10月後半の2週間は京都の娘の所に退避していた訳ですが、私達はもっぱら部屋の中で過ごすことが多く・・・、私が外の庭の手入れで4日ほど(2~3時間の作業)をした程度でした。二人とも90代に入っている訳で転ばない・風邪を引かないが最優先の生活でした。
帰る1日前の30日、娘達の休日と好天気に恵まれて・・・奈良興福寺の参拝に連れて行ってもらいました。「要支援2」の女房が行ってみたいという気持ちもあって実現した訳ですが、結果は広い境内を歩くと足が痛くて駄目という事で・・・娘たちはもう来たことがあるという事で・・・おおかた腰を下ろしては休む状態で、私一人が散策してくるという結果になってしまいました。
実は興福寺は、数年前「仏像阿修羅」が話題になっていた時期で・・・私一人で来ています。その時参詣者多かった事と、広い境内の中に寺院が点在するという印象で・・・確か投稿しています。中金堂も仮堂で近く再建されることをそのとき知り、そして中金堂は2018年10月再建落慶したことをテレビでしりました。一度来たかった訳です。
興福寺は、飛鳥時代和銅3年(710)創建とさる藤原家所縁の古い寺と云えます。創建以来、度々火災に見舞われ、その都度再建を繰り返してきました。2018年に再建された中金堂は兵火や落雷により七度焼失しています。中でも治承4年(1180年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡の南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しました。 現存の興福寺の建物は全てこの火災以後のものです。
江戸時代の享保2年(1717年)の火災の時は、時代背景の変化もあって大規模な復興はなされず、この時に焼けた西金堂、講堂、南大門などはいまだ再建されていません。慶応4年(1868年)に出された神仏分離令は、興福寺も廃仏毀釈を引き起こし、一時は廃寺同然となり境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった歴史があるようです。
おそらく京都・奈良の社寺の散策もこれが最後になるとの想いで写真を撮ってきました。数年前の事をおもうとアジア系でない外国の人が多く、しかも家族で・・・が目に留まりました。