私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

ふるさとの歴史を勉強する会

2011年11月29日 | 随想

  11月26日「宮田神明会館」(愛知県江南市)において”故郷の歴史を勉強する会”が開かれました。その会に3人の講師が招かれました。
 その一人が市内和田町在住の倉橋氏です。(写真すぐ下)作家・イラストレーターで「壬申の乱と村国男依」を演
題で、今一人は、宮田地区後飛保町在住の大野氏(最後の写真に)で「白山信仰について」を・・・・3人で、2時間余を分けて話をしました。

 その2時間の内、一人の少女が”おくする事なく、しかし聴衆の皆さんには迷惑にならないよう気を配って、ポイントは確り選んで写真を撮る子が目に留まりました。「小学校高学年で、パソコンもでき、地域の出来事をリポートする、豆記者・・・」私は、勝手にそんなイメージを描いてカメラを向けて幾度かシャッターを押していました。数十人の高齢者の中でピカリと光る少女でした。此処では、その映像を一部使わしていただきました。

   

 遅れましたが、私も講師の一人に選ばれていました。初めは、お断りしていましたが主催者の勢いに圧された感じです。
 
 選ばれた根拠は、数年前に仲間(同志)と一緒に「ふるさと宮田の、神と仏とその祭り」を発刊していたのが理由のようでした。

 郷土歴史家の目に触れない、「庶民の信仰」を記録にとどめよう」の想いが原点でした。が最初に集まった同志は自家営業で70代の高齢者でした。
 その時期、流行始めていたパソコンに少し手は染めていましたが苦闘の連続でした。4年の歳月をかけ、後半元教師の先生方にも参加して戴き、B五版、一部カラー、183ページ本を完成させました。

 自慢できるには、プロの手に一切かけず、全部自分たちの手でやったことです。CDにおさめて印刷・製本だけを業者に任せました。小さな宮田地域ですが、1,500部を刷る好評さでした。(前記の「大野氏」は参加していただいた先生です)

 

  私は、今回話す立場を早々と終わらして、聴衆の皆さんと同じ立場・気持ちになって参加し、その雰囲気に浸っていました。最初に、この講演会を企画された世話人の小澤和弘さんや神明地区の22年度、23年度の区長さんにお会いしました。が、定年後の男の場合20年、人によってはそれ以上の老後を”いかに健康で有意義に過ごすか”の”発心”があるのだと、私ながらに推察しておりました。

 私も50代後半から、60代にかけて老後をどう過ごすか?は模索していた事を思い出します。『晴耕雨読』をイメージしていましたが、70才前半でパソコンと出会い、周囲に良い人に恵まれて前にイメージした老後とは、全く違った80代を送っています。例えば、この神明会館でお話をすることなど『夢想だにし得なかった』ことです。

 この神明地区は戸数約180戸の集落で適当な会館でしたが、溢れるほどの人の集まりでした。総数80名の内約半数は近隣の市や町からの参加者 だったようです。『老後を如何に過ごすか』で模索してみえる人たちの集いで、その熱気がヒシヒシと伝わってきました。その雰囲気を以下に4枚の写真でお伝えできたらと思っています。

 

 老後を過ごす道は、人それぞれであって良いと考えています。ただその道だけは自分で選びたいと思っています。
 郷土の神や仏を調べてみて、私は、ご先祖様たちが積み重ねた余徳によって生かされてきた面があることに気が付きました。だから、父や、おじいさんや、曾おじいいさんの余徳を消費するだけでなく、孫やひ孫の生きる未来に私たちの善行を(うまく表現できませんが)未来に繋いでいきたいと思うようになりました。

 それに、私達より20歳下の人たちが老人の仲間入りをされることを深く認識しました。ともに”美しい老後”を築いていきましょう!!。 

 

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キャベツ・白菜の害虫

2011年11月21日 | 野菜つくり

  「野菜作り」で、この秋の特にA畑が害虫の被害が出ていると書いてきました。薬剤散布も2回ほどしましたが効果がなく、人体に対する薬害の影響を考えて中止し、もっぱら目で見て虫を捕えて駆除しています。ところが、虫は次から次えと出てきて虫との長期戦を繰り広げています。 昨日も午後から畑に出て虫取りを始めましたが、半ばで記録に残そうとカメラをとりに帰りました。

 仲間との情報交換でも今年は「害虫が多い」との話がおおいです。このA畑は毎年白菜を作る関係から、青虫・夜盗虫に悩まされますから、越冬する虫や卵を殺すため「石灰窒素」(窒素肥料ですが、成分が強力で除草、殺虫効果がある)を30~40日前に散布し畑を撹拌してあります。その効果もほとんどない感じです。
 今秋は、害虫の大量発生年と考えています。数年から十数年に一回そんな年が巡ってくると思っています。これを
農薬で防ごうと考えると人間に対する害の方が多いと(とくに幼児や子供に)考えています。「根気よく捕りますけど、虫も食べてください・・・」そんな想いです。

 世の中は良くしたもので、全ての畑に害虫が発生する訳でもありません。私のB畑はこんな被害は出ておりません。A畑も例年通りの作り方で、来年はこんな被害は出ないと思います。今迄の経験から言えます。

  
 白菜の被害状況です。                   キャベツの被害状況です。

 
 写真左側一列は白菜についた虫です。        右側はキャベツについた虫です。

 

 

 

 A畑でも全ての株が被害にあっている訳ではなく、約3割ですかね・・・。例年キャベツには青虫、白菜には夜盗虫ですが、今年は初めて見る虫が多い感じです。一度調べてみます。

 A畑では、蕪、小松菜、ほうれん草、チンゲン菜にも虫が付きました

 

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法隆寺の仏 (2)

2011年11月19日 | 旅行

  仏教の伝来 538年百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりです。
 推古天皇の時代に(590~)「仏教興隆の詔(みことのり)」が出され,各地で寺院建設も始まりました。命ある者がこの世で受ける恩の中でも最大な親の恩に対して,感謝をし冥福を祈るために仏像を身近に置きたいと考え、仏教信仰が始動します。
 2代前の用明天皇の自らの病気平癒の誓願を継いで、推古天皇と聖徳太子が推古15年(607)建てられたのが法隆寺とされています。所謂日本最古の寺と言えます。

  インドで発生した仏教は、中国、朝鮮を通って日本にもたらされましたが、中国では、仏教の出家が「家」の秩序を破壊するなど、儒教論理に合わないとされ迫害されたのに対し、日本では「鎮護国家」の発想の下、「僧尼令」や僧綱・度牒制度が導入されて官僚組織の一員とまで化したのは興味深いことだと言えます。僧正・僧都など法で定められた僧官で運営される国家が建立した官寺と、それ以外の貴族や民衆によって建てられた民間寺院(私寺)とに別けられるようです。古は、法隆寺・東大寺を官寺、唐招提寺を私寺と私は理解しています。

 現代の寺は、主に弔いの場所であり、墓守りの役目を担っているようですが、古の法隆寺には数百人の僧侶が居住して経典を学び、修行したのち、地方にでて指導的立場にたったようで現代の大学に当たる場所であったようです。

     
 大講堂です。このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要をおこなうために平安時代(800~)に建立されています。

     
 大講堂の本尊「薬師如来三尊」像です。屋外から偶然撮ることが出来ました。

     
 大講堂から見た(左から)金堂、中門、五重塔です。講堂を含めて法隆寺大伽藍を構成しています。

     
 中門と左右の伸びる回廊を撮りました。飛鳥建築の粋を集めて大伽藍を囲いこんでいます。

     
 東側回廊に繋がる鐘楼です。(平安時代)中に吊るされて梵鐘は白鳳時代(6世紀後半)の音色を今に伝えています。

     
 法隆寺東院伽藍の中心的建物の夢殿(八角円堂)です。聖徳太子の遺徳をしのんで奈良時代(710~)に行信僧都という高僧によって建てられました。本尊に久世観音菩薩(飛鳥時代)聖観音菩薩(平安時代)聖徳太子像(鎌倉時代) 行信僧都像が安置されています。太子信仰の中心的建物です。

     
 平成10年に完成した大宝蔵院です。百済観音像(飛鳥時代)を祀る補陀落堂を中心に西法蔵と東法蔵に夢違観音像(白鳳時代)玉虫厨子(飛鳥時代)金銅阿弥陀三尊を本尊橘夫人厨子(白鳳時代)など1400年に及ぶ法隆寺の信仰遺産に出会うことが出来ます。

 飛鳥時代の仏教の伝来につれて、朝鮮から仏像が招来され、陶工たちも渡来し(帰化)造られた独特の飛鳥仏(初期の仏像)を見るととが出来ます。金銅で造られた仏像も、やがて木造、乾漆で日本的な”柔和で慈悲深い”になっていった事がうかがえます。

 法隆寺では、大講堂の薬師如来の前で「両手を合わせ、無心になるよう心掛け・・・かすかに家族の安全を祈願」しました。

 写真をフォトチャンネルで紹介します。 

法隆寺の仏

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芋掘り

2011年11月14日 | 野菜つくり

 今年の秋は暖かいです。確かに寒いと感ずる日もありますが2~3日で暖かくなります。雨は大降りではないですが、小刻みに定期的に訪れます。ブログで振り返ってみると、去年は11月3~4日に芋掘りをしています。この時期になると、早霜が降りてサツマイモの葉っぱが”黒く枯れる”状態に例年なりますが、今年は青々しています。

 一週間晴天の予報が出て”この日しかない”と、去年を思うと10日遅れて芋ほりを始めました。今年は、すべて自分一人で済まそうと考えると、13日14日の2日間を充てる考えでした。

     
 畝7列の内、1列は10月の内に掘ってありましたから、午前中4列を掘り、午後からイモを片付けよう(穴を掘って貯蔵)の考えでしたが、11時前に次男夫婦が手伝いに来てくれました。結果午前中で芋掘りはすんでしまいました

     
 昼ご飯に帰って撮った写真をパソコンに取り込んでいたら、それを見た女房も”芋の片付けを手伝う”と言ってくれて結果一日で済んでしまいまい助かりました。

 
 芋ほりで早朝畑に出てみましたが、朝露ですべての作物は”びっしょり”濡れていました。露が乾くまで虫取りをしましたが、ヅボン、地下足袋、シャツの袖が冷たく感ずるほど濡れました。今年はA畑の白菜、チンゲン菜、蕪の一部に青虫、夜盗虫が付いています。

 B畑は10日ぶりに写真におさめました。ここは虫もほとんど付いておりません。近所の畑と比べても順調に生育・・・・ちょっと自慢!

     

     

     
 ジャガイモ畑です。初めての紹介です。

     
 正月用の葉牡丹です。これも初めての紹介です。

     
 (左)4回目蒔きのほうれん草と、2回目蒔きの菜花です。 (右)まだ時間があって、長芋を少し掘ったら、よろいを着て、宝石のような幼虫(4cm)が出てきました。写真を撮って土に返してやりました。知った人ありませんか・・・?

 今日一日休んで里芋を掘ります。11月末か、12月に入るとジャガイモを掘ります。

 

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法隆寺の仏 (1)

2011年11月11日 | 旅行

過去の旅について振り返ってみると、圧倒的に多人数で行った事が多かったようで、二人での旅も極めて少ない想いです。六〇代になり子供たちも大きくなり、隠居の身分になると女房と二人ずれの旅をするようになりました。
 印象にあるのは、還暦を迎えて”祝いの旅”を子供達からプレゼントされたときは、二人で出かけるのが「バツ」が悪くて、孫を連れていった事を思い出しました。が以後順次二人ずれの旅が多くなってきました。七十五歳で自動車による旅は打ち切り、交通機関に頼るようになり、時間に追われない旅を心掛けるようになりました。
 七十代も後半に入ると「土産物は買ってもいいけど、宅急便で送ること」を私が言いはじめました。が、間もなく女房の足腰が悪くなってきて、ここ2~3年は私の一人旅と言った感じでした。
今回は、女房は京都まで来ましたが、娘の家に張り付いて家の外回りの掃除や、持って行った野菜で娘、孫家族に「田舎料理」作っていました。

 4日目はもう帰るだけで、午後2時頃の新幹線に乗ればいいという事で朝から法隆寺(約1時間で)に出かけました。こんな寺巡りを2年ほど続けていますが「全く、これに限る!」と言った実感です。”自由で自分が思うがままに参観できて”結果全てが新鮮で脳裏に焼きつく想いです。「そんな思いを唐招提寺・中宮寺を含めて表現できたらいいなー」 と思っています。

    
 南大門(室町時代)です。法隆寺は一辺が約300メートルの土塀によって四方が囲われています。表門になり左に西大門、右に東大門があります。
 

    
南大門から中門を望みます。 

    
 中門(飛鳥時代)と五重の塔です。左右に立つ金剛力士像は奈良時代の作です。中門に繋がる回廊は、円形の重厚な柱と、深く出た”ひさし”で北の講堂と繋がって、金堂と五重の塔を包み込んでおり、飛鳥建築の粋を集めたものです。

    
 金堂(飛鳥時代)この寺の本尊を安置する殿堂です。金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)金銅薬師如来坐像(飛鳥時代)金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)それを守護するように、わが国最古の四天王像(白鳳時代)などが祀られています。 周囲の壁面には、世界的にも有名な壁画が描かれています。

     
 金堂の仏像及び壁画はホトアルバムにて紹介します。
 

      
 五重の塔(飛鳥時代)釈尊の遺骨を奉安するためで、仏教寺院には重要な建物です。わが国最古の五重の塔です。内陣には奈良時代に作られた塑像群が東、西、南、北面祀られています。

    
  五重の塔北面の釈尊入滅場面の塑像です。

 

法隆寺の仏

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中宮寺

2011年11月05日 | 旅行

 法隆寺東院伽藍(夢殿)東側と言うより、東裏側にひっそりとたたずむ尼寺です。創建の飛鳥時代(6世紀~7世紀)は、西の法隆寺に対照した位置に建てられた、塔・金堂を配した四天王式伽藍であったようです。法隆寺は僧寺、中宮寺は初めから尼寺として計画されたと思われます。
 菩薩半跏像(国宝・如意輪観世音菩薩)はその本堂の本尊で、天寿国曼荼羅編帳(国宝)は講堂の本尊薬師如来像の背面にあったものと伝えられています。

 その後、平安時代には寺運も衰退し、室町時代のことはほとんど不明のようです。その後もたびたびの火災に会い、法隆寺東院の山内子院に避難し、旧地への再建がならず、ここに後伏見天皇八世皇女が御住職されて、以来尼門跡跡斑鳩御所として寺観を整えてきたのが今の伽藍のようです。

                
 中宮寺本堂です。高松宮妃殿下の発願により、昭和四十三年五月落慶した御堂です。一段高い本堂前面周囲に池を配し、池の廻りには黄金色の山吹を植えて、清楚で気品のある尼寺の雰囲気を漂わせています。

  
 本尊の如意輪観世音菩薩と天寿国曼荼羅編帳です。
 東洋美術における「考える像」として有名な思椎半跏のこの像は飛鳥彫刻の最高傑作です。お顔の優しさの中に”微笑み”を感ずることができ、スフィンクス、モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と評価されています。
    

          
  
   
 中宮寺は、法隆寺東院伽藍に隣接していますが、東裏に廻るためか参拝者が少なくなる感じです。40年前に訪れていますが、本尊の如意輪観世音菩薩が印象(好き)にあって足を運びました。寺全体の印象を含めて少しも変わっていませんでした。右の写真は中宮寺本堂の縁から夢殿を撮りました。
 40年前は、仲良し夫婦6組が中宮寺、法隆寺、唐招提寺、薬師寺、法起寺、法輪寺を回りましたが、現在は6人の男の内4人が亡くなり一人も病人になっています。人間側のほうが変わってしまったようです。今回の寺巡りでも「再度訪れることは無いだろう・・・」そんな思いがあったのも事実で、反面元気で「法起寺、法輪寺は来年訪れよう・・・」と頭をかすめました。

 

 

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11月の畑

2011年11月01日 | 野菜つくり

 京都から帰って一週間がたちました。帰った翌25日は、先ず午前中畑を一回りして、野菜の生育状況を確認しました。4日間の留守は、目に見えて育っており、青虫などの被害はほとんどない感じで安心しました。午後からは「東海道五十三次」のパソコンのお手伝いの打ち合わせをして・・・・・以後、畑仕事とパソコンの半々の普段の生活に戻りました。

 今年の秋野菜は、初期の段階に一部の品種に害虫がでました。手で駆除したり、キャベツやブロッコリーに薬を2回ほど散布しました。被害は最小限にとどめて順調に育っている感じです。だから新鮮な野菜をいっぱいいただいています。
 本当に過ごしやすい、小春日和の日が続いています。雨も適当にしかも夜降ってくれます。午後4時ごろ青虫取りをかねてカメラを持って畑にでました。

     
  写真奥の畑を含めてB畑の全景です。約半数の野菜は2回目蒔きの野菜です。これから食卓に上がります。

     
  甘柿です。あと一週間ぐらいで収穫します。

  柿以外の、B畑の主な個別紹介です。

   
 渋柿で昨日収穫しました。約100個不作です。焼酎で渋抜きします。右ネギです。

   
 玉ねぎの苗です。約2,500本とる予定です。 右小松菜で2回目蒔きです。

   
  水菜とほうれん草です。共に2回目蒔きです。

   
 春菊と青梗菜です。春菊は2回目蒔きです。チンゲン菜は虫に食われた跡がありますが、勿論いただきます。

   
 レタスと人参です。

 ほうれん草、小松菜は3回目を蒔く予定をしています。豌豆を蒔くと種まきは終わり畑の仕事は収穫ばかりになります。霜が降りるようになると秋野菜は甘みをまして美味しくなります。

 

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