私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

一泊二日の東京

2015年04月13日 | 旅行

 孫が東京の大学に入った時に「何時でもいいから、大学を案内してくれないか?」と頼んでおきました。内心「分不相応に?」と思いながら、「大学というところが、私の目にどんなふうに映るだろうか?」いや「どの程度理解できて、それを、纏めることが出来るだろうか?」そんな夢みたいな思いがあったのも事実でした。
 息子から「大学へ行きたいといっていたけど、春休みの4月4日、5日(土、日曜日)がどうだろう!」と約二ヶ月前に話がありました。勿論異議はありませんし、女房も私が一泊ぐらいの留守は、耐えうる状態になっていました。
 「若し行くとしたら・・・、京都のお姉さんも行くから・・・」 「二人がついて行ってくれるなら、なおさら安心!!」の感じで、無理な日程は組まないように頼んでおきました。

 当日京都の娘は孫を連れてきてくれて、新幹線で落ち合いました。私にしてみると「ひ孫」に当たるわけです。今春小学2年生になりましたが、「手足まといになる」と云うより、「居てくれて、助かる」思いでした。まる一年会わなかった訳ですが、今の子は教育環境が昔と違うと考えました。面白いというか?、微笑ましいというか?出来ごとがありましたが、折があったら紹介したいと思います。

 4月初めの東京駅は、すごい人混みでした。私は、山の手線がイメージでしたが、東京は地下鉄ですね。それに若い者はスマホで動く感じで、私はついて歩くだけですが、「一人では、来れない!」が実感でした。 

               

                
 名古屋11時の新幹線で、午後1時の学生食堂での昼食でした。孫が校内と、主に政経学部のビルを案内してくれました。約2時間滞在し、写真も多く撮ってきました。(上2枚の写真)

                

               
 東京行きは、2年越しで2ケ月前に具体化した訳ですが、一番若い孫が東京の大学に入る事が決まり、地下鉄で3駅しか離れていないから会う予定を決め、入学式がまだ終わっていない新入生が、中野キャンバスを案内してくれました。(上2枚の写真)
 夜は、二人の孫と食事をとり話が弾みましたが、印象を出来たら纏めたいと考えていますが・・・。

               
    両国のホテルから、翌朝の写真で大相撲の国技館です。小雨模様で降ったり、止んだりの一日になりました。
 

               

                
 2日目は、東京湾クルージングを楽しみました。12時出航して間もなく船内レストランでバイキングの昼食を楽しみ、2時間の回航でした。途中一昨年蒲郡港で見学した帆船「海王丸」を見つけました。東京が母港ですね!ビルが大きくて海王丸が小さく見えました。(上2枚の写真)

               

               
 クルージングは2時帰港、新幹線は6時だから時間はあるが、もう見物は止めて「ゆりかもめ」で終点豊洲まで行き、地下鉄で東京駅の方へ帰ろうー。そしたら、銀座を通るなら・・・有名な資生堂のカフェへいこうー、私は、黙ってついて行くだけ・・・、そのカフェは、ビルの3階にありましたが、待ってる人が20人ぐらいいました。
 「時間があるから・・・待ってもいいや!」の私の感覚・・・、30~40分待ったかな?待ち人の人数は変わらない!、「やっぱり東京銀座だなー」と退屈しませんでした。

 順番が来てテーブルに座ってみると、すべてが高い感じ・・・、私が一番安いコーヒーを頼みましたが、1000円、それが一番最初にでてきましたが、来てみると、価値がある感じがしました。全てが揃ったら写真が撮りたくなって・・・、店せの人に聞いてみたら笑顔で「どうぞー」でした。高いけど、価値がある経験をしました。
資生堂パーラーサロン・ド・カフェという店です。

 ゆっくり休めましたので、有楽町まで「歩行者天国 銀ブラ」を体験しました。有楽町が近づくにつれ歩道は人で一杯、しかも外国の人が多い事・・・。 2日間とも、すいすい歩けて・・・翌朝畑にでました。


 


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1 コメント

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帝国ホテル (齊藤直一)
2015-11-11 11:27:04
昔昔 甥の結婚式で東京の農林年金会館に行った折の話。式終了後弁護士をしている同級生が案内をすると言って、友人も一緒に帝国ホテルに案内して頂いた。当時帝国ホテルは庶民の入れることは出来ないと思っておりましたので、嬉しかった。コーヒーをおごって頂いたが、別に高級なとは思えなかったが、高かったと思う、その弁護士は日本弁護士連合会の副会長を務めた人物だったが 亡くなって 小生の師のような人で相談することが出来なくて残念無念
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