私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

皆さん いいお年を!!

2011年12月31日 | 随想

 今年の11月から12月は、例年になく忙しい日を送つたと思っています。お蔭さまで健康に恵まれて、予定の仕事や計画を前向きにこなすことが出来ました。そして26日からは正月を迎える準備に入りました。
 我が家は、息子達との同居世帯です。『自分の事は、自分でする』を(今のところ)基本にしていますから、例えば私たちの場合二部屋と座敷(仏壇)、家の外回りそしてガラス拭き、そして風呂場も担当しています。大掃除という感覚ですることと、無理をせずマイペースでしますから時間がかかります。それに80代になると”女房は、重いもの・高いところは駄目になり、その分頑張りますが、高い所は細心の注意を払うようしています。
 

 25日朝からちらつき始めた雪は、26日夜が明けてみると7センチの積雪になっていました。仕事には支障ない雪でしたが、以後朝方は厳しい冷え込み氷が張る日が続いています。

 
 28日例年餅つきの日に当てています。私の要望を入れてくれて少なく、五臼にしてくれて助かりました。その分女房の要望も聞いて『餅花』をはじめてつくりました。
 女房が片付けに追われていて、結局仕上げも私がすることになりました。が、座敷が華やかになりました。
 

 

 

 

                                                                 
 31日は、新年を迎える最後の仕上げの日です。
 朝8時半ごろから仕事にかかりました。

 床の間の花は例年担当していますが、松と菊を3本ほど買ってきて、あとは庭の南天、千両などでたてる”無手勝流”です。
  
 左の仏像は(高さ100センチ)弟から戴いたものです。(趣味で仏像を彫っています)

 10組の鏡餅を供えたりして、午後2時半で私の役目は終わりました。

 女房は、午後から正月の賄いに奔走しています。暗くなると、パソコンに向かっている後ろで、大根、ニンジン、ゴボウ、レンコンをコツコツ刻んでいます。昔風の正月の田舎料理をつくるつもりです。
 子供や孫たちに好評のようで、食べた後は持って帰ります。その分多く作る訳で・・・・「歳を考えると、そこまでしなくてもいい」と思いますが、声が出せません。

 おふくろの味というか、おふくろ力というか、男にはマネできない思いです。食事が終わりましたから私も手伝います。
紅白歌合戦を耳にしながら、昆布巻きをつくるのが恒例になっています。まあ・・・元気なうちはやるか!!
 
 正月の内に、私の兄弟、子供、孫など近親者を含めて20人ぐらいが来ます。娘や嫁たちには「お母さんを手伝うように!」2年ぐらい前から言うようになりました。
皆さん いいお年をお迎えください。

 

 


師走 点描

2011年12月29日 | 野菜つくり

 蔬菜构造
浓尾巴平野的东北看得见御岳山正在11月下旬已经领受白雪。 在1个星期的前面做在西面看得见伊吹山的银装了。 今天早晨厚度大约7毫米的冰形成被骤冷了。 以及今年也想要在再1个星期结束,并且今年也健康,并且能在遮光的地方渡过了。

 是年年季节变化,并且重复年龄的意思,但是本季是特别忙了的想法。 尽管用十二月的投稿内容与那个在去年11月前年相比较但是变化发觉某一的事。 是否是否打算如果当然和成长认为当今后想那样有ずーっ和"的时候"正作为其他问题?做梦想。

 为此一道迄今想使大街"蔬菜的建设"作为生活的基本通过。 蔬菜的建设正和"我的"相"相适合,被学习,并且被治疗。 不过只面积认为变得少的事和年一起
 

 什么"保持了气"使在十二月旱田和个人电脑的生活中以下・・ 

    
 是11月14日的投稿当"挖长薯,并且正做を的时候,做了像照片左方的宝石那样的颜色的幼虫而来"了。 正投稿是否不有正被知道的人。
 从作为作为"异的缘"的被知道了的N在旱田知道了吧。 好像是再(照片右方)我的我的芜菁幼虫,并且好像是固有在日本全境栖息的日本的种。 是蜗牛肉食的特征,但是好像可能有树液被和クワガタ以及甲虫一起在盛夏喝的事情,并且可能有我也被看了的事情。 (オサムシ的朋友)
N,谢谢了。

 
    
 在从照片左方,自己的家的饭馆看得见的隔壁的"毛笔柿子",是用夏天的降雨量的不足在例年没有的歉收。 几十只的ヒヨドリ对少数量果实来,吃光。 例年メジロ出现,但是今年1只。
 照片右方,隔壁的银杏的红叶由于昨天的季风漂亮地分散。 绿的收成是铺,并且供稻草使用的的夏天的西瓜的啤酒麦子。 收成好,并且明年夏天多量(不减少)做西瓜。

    
 在1列的绮丽在旱田的角开花了。 这时期唯一显眼。 香,原木老化,正月的自用比率的被能够了。 领受被砍倒了的树,切林的树的树枝,在原木做了,但是决定当在15年继续了的香栽培考虑岁的时候留在了。

   
 是今年的那么が秋天不得了的歉收。 是半平年的收成。 正把原因看做低温和降雨量的不足,并且只好像不是我的房子。
在挖薯的时候,注意到例年没有的芋的状态,并且放在了照片里面。 (照片左方)薯种正几乎被消耗。 的事种芋收获时被消耗,没正把原形留下来是普通。 几乎全股票是这样的状态。 (照片右方)本来发芽,芋粘在茎上,但是种芋正具有直接新的芋有约3成了。 是和两者,也初次看的现象。

 蔬菜的建设被对大地栽培气候特别左右。 毕生是学习。

  

 

 


湖東三山  百済寺

2011年12月18日 | 旅行

 過去湖東三山は2回(寺によつては3回)来ており、今回で3回目の参観になる記憶ですが、百済寺は初めての拝観になりました。
 もう40年も前になりますが、小学校のPTAの役員を2年続けて同年輩の仲間が出来、懇意にしていただいた先生の案内で湖東三山を訪れ、その時案内された寺は西明寺、金剛輪寺、石塔寺でした。だから、この三ヶ寺が湖東三山として頭に焼き付いてしまっていました。しかし、後年案内書や地図で百済寺(ひやくさいじ)が近辺にあることをし知り、私はこれを『くだらじ』と読んでいました。隣国の古い国『百済』が頭の隅にあって、内心その”疑念を晴らせるのではないか”の興味深々の旅でした。


 午前中に西明寺、 金剛輪寺とまわってお昼を過ぎてしまいました。                                              
足腰も疲れて、ゆっくり食事できるところはないかと思案して、「40年前の記憶ですが」と提案し307号線(彦根~水口)を西へ行くと、左手にホテルがあって食事をした覚えを話しました。
 ありました。新築されていていて素晴らしい雰囲気、値段は大衆的、約1時間半ゆっくりしました。食事後コーヒーのサービスがあり話が弾みました。話題は、大阪橋下市長さんと、映画「小川の辺り」でした。郷土史発刊の主要メンバーで、もう二人が逝ってしまいましたが、年一回程度の小さな旅を行っており素敵な人達です。

 すっかり疲れもとれて、さあ百済寺へ・・・・・

 

  正式には?、西明寺、 金剛輪寺、百済寺を湖東三山と言っているようです。三ヶ寺とも素晴らしい個性のある庭園を持っています。が百済寺本坊、喜見院の庭園は無料で拝観できます。池の廻りを回遊する素晴らしい庭園(ホトチャンネルで紹介)です。この池を巡って歩を運び山頂の「遠望台」に達すると、湖東の平野が眼下に広がり、比叡の峰や安土の湖西の山並みが眺望できます。
 その高台に立札があり、推古14年今から1,400年前渡来して開拓に携わっていた百済人の為に、聖徳太子が創建された寺であると記されていました。
 その後、平安時代になり比叡山に天台宗が開祖されると、ここも天台宗の寺院となり、鎌倉時代にかけて壮大な寺院であったようです。その後、自火や戦乱により焼失、復興を繰り返しましたが、元亀元年(戦国時代)織田信長に反抗したため、信長の兵火により一山ことごとく焼失した悲惨な歴史があり、仏像など僅かな宝物の他は、江戸時代になって再建されたものようです。

       
 玄関口にあたる赤門は、車で通り過ぎたため登る参道は短くなりましたが、それでも厳しい石段が続きます。途中にある仁王門です。 

       
       慶安3年(江戸時代初期)の建築です。(重文)

       
       本堂は、内陣と外陣に区切られていて、外陣は下足で上がることが許されていました。
       本尊は、十一面観音菩薩とされていますがよく拝観できませんでした。
        めずらしく、撮影禁止の貼り札がなく写真を撮らしていただきました。
 

       
外陣の有様です。閻魔王または、閻魔十王の中の二王とも考えられますが左右に配されています。西明寺、 金剛輪寺の内陣と全く違った雰囲気にビックリすると同時に、宇治の黄檗山・万福寺を思い出しました。
  閻魔信仰は、平安時代に日本に入ってきて鎌倉時代に定着した信仰で、私達は子供の頃、躾けに閻魔大王を引用されていました。

       
参拝者の多くの人が梵鐘をついていました。私も・・・  庭園めぐりの時も、参道でも「心地よい音色」が深山に響いていました。

 湖東三山にお参りして良かったと思っています。三つの寺の紅葉は”くどくなるから”一つに纏めようかと考えましたが、結局この方法を選びました。投稿するためには、いろいろ参考にして自分自身勉強になりました。すこし、ボケが遠くなったような気がします。 

百済寺の紅葉


湖東三山 金剛輪寺

2011年12月14日 | 旅行

  今回の湖東三山めぐりは、男4人年代は80代2人(私が最年長)70代2人の構成でした。朝8時半出発名神高速道を利用して約1時間半で到着、”マイペースで全く時間を気にせづ”の散策をとおしました。結果は午前中二ヶ寺、午後一ヶ寺の拝観になりました。
 西明寺、金剛輪寺、百済寺は建物の構成については、山門・仁王門・本堂・鐘楼・三重塔(百済寺は五重塔が再建されていない)など、似たところある想いでしたが、寺それぞれに特色(個性)があって、過去の参観では感じなかった『美』を知り、それを伝えできたらいいなーの思いです。

      
     金剛輪寺玄関口のあたる総門です。江戸時代初期の建立で、全体に黒色をほどこしいるところから
     黒門とも言われています。

     
     本堂大悲閣で、鎌倉」時代の代表的建物として国宝に指定されています。

     
     本堂内陣です。本尊は聖観音菩薩で秘仏になっています。

     
     本尊の聖観音菩薩を守護する形で左右に配されて四天王像です。(重文・鎌倉時代)

     
 本堂内陣の厨子を挟み二体の阿弥陀如来坐像が安置されています。二体とも山内子院の本尊であったと推測されています。(左・平安時代 後期、右・鎌倉時代前期、ともに重文)

金剛輪寺の紅葉
 
最盛期を
 過ぎていましたが、紅葉に囲まれた三重の塔、参道に並ぶ千体地蔵石仏、本坊名寿院の内陣及び名勝庭園の紅葉・不断桜などをフォトチャンネルにおさめました。

 金剛輪寺の紅葉


師走中ごろの畑

2011年12月11日 | 野菜つくり

 12月も中ごろになると、ようやく 厳しい冷え込みが来るようになり、特に9日朝の冷えこみで”初氷”を見ることになりました。しかし、日中は天気さえよければ”ポカポカ”と暖かく感じますが、日が沈む夕方には、足元に寒さを感ずる陽気になってきました。
 畑には、これといった 大きな仕事はありませんがこまめに出ています。 ここ4日間ほどの畑の映像を纏めてみました。 
    

    
 正月を迎える段取りを考える時期になり、手始めに畑の葉牡丹をプランタンに植え替えました。我が家では7杯を・・・これにも青虫がついて毎日のように虫取りをしてものにしました。

  
 カリフラワー、ブロッコリーです。葉ボタンよりも虫が多く、葉っぱに虫に食われた痕跡がありますが、キャベツを含めて収穫期に入ってきました。   
  
 ユズとミカンです。去年は”成り年”でしたが(摘果はほとんどしない)今年は果数が少なく、その分果実が大きくそろっています。ミカンは甘くて美味しく好評です。

 畑の紅葉
 例年の事を思うと、10日ほど遅い紅葉です。木に個性があって(品種)紅葉も順次といった感じでしたが、その”順次”が狭まって、2~3日で紅葉してしまった感じでした。毎日見ているわけで、一番美しく見えた時を選んで映像におさめました。(8日撮影)

        

        

   
 上下4枚の写真は11日撮影分です。7本ある”もみじの木”は例年12月一ヶ月掛かって順次紅葉していきますが、今日は中ほど(4本目)まで紅葉が進んできました。

  
 女房は家の葉牡丹を担当してくれました。私は畑の”お嫁入りしていく葉牡丹”を世話しました。(左)
 右は、B畑の現況です。手前は玉ねぎで、多いですが半分は失敗しております。(原因はいずれ・・・)遠景の銀杏の紅葉は、8日に写真を撮った翌日9日の、早朝からの風速6メートルで一気に飛んでしまいました。中央の銀杏木の紅葉(黄色)はすばらしく綺麗でした・・・が。

 まだ、湖東三山がありますが風邪をひかないよう、マイペースで行きます。

 

 

 


湖東三山 西明寺

2011年12月09日 | 旅行

 琵琶湖の東にある三つの寺(湖東三山)西明寺・金剛輪寺・百済寺に12月5日(月曜日)に行ってきました。と言っても私は75歳で自分の自動車による旅は止めて、もっぱら列車による個人・家族旅行に切り替えてきました。今回は、自家用車で連れていっていただいた訳で、いい仲間に恵まれてありがたいと思っています。
 湖東三山を初めて訪れたのは40年前になります。ここが好きになって2度3度と訪れています。が、紅葉の季節は初めてで、しかも20年ぶりです。湖東にはこの他に永源寺・石塔寺を知っていますが、歳を考えて無理をしないようにしました。

 今回訪れた、西明寺・金剛輪寺・百済寺(此処だけは初めて)は天台密教の寺です。創立は百済寺が推古14年(606・飛鳥時代)金剛輪寺が天平13年(741・奈良時代)西明寺が承和元年(834・平安時代)と、ともに千年を超える古刹です。祈願・修行道場の意味もあって深山に建立されており、長い険しい参道を登らなければなりません。
 この三寺とも、平安、鎌倉、室町時代は祈願・修行道場として繁栄を極めており、多くの諸堂、僧坊があったといわれています。しかし、戦国時代になり、織田信長の比叡山焼き討ちの時期に”叡山同罪”とみなされ焼き討ち被害の歴史があったようです。
 
 いそがず、あぜらず、足を止めては周囲を鑑賞しながら、参詣させていただきました。口癖になりましたが、”もう再度訪れることはない”の感傷にしたりながら、感じた『美』を表現できたら・・・と思っています。

     
    本堂前にある二天門です。室町時代初期の建立で仁王は、フォトチャンネル紹介します。

 
     
    本堂で鎌倉時代初期の建立です。(国宝)

     
   本堂内陣です。本尊は薬師如来で秘仏になっています。長年の護摩供養により本堂内部、十二神蔣など黒く煤けて重厚感をうけました。

   

     
 上二枚の写真は、三重塔と内陣の極彩色の壁画です。今回は塔改修のためか拝観できませんでした。
 私は以前拝観しており、強烈な印象が焼き付いています。長年非公開であった事、近年も一時期のみ公開?・・・そんな記憶です。此処だけでも拝観する価値があると思っています。
 
 
 西明寺・金剛輪寺・百済寺を回って庭園の美くしさに感動し、それぞれ素晴らしい「美」を感じました。
 4人仲間はそれぞれに都合があって、それに紅葉が全国的に遅れている想いと、高齢者は土、日曜日は避ける理由で5日を選びました。最盛期は過ぎていて、木によっては5割落葉といった感じでしたが、赤い絨毯を敷き詰めた美しさがあって・・・それをフォトチャンネルで・・・・お伝えできたらと考えています。  

西明寺の紅葉


寂光院の紅葉

2011年12月02日 | 風景

 畑の害虫に気を取られながらも、11月30日は早朝から雲一つない晴天に恵まれました。今年は10月に暖かい日が続き全国的に紅葉が遅いという情報を聞いていましたが、「もうこの日しかない」ないと、早朝に出かけました。
 昨年は11月20日に”寂光院の紅葉”を投稿していますから10日遅れの訪れです。昨年は駐車場で苦労した経験と、この日はもう一つ用事があって、車で約30分ですが9時前には現地に到達しました。すでに、大きくない駐車場の8割は埋まっていました。

 紅葉は最盛期でここ一週間が見ごろと言った感じで、一眼レフを持ったお年寄りが多いといった印象でした。(私もそうですが)朝日に映える紅葉は美しくお奨めです。
 ここでは、駐車場から参道を登る時の紅葉と下る時の紅葉を紹介して、あとはフォトアルバム紹介します。参道の9割以上は急な石段を登るわけですが、(6人乗りのリフトもあります)私は、ゆっくりと登って参道の傍らにある仏や紅葉をカメラにおさめることから始めました。

     

   

   

     
     ご本尊は、千手観音菩薩です。

     

 2度目の寂光院の投稿ですが、纏めてみると、前回よりも充実してる思いです。フォトアルバムも含めて上手く纏まった感じがします。この年で、少しずつ成長してるかな??、念願ではありますが・・・自分で言うのは変ですね?御免!!
  

  画面を大きくしてみてください。(フォトアルバム)

寂光院の紅葉


ああ 無常?

2011年12月01日 | 野菜つくり

 11月21日この稿で「キャベツ・白菜の害虫」で報告しています。今秋は、害虫の大量発生年です。それでも被害は3割程度です。と書いていますが、それから僅か10日過ぎて、A畑の白菜は”見るも無残な”姿になってしまいました。

 確かこの10日間は、畑以外のことに集中しましたが、2~3日置きに畑は覘いて虫取りはしていました。結球した白菜上部を指で開けて見える範囲の虫を取っていましたが、2日前の29日夜盗虫などが、目に見えない白菜の芯部に入っているのではないかと、疑いはじめました。虫の姿は見えないけれど新しい糞で感じたわけです。
 もう指でかき分けて虫をとる程度ではなく、葉っぱを一枚一枚はがして害虫をとるほどの重体になっていました。29日30日の2日間で、白菜の畝は見るも無残な姿になつてしまいました。

      
 前列が金将、奥が晩輝です。晩期は2月以降の寒さの厳しい時に食べる晩生で、味は金将にはとても及ばない”不味い”品種です。例年金将には虫が付いても、晩期には虫が付かないのですが、今秋は全株が被害にあいました。今日金将だけは、切り取って新聞紙に包んで収納しました。
 キャベツ、ブロッコリーは虫を手で取るだけで被害を切り抜けています。

      
      こんな感じで、芯部に食い込んでいます。

      
 害虫の被害が出始めたのは11月になってからですが、今年は5月に苗を畑に定植した時に約2割が「芯くい虫」の被害にあい、予備の苗で植え替えをしました。例年なかったことで不安を感じてB畑に30株ほどの白菜を蒔いておきました。今日その白菜2株を収穫しました。

 この被害を頭に叩き込んで二度とこんな目に合わないこと・・・。害虫の大発生を自然現象だけにしてはいけないこと・・・・。第一に思いつくことは「連作」・・・同じ畑で場所を変えるだけでは駄目でないかと考えるようになりました。
 生涯勉強です。

       
 この写真は昨年の白菜の畑で12月9日の状態です。雲泥の差です。2メートルほど右に離れて今年の白菜を・・・作りました。