私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

奈良・ 興福寺 散策

2010年10月29日 | 旅行
 今回の京都行きは、結果3泊4日になりました。が、京都行きの主目的は観光ではなくお手伝いでした。具体的には庭の手入れと、店がイベントを開くために曾孫の”お守り”でしたが、それを”こなした”上で時間を見つけて奈良の二つの寺を散策しました。すでに今年5月に平城宮大極殿は見学していましたが、今回は京都の駅を降りたときから”平城遷都1300」年祭”の雰囲気を肌身に感じ、奈良の各寺も参加して”特別公開”していることも知っていましたから、庭の手入れも、子守りも手を抜かずに且つ「興福寺と薬師寺」を時間を見つけて2回に分けて見学してきました。近いんです!! 
      
 昨年11月娘の家の生垣が無惨な姿になり(写真○印右)取り払って赤芽樫苗で作り替えました。(写真○印左)1年経ってその生垣を剪定して、写真のように整えました。完成までに3~4年かかると思います。

 興福寺 散策
 私が初めて奈良へ行ったのは四歳の時でした。祖母と一緒に大阪の叔父に連れられて、奈良公演で写真を撮るとき、鹿が寄ってきて怖かった事だけを覚えています。以後これまでに10回近く奈良へは行っていますが、興福寺だけは行った事がありませんでした。
 奈良公園の樹海から高く聳え立っているのが興福寺の五重の塔で”本堂が無い寺”程度の知識でした。しかし、近年{是非行ってみたい!!」という思いを強くしていました。23日(土)お昼を中心に5時間ほど余裕ができて行ってきました。

 興福寺は藤原氏の氏寺として計画」されました。710年平城遷都から程なくして中金堂が建立され、721年北円堂、726年東金堂、730年五重塔、734年、西金堂、746年講堂と大伽藍が形成されていきました。しかし、興福寺は、じつに火災の多い寺で、中金堂の罹災は7回にも及んでいるようです。その都度復興をとげているのは藤原氏の絶大な権力があったからです。七回目の火災は1717年(享保2年)に発生しましたが、仮金堂が建てられたのみでした。現在、中金堂復元の工事中で近年巨大な中金堂が姿を現すようです。

 JR奈良駅から市内循環バスに乗り、興福寺最寄りの県庁前バス停では3人しか降りませんでした。(バスは満員)興福寺へは裏手から入りましたが、観光バスがいっぱい来ていて、国宝館には長蛇の列が出来ていました。私は、先ず特別公開の東金堂と五重塔から拝観しました。
 
 
      

      
 東金堂(写真上)は、726年聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願って建立。以来5回の被災を経て、この建物は1415年(応永22年)再建されました。(国宝)下は、内陣の薬師如来坐像と日光・月光菩薩立像です。この他に文殊菩薩・維摩居士、四天王、十二神将が祀られています。(国宝、重文)
  

     
 釈迦の舎利を納めた五重の塔です。730年(天平2年)藤原氏の娘光明皇后建立。そのご5回被災、1426年(応永33年頃)再建されました。(国宝)

   
 五重塔初層の東西南北に薬師三尊像・阿弥陀三尊像・釈迦三尊像・弥勒三尊像が安置されています。(写真左)
 東金堂と五重塔です。(写真右)

     
 
   
 阿修羅立像と三っの顔です。734年(天平6年・国宝)帝釈天との戦いの果てに武器を捨て、懺悔し、静かな面持ちでたたずむ、紅顔の美少年像でインド神話の神です。
 日本で今一番有名で人気のある仏像と言っていいです。国宝館の長蛇の列がそれを現していました。


  
 北円堂と本尊の弥勒如来坐像です。(国宝)北円堂は興福寺建立の祖藤原ふひとの菩提のために、720年(養老4年)建立されていますが、ここも2回の被災に会い、1207年(建永2年頃)再建されています。弥勒如来の他に法苑林菩薩・大妙相菩薩、無著・世親、四天王が祀られています。

  
 南円堂と本尊の不空けん索観音菩薩坐像です。(重文・国宝)南円堂は813年(弘仁4年)に建立されましたが、ここも4回の被災にあっており、1717年(享保2年)再建された堂です。不空けん索観音菩薩坐像の他に法相六祖、四天王が祀られています。

 興福寺では鎌倉時代の奈良を代表する多くの仏像に圧倒されました。ここではその一部しか発表できませんでしたが、フォトチャンネルに挑戦してみようと思っています。しかし、拝観が終わって外(境内)へ出てみると、他の寺と違って「なんか淋しい、空虚な雰囲気みたいな物を」感じていました。  
 家へ帰って調べて見ると、本来創建された当時の興福寺は、心も形も整った天平の寺院だったようです。しかし他の寺にない度重なる伽藍の焼失と復興の歴史があり、それが江戸時代になると(享保2年以降)復興事業が進まなくなり、明治時代になると”神仏分離政策”により寺の運営も混乱し、それに社寺領を没収され奈良公園に組み込まれて、天平の雰囲気などを失われた形状になったようです。
 中金堂も復興されるようですが、出来るだけ早く天平寺院の形状が再現されて、日本人ばかりでなく世界の人が来てくれるよう念願しています。

苗床終い

2010年10月21日 | 野菜つくり
 10月11日から苗を畑に定植しはじめてから、19日”苗床じまい”をするまでに9日間かかりました。例年ですが、先ず私の畑に植えてから、順次苗は外へ出て行き、今年は13軒の所へお嫁に行きました。  一袋500円位でタキイ種苗から取り寄せますが、去年ぐらいから発芽100%と上手になり、その苗の約3割が自家用で後は「皆さんに好評」のようで全部無くなりました。 ここでは、定植した苗の近況です。

             
 敬意を表して、女房の畑の近況です。チンゲンサイだけはその苗を植えました。奧からほうれん草、小松菜、芥子菜、チンゲンサイです。ちょっと種を多く蒔く癖がありますが、女房ばかりで無いようです。もう食べ始めています。

 
 苺です。130×50㎝で二条植にし、2ヶ所で70株作りました。230株ほど外へ行きました。

          
           チンゲンサイでもう食べています。同じに蒔いて成長が早いですね。

                   
                   レタスです。


 サニーレタスです。レタス類は40~50株植えました。

         
         カリフラワーです。

                    
                   キャベツ(左)ブロッコリー(右)で、カリフラワー共各25本植えています。
 一番早く植えただけに、苗も一回り大きくなった感じです。秋の野菜はこの他に葱、人参、白菜、大根、蕪、つまみ菜を作っています。今のところ好調のようです。

 明日から5日間家をあけますから、女房にくれぐれも見回りを頼んであります。

くも 

2010年10月19日 | 風景
8月から9月にかけて、異常気象といわれた高気温の中を、それなりの対策を立てて頑張って生きてきたわけです。が、10月に入ると、夏日と言っても気温は25℃ちよっと、夜は夏布団を2枚重ねて着る陽気になりました。心にも余裕が出てきて、秋を色々感ずるようになってきたようです。
 昨日発表した「朝日を撮る」もそうですが、歳にしては”感性”みたいなものが育って来ているような気がします。というより、こんな所に目線がゆく”心のなごみ””余裕”みたいな物が生まれてきて、又人生そんなゆとりが必要ではないかと考えています。父90才、母96才ひょっとすると”それを元気で超えられる”のではないかと?、超飛躍的な夢をみたりしています。
 現実に戻って、普段畑に出るときはカメラは持って出ません。例えば”白菜が大きくなったから、報告しよう”と考えたときは持ってでます。しかし”いいねた”に出会った時はカメラを持ちに帰ります。今回は、畑を撮ろうとして他へ目線がいってしまいました。


 


                 
10月16日朝畑に出て一番に気がつきました。巻積雲といって5,000以上の高層に出る雲です。通称は、うろこ雲、いわし雲、さば雲といわれていますが、私は「さば雲」と呼んでおり、秋の季語と言っていいです。今年も3回ほど、さば雲を見ていますが雲の一部か、空の一部分に浮かんでいるだけでした。
 この日は、東から西へ視野一杯に広がり且つ流れるように続いていました。下の写真は朝日で光って見えますが、同一雲を場所、時間は少しずつ違って撮っています。


蜘蛛


         

                   
 10月16日の写真です。時間は3時間ほど遅いですが、一転目線を地上に向けました。今年は、やたら蜘蛛の巣が多いことは気がついていました。屋敷や畑の隅の方を歩くとき手で払ったり、くぐるように歩くのですが、蜘蛛の巣の糸が顔についたりして、手ごろな棒があると空中高くまで巣を振り払う訳ですが、翌日には修復されているのです。
 そんな蜘蛛にカメラを向けて最初の1枚の映像を確認して、案外綺麗なのに驚いて撮った写真です。


 アシナガクモ科 ジョロウグモ種です。写真上から腹側、背中側、そして小さい蜘蛛が写っていますが、私は”子連れと考えましたが、調べてみると♂のようです。♀体長3㎝♂1㎝足を含めては、小さくて色までは気がつきませんでしたが、全身「妖艶」な色と感じ、ジョロウグモと名付けられたと推測しました。蜘蛛が巣に虫がかかるのを待っている姿勢ですが、下を向いています。この二つの事について疑問を感じましたが調べる余地がありません。
 知っている人が人があったら教えて下さい。

日の出を撮る

2010年10月18日 | 風景
 過去の生活の中で”夕日が美しい”と思うことはあっても、日の出をじっくり観賞する余裕はほとんど無いと言っていいです。一日が始まる気の”あわだたちさ”と、それに、なんといっても日の出(ご来光)は、山や海で観賞するものだという先入観がありました。
 それが、日の出を写真におさめたいと思うようになり、朝白々と夜が明けはじめると「今日は撮影日よりかな!」と外を覗くようになっていました。私の素人撮影条件ですが、勿論晴天で、しかし地平線上に適当に雲があって・・・自然現象では、なかなかそんな条件に巡り会えませんでした。
 10月14日そんな条件が満たされている予感がして、裏手の木曽川堤に出かけました。初めての挑戦で25枚の映像をとり、3枚を選びました。

      

       

      
 上から5,54分  6,00 分 6,01分撮影です。すべての好条件に出会うには容易ではないと思います。それに技術的なものもありますし・・・これから、積み上げていきたいと思って居ます。


  

              
 帰路木曽川堤(二重堤)には、生原新田地区(上)宮田本郷地区(下)に水神社が祀られており、秋祭りの「昇り旗」が朝日に輝いていました。(6時10分撮影)
 堤防は、幹線道路でないため自動車は2台ほど、歩き人、マラソン人に5人ほど会いましたが、空気が澄んでいました。昨日17日、好天に恵まれて、この地方は秋祭りがおこなわれました。

伊根の舟屋 (第2報)

2010年10月15日 | 旅行
 普段から私は”早寝、早起き”タイプです。それが、老いると共に又早くなって、寝るのは9時から10時の間、起きるのは4時半から5時の間と言ったところです。宿でも四時半頃には目が覚めて風呂にに入りました。前日船の観光タクシーで伊根湾を一周し、漁港があるところを知り、沖に定置網があり早朝魚が水揚げされることを聞いていました。から、それを目的に散歩にでました。(往路一㌔余)

      
 岸壁に1隻だけイカつり漁船が繋がれていました。この船は大きすぎて舟屋には入りません。陸(おか)に住む私には、海や船は憧れににたロマンを感じます。

        

  
 伊根の家並みや海沿いを探索する感じで歩いて漁港に近くなると、急に人の入りが激しくなり、定置網から魚を運ぶ「運搬船」が入ってきて魚の水揚げを見ることができました。(その時間は不定期で、私の推測ですが、大漁の時は遅くなり、少ないときは早くなる感じです)その6時頃は、早いほうで結果私が見ても不魚といった感じでしたが、偶然立ち会えた事は幸いでした。
 写真上中央の「魚選別機」?に運搬船からバッキュウムで吸い上げられて(だから小さい魚)選別機で種類、大小ごとに大別され、それを又人の手によって選り分けられていました。活気のあるとまで言えない、忙しい時間は20~30分程度でした。民宿や一般の人がバケツをさげて、選別中のなかから意中の魚を取って買って行かれるのが伊根らしいと思ってみました。魚種は、20~30㎝ほどのシイラ(シイラは1㍍以上になるはず?)イカが多いと思いました。小魚(イワシの幼魚?)をバケツ半分ほど買ったおじさんに聞くと、「普通は”煮干し”にするが、釣りの餌にします」と。

 今日は不魚だったのかな?と思いながら、いや定置網に大きな魚が一匹も入らぬ訳がない!!ブリなどの大きな魚は別の船で大きな漁港、例えば舞鶴などに運ばれている・・と、勝手に推測しました。

   
 漁港のとい面山側に畑が広がっていました。極端にいうと、伊根の家並みには木一本植える空き地がないのに「野菜が作れるところがあって」よかった!」と思うと同時に畑が小さくトタンや網などで区切られていて、猿やイノシシの被害があることを予想しました。
 昨夜の夕食は、2人とも二皿をお返しし「年をとると、食べれなくなるんで申し訳ありません」といい訳をし、朝食は一皿ずつ残して、隠すために海に投げたら、間髪を入れずにカモメが持ち去り、それが縁で近所の店でスナック菓子を買ってきて、9時に乗るバスを一時間おくらせる程にゆっくりした旅になり、連れは満足しているようでした。「こんな旅を続けれるといいな!」と念願しています。 

10月の畑ーA

2010年10月10日 | Weblog
 昨日9日は、一日中雨で、午後は”かなりの”雨でした。予報通り三重・愛知の太平洋岸は電車が止まるほどの雨だったようです。幸い当地は、短時間に集中して降ることなく、結果は畑に良い雨でした。    明けて10日は朝から快晴になりました。気温は27℃になると報ずるのを聞いて「昨日よリ10℃高くなるんだ」と思いながら9時頃畑に出ました。


 白菜と大根のカンレーシャを外して、日光浴をさせました。白菜は夕方に除草、追肥をして防虫のためカンレーシャをかけます。(あと、2週間ぐらい)3列目の大根はかけません。
        
        葱と人参の畑です。

                   
                ほうれん草、小松菜、チンゲンサイ、葱など女房担当の畑です。

 苗床は
 

         

                   
 上から、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの苗です。
 中 レタス、下 サニーレタスの苗です。
 明日から順次定植しようと決めました。今年は5人ほどの人から予約が入っています。が例年全部の苗が嫁入りしていきます。今年は暑さから例年より遅く種蒔きをしましたが、今のところ問題を感じません。今日の畑の状態と思った事の報告です。
 
 午前中畑にいて雑作業をし、写真を撮ったりして過ごしました。が、予報通りの夏日になって”べっとり”汗をかきました。午後は食事がすむと、早々にパソコンに向かい、写真の加工、ブログの投稿と1時間半ほどを使いました。この時間は、ブログ投稿に使うには、極めて短い時間です。4~5時間また2日掛かり投稿することは良くあります。使用時間密度が大変悪いのを自覚していますが、この年で無理をしないようしています。難産型という由縁です。
 女房は「お父さん、そんなにしてると頭が破裂するよ!」と言ってくれますが、心配ないです。・・・こんなペースでやっていきます。


 

槙の実 (まきのみ)

2010年10月09日 | Weblog
 毎年この時期になると、庭というより、屋敷に生えている木々の剪定をします。枝を整えて美しい姿に整える感覚でなく、繁った枝を切り落として明るくする感じで勿論自分でしています。
 この作業で今回気をつけた事は、年を考えて高いところへは登らず「高切りハサミ」で切り落とす方法をとりました。切り落とした枝はかなりあって、機械的に車に運んでいましたが、最後のほうになって「槙の実」があるのに気がつきました。今年は槙の実が多いんだ!




               
 高さ5㍍位の槙の木が3本あって、後かたづけした木の下に行ってみたら実が落ちていて小皿に拾いました。
 槙の木は雌雄異株で、雄木には花が咲き、雌木に果実が付くようです。緑の実は種子で毒があり、赤い所を花床といい、鳥が食べて種子が遠くへ運ばれます。赤くなるほど熟して、甘みがあり、子供の頃良く食べた記憶がよみがえって、懐かしくとりあげてしまいました。

 しかし子供の頃、槙の木に登って実を食べた記憶がなく、昔は「槙の生垣」が沢山あって、学校の行き帰りにとって食べた事を思い出しました。
 時代が移り変わって、現代は垣根も様変わりして昔の「槙の生垣」が何処ににあるのかと考へました。そして、私の町(旧大字で)で2ヶ所見つけました。というより、普段は何気なく見ていたものを「意識した」と言った方が良いかもしれません。



 大野家の槙の生垣です。(写真左)見通せる縦の辺よりも、南北辺が長く、しかも屋敷の四方を生垣が囲っています。種類は「イヌマキ」のようです。(葉が大きい)

                
 堀場家の槙の生垣で、東と南2辺にあります。緑の色の違いは刈り込みの時期の違いだそうです。種類は「ラカンマキ」のようです。(葉が小さい)
 
 大変な手間がかかるようですが、美しく貴重な風景と思い、再認識しました。


日本女子オープンゴルフから

2010年10月07日 | Weblog
9月30日、1日、2日、3日と日本女子オープンゴルフが開かれました。その2日目の10月1日のが、雨であったので私は朝からパソコンに向かっていました。時間つぶしという感覚でゲームをしたり(麻雀)写真をなぶったり(投稿のための加工)そして適当に休んだりした、そんな午後テレビを入れてみて、偶然日本女子オープンゴルフをみるととになりました。結果は、日を追うごとに興味が湧いてきてプレーの後半ですが、(午後から)テレビの前に座る込んで食い入るように観戦していました。プロの技術的な面より、精神的面を私なりに推測しながら、得るものが多くあった思っています。

 参考までに、私はゴルフクラブを一度も手にしたことはありません。18ホールあって、それぞれに打つ回数が定められて、ボギー、パァー、バーデー、イーグルがある知識ていどです。


         
        写真は、いじっている内に、こんなのが出来ました。 
 オープンゴルフ2日目は雨中の熱戦でしたが、私は雨が縁で見ることになり、熱戦に次第に引き込まれていったようです。
 オープンゴルフ3日目は午前中は畑に出て、午後からは意識してテレビのスイッチをいれました。前日と違って秋の快晴に恵まれて白熱した戦いが繰り広げられていました。前日の連続5バーデーもあって、首位に立っている宮里美香に目線がいくようになりました。ところが、後半彼女は人が違ったようにくずれました。応援していた気持ちにも迷いが湧き、悪い結果を予想したりして気分が塞ぎました。
 
 オープンゴルフ最終日は、彼女はすっかり立ち直って、プレーを安心して見て居れました。後半3連続バーデーがあって、-13までいきましたが、最終18番ではボギーで、-12アンダーで初優勝しました。2位の佐伯三貴は-6でした。


 宮里 藍は、女子プロで名を知ってる数少ない人です。賞金女王で海外を含めて優勝経験が多い彼女の苦闘ぶりが目につき、印象に残りました。

 今回、偶然からテレビで見た日本女子オープンゴルフの宮里美香、宮里 藍から、私なりの”実”を得る事が出来ました。それを具体的に書く勇気はありませんが、年なりに”前向き”に生きたい思いを新たにしました。それから沖縄出身の二人の宮里プロが世界で活躍するととを願っています。(この稿は、ほとんどを記憶だけで書きましたから、間違いがあるかもしれませんが、お許しを・・・)

伊根の舟屋(第一報)

2010年10月03日 | Weblog
 伊根の舟屋へ行ってみたいと思ったのは今年の初め頃でした。動機は、テレビか旅の情報誌であると思いますが、よく覚えていません。
 8月終わり頃、伊根の観光協会へ「そちらえは初めてです。女房はちょつと足が悪い高齢者夫婦です。泊まるところを所を含めて情報を下さい」とメールしました。民宿の紹介と、天の橋立を含めて、情報を頂き伊根のイメージと2日間の行程がおおよそ頭に入っていました。
 9月17日家を出てから、伊根に着くまで5時間かかりました。京都から「はしだて3号」に乗り、終着駅天の橋立に降りたときには乗客は10名ほどで、伊根行きバス停では2人だけになってしまいました。バスは1時間ほどかかりましたが、乗客は最大5人、伊根で降りる時は私達2人だけでした。
 3連休前日であった事もあるでしょうが、この静けさは”むしろ望んでいた”ぐらいで、この旅は本当にゆっくり出来ました。それにバスの運転手さんを含めて、伊根のお年寄りは”向こうから、声をかけて頂きー”親切さを感じました。 船の観光タクシーに乗り、写真も沢山撮ることが出来ました。

    
    
 写真右手の緑の山と、左手灯台から手前奧に(右に約100㍍ある)伊根湾です。湾を防ぐように中央に青島があります。
 右手の家並みは湾の西岸にあたり、左手が東岸になり湾が奧に広がり家並みがありあります。伊根湾は南に向いており、日本海に面しながら季節風や台風を受けない地形になっているようです。波は”さざ波”、干潮の差も最大50㎝程度で230軒の舟屋という伝統的建造物群を造っています。

  
左</f 青島は、無人島で手の加わっていない原生林に覆われた神の島で、蛭子神社があり”えびす”さまが祀られています。 右 舟屋は、大切な船を長持ちさせるための格納庫。同時に、生活用具の物置場、漁具の手入れや出漁準備の作業場でした。 
       
     
      東岸の舟屋群です。

      
      西岸の舟屋群です。

     
     西岸の舟屋群の中に倉庫らしき建物が、向井酒造で女性が杜氏をつとめ創業250年の蔵元です。

  
伊根の家並みにほとんどの所で山が迫っています。道路を隔てて直ぐ前は海を埋め立てて舟屋がある感じで「日本でいちばん海に近い暮らしが、此所にある」ようです。事実私達が泊まった所は、古い舟屋を取り壊して、船の格納部分を部屋にした新築家屋でしたから、部屋から一歩踏み出すと”濡れ縁”があり、二歩目で海に落ちる位海が近く、しかし静かで海の香がする部屋でした。