私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

唐招提寺の仏

2011年10月30日 | 旅行

 毎年の恒例ですが、3泊4日で京都に行ってきました。と言っても娘の家に泊まって、半分はお手伝い、あとの半分は好きな寺巡りをした来ました。
 過去2年ほど私一人で出かけていましたが”足の調子もいい感じ”と判断していましたから、声をかけると”行く・・・”という事で二人連れになりました。荷物を少なくするため、前もって宅急便で送って、それでも、それぞれ「リック」があって・・・・家を出ると、女房のリックは私が持って・・・・そんな配慮が必要な歳になりました。
 「おおきい、おじいちゃんとおばあちゃんが来てるからと」ひ孫たちが三晩とも来てくれました。可愛くて!癒されます。

           
           これ”キーホルダーですかね、かけてあったのを黙って撮ってきました。

 

 今回は、唐招提寺・法隆寺・中宮寺が念頭にありましたが目的が果たせました。
 なか日に、午前中時間の余裕が出来て唐招提寺に一人で出かけました。この寺にはこれで3回目だと思いますが、その中の1回は講堂が解体修理中でした。(その完成が昭和47年だったと今回知りました)あと1回は門前の店で”埴輪”を買った記憶が残っています。その店が綺麗になって埴輪も並んでいました。

     
 唐招提寺金堂です。
 唐招提寺は奈良時代、天平宝字3年(759)創建された鑑真和上の私寺から始まっています。和上が遷化した763年以降中央アジア系の碧眼の僧、如法の時代に金堂は完成しました。

     
 金堂内陣の仏です。
 金堂の仏像は、奈良時代の創建以来の安置形式をそのままに伝えています。中央に盧舎那仏(国宝・像高304.5㎝)千仏を表した大光背を背負っています。西方に千手観音(国宝・像高535,7cm)小手は911本を数えます。東方の薬師如来(国宝・像高336,5cm)の三仏の威容、尊厳には圧倒されます。 周縁には、東西に梵天・帝釈天及び四隅には等身大の四天王が配されています。

     
 
①金堂 ②講堂 ③鐘楼共に国宝です。
 
    
 講堂の本尊弥勒仏坐像です。(国宝・像高284,2cm)左右に持国天・増長天立像が配されています。やはり威容、尊厳に圧倒されます。

    
 鑑真和上像です。(国宝・像高81,8cm)
 鑑真和上は中国揚州の生まれです。五回の渡航に失敗し、多くの子弟を失い、自身も失明して辛苦を極めましたが、天平勝宝(753)六度目で渡海に成功しています。
 大仏殿西方に戒壇院を建立し「受戒」の根本道場し、その後「伝律」の道場として唐招提寺の造営に着手し、戒律の伝道者として日本仏教史に大きな足跡をのこしました。

 約2時間かけて寺境内をじっくりと拝観して廻りました。若い時と違った感動を得て来てよかったと思っています。新法蔵館の仏像を含めて”フォトチャンネル”で紹介します。まだ未熟ですが・・・・。

唐招提寺の仏


異常現象・お終いに

2011年10月18日 | Weblog

 毎年この時期になり畑の仕事が一段落すると、庭の木々の手入れをします。夏の内に伸びた枝の剪定・整枝や灌木の刈込です。我が家の庭は「庭木を使って林をつくった」と、いう感じで、過去にプロの庭師さんには入ってもらったことはありません。すべて素人の私がします。密度のうすい働き方で3日ぐらいかけますが、去年思い切って刈込がしてありましたから2日で済みました。今日は午前中に畑の方の生け垣を刈込ました。

 「山茶花と赤目がし」が半々です。戴いたり、挿し木した苗で、宅地には植える所がなくて、畑ならいいだろうと植えたものです。
          
  山茶花を済ました途中で、カメラに撮りました。全部済まして見ると「これでは、お金はもらえない」下手な出来上がりです。しかし、奥は柿とミカンの畑ですから「まあ いいか?」が毎年の思いです。

     
 
それよりも、畑の柿が目につきました。柿の葉っぱが落ちて柿の果実が丸裸に見えるのが異常です。我が家の他の木でも、他所の柿にも見られます。本来は、柿を収穫した後で、葉っぱは紅葉してから落ちるのが普通です。
 右の写真は、渋柿です。渋柿には青い葉っぱがいっぱい着いています。

          
 「富士」柿です。2本で3個残りました。9月頃はすごい「生理落果」でした。3個残ったのは幸いと思っていますが、やはり例年と比べると「異常現象」です。 

          
 4本あるミカンは隔年で不作の年に当たります。しかし、数が少ないですが形の良いのがなっています。ミカンは正常の感じです。

 今年は、異常現象が各地で起こったようですが、もう終わりにしたいですね。


雨上がりの畑

2011年10月16日 | 野菜つくり

  「パソコンでのお手伝い」を98パーセント済まして”ほっと”して肩の荷がおりました。2日続いた恵みの雨も今朝には”からり”と晴れて、まだ露のある朝の畑を撮ってきました。

 雨前に、予報で雨を予想して、それに21日から4日間家を空ける予定があり、畑の作業を前倒して頑張ってきました。野菜を覆っていたカンレーシャをほとんど取り払い、白菜にはしっかりと追肥をしました。定植したキャベツやブロッコリーもしっかり活着したようで第一回の追肥をし、直蒔きの野菜にもそれぞれ肥料を施しました。この時期4日間の留守は、畑にそんな配慮が必要です。

     

 夏の野菜が終わり、さみしかった畑も緑でいっぱいの感じになってきました。今秋は、納得できる作柄です。だだし、中央2列の白菜は定植してすぐ、十数株「心食い虫のにやられて」しまいました。(中央左側の小さい感じのもの)早く見つけることが出来て対策をうちました。

     

 その対策は、B畑に直播で同じ白菜を蒔きました。約30株あり、成長は上図より10日ほど遅い感じですが、被害もなく”すくすく育っています。

   

 イチゴです。次男の家の孫用に植えています。  右は、第二回直播野菜各種です。

  

 チンゲン菜で、もう収穫しています。     第一回蒔きの野菜です。小松菜、水菜は収穫しています。

キャベツ、ブロッコリーは青虫に要注意です。農薬はなるべく使わないように頑張ります。出かける前にじゃがいもの「土寄せ」はしていきたいと思っています。


パソコンでお手伝いと畑

2011年10月09日 | 野菜つくり

  私の知り合いで、夫婦で合わせて150才の方が「東海道五十三次」を歩かれました。その旅行記を書かれるにあたり、そのお手伝いをしています。沢山の写真を撮ってみえて、写真を本文に挿入する事を教えたり、手伝う事です。このところ、私のブログは”そっちのけ”であと4~5日そちらに集中しようと思っています。

 しかし、パソコンには長時間向かっておれません。目が疲れて3~4時間で文字が”ぼやけて、かすんで”きます。目を癒すこともあって天気が良ければ毎日畑にでます。勿論畑の作業もしますが、今日はカメラを持っていっていきました。

      
 二人で150才は、2で割っても75才のご夫婦が、東海道五十三次約500キロを歩かれたことに敬服いたしました。旅行記を読ましていただいても感動しました。その旅行記に写真を入れることによって「華やかに、充実したものに」なればと、考えてお手伝いをしています。
 私もここ4年ぐらいは、ブログ専門でワードを開いたことなかったです。パソコンもXPから、ウインドーズ7に変えていましたから、最初は戸惑いました。が、今はサポートサービスも充実していて、オフィス2010も使いこなせるようになりました。この点も勉強になって良かったとおもっています。完成したら、作者の許可を得て一部でも紹介したいとかんがえています。が・・・

畑の野菜も大きく育ったり、苗もほとんど定植しました。

  

 白菜です。もう一週間ぐらいで網を取って追肥をしなければなりません。

   

 小松菜、水菜、蕪です。もう2~3日で食べられます。

  

 チンゲン菜、カリフラワー、ブロッコリーです。

  

 B畑のキャベツ、カリフラワー、ブロッコリーで、右上は人参です。

 朝夕は、本当に涼しくなり、昼間はペットボトルのお茶を持ってでなくてもいい陽気になりました。これから、秋本番ですね・・・。

 


10月の畑

2011年10月02日 | 野菜つくり

 普段、ほとんど意識しませんでしたが、今回『ブログを初めて何日になるかなー?』と思い、編集画面から「ブログ開設1,702日」を知りました。『そうか、4年と6ヶ月になるんだ!』と自覚しました。
 いつか、壁に「突き当たる」という思いはありましたが、内容はともかく月7~8回投稿したつもりです。そして、現在の心境は、こんな状況で”しばらくは進んでいける”思いでいます。
 過去の投稿を見ると、恥ずかしい思いをすることがありますが、訪問者・閲覧数は少しずつ”右肩上がりで”励みになっています。しかし、ブログを書くことが”楽しみで生きがいであってはならない”と考えています。『自立できる老後を目指した道』を、歩いていく中で『美しい文章が書けたらいいなー』と念じています。
 ところが、老いはそれを許さないことがあります。例えば、前回の「台風一過の木曽川」では全く苦労しました。恥ずかしくて詳細は言えませんが、実生活でも『老いとは、こういう事か!』を実感する出来事が生活の中でおきており、又何れ書きます。私にとって、八十路は、初めての道ですから、慎重にいきます。 

 

 

 畑の大根と白菜が、いまこんな状態です。大根は2回目を昨日蒔き、白菜は”芯を虫に食われ”ています。(約一割程度)だから、直播を一列蒔きました。

  

 ブロッコリー、カリフラワー(左)チンゲン菜、レタス類(右)の苗床です。今週から順次定植していきます。苗の半分は、お嫁入りしてい区予定です。例のポット蒔きの苗はもう畑に植えました。


台風一過の木曽川

2011年10月02日 | Weblog

  9月21日台風15号が東海地方を去ってから、『台風一過』 のことわざどおり、夕方4時ごろから、からりと晴れあがりました。以後、秋晴れの好天が続いおり、夜は夏布団を2枚重ねて寝るほどの涼しさで、昼間は25℃を超す夏日もありますが、湿度が低くて本当に過ごしよい陽気になりました。
 畑には、半日程度を目安にこまめに出ています。以前に書きましたが、女房も畑仕事が好きで「私の畑、女房の畑」と区別していましたが、80代なるとその区別が”あいまい”になってきました。足腰が悪くなってきたのが最大の原因で、野菜作りの大半は私の担当になり、女房は、収穫と花作りや趣味の野菜?を畑の隅でする程度になりました。状況と歳を考えると当然の事と考えています。
 その分私が忙しくなり、作付の面積、種類を少なくしなければならないと思っていますが、実行している点もありますが、つい以前と変わらぬ作付をしてしまいます。『健康だからと、無理をせぬように』これからの私の課題です。

 台風15号で20日は一日雨、21日は昼過ぎまで雨でしたから身体は充分休まっていました。4時過ぎには晴れ間が出て・・・。名古屋では、庄内川・天白川が洪水で堤防を乗り越えて市街に流入、水が溢れて大きな被害が出ていることが頭にあり・・・。『ちょっと、木曽川の水を見てくる!』といった感じで出かけて、この投稿になりました。   

 車で、4~5分で木曽川に着きます。「ちょっと、水を見てくる」感じでいきましたが、結果は1時間余をかけて、木曽川の堤を一回りして、6本ある木曽川の橋と夕暮れの風景を写真に撮ってきました。水量は、中洲が水没して、背丈の高い草木が顔を出している感じで、水は茶色く濁っていましたが洪水で危険水位という事は全く感じませんでした。

     木曽川は、この地点で流れが二つに分れて川島町(集落)を囲むように流れています。写真上の流れが木曽川本流で、下の緑ぽい流れが南派川です。南派川は普段はわずかの水しか流されておりません。この川島集落は、長さ約5.5キロ、幅は最大所で1,2キロで、戸数約3,000戸、人口10,000余です。①~⑥は木曽川に架かった橋を指しています。(右手が上流)

 

 1番の平成川島橋で、1996年(平成8年)完成、全長371メートルです。美しい夕焼けで橋が黄金色に輝いていました。

 

  2番の川島大橋で、1962年(昭和37年)完成、全長344メートルです。 

 

 3番の各務原大橋(仮名)です。普段から、此処だけは車で河川敷まで降りられます。17時06分撮影ですが、私と同じような考えの人がもう来ていました。釣りを始める人がいるくらい流れは穏やかでした。         

 4番の「おもいやり橋」です。 2006年(平成18年)完成、全長280メートルです。この写真は、翌22日に撮りました。もう水色は青になっています。前日21日は茶色の水が手前の遊歩道に被っていました。
 1921年(大正末期)ここに木製の橋が架けられてから、洪水によって橋が流されて、2回橋が架けられましたが規模が小さく、自動車時代になって橋の中央に待避所がつくられましたが、トラブルが絶えず通称「喧嘩橋」と言われていました。が、
2006年2車線の橋が完成して「思いやり橋」と名つけられたようです。

  
  5番の河田橋で、1958年(昭和33年)完成、全長260メートルです。此処も昔は木製の橋が架かっていました。         
 
 6番の渡橋で、1964年(昭和39年)完成、全長258メートルです。この南派川は普段は「歩いて渡れるほど?」の水しか、流されておりませんから、やはり水は出ていますが、緩やかに流れている感じでした。
 この川島に6本の立派な橋が架かっているこは”素晴らしい”と思いますが、日本は”豊かすぎる”とも感じます。それにしても、素晴らしい夕日でした。

 

台風一過の木曽川