私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

八十路の変化

2014年10月31日 | 随想

 3日間雨模様の日になりました。今朝はどんより曇って雨は降ってはいませんが、予報では午後から雨だと言っています。昨日は一日中確り雨が降りましたから、朝早くから畑に出る訳にもいかず、漠然とパソコンの前に座りました。
 撮ってあった写真を引っ張りだして、気ままに書いてみようと考えました。

            
 柿が不作なのは前にちょっとふれましたが、今年は「富士柿」15個だけ収穫できました。実は、ここには柿の木が7本あって、隣接した林の木を伐採するときに、一緒に5本切ってしまいました。残った2本の「富士と冨有」は、管理を怠って殆ど落果した訳です。数が少なかった分果実が大きくなりました。(300~400g)
 昨年までは、量が多くて渋柿は「焼酎」で渋を抜いていましたが、自然に熟するのを待って二人で戴いています。5本の柿の木を切った理由ですが、先ず2-3m高い所に登って柿を採ることが危険だと感ずるようになったこと、採れた柿をさばく苦労を感じるようになったことです。歳です・・・・。

            
           大根や蕪も収穫出来るようになりました。そう言えば”長芋”も収穫しました。

 今畑にある野菜の種類を数えてみたら13種類ほどあり、今食卓に上がっている野菜は6種類ほどです。が、結構豊富にあり、食べきれない感じです。勿論子供たちの所えも送ってはいますが、来年の作る量(面積)など、頭に描きながら畑を廻っています。
 必要量の収穫だけの一番気楽な時期が来年3月まで続きます。いや”うっかり”していました。里芋とさつま芋とジャガイモの、ちょっと”きつい”芋掘りがありますが、12月半ばまでに、今年は一人で”ぼつぼつ”やっていきます。
 
 「ブログを始めて7年と2ヶ月になりました。なんか、こんな状態で90歳までいけるのではないか,そう思うようになりました。」と初頭に書いていますが、思はぬ”女房の介護”が入ってきましたが、家事と、野菜作りと、パソコンをやりながら、とりあえず90歳までいこうと思っています。(まだ介護と云えるか、疑問ですが?)

 当然ですが、畑の面積も、行動範囲も縮小しています。淋しいですが、歳を含めて環境が変わってきた訳で素直に従いたいと考えています。

  


病院&出会い

2014年10月28日 | 

 9月1日女房が「足が痛くて歩けない」と訴えてから、2ケ月になろうとしています。その間8回ほど、診察やレントゲン検査で病院へ通いました。が、足の痛みは、薬で和らげている程度で、本人も「手術をしてでも・・・」と、途中から言い始めました。
 その由をお医者さんに話をして、「それでは、手術に耐えうる身体かどうか調べましょう・・・」という事になりました。

 その結果が、10月23日の診察の日に言い渡されました。「身体の内臓のほうは問題ありません。ただ脊椎の一部が骨折しており、手術が危険と思われます」(MRIの写真を見せて・・・)「自分で出来る皮下注射で、先ず骨を丈夫にしてからにしましょう・・・」 「その期間は、2ヵ月から3ヵ月掛かります。本人は辛いでしょうけれど、辛抱してください・・・」でした。
 本人、息子を含めて了承、、11月6日の診察を予約してきました。

 かかっているのは、病床数は678床。血液病センター(46床)、循環器病センター(50床)、こども医療センター(63床)の三つの高機能センターと、救命救急病棟(30床)を有する、尾張北部の拠点病院です。

 初め2回ほど私だけでしたが、嫁、息子達の送迎を含めた付き添をしてくれるようになって助かっています。その分私に余裕があって”目配り?” ”観察?”出来るようになり、特に老後の”病院世情”を感じるようになりました。

 先ず感ずることは地域の拠点病院だけに必ず知った人に会うという事です。そのすべての人が、私のような付き添い人でなく、本人がお医者さんにかかつてみえる人だと云うことで、しかも皆さん私よりも数年から十年以上年下の人でした。お会いするのも、数年から20~30年ぶりの人達が居て、病院が久しぶりの出会いの場になった状態で内心苦笑した次第です。特に複数の人が「娘が迎えにきてくれるのを待っている」と言われて・・・お互いに歳を重ねた年齢を自覚しました。自分が元気でいることが”ありがたい”と思っています。

 上記は、病院の一般的な待合室かホールでの出会いですが、整形外科診察室前の出会いでこんなことがありました。診察室が5部屋あって待ち人(患者と付き添い人)が4~50人と云った感じですが、何時も皆さん無口で静かと云った印象です。この日は偶然ですが、車椅子を押した女性の横に座ることになりました。
 しばらく静寂が続いて思い切って声をかけました。すると気軽に返事を頂き、途中から車椅子のご主人も話に加わって・・・長い時間ではないですが(10分余)話が弾みました、小さな声で・・・。
 ● お父さんが、一ヶ月前ですが足が痛くって歩けなくなりました。
 ● 今のところ、原因が解らなくて今日もこれから検査があります。
 ● 今は、痛み止めを使っていますと・・・笑顔、見た目は元気そう・・・。
 ● 年金を貰える歳になって(65歳?)、こんなことになつて・・・、私も(奥さん)足腰が悪いんですよ!。
 ● 聞くと、「お酒が好きなんです」でした。
 勿論女房の容態もはなしましたが、要約するとこんな状態で、若いのに大変・・・の思いを持ちました。

 今一つは、MRIの廊下での待ち時間の時でした。数メートル先をベットに横たわった人がほんの1~2秒通り過ぎました。「あー〇〇さん!」 すぐ立ち上がって行ってみると、本人はすでにMRI室へ、奥さんが僅かに遅れてみえました。(私の娘と同年代で1年ほど前から親しく話をするようになった)廊下で腰を下ろして話を聞きました。
 ● 朝畑仕事をして、汗をかいたのでシャワーを浴びて出てきたら、突然記憶喪失?のような状態になった。
 ● 相談をして、「病院で見てもらった方が良い」と云う事になって救急車で来たと・・・。
 ● 診察の結果、
MRIで調べる事になった。
 ● 「年金を貰える歳になって・・・」と奥さん・・・、とすると私よりも約20歳下・・・。
 ● 聞くと、娘が心配するほどお酒が好きなようです。

 全く偶然ですが、二つの事例に出会う事になりました。今の医学では、必ず原因を突き止めて回復されると思いますが、以後摂生に努めて自立できる老後を送っていただきたいと願っています。余生は、まだ20年ありますよ!!

 

 

 

 

 


10月の畑 (秋の装い)

2014年10月24日 | 野菜つくり

 今日24日は、久しぶりの快晴に恵まれました。朝から雲一つ無い天気です。前々から朝食は7時頃で、朝のドラマを見ながら1時間ほどかけます。最近は私の家事が増えて、畑に出るのも9時前後になりますが、今朝は早々と出かけました。

 台風やその後の雨の日が続いて作業が少しおろそかになっていたからです。今朝は冷え込みもなく寒さを感ぜず、朝日で心地よく暖かさを感じ、秋本番を思わしてくれました。だから、午前中殆ど休むことなく動いて予定の作業を済ますことが出来、作業中”じんわり”と心地よい汗をかいていました。

        
  先ず4本残っていたトンネルを外す事から始めました。最大8本あったトンネルも全て外して畑が朝陽で緑が映えていました。カンレーシャ(布)は露で濡れていましたから干しました。(畑の全容そのⅠ)

         
   大根とキャベツ(畑の全容その2)

        
   第3回蒔きのほうれん草で、この他に小松菜・チンゲン菜があります。(畑の全容その3)

        
   白菜と葱など(畑の全容その4)

        
 この秋最後の種まき、小松菜・豌豆(絹莢・スナック)つまみ菜を蒔きましました。これで、畑にある野菜で来年3月までの野菜は確保できる予定です。(畑の全容その5)
   

         
   ミカンもこんなに色ずいてきました。

 

 
 女房が担当していた花類(主に菊が咲き始めて、ミカンと共に畑に色を添えてくれます。

 秋本番、一年で一番過ごしやすい季節になり、畑も一番美しく華やかになってきました。

 


こんな一面も (食事を作る)

2014年10月19日 | 随想

 9月に女房が「脊椎管狭窄」で歩くことが不自由になってから約二ヶ月経ちました。その経過は、手術を前提とした各種検査を済まして、23日に結果診察を受けることになっています。
 この二ヶ月の女房の生活は、痛み止めなど3種類の薬を呑んで、(痛み止めの座薬は、痛い時だけ使用)普通の生活(6時半起床・夜10時就寝)但し、今迄していた一般的な家事を離れて、身のまわりや家の外まわりの軽い仕事を気ままにしている程度でした。どうも腰かけている時、横になっていると時は痛みは感じないようで、立ったり起き上がるさいが痛くて苦しいようです。それに、少し長い時間を立っていることが辛いようです。

 その、起き上がるさいの違和感は、”健康”を自認している私でも、最近つくづく感じるようになりました。具体的には、立ち上がるさいに何かに掴まって「どっこいしょ!」と云った感じで、歩きはじめる最初は、「よたよた」が数歩いや十数歩続いてから正常に歩ける状態です。淋しいですが老だと考えています。その老体に鞭打って?、今迄女房がしていた家事を私がこなしています。

 掃除・洗濯は二日に一回を基本にしています。食事は、いろいろ試して結果夕食の副食(おかず)は、若い者が作ってもらう事にしました。ご飯は、早々と電気釜で炊くことを覚えました。まあ簡単ですが炊飯を予約にしますから、予約の時間が10分刻みになっており、不都合を感じています。(30分刻みでいいんじゃないかな!メーカーさん)
 朝の味噌汁、昼は畑から帰るのが遅いと女房が作ることがありますが、原則私がこなしています。
 二人の内どちらか元気なうちは、自分たちのことは、自分でやる!、食事は豪華でなくても栄養のバランスは考える!、野菜は豊富に取り入れるようにしています。自家菜園から・・・・。

 女房は、所謂「据え膳」ですが「お父さんを面倒見て送り出すつもりでいたが、反対になっちゃつた!」 「お父さんは、今度は料理人になるといい!」と呟きながら・・・「ご馳走さま!」と言っています。
 私も初めてにしては、うまくこなしていると自負していますが、まだ二ヶ月?・・・一年も二年も続いたらどうしょう・・・正直考える事もあります。その時は、その時で考えます。

 畑の野菜だけを料理?した時は、カメラにおさめています。

              
                   山東菜です。味噌汁の具にしますが、お浸しにして沢山戴いています。

              
          里芋です。女房に炊き方を教えてもらって、自分で初めて煮ました。芋の切り方が雑で細かすぎる
         感じですが、味は良いとの感想です。

              
          蕪を間引き収穫しました。漬け方を教えてもらって、昨日夕方漬けました。塩だけの浅漬けですが、
         これを「浅漬けの素」で漬けなおしたら・・・いいな!と思っています。「茎と葉っぱをもう少し小さく切っ
         た方がいい」と提言がありました。同感で口に入れてみてそう思いました。計ってみると4cmでしたか
         ら今度は1cm短くするか?いや2.5㎝ぐらいに切ろうと考えました。        

         62年も世話になりましたから、しばらくは頑張ります。勉強しながら・・・。

      

 

 

 

 

 

 

 

 


台風19号一過の畑

2014年10月14日 | 野菜つくり

 台風19号を迎えるにあたっては、11日投稿のブログでも書きましたが、ちょっと心構えが違っていました。「何時も、幸運に恵まれる訳がない!!」の80%の根拠も、12日になると台風の進路もほぼ確定してきて、直撃を受ける確立が高くなってきました。トンネルが風で飛ばないようにと、蒔いた種が雨で洗い出されないようにと対策し、あとは「運を天にまかせる」気持ちでした。

 昨日13日は、朝から小雨になり、降ったり止んだりの一日になりました。ニュースが伝える激しい雨や風は、「いずれ私の所にも来るはず!」と思いながら、台風の進路だけは確認していました。その進路ですが、予報と予想どおり、「九州に上陸して太平洋側の陸上を一直線に関東に向かう・・・」ことを確実視ししていました。とすると、私が住んでる尾張北部の真上を通るわけで、こんなコースは初めて体験する事になるわけです。

 それにしても、テレビニュースの各所の報道をきいていると、私の所はあまりにも静かです、時々窓を開け外の気配を見ていましたが、夜10時ごろ「台風が大阪に上陸・・・」を聞いて「深夜になるなー」と思いながら眠りについてしまいました。
 深夜1時トイレにおきましたが、窓越しに外の気配をうかがうと全くの静寂・・・? 3時半ごろ浅い眠りの中で、風の音を感じていました。

      
 左)13日朝5時の進路予想図です。          右)14日9時の19号の進路経過図です。

 朝6時明るくなってくると、庭のコンクリートは白く乾いていました。庭の木の葉っぱ一枚も落ちていません。風速30mにしては、あまりにも外は綺麗・・・写真右では、台風は岐阜県側へ進路を変えています。(丸印)「台風は北側を通る方が被害が大きい!」概念でしたが、予想していた被害がなくて「こんな事もあるもんだ!」の思いでした。畑の方の被害はどんなだろうと、食事を済ますと早速でかけました。
 
朝日が眩しいほど畑に降りそそいで居ました。結果は被害ゼロと言っていいほどで・・・、安堵して写真を撮ってきました。   

                  
          対策しなかった白菜もほとんど無傷・・・良かった!!。

                 
         トンネルの網も以前どおり平常でした。風速30mは、ここでは吹いていないと思います。

                  
          トンネルの中のサニーレタスで、台風一過新鮮さに見とれました。

                  
          二回目蒔きの山東菜と大根です。大きく伸びた感じです。

    ある程度の被害は覚悟していましたが、今回も幸運に恵まれました。ありがたいと思っています。


10月の畑 (台風19号対策)

2014年10月11日 | 野菜つくり

 台風18号より一週間遅れて発生した19号については、私は”本能的に警戒心”をもっていました。 

 その根拠ですが、「何時も台風のコースが、日本海側か太平洋側に外れてくれる幸運に恵まれる訳がない!」と云う多分に心情的な思いが80パーセント、論理的根拠は、19号が18号より西側の太平洋上を北上してきて、18号は大東島あたりで北東に向きを変えたのに対して、19号は奄美諸島あたりで北東に向きを変えるのが、20パーセントの思いです。

 右の写真は、今日12日朝7時の19号の進路予想図です。

 予想コースの中心が、本土の太平洋側の陸上を関東へ貫いている感じで、先ずまともに来ると考えていいと判断しました。私の場合、30歳の時55年前の伊勢湾台風を経験しており、当時は明治時代に建てた家でしたが、地震、台風に強い家になっており、先ず心配ないと考え、畑の方の対策をやろうと考えました。

 

 朝7時のニュースを聞いて、曇り空ですが雨が降らない内に対策をしておこうと9時に畑にでかけました。        

            
       8本あった畑のトンネルも現状3本に減りました。(野菜が大きくなるにつけ網を外した)
      とりあえず、洗濯はさみで留めました。(普段は、一本おき・・・)

 

              
        野菜と花の種を5種類ほどまきました。最初は台風後に蒔こうと考えましたが、
       3日か4日遅れると、寒さに向かうこの時期、発芽や生育がかなり遅れるからと蒔いておきました。
       白い布は、どしゃ降りの雨対策で、石は布が風で飛ばないように・・・です。

              
       本来は、女房担当の花ですが・・・・、私が初めて蒔きました。丁寧に?しかし心配です。

                
        白菜です。大きすぎて対策に思案しましたが諦めました。
           この他に、長芋の支柱が倒れないように頑丈な支えをしました。 

  
 ほうれん草と小松菜です。明日の朝の自家用としては初めて収穫しました。
 

 19号は、明日13日午後になるとコースがはっきりすると思います。コースが最悪の場合は、又考えます大事な野菜ですから・・・。


10月の畑 (台風一過)

2014年10月07日 | Weblog

台風18号は、6日未明にかけて太平洋岸を北東に進むコースが確定していました。私の所には、一番被害が少ないコースで5日夜は安心して眠りにつきました。深夜も夢うつつの中で「雨も降っていないんだー」と2回ほど意識し、朝方になると(4時ごろ?)雨どいの微かな音を聞いた感じですが、目が覚める事はありませんでした。

 4時40分起床、まだ外は真っ暗ですが、窓を開け聞き耳をたて、明かりが僅かに届く範囲を見つめると、雨は降っていないようで、ただし地面や葉っぱは湿っている感じです。5時半薄明るくなつて来ると「地面は湿っていて、水溜りがあり、僅かに雨が降っている」ようです。風は微風と云った感じでした。結果18号は浜松に上陸、静岡と横浜に大きな被害をもたらしました。

 私は9時に知り合いと約束があり、最初は状況から車で出かけようと思っていましたが、空模様から自転車にして、しかし念のため傘を持って・・・・・。 話が弾み12時前、ご無礼して外に出てみると「晴天の霹靂!まさに台風一過の青空」になっていました。午後から畑を一回り・・・、被害は皆無で・・・、翌7日の作業予定を描いていました。

 翌7日は、朝から畑に出ました。秋の日差しが畑に燦々とふりそそいでいました。

             
       ミカンがほのかに色ずいてきました。出来栄えは”普通作”と云ったところです。

             
       ”富士柿”こんなに色ずいていましたが不作です。例年30~40個なりますが、今年は十数個・・・?。
      甘柿に至っては、全くの不作です。

             
       ジャガイモは、5Kの種芋を植えました。2ヶ所欠株がでていますが想定内です。茎葉がおおきくなっ
      ていて急遽土寄せをしながら、茎は2本立てにしました。

  
女房の要望で、進物用にサツマイモと里芋を十数キロずつ掘りました。写真の右側は「切り干し藷」で,
一昨年から作り始めてようやく上手になりました。茹でて天日干しにすると美味くて、特に孫たちに人気です。

  
この時期になりますと、屋敷にも畑の小屋や果樹の間に「女郎蜘蛛」が一杯巣をはります。歩くと巣が顔に当たりますが、そっとしておくと、翌朝には巣は修復されています。毎年のようにカメラを向けます。

 大型の台風19号が週末には西日本に近づいてくるようです。上陸して日本海を進む予想ですが、この台風は眼を離せ無い感じがします。


10月の畑 (トンネルの中)

2014年10月03日 | 野菜つくり

 9月27日(土)11時52分御嶽山が噴火しました。噴火の予知が出来ず、登山者は全く無警戒で登山し災害にあわれた訳です。紅葉シーズンで土曜日、しかも正午と云う条件が重なって多くの犠牲者が出ました。心からご冥福をお祈りいたします。

 私の住んでいる所は濃尾平野北部で、子供の頃から特に冬は西に伊吹山(鈴鹿山系)東に御嶽山が白雪をいただいて輝く風景を見て育ちました。当時は御嶽は「死火山」と教えられていました。
 ところが、1968年(昭和43年)から活発な噴気活動を始め、昭和54年(1979)10月28日に噴火(水蒸気爆発)約1,000 mの高さまで噴煙を噴出しました。以来私は、御嶽が活火山である事を頭においていました。が、ブログを投稿するようになってからは、その対象としてカメラを向ける事が多くなっていました。

 畑の方は、原則午前中出るようににしています。そして秋の”葉物野菜”が大きくなってきて、且つ収穫できるようになりました。 

           
     チンゲン菜と山東菜です。山東菜は10日ぐらい前から頂いており、チンゲン菜は今日初めての収穫です。
     チンゲン菜の葉っぱに、虫食いが少し見えますが無農薬だからです。ぜんぜん気にせず頂きます。

           
    山東菜は、成長が早いですから早く消費する必要があります。お隣さんにさし上げていますが、「お浸し」に
   すると多く消費できます。白い茎のところを最初3分ほど茹でてから全体を5分ほど茹でます。
     そして、カツオしょうゆで・・・・     

           
           ほうれん草です。

           
           小松菜で両者とも収穫できるようです。

    
       トンネルの中をのぞくと・・・

     
    レタスとサニーレタスです。                白菜がこんなに大きくなりました。

     
     人参が本葉を出してきました。             第2回目蒔きの大根です。

     
    (左)このトンネルは、蕪、ほうれん草(2回目)蒔き、小松菜(1回目)蒔きです。
    (右)キャベツとブロッコリ―が各20株づつ植わっています。(もう青虫に要注意です)

 


コスモスを撮る

2014年10月02日 | 風景

 今年の秋は、昨年の事を思うと「置かれている身の境遇」が随分違っている事が身に沁みます。  

 9月1日に女房が「脊椎管狭窄」で自由に歩くことが出来なくなったことです。病院で座薬をいただいて一日一回使用すると、痛みは和らぐようで、寝たきりではなく、自分の身の周りや家の周囲の軽い仕事は気分次第で行っていましたが、抜本的な対策ではなく、手術を前提とした生理検査を受けることに決めました。
 そのために、10月1日そして今日2日は連続通院で、息子や嫁が一緒に病院に行ってくれることになりました。  

 その朝の早い時間を選んで、近所のコスモスを撮りに行ってきました。
9月も下旬になると、道端のコスモスが目に留まっていましたが、去年と同じ場所のコスモスを選びました。
 広い場所ではありませんが、何処よりも花の種類に変化があるのに惹かされました。

 私達も80代半ばを過ぎてしまい、共に健康でありたいと願っても・・・老いには勝てない年代になったことを知らされました。いずれ女房の痛みは、和らげられると思いますが、「自分の事は自分でできる・・・」余生を長く続けたいと念願しています。

 コスモスが、心を和らげてくれます。

コスモスを撮る