私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

凍てた朝

2014年12月28日 | Weblog

 昨夜は目が覚めた訳ではないですが、意識が朦朧とした中で「足元が淋しい?」感覚があった事をおもいだしました。
 今朝は、目覚めて起床したのが5時でしたが、この時期の癖で室内の寒暖計を見ると7℃でした。深夜の朦朧とした意識は冷え込み原因だったようです。経験からこの温度ですと屋外は、分厚い氷が張る温度と考えて寒暖計を外の出そうと考えました。ところが部屋の北側の窓は凍てついて開きません。そう云えば、「昨日午後から窓を水洗いをしたんだー」その水が残っていた訳です。
 早速部屋の湯沸かし器で熱湯をつくり、溶かして寒暖計を外にだし10分後に確認しようとしたら又凍てついていました。外は「零下3℃」・・・厳しい冷え込みでした。

      
 9時ごろなって写真を撮りに畑に出ました。予想どおり水桶に1cm余の氷が張っていました。

      
    キャベツに確りと霜がおりていました。畑の野菜が甘味を増す季節になりました。

      
 畑は霜で白く乾いて、コンクリートの上を歩く感じです。耕作したところは、小石の上を歩く感じで、冬本番を思い知らされました。 


         今年の年賀状です。

                   
     今年の秋は、遠出の写真を撮りに出掛けることは出来ませんでした。今後より一層そうなることを覚悟してい  
    ますが、これからは、近くで”絵になる写真”を撮れるよう心がけていきます。裏の木曽川堤の日の出です。


師走と畑 

2014年12月27日 | 野菜つくり

 18日未明にかけて降った雪は、3日目の21日になって畑の雪は無くなりました。が、毎朝のように「薄い氷」が張る冷え込みの日が続いてきました。しかし、例年朝の厳しい冷え込みはあっても、日中は暖かい日がある思いですが、今季の特徴は、一日を通して風が強く寒い日が多いようで、”歳のせい”とは言えない感じです。
 
 ところが26日夕方の予報では、27日は「晴れて、西高東低の冬型の気圧配置は緩む!」と報じていました。明けて27日朝から天気が良く、着膨れて畑にでました。9時に出ましたが、陽蔭は白く凍てていましたが、陽のあたる畑は、とけて土色で、しかし備中で土を掘り起こすと、一部凍てた土が出てきました。作業には支障がなく、10時ごろには着膨れていた上着を一枚脱いで、残っていたジャガイモを午前中に済まそうと頑張りました。

         
 最盛期は、13キロの種芋を植えていましたが、10キロ、7キロと落ちてきて今季は5キロの種芋を植えました。それを12月初めから今日で3回に分けて掘る羽目になってしまいました。しかし収穫は楽しいです。
 無農薬ですが、イモの肌が綺麗で、収量は85キロ余と云ったところで、自家用としては充分です。

        
 16日「畑の紅葉」で投稿していますが、27日現在の紅葉です。16日はまだ緑の葉が残っていましたが、今季は”黄色い紅葉”で終わるようです。(写真左)
 18日未明の積雪は3日で溶けたと書きましたが、畑の小屋の陰には、屋根から落ちた雪ですが、まだ残っています。近年珍しい現象です。2枚の写真は「一日を通して寒い日が多い!」という根拠にしています。

 寒い!寒いと言いながら、風邪気味にもならなくて過ごしています。足腰が悪い女房も少し明るい兆しが見えてきた感じがします。 

             
 25日昼畑から帰ると食卓にのっていました。女房が作ったようで3ヵ月ぶりの料理です。無理をせぬよういいましたが、気分が良かったからでしょう・・・まだ私が頑張るつもりですが、これも「明るい兆しが見えてきた!」根拠です。
 正月用にと作った黒豆ですが、ご飯が紫色になるんですね!初めて食べるんですが・・・味は今ひとつでしたが、「酢が少ない」と呟いていました。                

 

 


寒波の朝

2014年12月18日 | 風景

 日本各地が、寒気と大雪に悩まされています。その雪は近年にない大雪と、台風並みの強風で被害が出ているようです。私の所は、昨日天気は良かったですが、風が強く外に出ると”ふるえ寒さ”でした。予報では、”夜から雪”の報道でしたから、水道の蛇口に覆いをかけて、早々と暖房をかけ炬燵に入ってしまう有様でした。
 それでも普段と違って背筋が小寒い感じで、9時過ぎ障子をあけみると”雪が降ってる!!”状態で、吹雪と云った感じでした。

             
       就寝する前の10時の時の映像です。

             
     翌朝は、5時の起床で暗いうちから写真をとりましたが、明るくなってからの6時30分の写真です。

  
朝陽がたてものの上方部からさしてきました。7時22分の写真です。(以上家の北側)

             
       家の東側になる7時55分の写真で、積雪は約30cmです。

    

             
       食事を済ますと畑に行ってきました。8時24分の白菜の写真です。もうすぐ朝日がさしてきます。

       
      畑に行くときの我が家の前の道、8時16分の写真です。日蔭は一日中寒かったですが、日向は暖 
     たかい感じでした。

 今の時期は、時間は有り余るほどあるといった感じです。5時に起きて私担当の家事を3~4点こなして、コーヒーを一杯飲むわけですが、こまめに沢山の写真をとりました。
 毎日ぼんやり過ごす訳にもいかず、時間も充分ありますから投稿しょうと考えました。そして50枚余の写真の中から選びながら、ゆっくりと構想?を練りました。といっても「下手な考え休むににたり」の感じで、昼寝やうたた寝をして・・・雑用もすましての投稿になりました。私は、すらすら書けるタイプでなく”難産型”です。   

 


2014 畑の紅葉

2014年12月16日 | Weblog

 12月に入ってここ10日間天気の良い日はありません。降らない日もありますが、1日か2日の間をおいて雨または雪が寒波を伴って波状攻撃のようにやってきます。だから、どうしても部屋に閉じこもりがちになります。雨などが降らない日を選んで畑に出てみますが、寒さで短時間で帰って来てしまいます。
 こんな時は、人を訪ねたり買い物に出た思いですが、今季は思いとどまる事が多くなりました。一言でいうと「歳」という事でしょうか・・・?確かに外出も必要最小限に留めるよう意識していますが、出る根拠(原因)が歳とともに少なくなっていくようです。畑の野菜作りは、天気さえ良ければ出る仕事はありますが今は農閑期(骨休め)の時期です。 

             
 12月14日朝明るくなったら雪で屋根が白くなっていました。この雪は10時ごろにはとけてしまいましたが、1日みぞれと雪が舞う寒い日でした。初雪は1週間前に雪が舞う程度でしたが、雪国の事を思うとありがたいです。

             
  畑に出るは主に収穫ですが、自家必要量ですから大根なら1本か2本,葱や白菜なら1株、人参なら5本といった
 感じでです。その人参が「まだ写真で出してもらってない!」と、いうことで・・・?。

 
右の写真は、昨年12月に収獲し、投稿した 人参です。
今年の人参と比べると明らかに形状が違いますが、同一品種です。(タキイ種苗。向陽)昨年は、雨が少なく乾燥気味で、人参が地中の水分を求めて長く伸びた結果と考えています。

 とすると、今季は雨が多く湿度があって、長く伸びる必要がなかった考えていいようです。

年々再々季節は訪れますが、微妙に違った陽気があるようで、畑の紅葉も雨の加減かな!・・・  

 

 

 今の私の感じる寒さを「歳」という想いで受け入れていますが、例年取り上げている「畑の紅葉」から見ると、変則な天候なようです。結果は”紅葉が美しくない!”ようです。昨年12月投稿と比べてみてください。
 写真は、12月3日、7日、9日、15日の4日で撮りましたが、特に後半の紅葉が美しくないと思います。

2014 畑の紅葉


御嶽山と各務原台地

2014年12月11日 | Weblog

 妹が各務原(かかみがはら)に縁があって、その分各務原へ行くことが多かった訳です。
 その各務原に行くには、すぐ裏の木曽川堤(お囲い堤)を川上へ(東)約15キロほど行くわけですが、途中愛岐大橋で木曽川を渡り(岐阜県へ)河畔を少し離れると、畑の土が黒くなって来るのが気がつきます。そして畑一面に人参が栽培されているのに興味というか関心を持つようになりました。
 74歳でパソコンを覚え、79歳でブログを投稿するようになってから・・・、周囲の色々の些細な物事(景色)に目を向けるようになり、写真を撮るようになっていました。「まあ~ブログのネタにでもにでもならないか!」の思いもあったのも事実で、今もその感覚は心の底にあるようです。

 野菜作りが好きな関係か?黒い土で広大な人参畑には興味があって、投稿できないかと考え各務原の図書館へ2度3度とかよいました。
 此処が「各務原台地」という名称である事、黒い土は「クロボクド」と言い・・・御嶽山噴火の時の「火山灰」であることが解ってきました。3年余前から機会があるごとに写真を撮り、投稿に挑戦しましたが、所詮素人で・・・何度もパソコンに写真を並べて思案しましたが果たすことが出来ませませんでした。

 「地質学に通じていないと駄目!」と云った思いで諦め・・・写真だけ暖めてきました。が、ここで思い切って投稿しようと考えました。しかし今回も写真を並べてだけで三日間も”にらめっこ”していた末の投稿ですから、未熟ですが、お許しを・・・。

  各務原市の市街地は,木曽川の北岸にそって現在の河床面よりも5~10mほど高い各務原台地と呼ばれる台地の上に広がっている.この台地は東西約10km,南北約5kmの広がりをもち,西に向かって低くなっており,これも濃尾傾動運動の影響である.この台地を作っている地層は各務原層と呼ばれ,古い木曽川が運んできた土砂によって作られたもので,その主体をなす砂礫層はおもに粗い砂からなり,いろいろな種類の礫を含む堆積物であるが,その中にオレンジ色の御嶽火山起源の軽石を含むことを特徴としている.これは,6万~10万年前の時期に御嶽火山で活発な火山活動があり,山麓に堆積した大量の軽石が当時の木曽川によって運ばれてきたものである.この各務原層は間氷期の堆積物であり,その次の氷期になって河口の位置が下がったことで台地の南端と東端が削られて段丘が形成された.それは各務原層からなる上位の段丘面と浸食された当時の河床面に堆積した河床礫層からなる下位の段丘面からなる.これら両方の段丘面を上流から流れてきた木曽川泥流が覆っており,その年代は約5万年前である.
 
 
氷河期の期間中にもより寒冷な時期とより温暖な時期がある。より寒冷な時期が「氷期」、より温暖な時期が「間氷期」と呼ばれている氷期には、より多くの氷が作られて海面が低下し、間氷期には、その氷がとけて海面が上昇する現象が伴うとされる。(インターネットから)

           
 東西約10km,南北約5km 、1,900haの土地は一見黒土で農業に適しているようですが、強い酸性土壌の未開拓地で明治時代陸軍の演習地や草刈り場となっていました。近代土壌改良されて人参産地となっています。

           
 木曽川の北岸にそって現在の河床面よりも5~10mほど高い各務原台地は、一見断層に見える上位の段丘面(竹藪)と下位の段丘面(農地)なっています。上位の段丘地は、現代は一部宅地や商業用地、工業用地として利用されています。

                   
          上図の上位の段丘面(竹藪の)のクロボクドと粘土状の土です。

       
           クロボクド                         ねんど状の土

       
             オレンジ色の土?                     グリ石

上位の段丘面から、代表的な石と砂を採ってきました。これを詳しく解析することは私には出来ません。

           

          
 下位の段丘地は、農業用地として利用されていますが、近年「じゃり砂」採取のため(コンクリート用)深い穴が掘られています。(上2枚の写真)(クロボクドは、取り除かれて、山土で穴を埋めた後、クロボクドが戻されて農地に戻る)

 深さ10mぐらいで、各務原層と呼ばれ,古い木曽川が運んできた堆積層を幾重にも見ることが出来ます。御嶽の火山灰と言われるクロボクドが、約1m位あって土と石で幾重にもの層が形成されていることが解ります。専門的なことは全く解りませんが、10万年かそれ以上の年代の木曽川と御嶽山の噴火の歴史が解るのではないか??そんな気がする貴重な写真かもしれません。

  古代御嶽山は、富士山に匹敵する高さの成層火山であったと推測されるようです。度重なる大爆発によって崩壊した土砂は土石流となって木曽川を200Kも流れ下り、岐阜県各務原市各務原台地が形成されたようです。
 その古代の荒々しさを想像する事さえ出来ませんが、9月27日の御嶽山の噴火は、その片鱗を見せたような気がします。

 


敦煌石窟寺院の仏 (夢の旅)

2014年12月10日 | 旅行

 私は、海外旅行はほんの数か国しか行っておりません。それもヨーロッパや北アメリカでない国を選んでいました。

 しかし 70歳頃で海外旅行は諦めましたが、女房の足の事が主な原因でした。以後二人で車の一泊か二泊の旅をしましたが、75歳で自家用車の旅は終わりにし、以後公共交通機関を使う旅にしました。しかし、それも80歳頃には中止に追い込まれてしまいました。

 原因はありますが、私は「老いの過程・・?」と理解しています。以後一人で、写真を撮りに程度の旅?になっていますが、いずれそれも出来なくなってくる時期が来る覚悟はできています。が、取り合えづ90歳までは、この状態で行けるよう頑張ります。

                                                
 
70歳で海外旅行をあきらめた訳ですが、中国、敦煌とカンボジア、アンコールワットは是非行きたいと考えていましたが、果たせませんでした。 もう、忘れてしまっていましたが、その思いが念頭にあってか、満足ではないですが映像を撮ることができました。

 5世紀以降の塑像が、色鮮やかに残っていることに感動を覚えましたが、信仰の対象としてより仏教遺跡として残っているようです。インドで生まれた仏教がこうした過程を経て日本に伝来して、私が訪ねる寺院で仏たちがいきているのだなーと思いました。

敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1,600mに渡って掘られた洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置され、壁には一面に壁画が描かれています。

 作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされる。仏教僧・楽僔(らくそん、僔は人偏に尊)が彫り始めたのが最初であり、その次に法良、その後の代に至るまで1000年に渡って彫り続けられたと言われています。

敦煌石窟寺院の仏


ミカンの収穫

2014年12月07日 | 野菜つくり

  6日7日と日本列島は真冬並みの寒波に襲われています。太平洋側では、四国・九州そして日本海側はすべて大雪になっているようです。
 私の所も6日は、朝から粉雪が舞う日になりました。積もる雪ではなく、、みぞれになったり、夕方にはぼたん雪が混じったりして・・・寒い一日でした。それでも、朝一番にインフルエンザの予防接種に二人で出かけた他は、一日部屋に閉じこもりました。

 明けて今日7日は、暗くても雲が切れている感じで・・・、室内温度は10℃、とすると外の気温は2~3℃程度の厳しくない寒さです。8時ごろに大陽が燦々とふりそそいできて、9時に畑に出ました。

 ミカンとユズの収穫があるからです。露が残っていて指先が濡れましたが冷たい!寒いという感覚はありませんでした。

                  
         ミカンとユズをそれぞれ一本づつ採り収納して、午前中が終わりました。あとの処分は女房の担当に   
        しています。

 その担当者ですが、去年までと違って今はバケツ一杯のミカンが持ち運び出来ません。10個程度ですと大丈夫なようで、うまく処分してくれることを願っています。まだミカンが5本あるんですよ!!。

 今秋からは、老人医療・介護の問題を考える事が多くなりました。歳とともに当然起こりうることで、日々考えさせられます。いい意味では勉強している訳で、いずれこの問題にも触れたいと思っていますが・・・?。

 


寒波第一陣

2014年12月02日 | 風景

 11月末頃から交互に雨の日がやってきて畑に出る機会が少なくなりました。11月30日(日曜日)は朝から快晴に恵まれて、草刈りと写真を撮ってこようとカメラを持って畑に出ました。案の定、畑の銀杏の木の紅葉が真っ盛りでした。家の畑に隣接しており、毎年のようにブログでも取り上げてきました。
 ギンナンを採るため畑に植えられているためたか、街路樹の銀杏と比べると紅葉が遅い事と、樹高が20m余と高いため紅葉が目立って、多くの人が足を留めたり、写真を撮ってみえる人気箇所と云えます。

 只老木(樹齢90年余)で、良質のギンナンが採れないためここ3年位前から収獲されず放任れています。近いうちに伐採される予定で紅葉ももう見えなくなるかもしれません。 

             
 紅葉が最も美しく見えるのは、厳密にいうと一日だけと云えることが出来ます。「その一日が30日だった!」と云えるくらい映えていました。

             
近くの介護施設(サンライフ・ジョイフル)から、93歳の母親を70歳の息子が車椅子で連れて紅葉を見に来てみえました。  お二人と少し言葉を交わしました。

            

            
         上2枚の写真は、7本の銀杏の木立ちの中へ入って行って撮りました。

 中一日置いて12月2日は、今季最大の寒波と強風が日本列島を襲うという予報が出ていました。但し太平洋側は晴れは、冬の典型的な気象状況です。朝起きると庭木が揺れるほどの風がもう吹いていました。
 野外で水に手をつけると”しびれる”寒さでしたが、少し仕事があって畑に出て写真も撮ってきました。

             
     道端の7本の”もみじ”の紅葉も二日前の事を思うと進んでいました。この紅葉は順次12月下旬にかけて
    紅葉していきます。木が東西に並んでいることと、南側に高い銀杏ある環境が、順次東から西へ約一ヶ月掛 
    けて紅葉していくと判断しています。これも例年投稿しておりますが・・・。
 

             
          昨夜からの風もあってか落葉が始まっていました。

             
            耕作放棄地の茅の穂が強風になびいていました。

  1時間ほどの外出で早々に帰ってきて、あとは一日部屋で過ごしました。