2月もあと一週間いや5日を残すのみになりました。一昨日と昨日は(21日と22日)4月後半を思はせる、気温20℃を超える春日でした。がその1日前の19日には、最低気温がマイナスで外の水道の蛇口が凍ており、暖かい日と寒い日が交互にやってくるようになりました。その暖かい日を選んで畑の草取り、収穫あとの整理をしてきました。秋には畑一杯だった野菜も大半の野菜は収穫を終え、畑の3分に2は空畑になっています。収穫した野菜の今季の特徴は、孫達数カ所に二回り、所によっては3回送った事です。それが出来た健康がありがたいと思っています。
その21日22日の2日をかけて空いた畑をきれいに耕うんしました。(写真下)3月に入ると種まきが始まりますから・・・。ちょっと疲れましたが、無理をしないで早めにきりあげました。そして感じたことは、自分の足で歩ける余生を送るには、畑は労働という面があります。しかし精神的な喜びが2面も3面ありますから、オーキング(運動)とバランスを取ることが課題のようです。
金盞花がボツボツ咲き始めました。
カリフラワーは終わって、側枝がでるブロッコリーを収穫しています。
つまみ菜です。野菜が少なくなるこの時期に採れるよう毎年作ります。1~2日置きに収穫できます。
早朝に歩き始めて2日目の23日の出来事です。雪が降ったり凍てついた真冬は、日中の都合の良い時間に歩いていましたが、畑に出るようになって、以前の日程に戻した訳です。我が家を中心に、大半を広い道路についた歩道で一週約1,7キロぐらいを歩く訳です。5時起床明るくなりかけた6時10分ごろ歩きはじめて、我が家に200mたらずの処で一人のお年寄りとすり替わりました。
歩く時には、どんな人と出会っても黙って頭を下げることにしていますが、その人とは目線が合いました。そして一歩近づかれて「いちのみやはどちらですか?」・・・と、一瞬戸惑いましたが、先ず”この人は帰るところが解らない人”と判断しました。普段家の中で過ごす服装(上衣が無い)そして足元がスリッパだったからです。我が家が歩いて2~3分の処でしたから家へさそいました。体の向きを変えようと腕を掴んだら「寒い」と一言、一瞬私の上着を着てもらおうか?と思いましたが、近いから辛抱してもらい・・・但し歩く時間は倍以上かかったと思います。家に着いたら先ず腰を下ろして、畑用の防寒着を着てもらいました。お嫁さんが起きていましたから、息子に言って対処してもらい、お嫁さんが暖かいお茶とバナナをだしました。パトカーも案外早くきてくれました。
若い者に任して早々に私は引っ込みましたが、この朝は、気温が4~5℃暖かい朝でした。それでも風速3~4mあって頬や耳は冷たかったです。上衣のない普段着で、足にはにはスリッパの服装では、家を出られたのは前日の午後?とすると、一晩じゅう歩いてみえた顔色ではなかった?など想像しました。然し他人ごとではないと思っています。その人は83歳、私の老の道に何がおきてくるかな?そう覚悟しています。