私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

長芋を掘る

2012年11月28日 | 野菜つくり

 11月も下旬になって里芋を掘り、サツマイモを掘り、ジャガイモを掘って気が付きました。
 
 畑の隅に長芋が作ってあることを思いだしたわけです。全く”うかつ”というか”無責任”というか、自身呆れています。が それなりに理由があります。

 4年ほど前までは、種イモを一箱(100~120本入り)を作っていました。しかし長芋は、『折れやすくて、掘るのに大変・・』『自家用はごく僅かで進物用・・・』 『日常の食材に必要度が薄い・・・』などなどの理由により、70本、50本と減らして、今年は30本を畑の隅に植えて普段の管理はしてありました。

 女房の一言で思い出して、雨上がりの27日は、北風の強よい寒い日でしたが午後から”長芋掘り”に出かけました。 他の野菜に力を入れて”ほってあった”感じの長芋でしたが、掘り始めてみると”良い芋”が出てきて”苦労が楽しみ”に変わり10本を掘りました
 
女房も畑にやってきました。「こんなに出来が良かったら、もっと作るだった」???、すべて私が掘らねばならないのに・・・』
 
あとは、2回に分けて12月中には掘り終えます。 早速”とろろ汁”を作ってくれました。

 

28日は残っていたジャガイモを掘り終えました。

       
 今回は、欠株がほとんど無くて予想収量を100キロを130キロに変更します。(計量して・・・)出来が良いと、苦労したことも吹っ飛び・・・畑の紅葉も美しくなってきました。


紅葉がり・・・が?

2012年11月25日 | 野菜つくり

 23日(勤労感謝の日)から始まった三連休は、初日は朝10時ごろまで雨、二日目は午前中曇りで午後から少し晴れ間がでる天気でしたが、25日は、5時起床朝から雲一つない天気になりました。
 前二日が曇りがちで部屋にいることが多かっただけに『今日はどう過ごそうー』と迷っていました。例年”犬山・寂光院の紅葉”をこの11月に見に行っていました。ただし、土日と祭日は避けていましたから迷った訳です。 結論は、『人より早く行けばいいだろうー』と考え・・・暗いうち出るのは考えもので(年を考えて)日の出をまって行くことにしました。

 目的地まで車で20分余7時に家を出ました。車は畑の方に置いてあり、畑の野菜が霜で真っ白になっており、今季最高の冷えこみの朝でした。 

      
     車に乗る前に撮ったサニーレタスです。

 寂光院の山麓に着いてみて”ビックリ”しました。完備はしていませんが、駐車場は(道路を含めて)一杯でした。『暗いうちに出なければ?いや、暗いうちに着かなければ??』と思い『いや、歳を考えたら、連休に出てくるのが不届き千万??』と反省しながら迷わず帰りました。『予定より早いが、ジャガイモを掘ろうー』と思いながら・・・

      

      
     庭と畑の紅葉を撮ってから、ジャガイモ掘りにかかりました。

      
  今秋は、種イモを7キロ植えましたが、約一割種イモが腐り、写真でも欠株の所が空いて見えます。ただ収穫した株については平年並みの収量です。今日は作付の半分を掘り、全収量は100キロを予測しています。

 ”紅葉狩り”がジャガイモ掘りになってしまいましたが、陽気を含めて平穏な日になりました。明日は全国的に雨になるようですが、雨が近いこの頃です。(北国は雪・・・)
 29日(木)に仲間と、滋賀県の「永源寺」と、岐阜県の「行基寺」に行ってきます。

 


 サツマイモ掘り

2012年11月22日 | 野菜つくり

 予定通り今日(22日)サツマイモを掘り終えました。
 午前中は曇りで、午後からは晴れの予報どおりの一日でした。

 朝出かけるとき「今日は、一人でするから手伝いはいい・・・」と言い置いて・・・。
 今年は、例年より2割ほど作付を少なくしていたこと、(約250本)それに、9月より早掘りで二畝ほど掘り終えて、少なくなっていたことで一人で充分の算段があったからです。(芋穴は、前もって掘ってあり、芋蔓は前日に切って置きました)

 早掘りの経験から”芋の出来が悪い”が予想されていましたが、案の定大きな芋は少なくスタイルの良い芋が並びました。
 その原因ですが、7月中旬から下旬にかけて3週風邪で体を壊していたことで、余力を夏の果菜類に注いで、サツマイモは何時もの管理をしなかったからです。まあ、自家用には充分ですが、「ごめんね!」の思いです。

 休憩には、畑のミカンを食べて(寒くなって甘くなってきました) 掘り終わるに、二時間は掛かりませんでした。気温は10℃ちょっと・・・曇りでしたが”心地よい汗”が出てきました。

 午後からは、晴れ間が出て暖かくなり、小さめな芋を一袋よけて、芋穴に貯蔵しました。これで”ジャガイモ”を残すだけになりました。


11月の畑 (里芋を掘る)

2012年11月20日 | 野菜つくり

 里芋をようやく掘り終えました。里芋は原産地が熱帯地方ですから寒さに弱く、早めに収穫する事が必要で、今畑にあるサツマイモにも言える事です。例年11月も半ば近くなるとイモ類は”何時頃掘ろうか?”と思案するようになります。天候も大きな要点で、雨の日の翌日などは避け晴天が続いた暖かい日を選び、午前中に掘ってある程度乾燥させて午後に収納すようにしてきました。
 
 先週は(11日~17日)案外雨の日が多く、特に17日(土)は、大降りではなかったですが、一日中雨でした。18日(日)は朝から”晴れ時々曇り”でしたが、北風が強く寒く感ずる一日で部屋で過ごしてしまいました。

 当日19日は、朝から雲一つない晴天になりました。しかし、その分今季初めての冷え込みで寒く感ずる朝でしたが”迷いながら、意を決して・・・”9時ごろ畑に出かけました。女房の「芋の片付けに、午後から手伝うから・・・」の声に押されて・・・、畑に着いてみたら”初霜”でサツマイモの葉っぱが黒く焼けていました。
 イモを掘り始めて30分もすると汗ばむようになり、3回ほど休んんで昼前に掘り終えることが出来ました。

     
 今年は豊作で、当場の食用はとって置いて芋穴に貯蔵します。その為には、芋の株に着いた土を竹ヘラである程度落とします。これが大変で手伝ってもらう訳です。二人で頑張って夕方には終わらせることが出来ました。一人ですると、ゆうに2~3日かかところところでした。
     
       
 雨などで、三日ぶりの畑に来てみると畑の廻りが”色づいて”居るのが目につきました。真夏に良く涼んだトンネルのある道です。

     
    今年の柿は全くの不作ですが、美しい紅葉を見せてくれました。

     

     
 ミカンと柚子は、例年どおり色づいてくれました。明日サツマイモを掘ります。ジャガイモは、月末か12月になるかもしれません。

 畑の廻りは、これから秋本番と云ったところですが、秋の景色は日ごと変わっていき、あと10日もすると師走ですね。


菅原伏見東稜に再会

2012年11月15日 | 旅行

 今回の『百舌鳥・古市古墳群を訪ねて』で、第11代垂仁天皇・14代仲哀天皇・15代応神天皇・16代仁徳天皇・17代履中天皇・18代反正天皇と6人の天皇陵を廻った事になります。古代の古事記・日本書紀の時代になる訳ですが、1.500年余前の時代を歩いている感覚は全くありませんでした。
 
 ただ、弥生時代後半から古墳時代にかけて大陸との交易で、文化・技術・人材(移民・帰化)を取り入れて、仁徳陵に代表される広大な前方後円古墳があり、銅・鉄製の出土品があることを感じていました。

 私が、60余年前車窓から眺めた”前方後円古墳”は百舌鳥・古市では出会うことはありませんでした。が 古市古墳群で案内地図が解り辛くて「宮内庁古市陵墓監区事務所」を尋ねた時の若い職員さんの一言でした。『貴方のさがして見える古墳は、〇〇線の・・・?』 その時は、古墳めぐりの道順を聞くだけで気にも止めませんでした。が、最後の5日目(10月29日)は朝から帰るだけの予定で・・・、例年だと奈良か京都の社寺を一社ぐらい廻って帰るのですが、その元気もなく・・・しかし、心残りで・・・『貴方のさがして見える古墳は、〇〇線の・・・』を思い出して電話をしてみました。
 「貴方に対応した職員は今日休みをとっています。一度連絡を取って又連絡をします」・・・直ぐ返事がありました。それは、”垂仁天皇陵”で電車の窓から見える古墳と思われます。近鉄橿原線”尼ガ辻駅”で降りて直ぐ近くにあります」でした。
 奈良で、今居るところから近い!!バスと電車を乗り継いて”尼ガ辻”には約1時間で着きました。

     
   すぐ横を走る電車の窓からも、綺麗な墳形を見せています。 菅原伏見東陵 『宝来山古墳』です
  全長227mの前方後円墳で広い周濠が印象的な綺麗な古墳です。
  後円部径123m・高さ17.3m、前方部幅118m・高さ15.6m周濠を含めた全長は330mにもなります。
  (上の写真・文はインターネットから)

   駅を降りて西え少し歩くと三叉路に「垂仁天皇陵南え二丁」の石柱がたつていました。(約200m)家並みはすぐ途切れて田畑が広がり、緑の水を湛えた広い濠と緑の墳丘が見えてきました。

     

     

     

     
 濠周を歩きながら『この前方後円古墳に間違いない」』と確信しました。堺や古市と違って古墳の廻りに田園風景が広がっているのに安堵もし、本当に”来て良かった”と思いました。 

  
 歩いた道に『歴史の道』の石柱が立っていました。垂仁天皇陵から唐招堤寺そして薬師寺に通じていることを知りました。古墳から20分ほど歩いて近鉄橿原線の踏切を超えると覚えのある唐招堤寺が見えてきました。道を右にとると薬師寺があり、西の京駅があります。この二寺には、過去数回以上来ているのにバスや自家用車で、狭い歴史の道を通ることは無く、こんな近くにあったのに知らずに来たわけです。西ノ京には向かわずに近いバス停を選んで奈良え帰りました。疲れていたからです。
 
 JR奈良線の車中で、遅い昼食をとりながら”淡い感傷に”したっていました。昭和の初期に生まれて、あの戦中・戦後の厳しい環境のなかで、ほんの数秒ですが、車窓から見た前方後円古墳の美しさが脳裏にやきついていました。60余年過ぎて会いまみえることが出来た訳ですから・・・。
 最近特に意識することがあります。戦後生まれの人が老人の仲間入りされる年代になった事です。 『よくここまで、来たもんだ!!』が実感です。
 70歳半ばでパソコンを覚えて、現役時代には夢にも思えなかった老後を送っている思いです。

   


11月の畑

2012年11月10日 | 野菜つくり

 10月中頃に畑の事を投稿してから約四週間ぶりの「11月の畑」です。ですから、畑の野菜も見違えるほどに大きく育ってきました。第一回目に蒔いた葉物野菜”チンゲン菜・水菜・小松菜・ほうれん草”は採り終わって、二回目に手をつけています。だから、畑の所どころに空き地が目立つようになりました。

       
 

   
 蕪・大根も収穫最盛期です。

   
 人参で奥は白菜です。                 正月用の葉牡丹です。左奥は冬採り玉葱シャルムです。
                                 右は、四回目蒔きの葉物野菜です。

       
  今年は、夜盗虫など害虫が少ない感じで、白菜も上を縛ってやりました。 秋の野菜は、順調でいっぱい頂いています。

 


菊爛漫

2012年11月08日 | Weblog

  3週間ぶりにカメラを持って畑にでました。連れが、二日ほど前に「畑の菊が綺麗に咲いた!」と呟いたことが頭にあった事と、畑の近況を撮りたい思いもあったからです。勿論作業着に着替えて・・・と言ってもキャベツやブロッコリーの虫捕り、ごく一部の追肥、除草などで1時間ほどで終わりました。

 案の定、菊が本当綺麗に咲いていました。全てが”小菊”で順次咲いていく訳」ですが、一番花が開花したところで、菊の生涯で一番華やかで美しい時だと思いました。畑の方にもカメラ向けて、秋野菜の近況をお知らせしたいと思っています。

 これからの畑の仕事は主に収穫です。葉物野菜は順次必要量を採る訳ですが、サツマイモ、里芋、ジャガイモがあり、一度に収穫して貯蔵しなければなりません。11月中には終わらせますが”ちょっと大変”といった思いです。(一人でしますから) そう、玉葱を植えねばなりません。今年は「何本にしょうかなー??」

     

   

   

   

   

   

   

       

 菊は連れの担当ですが、パソコンに入れて”なぶっていると”満足気な様子~です。(推測で~す)


古市古墳群を訪ねて (2)

2012年11月07日 | 旅行

  百舌鳥古墳群を訪ねた日から一日置いて、27日(土)古市古墳群を訪ねました。
  

 加茂(京都)→天王寺→阿部野橋(近鉄)→古市駅と、迷うとことなく9時半頃着きました。が先入観で、百舌鳥古墳群めぐりと同じような観光案内が整っていると思い、楽な気持ちでかかりましたが、ちょっと勝手が違っていました。

 百舌鳥古墳群が堺市だけにあるのに対し、古市古墳群は藤井寺市と羽曳野市に跨っているため、観光案内に統一性がなくバラバラで貧弱であった事です。それに陵墓が標高24m以上の台地や丘陵にあり坂道が多くて苦労しました。
 もう一つ大きな違いは、百舌鳥の前方後円墳では古墳の廻りを周遊できる道が整備されていましたが、古市古墳群では、周遊道がない事を途中で知りましたが、最初のうちは戸惑いました。
  百舌鳥と同じ、約5時間弱をかけましたが、撮った写真をあとで見て、少なく解りづらいのに驚いています。            (応神天皇陵古墳で借用しました


                                         
    
 左の地図は、自転車を借りた時に頂いた案内図です。右は、応神天皇陵たもとにあった「宮内庁書陵部・古市陵墓監区事務所」で頂いたものですが、個人的に作ったもののようです。『土曜日で閉じていますが、御用の方はインタホンを押して下さい』の張り紙があり、左図が解りづらくて道を聞こうとした訳です。
 若い職員が二人出てみえて、親切におしえていただきました。が・・・・??

     
 全長110m前方部50mの前方後円古墳ですが、写真を撮った地点は道路に面しており”二つの小山が並んでいる”感じでした。銅鏡・鉄剣・鉄鉾・円筒埴輪・形象埴輪が出土しているそうで、此処は藤井寺市です。

     
 第15代天皇です。全長420m前方部330mの前方後円古墳で日本で2番目の大きさです。
 上記の大鳥塚古墳とは、道路を隔てて此処は羽曳野市です。

   
 仲哀天皇陵え行く道すがら、小さな古墳を見つけました。

     
 第14代天皇です。全長242m前方部182mの前方後円古墳です。幅50m以上の周濠が巡らされていますが、中世城砦として利用されて濠の変形が見られます。古市古墳群では4番目の大きさです。  
     
 応神天皇陵の倍塚とされて居ます。全長225m前方部153mかっては、二重の周濠を巡らせた前方後円古墳です。古市古墳群では5番目の大きさで、5基の倍塚があるところから大王又は高貴な人の陵と推測されています。

     
 墓山古墳の東に接してある、一辺が68m高さ10メートルの方墳です。応神陵の倍塚として宮内庁によって管理されています。

 前方後円古墳については、百舌鳥古墳群より古市古墳群の方が多い(100m以上の古墳9基対14基)ですが、前記した理由などによって多くを訪ねることが出来ませんでした。撮った写真も少なく、その写真を見ながら古市古墳めぐりの一日を振り返って見ても、はっきりとイメージできません。おそらく”迷い、夢うつつ”の状態で廻って居たのでしょう・・・・写真も”点”としてとらえ、百舌鳥古墳群のような全体像をとらえることは出来ませんでした。
 私が百舌鳥、古市の古墳群に関心を持った理由一つが、60年前の20歳ごろ友を訪ねて大阪堺え行った時、車窓から見た前方後円古墳の美しさ・・・が、脳裏に焼き付いていて・・・若しかして出会えるのではー?
 結局出会えることはありませんでした。しかし、耳よりな情報が古市で聞けたことが、何よりな収穫でした。それは、次稿で・・・

 


百舌鳥古墳群を訪ねて (1)

2012年11月04日 | 旅行

 念願の大阪堺市の百舌鳥古墳群と、大阪羽曳野市の古市古墳群え行ってきました。
 
 今年5月に仁徳天皇陵古墳を訪ねて、百舌鳥古墳群と古市古墳群があることしり、
是非訪ねてみたい、その時期は”暑い夏は避けて涼しい時期にしよう”と考えていました。

 秋の野菜の種蒔き、苗の植え付けをし、成長し始めた野菜に第一回の中耕・追肥も済ませました。三回位に分けて蒔く葉物野菜の種蒔きも終えて余裕が出てきました。週間天気予報で、4日間晴天が続く10月25日から4泊5日の予定をたてました。そして、25日は大阪堺市に9時ごろ到着を予定して早朝6時30分家を出ました。

 堺市は、市内観光を含めて環境が良く整備されている印象でした。今回は自転車での”古墳めぐり”が主眼でしたが、主要な駅や市内に自転車店があってすごく便利で、「さかい駅」には9時15頃到着、自転車を借りて40分頃には『百舌鳥古墳めぐり』に出発・・・・
 なお、百舌鳥古墳群は堺市中心部にあって、その行程は殆ど市街地を走る思いで、墓陵周辺は閑静な住宅街といった感じでした。 (写真は、訪問順にしています)

     
 第18代・反正天皇陵古墳で、全長148m前方部110mの前方後円墳です。百舌鳥古墳群では6番目の大きさです。

     
 第16代・仁徳天皇陵古墳で、全長486m前方部307m、三重の濠を巡らす日本最大の前方後円墳です。陪塚と思われる古墳は周囲に10基以上あり、今回は古墳の外周2.700m余を廻りました。
 (拝所に、たたずむ一人のご婦人が目にとまりカメラを向けました)

     
 第17代・履中天皇陵古墳で、全長365m前方部235m日本で3番目大きい前方後円墳です。濠の美しさが目に留まりました。

     
 墳丘は、全長146m前方部99m百舌鳥古墳群では7番目の前方後円墳です。昭和30年ころ(1955)宅地造成が始まり、市民運動により保全された経緯があり、墳丘の一部が破壊されて草林になってます。
 野生のタヌキが住みついて人気を集めている”異色”の古墳です。

     
 墳丘は、全長186m前方部119m百舌鳥古墳群では4番目の前方後円墳です。仁徳天皇后妃もしくは、すでに陵が定まっている応神天皇の初葬地として陵墓参考地に治定され,宮内庁による管理のもと現在に至っています。

     
 墳丘は、全長290m前方部は224m百舌鳥古墳群で3番目の前方後円墳です。全国でも8番目大きさを誇り、1番最初に掲げた「反正天皇陵古墳」の説もありましたが、現在は、天皇陵としての可能性があり”東百舌鳥陵墓参考地”に指定されている古墳です。

 百舌鳥古墳群で全長100m以上前方後円古墳9ヶ所の内、6ヶ所を廻りました。少し賢くなった思いです。
 「百舌鳥古墳めぐりガイド」を手に、慣れない市街地でしたから不安があると早めに聞くようにして、そして道順を聞いて、最後にどの方角かを聞くことによって、大過なく次の目的地に着くことが出来ました。イタスケ古墳では、道を教えていただいた親切なご夫婦が印象に残りました。ありがとうございました。