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私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

最終ラウンド90代

2021年10月25日 | 老いの道

 愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
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ログの概要に書いた言葉です。90代は未知の道ですが、そんな感じでいけるのではという思いからであったようです。そして94歳になりました。ところが、最近パソコンに向かうと、苦痛と云うより無気力を感じるようになりました。畑の写真を引用することが多いですが、文章の入力で止まってしまう感じです。

 最近の投稿でオーキングを取り上げました。歩き始めた頃は分速70mでしたが、3年目に入ると60mに落ちていたことです。老化を数字で知った訳です。そして脳の老化も絶対に進んでいる事を意識しました。90代後半が今のまますんなりと行くはずがない訳で・・・余生がいつ終わるかは神のみぞ知る・・・と云った想いです。朝起きたら生きてた!じゃなくて、たとえ細くなっも野菜作りの道は歩いていきたいです。

 70代後半になってブログを始めて15年になります。そしてタイトルを「私の70代」としました。「検索でトップに来ることは凄い」と孫から云われましたが、私は殆ど意識することはありませんでした。現役を退いてからは畑が少しありましたから、趣味の野菜作りをしていましたから投稿も畑の事が多数を占め、投稿も週1~2回程度を目標で来ました。ブログ村にも入らず、外部サービス連携もなく・・・これからも我が道を歩いていきます。
 「有難うございました」 区切りを付けたいです。そういう性格いや年代かな?。

 


90代を生きる

2021年08月05日 | 老いの道

 毎日暑い日が続いています。7月末からのこの10日間私の大ざっぱな記憶ですが、後半4回ほど雨が降りました。その雨も朝方だけ、夕方だけ、夜のうちだけと云った感じで・・・乾燥した畑には有り難い雨でした。反面その雨で畑は雑草が芽吹いておいしげり、草取りが作業の大半を占めるようになりました。夏の西瓜・胡瓜・トマト類も収穫が終わり、片付けに入っています。

 早朝歩いていたのも止めて畑の作業に当て、朝食後も早めに畑に出て・・・早く上るようにしています。朝早くても下着が汗で濡れてきますが、朝食後は汗がしたたり落ちる状態です。一見無理な作業のように見えますが、休憩・水分補給をして乗り切っています。(2~3時間)むしろ、朝から冷房の効いた部屋で一日暮らすのが苦痛です。決して強がりをいつている訳ではありません。35℃前後になる午後は、数時間身体を休める時間があって・・・体調はいいです。夜は良く寝れます。

                                                      
 クマ蝉が朝8時ごろには木の高いこずえで鳴いています。アブラ蝉は、庭の木に複数見かけるようになりました。気が付いてみると93歳と7ヵ月目に入りました。90代中盤に入った訳で・・・コロナワクチンの2回目を打つて2ヶ月になります。「目まい・ものに掴まらないと歩けない・失神する感じで入浴出来ない」3っの副反応がでましたが、お医者さんや薬に頼らず乗り越えました。と云うより3点から学んだと思っています。

 90代に入ると「老後は野菜作りの道を歩くと投稿などしてきましたが、自分の足で歩ける老後を意識するようになりました。そのためには適宜な運動、充分な睡眠、そして心の平穏が学んだが要点です。畑仕事は運動という点もありますが、腰に負担をかける労働という面があります。適当な畑仕事は、充分な睡眠がとれると思っています。トイレは夜一回だけ七時間、昼寝が一時間余が現状です。
  畑で花作り始めたのは数年前からですが、最近は、今盛りの百日草の他コスモス・金盞花・菊を屋敷の畑に作るようになりました。狭い範囲ですが、美しさを感じる脳波は、心に栄養になります。
 九〇代は、最終ラウンドですから縮小していきますが、畑に出て・・・ブログが書けたらいいな!!目指していきます。

 

 


 

 


寝起きを気を付ける

2021年06月14日 | 老いの道

 6月9日に2回目のワクチンを接種した事、目まいがおきてお医者さんに行ったことを前回投稿しました。検査では、両腕・両足首の4ヵ所を同時に「血圧脈波」測定していただきました。動脈のつまり程度は、正常範囲。動脈の硬さ程度は、20歳若いという判定でした。気圧が変わる季節に目まいが起こりやすいから気を付けること、具体的には、ふり向くとか体位を変える時はゆっくりする事、ただし過信しない事のアドバイスをうけました。

 7日夜寝る時、そういう経験が無かったから無造作に”ばたん”と横になった時、目まいを感じた訳です。以後 目まいと云うより、歩く時に”ふらつく”のは、朝起床した時何かに掴まらないと歩けない状態が軽い・重いの差はありますが続いています。が 起きた以上は寝込むことは無く・・・、重いときでも20分ぐらいで正常に戻っています。一週間ぐらい続いているこの症状は、老化が原因だと自分を責めていましたが、9日に二回目のワクチンの接種を受けています。その影響もあるのではないかと?自身を責めづ・・・又ワクチンにも拘らないことにしました。医学的には、治療する必要がない症状のようですが、どう乗り切るか?です。

 寝る時もゆっくりと慎重になりました。朝起きる時は怖い感じでしたが、上半身を起こす時と立ちあがる時を意識してゆっくり動作するようになりました。一呼吸いや二呼吸置く感じです。歩くのを止めていましたが、15~16日と朝歩いてみました。普段の半分ぐらいの距離・・・歩き始めると大丈夫と云う感じでした。畑の方も出ますが、アドバイスは忘れないようにします。

                             
        14日曇っていて夜中の雨を予定して、午後3時ごろから百日草を植えました。働き始めるとウソみたいに元気
       2ケ所に約100株です。

 

                                            
                 物忘れ防止と、何もしない老後を送りたくないと?女房が始めたトマトなどです。
 

                                            

                                            

                               
              南瓜です。何個とまるかな?
 

                               
             西瓜が一番樹勢が悪いです。

 効果ですか?物忘れが改善されることは無いと思いますが、進行が遅くなる?そう願っています。ここには、朝昼晩顔を出しているようです。部屋から数メートルの距離ですから・・・。
             
   
 

      


唯一の友 (縁は味なもの)

2021年02月18日 | 老いの道

 前稿の「唯一の友(近況)」の返信が齋藤さんからありました。過去文通は数回あった記憶ですが、こうしてブログで取り上げるのは初めてです。私が手紙を出してから5日目に大きな封筒に予想していなかった「書き物」送られてきました。(写真下の)A4、2枚の近況も頂きましたが、私の手紙に応える形の内容で、要点のみを紹介します。

〇 私は、歩くことを始めたのは一年ちょっとですが、齋藤さんはもう20年ほどなるようです。老人施設入られて9年目になり、新型コ
   ロナが始まると、野外の散歩は禁止になり今は2階のホールを歩いてみえるようです。一週が3分20秒かかるようで、推測では
  約
200Mぐらいになる感じ・・・それを20周されるようです。早朝4時半から・・・。
〇 トイレは、催しがある時(1時間余ぐらいで)年のセイと諦めてみえるようです。時間が短いから大変だと思いますが?小便が出る
  だけ有り難い…と。
まだ失禁など今の処ありませんと。(以前話題に出た時は薬を呑んでみえた)
〇 血圧・不整脈・血中酸素などは問題ないないようです。

 斉藤さんは、腰がちょっと悪くシルバーカーを知り合った頃から押して歩いてみえましたが、以前と殆どお変わりなく元気と云う感
 じを持ちました。
       


             

 写真上 「春一番令和三年二月四日」は、一月一日から一二月三一日までを小文字で書き込んであります。「祝九十三歳」は一歳から九十三歳までの小文字で出来上がっています。斉藤さんの最も得意な分野で・・・書いて送って頂きました。般若心経もほとんど同じで以前と変わらない集中力には感服しています。しばらくは、九〇代を共に行けそうです。

 斉藤さんの今一つの才能は、どんな些細の事でも記録してみえることです。以前から感じていましたが、今回は散歩の記録表を送って頂きました。(写真右)いい友を得ました。

   


新年所感

2021年01月01日 | 老いの道

 明けましておめでとうございます。コロナウイルスで来客のない淋しい新年を迎え・・・4日目を迎えました。それでも2日午後、東京で暮らしている孫夫婦が顔を見せてくれました。部屋には入らずマスクをして、ほんに一言二言、言葉をかわしましたが癒されました。例年んですと、20人余がこの老夫婦に顔をみせ話しこんでいきますが、止もう得ないと思っています。だから 時間に余裕がありパソコンの前に座りましたが、結果だらりとした3日間を過ごしてしまいました。

 閑が予想されましたから、初日の出を撮りに行こうという算段でしが?12月後半には、寒波がきて日本海側は大雪になり、太平洋側の私の所も雪がちらつく日が続いていました。元日も雪の予報は出ていませんでしたから一応準備をし、一日は普段と一緒の四時半起床でした。起きざま北の窓を開けてみると、西の空に雲が切れて月が輝いており・・・いけそうな感じでした。
 ところが 6時頃確認すると月明かりはなく雪が降っていました。

 写真は。1020 元日の未発表の写真です。何時までも暗い道を自転車で走る歳ではありません。そう決めたら発表の戸惑いも無くなりました。自転車で10分余視野の開けた木曽川堤へいつも行っていました。木曽川はこの写真まんなかあたりで二つに分れ・北派川(本流)南派川(支流)になっており、約10キロ先で合流しています。                             

                                
              南派川(岐阜県との県境)の日の出20分前の水墨画のような状景です。
  

                                
              初日の出の最後の投稿になると思います。2022年は新しい何かを見つけます。

 今年の正月は、今一つ感じることがありました。頂いた年賀状からです。なくなって見えないのに書いた字が変わっています。世帯交代・・・長く生かされている・・・。
 


年末の大掃除

2020年12月28日 | 老いの道

 12月28日今朝は眼が覚めたら6時10分前(普段は4時半頃起床)寝過ぎた!と、ビックリして飛び起きました。普段は、床から離れる前、手・足・腰の運動を5分ほどしてから起きる事にしていますが、それを忘れてです。どうして?朝のオーキングは?朝の私の担当は?瞬間頭をよぎりましたが、此処は、慌てては駄目だと自身に言い聞かせるようにして・・・早朝の担当などを済ませました。結果朝のオーキングは、普段より30分遅い7時頃の出発になりました。
 "寝過ぎた"理由は心当たりがありました。前日27に(日曜日)風の無い暖かい日でしたから、恒例の家の外回りの大掃除をしました。朝方は、霜が降りる冷たい日が続いていましたから、11時頃から始めました。家の南・東・北側のガラス戸そして玄関から門までの石畳の水洗いの掃除です。ガラス戸は、長い柄のついたモップで・・・石畳は長い柄のついた”たわし”ゴシゴシと云った感じです。が 石畳と格子戸を洗う時は、農作業よりもキツイ作業でした。このまま続けたら倒れてしまう!の思いで小休止を入れながらの作業でした。そして終わると約30分の休憩をとり、息が整い体が落ち着いてから東と裏の窓ガラスは手早くすませました。もう こんな作業はしませんの心境でした。

 この夜の就寝は何時もと同じ9時でした。とすると約9時間熟睡したことになります。トイレに起きる事もなく・・・こんな事初めてじゃないかな?以後28,29,30日の3日間をかけて・・・私達の居間そして座敷(仏壇・床の間)の掃除整頓を済ませました。こちらは余裕の仕事でした。他は若い者の担当で新しい年を迎える準備ができました。
 例年盆・正月は、20名余の来客を迎えますが、コロナウイルスで皆無の淋しい正月なるようです。止もう得ないと思いますが、早い終息を願っています。

 大掃除が済んだ我が家で、1980年築の40年経っています。新しい建築基準法が出来る前に建てました。当時田舎では、葬式を自宅でする概念もありましたから、明け放すと大広間になるという古い構造です。が 壁面を多く作り、筋交いを入れて地震・台風に強い家になるよう留意したつもりです。
 昭和の初めに生まれて・・・90年余、年末の一視点?です。

 
                       

 


12月の畑 (初雪と呟き)

2020年12月17日 | 老いの道

 もう2度も3度も呟いていますが、月日の経つのが早く感じます。老後でも90代は、淡々としかも早くすぎるものかな?の印象です。年が明けると早い時期に満93歳になり、94歳の道を歩くことになり、90代の三分の一が過ぎることになります。野菜作りの道を歩いていますが、12月・1月・2月は全く農閑期で畑でも労働らしい労働はありません。しかし 小さな仕事を見つけて畑に出るようにしています。しかし この12月16日から18日の3日間は、今季初めての寒波で雪がちらつき・・・畑には出ることは出来ませんでした。日本海側の大雪の事を思うと有り難いです。
 その運動不足をウォーキングで補っています。毎早朝(荒天を除く)1・7キロ25分歩いていますが、こんな時は朝夕2回歩くか、1回で約1時間歩いてこの3日間を過ごしました。自分の足で歩ける90代を目指すには、この冬場の3ヶ月をどう過ごすかが課題のようです。

 畑に出るのは原則半日で、午前・午後出るのは極めて稀で・・・実働時間を含めて無理な働き方は絶対しないよう心掛けています。余暇の時間は充分ある訳で、一年を通して昼寝は必ずするようにしています。一部の時間を使ってパソコンに向かう訳ですが、ブログを始めて14年になるようです。最近ブログが壁に突き当たったとか?難産型だとか?呟いてきました。私のブログのタイトルが、「私の70代」で(ブログを始めたのが70代後半でしたから)その年代の方のブログを拝見することが多く・・・感性やパワーに羨ましく感じます。20年は絶対的な差のようです。そう諦めて淡々と自立の道を目指します。

 下の写真は17日早朝の畑です。今回の寒波は私の所で(尾張西部)こんな程度の雪で済みました。その写真を4日間眺めていて・・・ようやく文章を挿入する事ができました。一年無事に過ごして・・・新しい年を迎えるわけですが、若い時と違って感動の無い単調な日々を送っているようです。 

                          

                          


90代のブログは難産

2020年08月08日 | 老いの道

 6月初めに梅雨の入り、約2ケ月経った8月1日梅雨があけました。そして今日は8月8日(土)連日35℃前後の猛暑日が続いて、畑は”カラカラ”に乾いてきました。ところが昨日午後4時半頃から急に雷が鳴って・・・どしゃ降りの雨が、30分ほど降りました。畑にはいい雨で・・・畑は午後に出ることにして、絞り出してでもいいから投稿しようとパソコンと対峙しています。

 実は、7月初めに一回投稿したきりで・・・以後ぱたりと止まってしまいました。7月中頃まではブログを投稿しようとパソコンに向かいましたが、文字の入力すらできません。後半は諦めてパソコンに向かう事すら放棄した日常を送るようになりました。ブログを始めて13年と5ヶ月になります。いずれ”壁に突き当たると”考えていましたが、事実そんな心境になった時期もありました。しかし 今回は、老化(93歳の)ではないか?と考えるようになりました。野菜作りの道を歩いて・・・老いていくつもりで、ブログも月2回から1回の投稿になってもいいからという念願でしたが、そんな都合は許されないようです。

 そういう意味で90代は未知の道にようです。梅雨の後半7月は、雨も多く気温も低かったですが、畑の方は躊躇なくせっせと出ていました。収穫は自家用ですから、1日から2日遅れて気に掛けませんが、収穫後の片付け、除草には気を使いました。30℃を超す蒸し暑い日、35℃を超す猛暑日です。熱中症で倒れたら面目ないですから・・・だから止めるのでなく、午前中を原則として(3時間)一番厳しい時は、10分働いて安むと云った感じで休む時間は息が整うまでです。上半身は汗びっしょりでズボンが腰まで濡れます。午後からの昼寝と休みで体力は回復する感じです。そして まだ しばらくは、畑には出れそうです。

 毎日沢山の方の訪問・閲覧頂いて有難うございます。そして現状の報告です。事故や病気が起こらない限りまだしばらく行けそうです。ブログは私の記録ですから続けたいと念願していますが、復活できるかな・・・?

              
          昨日7日、早朝のオーキングを止めて畑を耕しました。秋の野菜の種蒔きが9月初めには始まります。

            
           収穫末になったミニトマトです。今季は世帯を持った孫達の処へ野菜を送りました。


95歳を目標に (第2信)

2020年02月03日 | 老いの道

 今季は暖冬で、12月から1月は雪がちらつく事さえありませんでした。初めての経験じゃないかな?・・・白菜は虫害で不作でしたが、特にブロッコリーやカリフラワーは大豊作で12月中頃から戴いています。(写真)自家消費できず子供・孫そしてご近所にも配っています。しかし 今の畑は、収穫だけの農閑期ですので身を持て余していました。それに90代に入る前から作付も減らしてきましたが、畑仕事は労働という面があることを意識するようになり、野菜作りとパソコンのある道は歩きたいですが、ありかたを”ふと模索する”ようになっていました。

 実は知り合いにすすめられて12月から体操をするようになりました。月3回、1回1時間ぐらいで、多くが椅子に腰かけたままの体操で30分、あとの30分はお話を含めた頭の体操と云った感じです。それを私は、朝起床前と、入浴時、日中の短い時間(3~5分)とりいれました。
 今1つは散歩です.
ウォ-キングと重なる部分もありますが、畑での仕事の無い時健康のためと正月過ぎからはじめました。30分~1時間(歩数約6000・歩幅は60cm)ですが、この時期でも畑に出ることもありますから、毎日という訳ではなく、時間も臨機応変にしております。両者とも続けられる感じで・・・「95歳までいけるのではないか?」の心(根拠)としております。

 野菜作りの道は、なんのためらいもなく歩けるようですが、パソコンの方はそんな訳にはいかないようです。1月も初めに2回ほど投稿しましたが、以後悶々とした日を過ごしてきました。と云うより「新規投稿」すら開きませんでした。そんなに多くはないですが、皆さんのブログを読ましていただいて”うらやましい”思いがかすめます。どうも ダムに水がたまるように、気力と感性が溜まるのを待つしかないのが90代のようです。


                    


95歳を目標に (第1信)

2020年02月01日 | 老いの道

 2月に入りました。93歳の道を歩くことになりますが、人生を観照するとか?期待するという思いは、ほんのちょっぴりと云った感じです。昨日までの生活を淡々と受け継いていくと云った方がいいかも知れません。
 2014年7月にブログに投稿しています。 「こんな状態で90歳までいけるのではないか,そう思うようになりました」と書き、80代も半ばを過ぎ・・・正確には、86歳と6ヶ月になり、90歳に手が届く位置になったわけでです。と云う事は、それから7年目になったという事です。過ぎてみると早いですが・・・これから7年過ぎると99歳!!頭をよぎりました。

 「愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。」90歳になった時に書いた一行ですが、前半の7年も色々の事が起きました。先ず私ですが、帯状疱疹(帯草)に罹り、帯状疱疹症状は早く快方に向かいましたが、帯状疱疹後の神経痛に異常を感じ、診察を総合病院に切り替え・・・お医者さんに「この病気をこじらせると、神経を遮断する専門の病院にかかってもらう・・・早く治って良かったですね」という結果でした。
 一昨年の12月、一過性虚血で倒れ「貴方をこのまま返すと、数か月後に脳梗塞で入院の可能性が高い・・・」と言われ、短期の入院と投薬で去年一年間は異常なくすぎました。
 
むしろ女房の方です。5年前に脊髄の複座(圧迫)骨折で歩行困難になり、1年余の通院(投薬と自己注射)で安定しましたが、野外の歩行は”手押し車で”要支援2”の身になりました。週2回半日のデーサービスに行っていますが、状態は悪くなるというより、リハビリで少し良くなった感じで自分の事は自分ででき、300~500Mぐらいの外出できる状態ですが、記憶力が減退してきたのが心配です。