建立
 二つの碑は、神社正面前方の左右に建てられています。ここで注目すべきは「春日大明神」の碑です。確か江戸時代は「大明神」であったはずです。とすると、明治4年の郷社・氏子調令で一村一氏神が奨励された時期に「村社・春日大明神」になったと考えるのが至当のようです。
 且つ、両神社の名称を使わず「大明神社」としたのは『対等合祀』の証と考えます。


大明神社の神紋の由来(2)

2012年02月15日 | Weblog

神紋の由来
 
家紋は、平安時代に貴族(公家)始まったと言われていますが、戦国時代多くの武将の間に用いられるようなり、一般庶民に広まったのは江戸時代から明治時代にになってからと考えていいようです。家に家紋があるように神社には神紋があり、位が高い神社ほど古い歴史があるようです。

   
      三つ巴紋                 梅鉢紋

 上記の二つの神紋は、大明神社拝殿の石垣に組み込まれているものです。そして、大明神社は、対等合祀していますから「春日大明神」は「春日大社」に繋がり祭神の「天津児(あまつこ)屋根(やねの)(みこと)」を「八幡社」は「宇佐八幡宮」に繋がり祭神の「誉田(ほんだ)(わけの)(みこと)」の二祭神という事になります。とすると、宇佐八幡宮は「巴紋」を神紋としていますから合致しなすが、春日大社は「下がり藤紋」を神紋としていますから合致せず疑問が残ります。参考までに、梅鉢紋は天満宮(天神社)が神紋としています。
 今回の調査で、明治政府の行った特に明治39年の神社合祀令では、かなりの混乱が生じ、こうした間違いがあったことが世間でも指摘されており、今後の検証にゆだねます。

 今一つの疑念は、神紋として掲げるには神社正面あるいは神社祭殿の高い所に掲げるが「礼」考えます。これも今後の検証にゆだねたいと思います。
 今回の調査で、この位置には寄進した人の家紋を入れる例あることも指摘されましたが、此処では二つのグループは共に同姓を名乗り、「菊輪抱きオモダカ」を家紋としてみえます。

 上記の疑問に突き当たる訳ですが、大明神社に神紋に当たるものが存在することに興味湧いてきます。と同時に造りあげた昔の人(ご先祖様)に深い興味を持ち地域の人たちとともに解明できたらと想っています。

 


念願しています

2012年02月07日 | 風景

  厳しい寒さと冷え込みのあと、6日7日と二日続いての雨になりました。小雨で且つ雨間もある天気ですが、もう一週間も畑に出ない日が続いています。
 『半日は畑に出るようにする!』の思いも、沁みこむような寒さと、畑に仕事がない理由と、歳のせいか、外に出るのが”おっく(迷う)”ようになりました。これを、世間一般では、歳だからと片付けているようです。
  
 確かに「過去にそんなマイナス思考はしなかった!」「失敗体験はしなかった!」ことが起きるようになったと思います。そのたびに「前向きに、考えようー」「失敗は二度と起こさないようにしようー」と自覚するようにしています。
 しかし、この時期は外にでない分、部屋に閉じこもりがちで、食べる事には充分注意しています。振り返ると、昨年のこの時期は体調の管理に気を使っていました。体重は62キロありましたが、今年は今のところ60キロを維持しています。
 そんな思いで生活していると、思わぬところで事件が発生します・・・。老いるという事は、こういう事なんだ!!『八十路は未知の道です』 そうおもっています。

 私の場合は、夜はテレビを見る時間が多いです。昨年までは就寝が9時~9時半でしたが、正月から1時間遅くなって10時~10時半になりました。テレビを見ていて良いと思う映像があると、写真に撮ります。その映像を使って過去数回ほど投稿をしています。
 「写真が上手になること、感じたことを上手く表現できること」 の練習(訓練)の積りです。だからこの一週間で『中国・雲南・天空の棚田と世界の辻井伸行』をカメラにおさめました。が結局投稿できませんでした。撮った映像を何回見ても情感が盛り上がってこなかったからです。

 今朝撮った彼岸花の映像は投稿したい気になりました。 

     

     

     

                  

 持っている一眼レフも”まだカメラにお任せ”で撮っており、自分でピントを合わせて撮りたいと説明書を読んでみても理解できずあきらめています。
 失敗を重ねて勉強していく体験主義ですが、こんな事で上手くなれるかな?・・・


立春 雑感

2012年02月03日 | 随想

 1月は”ほとんど雪が降らなかった!”と思っていると、31日夕方6時ごろより雪が舞い始めました。

 一夜明けて、障子戸を開けてみると外は銀世界に変わっていました。積雪は10センチといったところで、”美しい”と鑑賞できる景色でした。
 10時ごろには、陽が照り始めて南に面した屋根の雪は一日で溶けてしまいました。それでも日が落ちる頃になると、深々と冷えてきます。2日3日とマイナスの最低気温の朝を迎えて、今朝はマイナス5℃でした。この気温は、北側のガラス戸が氷結して開かなくなります。熱湯をかけて溶かすわけですが、5時過ぎにやったところは再氷結してしまいました。ここ10年来なかった冷え込みになりました。
  しかし、日本海側は例年の2~3倍の積雪で、大変な苦労をして見えるようで・・・ありがたいと思はなければならないと思っています。

 畑には雪が残っていてここしばらくは『何をして過ごそうか?』と思案する季節、年代になったことを思い知らされます。

 京都のひ孫とは、年に3回ほど会っているようです。来てくれたり、行ったりして・・・写真もメール添付で送られてきます。この稿でも年2回ほど取り上げていますが、暇なこの時期また取り上げることにしました。
 特に3人目のひ孫が誕生日を迎えた時期もあって、無性に顔が見たくて送ってもらい、編集?してみました。

    

 

 上の左・青枠は、昨年1月下が生まれた時の写真です。ピンク枠の3枚は、3人のそれぞれ一年の成長を感ずることが出来ました。
 健やかに、心美しく、自立できる人に育ってくれることを願っています!!すべての孫が・・・。

 孫たちが育つぶん・・・老いを感ぜずにはおれませんが、迷いを振り切って前向きに生きていきます。