私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

唯一の友(戦時下の青春)

2018年08月11日 | 随想

  齋藤様
 
 先日は、お手紙そしてコメントと有難うございました。
 齋藤さんの文中の言葉「今日は8月9日 長崎に原爆が投下された日です。昭和16年12月8日、大東亜戦争 開戦。小生等は生まれ落ちてから、20歳になれば兵隊検査を受けて、甲種合格となり兵隊に入営するのが、この上ない親孝行だと、物心ついた時から親も先生も国も、兵隊に行き お国の為に戦死するのが、親孝行と教育されてきました。」
 齋藤さんは、大正末期の生まれ私は昭和初期の生まれ、歳は約2歳違いますが、幼少から青春期にかけて・・・、同じ世情のなかでそだちましたから、上記の文章もすんなりと受け入れられます。旧制の中学校では軍事教練をけており、実弾射撃も体験しました。戦争末期なると学業よりも勤労奉仕が多くなり、農業科に学んでいましたから、食糧増産で10日~1ヶ月の泊まりこみの奉仕がありましたが、家で農作業の手伝いをしていた経験から重宝されおり、楽しい思いで
でした。19年6月名古屋近郊の蟹江町農協単為の奉仕の時、B29の爆撃を始めて見ることになります。空襲警報が鳴って空を見上げると、もうB29の編隊が頭上を飛んでいました。その編隊に豆粒みたいな戦闘機が2~3機からんでいましたが、なんの変化も起こりませんでした。高射砲の射撃エリヤになると、盛んに編隊の中に高射砲の炸裂煙幕ができますが、編隊は悠々と飛んでいます。後から解ったのですがB29は9000mの高度を飛んでおり、日本の高射砲は届かなかったようです。機体から小さな黒いものパラパラっと見えて・・・しばらくすると、地上に土煙の上がるのが見えます。庄内川の堤防から淡々と見ておりました。(史料では、130機のB29編隊が琵琶湖目標に北上編隊が大阪方面に向かったと、名古屋地方は空襲警報解除?ところがそのうちの40機が突如名古屋方面に進路を変更、隙をつかれた感じで愛知航空機を主に2000人余の死者が出る)
 
 
昭和20年にになると、名古屋市街地の焼夷弾の無差別爆撃が始まります。深夜B29が超低空で1機ずつ侵入し探照灯で照らし出され、地上からの機銃の曳光弾でB29が包まれますが、B29が火を噴いたり、落ちることはありませんでした。反対に機上から地上の陣地に撃たれる曳光弾が見えていました。最初うちは地上からの反撃もありましたが止み・・・、もうその頃は地上は火の海で名古屋の夜空は真っ赤に染まっていました。約20キロ離れていますが良く見えました。

 昭和20年3月そんな世情の中で学校を卒業(17歳)しました。私がなぜその道を選んだかは殆ど記憶しておりませんが、農林省の園芸試験場の実習生の道を選び、その頃になるとB29の日本の都市多くが爆撃され、太平洋沿岸の都市は艦砲射撃にさらされていました。(具体的には浜松)燈火管制された暗い超満員の列車にうずくまって行った記憶です。
 園芸試験場は、相模湾に面した神奈川県二の宮町にありました。同期生は十数人で主に西日本出身者で生涯付き合う友を得ることになります。試験場の生活は、午前中は授業で午後実習というパターンでしたが、一言でいうと過酷な生活で・・・特に食糧事情でした。日本全土が配給制度で、カロリー換算で半分にも満たなかったと思います。三度の食事はありましたが、少量の米と芋や麦など雑穀で・・・腹いっぱい食べれることはありませんでした。食事をして2時間もすると「腹がへった!腹がへった!」と呟いていました。膝ががくがくする感じでしたが、飢餓的感情はなく・・・実家が畑作農家でしたから送られてくる、芋や麦の加工品で空腹を満たしていましたが、常時という訳にはいきませんでした。一方試験場では桃、梨、柿園があり蔬菜や芋類を作っていましたから、収穫期には、それを使ってコンパが開かれていました。具体的には、牛車を使って相模湾から海水を運んできて、それを煮立てて塩らしきものを作り(味噌や醤油は無かった)収獲した野菜や芋を使い、配給の小麦粉を練って、塩味の「すいとん汁」を大鍋一杯作り、空腹を満たす「食べ会」で・・・、どんぶりで3杯も4杯も食べた記憶です。満腹というより腹がはち切れる
ほど食べたという感じです。

 上記は、当時の食生活でしたが、戦況の方は厳しさ増していました。相模湾に面した二の宮の町の裏山には、本土決戦に備えて砲台を作る大きな穴が掘られていました。その砲台をコンクリートで固める”砂利すな”を運び上げる町内会の勤労奉仕がありました。肩に食い込む重い砂を担いで山腹まで上げる、辛い仕事でしたが、その時の昼の弁当が「さつま芋2個と胡瓜2本」でした。畑て鍛えた体で一日5回の砂運び終えましたが、歯を食いしばっての労働でした。試験場の裏山には、機関銃座の穴が造られてれており、掘っていた兵隊さんとの交流もありました。
 二の宮では、海に近い町に下宿していました。ある夜(5月?)爆音で眼が覚めました。下宿の2階から海側を見るとB29が超低空で一機づつ飛んでいきます。海岸線に沿って2~300メートル先を・・・と云った感じです。もう東の空は真っ赤に焼けていました。防空壕に入る必要もなく、目の前を通り過ぎるB29を淡々と眺めていました。私は横浜大空襲だったと今でも思っています。
 6月頃になると戦闘機が飛来するようになりました。二の宮の北方に厚木の飛行場がある関係から、飛行場を空襲した飛行機が帰路、東海道線の駅や機関車を操縦士顔が見えるくらいの低空で3~4回旋回して機銃掃射をしてい行くのが日課みたいな感じになってきました。
 8月7日朝の新聞で「広島の新型爆弾投下!」を見ました。写真入りで今もはっきり記憶していますが、原子爆弾であったという事を知ったのは、可なり?あとでした。8月14日休日(お盆?)を利用して汽車(東海道線)で家に帰ってしまいました。(試験場には無断で)15日深夜の3時ごろ「尾張一宮駅」を降り外へ出ると一宮市は(愛知県で名古屋市・豊橋市に次いで3番目)空襲で焼け野原なっていました。家までは歩いて約2時間ほどかかる思いで・・・歩いていると荷馬車が近づいてきて「坊何処まで行く?」と聞いてくれて、都合よく同じ町へ帰る荷馬車で乗せてもらいました。
 家まで数分ところで荷馬車を降りると、桑畑の続く田舎道で、家のある集落が見えてくると、とめどなく涙が出てきて止まらなくなりました。道端の石に腰かけて涙が止まるまでまちましたが、懐かしいとか、嬉しいという感情ではなく?故郷の意義を強く認識したと思っています。涙がとまり普通の顔になり家に帰ると親がビックリした感じでしたが、何も聞かず、何も話しませんでした。
 朝ご飯を済ますと中学の友達の家を訪ね・・・そこで戦争が終わった事を知りました。今から思うと複雑で非常なシヨックでした。試験場は止めた訳ではなく一週間ほどで帰りましたが、咎められることはありませんでした。73年前の今日の戦中の青春出来事でした。

 

 

                .            

コメント

唯一の友(第二信)

2018年07月30日 | Weblog

 斉藤 様

 先日は丁重なお手紙ありがとうございました。私も月一回の訪問は頭にありましたが、二週間余にわたる猛暑をどう過ごすかで頭が一杯でした。結果は茶前の1時間と、夕方の1時間で野菜の収穫と水やりにしぼり・・・、それでも早朝は3回ほど止めて、日々を送っていました。日中は外に出ることは殆どなく・・・、テレビやパソコンに向かい長い昼寝で過ごしていました。テレビやパソコンは集中できず・・・ぼんやりと時間を過ごすだけと云った感じです。ただし 朝夕の畑でも、じんわりと汗をかきます。その汗がこの暑さの中でまめで過ごせた安心と満たされた気持ちになります。
 それでも 28日土曜日か29日日曜日に暑さが和らいて、雨でも降れば・・・出掛けようかな?と考えていました。そんな矢先に丁重なお手紙を戴いた訳で・・・、お言葉にあまえて「太郎と花子」行きは延ばそうと思った訳です。

 7月の第一週は西日本が豪雨災害に見まわれ、第二第三週は猛暑に見まわれ・・・今年の7月の異常さを感じていました。第四週はこの猛暑が続くのか?と思っていたら、東から西へ本土を縦断台風12号がやってきました。豪雨、猛暑、台風の東から西への進路の3点とも「過去に経験のない」が頭に付く異常な7月になってしまいました。その7月を早朝と夕方の短い働で・・・但し気持ちが進まない時は即断で止めて乗り切ってきた感じです。早寝、早起きも良かったかな!それに長い昼寝も(1時間~1時間半)それでいて最近は夜9時になると就寝します。身体が「寝なさい!」とシグナルを送ってきます。夜のトイレは1回・・・総じて私の特技かな?大事にしていきたいと思っています。

 28日は、早朝からこんな出来事が起こりました。”東海地方に上陸”予想の台風12号は、知多・渥美半島をかすめて三重県伊勢志摩に上陸しました。内陸に当たる私の所は雨風とも被害なし!、雨は欲しかった!です。28日4時半過ぎの起床で”朝焼け”を撮るのはおそかったですが、ブログ「台風12号が去った朝」が投稿出来ました。
 晴れてきて爽やかな朝を迎えて朝食を終えて畑に出ました。野菜は作ってなくてミカンと柿が10本ほど植わっている畑で、案の定畑が緑ぽく見えるほどでした。取った草を畑の隅に積み上げるわけですが順調に進みました。それでも10時を過ぎた頃になると朝の爽やかさは消えて、日差しが暑いと感じるようになりましたが、休憩をとって昼まで頑張るつもりでした。
 畑の道端に、バイクが止まってポリさんが(交番の警察官)おりられました。私にしか用がない感じで「何だろう?」と私が道へ出ました。畑に隣接して林があり、その「地主さんを知らないか」という事でした。「苦情の処理」で「林の地主さんは解らないが、畑に見えるおじいさんに聞いてみてください」という流れのようだと感じました。知っていておしえましたが、古い事を知っている年長者になってしまった想いでした。
 分れ際に「水分をとって、熱中症に気を付けてください!」 「大丈夫です。畑から西瓜の小さいのを持ってきて食べていますから」心配して頂いているようで・・・「私何歳にみえますか?」と聞いてしまいました。私は、ポリさんを40代前半と判断していました。即座に「73歳」でした。私は頭を左右に振って、右手を高くあげました。「何歳?」 「90歳です」 「 見えない!主に会話のリズムで判断しました」 全部で10分余の話し合いでしたが・・・最後に励ましていただきました。

 この健康を保って100歳を目標に行きたいと思っています。28日は半日畑に出ましたが、以後日中は畑に出ていません。35℃を超す日が続いていますから。今日で7月は終わり明日から8月ですが、例年ですと8月の方が暑いはずです。心して過ごしていきたいと思っています。
 早速返信さなければならない処遅くなり、且つブログ形式の返信になりました。ご理解ください。暑い夏を乗り切って涼しくなったらお邪魔します。大野先生にも宜しくお伝えください。

                         2018年 7月31日                               敬具 

 、

 

コメント (1)

台風12号の去った朝

2018年07月29日 | 台風

 この7月は、経験した事の無い豪雨、つぎに経験した事の無い猛暑、そして月末になつて、経験した事の無いコースをたどる台風12号が発生しました。27日になると、太平洋上を北上した台風は、東海地方に上陸し西日本を縦断するように東から西へ進むコースのようで、常状は西から北東進むのが普通で、経験した事の無い事態が起きる可能性があり、それが沿岸部の高潮の被害だという印象を受けました。と同時に、あの豪雨で痛めつけられた上を再度通過するわけで、こころが痛む思いでした。28日になると台風の進行を示す狭い扇形の中に、私が住む愛知県がすっぽり入るかたちになってきました。
 来るものは迎えなければならない訳で・・・心構えとしては60年前、私が30代の時に経験した伊勢湾台風(最低気圧895、最高風力75M)頭に中にあります。自然災害の力は軽視いけないと考えています。60年前と比べると今は情報も豊かで・・・、それを活用して確り判断をしていきたいと思います。
 28日午後になると台風は深夜に最接近し、コースも扇形の南寄り(沿岸部)を進む感じになってきたと認識しました。という事は風の被害は少なく雨という事になります。7月は2週間以上雨がなかったこと、ただし4日前に30分余大雨が降って大変助かっていました。しかし28日も朝から曇っていましたが時々日が照り、夜10時就寝しましたが、雨は降りませんでした。寝てるうちに雨を期待して寝たという感じです。

 夜3時ごろトイレに起きましたが風、雨とも感じませんでした。4時半起床・・・裏の窓を開けて見あげると「朝やけ」が始まっていました。顔を洗っただけでカメラを持って自転車で出掛けました。

                           
                裏の道へ出ると直ぐ撮りました。木曽川堤まで出ると朝焼けは終わってしまうからと・・・。

                            
                9分あと・・・空は金色に変わっていました。木曽川堤で・・・

                             
          目的地小網橋(280M)で・・・5時、もう日の出です。木曽川はここで二つに分れてこちらは支流(南派川)です。
        数キロ先で又合流します。

 5時20分には家に帰っていました。気象情報では、12号は洋上をかすめるように三重県伊勢志摩に上陸したようです。私の所からは約200キロ離れています。風の被害はなし、雨は殆ど降っていませんでした。

 

 

 

                  台風12号の去った朝

                    

コメント

猛暑の中の花

2018年07月25日 | 花作り

  生命にかかわる猛暑の日が18日目になりました。一滴の雨も降っておりません。早朝と夕方の2時間ほど畑に出て作業してきました。野菜作りをしているから出るのも事実ですが、その程度働き汗をかく方が、身体的にも気持ちの上でも納得できるといった感覚です。それでも今回の猛暑では、3かい早朝の畑には出ませんでした。起床は5時前が定着していますが、気分が悪いという症状でなく、気持ちが前向きでない感じ?私は「身体が教えてくれる!」といっていますが、その指示にしたがいました。お蔭と元気で過ごしています。
 気象情報では今日が36℃、明日からは35℃を切るようですが、体力が衰えている分猛暑と変わりなと思って・・・乗り切ります。台風12号が発生したようで曇りマークが出て月末には傘マーク出ました。本当に一雨欲しいです。

 日中はほとんどクーラーの効いた部屋やで、テレビとパソコンと昼寝で過ごしてきました。今朝早朝の畑で・・・、けなげに咲いている花が目に留まり、朝食が済んでから・・・、その花の写真を撮ってきて投稿しようと考えた訳です。この花「ケイトウ・百日草」は私が、仏花・お墓の花用に蒔いておいたもので当然目に入っており、2回ほど使用しましたが暑さのおとずれとともに野菜のほうに目が向き意識しなかったようです。管理は、野菜の事を思うと放任状態ではないですが、手間はかけてきませんでした。野菜たちが喘いでいる中で、逞しく美しく咲いていると感じたわけです。それを表すことができたら・・・と思っています。 

                       

                       

                       

                        

                       

                        

 

     猛暑の中の花
                         

コメント

猛暑やり過ごす

2018年07月22日 | 野菜つくり

 東海3県に連日高温注意報が出て・・・西日本豪雨が止んだ翌日8日から今日で15日目になります。35℃を超す猛暑で・・・、私の所では最高気温が39℃でしたが 、35℃を超すと全ての日が同一猛暑という感覚です。人間は午前中からクーラの効いた部屋に避難していますが、野菜たちは炎天下で喘いでいます。その野菜を戴いて生きている訳ですから、ほって置くわけにはいきません?というより手助けしてやるのが義務だと思っています。
 暑さが続くようになつて、その手助け(管理)の時間も早朝と夕方のそれぞれ1時間、計2時間でやってきました。しかし この暑さがまだ一週間続くようで・・・、今の働き方も”もうひと思案”しなければなりません。

 過去に経験した事の無い西日本の豪雨でしたが、この暑さも過去に経験した事の無い猛暑になっています。考えてみると、7月の第1週は梅雨時でしたが、過去経験した事の無い豪雨災害、第2週から第4週は連続の猛暑日・・・という事は、過去経験した事の無い異常な7月になるようです。次に来る8月をちょっぴり心配しています。想定外の事や、過去に経験したことのない事が起きる時勢ですから・・・。


 
                 
 近所の里芋の畑です。畑はまっ白乾き葉っぱが枯れ生育不良です。数年に一回位の割合で、雨がなく日照りでこんな状態になることがありますが、過去8月に入ってからでした。7月半ばではやはり異常と云えます。というより早すぎる暑さとも云えます。

 

コメント

猛烈な暑さ

2018年07月16日 | 随想

 西日本の豪雨災害に続いて、記録的猛暑がやってきました。東海3県にも高温注意報が連日出ています。畑の方も朝方の涼しいうちに必要最小限の作業にとどめていますが、その朝方でも例年にない暑さ?異常さを感じます。今朝16日も茶前と朝食後で2時間半ほど畑に出ましたが、作業は収穫と水やりの軽作業で・・・、この程度ですとペットボトルなど水分を持っていく必要はありません。しかし 帰るとシャツとズボンをまる洗いをして干し、シャワーを浴び、部屋に落ち着くとあつくないお茶と、あついコーヒーの2杯を一気にのみました。
 早寝早起きの、朝4時半頃が起床ですから、当然昼寝をします。通常1時間半前後ですが、午後3時ごろ目を覚ましました。トイレに行こうと廊下にでると”むっと”する暑さでした。寝ている時は快適という感じでしたから・・・各所気温を計ってみました。部屋のクーラーの設定温度は、通常28度にしています。部屋29℃、廊下32℃、外気38℃で、こんな感じの日が4日続いています。

 収獲や水やりは朝夕にして、それぞれ1時間ほどですが、べっとりと汗をかきます・・・早々とそんな働き方切り替えました。すると日中の有り余る時間をどう過ごすか?ですが、テレビ、パソコン、昼寝まあ、そんなところですが・・・昼寝だけは、1時間半から時によると2時間確りと寝ます。テレビやパソコンは意識散漫で前に座って居るだけの方が多いといった感じで閑を潰しています。だからこのブログも3日前に起稿して・・・、暑さで集中出来ず・・・4日目朝ようやく投稿出来た訳です。暑さ・いや難産型・いや歳ですね。
 数年前いや以前ですと、ペットボトル(500ml)水1本と水を凍らせた1本の2本を持って夏の午前中畑へ出たことを思い出します。今は90歳健康に溺れて無理はしてはいけないと思っています。それにこの猛烈な暑さは異常です。今日は39℃の気温情報が出ており、しかもこんな気候が月末まで続く予報です。畑の野菜もほってはおけません。

                  
                主要都市の最高気温予報です。上から東京、岐阜、大阪、岡山、広島、松山です。

 

コメント

7月の畑 (熱中症対策)

2018年07月14日 | 野菜つくり

 西日本に記録的豪雨の爪痕を残して去っていったあとに、記録的暑さがやってきました.
13日に東海3県に高温注意報がでました。予報では、今日14日からは、複数日最高気温が38℃と云っていました。この数字は、私の認識では初めてじゃないかな?

 昨夜は、2時半頃トイレに起きて・・・5時10分前に眼が覚めました。就寝が午後の9時40分頃だったかな・・・トイレに起きた時を境に、前半は熟睡、後半は眠りが浅い・・・毎日が大方そんなパターンです。
 昼間は働かないが、茶前に収獲などを済ましてこようと出掛けました。約1時間半当然ですが、昼間ほどの汗はかきませんが シャツがじんわりと濡れてきます。もう6月早朝の爽やかさは感じることはありません。しかし 歩いたとか、体操した時のように体を動かした実感と、収獲出来た事、畑がきれいになった喜び感を味合う事が出来ます。

 高温注意報が出て3日目の今朝は、収獲と水やりがあって茶前に畑に出ましたが、早朝という感覚はほとんど無く、無風で蒸し暑く休憩をとっても、体を休めている感覚が全くありませんでした。このまま仕事を続けると身の危険を感じました。どうもこの猛暑は当分続くようですから、慎重に対処します。
 毎日ではないですが、水やりと収獲は朝夕の涼しい時にします。畑は、バルブを開けると木曽川の水が出ます。畑地灌漑施設整っていてありがたいです。

 

 

コメント

7月の畑 (平成豪雨大災害)

2018年07月09日 | 野菜つくり

 先週は、過去に経験のない記録的豪雨で四国、中国地方を中心に大きな災害がでました。映像を見ていると種々の思いが交差し、時に目頭が熱くなりました。週末の6日7日には、背中合わせの岐阜県に警報が出るようになりました。長良川上流の「ひるが野」が積算1048ミリの降雨量とのこと、郡上市八幡は女房の実家もあり、妹も嫁いでおり電話しましたが、激しい雨が降ると止み、洪水警報が出ますが・・・川の水がへる繰り返しが、一日で4回も5回も繰り返しが現状とのこと、「今のところ大丈夫、但し気を付けています」でした。飛騨川も種々警報がでていました。長野県の乗鞍山系を源流に御嶽山の水流を集める水量の多い川です。過去幾多の災害が発生していますが、岐阜県美濃太田市で木曽川に合流しています。その木曽川は私の処の直ぐ北を流れています。しかし 私の所は大雨警報は出ましたが、梅雨時の雨と云った感じで済みました。いや7日(土)午後4時ごろ、バケツをひっり返すような雨に見舞われました。屋根の雨が雨樋からはじき飛ばされれる感じの、どしゃ降りの雨で前の道が川のようになっていました。しかし10分にも満たない短時間すみました。あの雨が30分続いていたら・・・、床下浸水や畑の冠水が起きた事でしょう。

 翌8日(日)曇り時々雨の予報でしたが、雲は多かったですが陽も照って…午前中西瓜・茄子・胡瓜・トマト・ミニトマト・ピーマンと一杯の収穫をしました。勿論午後からは休みますが、2回ほど雨が来ました。                                                                                                

                            
 9日予報どおり晴れた朝を迎えました。葱の定植をしょうと早朝畑に出て、とりあえず溝の深さ15㎝ほどの畝を2列作りました。朝の涼しい内にやっておこうという算段でしたが、1時間掛かりべっとりと汗をかきました。9時前再度畑に出た時は、陽が照り蒸し暑かったです。苗をそろえて植え終わって午前中が終わりました。左がこしず葱、右が一本葱です。気持ちも体力も限界でした。

                            
               6月24日に植えた秋茄子です。           

                           
              同じ日に植えた胡瓜です。もう1m余にになりました。

                           
 茄子と胡瓜5本ずつ苗を購入して植えましたが、畝が余ったので3カ所種を蒔いておきました。もうこれで暑い夏を乗り切ります。
 

 

コメント

私のブログ

2018年07月04日 | 随想

 台風の影響もあるでしょうが、此処へ来て梅雨らしい日が続くようになりました。今日で3日目朝から細かい雨が降り続いています。予報では週末まで続くようです。                                                     

 私の所では、今の処集中豪雨に見舞われることはありませんが、過去には2~3度苦い経験があり、そうならないことを願っています。先日まで、午前中汗びっしよりの日を過ごしていましたが、畑に出ない日が続くと体を持て余しています。以前ですと、パソコンに3時間でも4時間でもへばり付いていましたが、90代になるとそんな訳にはいきません。補聴器を買ったことは書きましたが、まだ日常使用しておりません。ちょっと気を付ければ対面の会話は90%成り立ちますが、若いもの(学生や児童)との会話は極めて少ないですが、成り立たないのが現状です。ひこ孫などは、母親に今なんといっているのか聞きなおしています。
 
 眼も日常の生活では不自由を感じませんが、小さな文字は読みづらいし、眼が疲れてきますから読書するということは皆無と云っていいです。90代は、老化を器具で補うのは最小限にして・・・、老化と従順に付き合っていく事だと思っています。但し右の百日草の写真は合成してありますが、こういう事は目が疲れませんし楽しいです。野菜作りとパソコンの道を歩いて行くわけですが、歩き方をさがしていかなければ・・・そう考えています。

 今日確認してみると、ブログを開設して4,170日が経っています。90代に入ってブログも10年を過ぎたという印象でしたが、具体的には、11年4ヶ月余と認識した訳です。という事は、78歳と6ヶ月でブログを始めた訳です。「壁に突き当たるかも知れないが!」いけるところまでいってみようと決めたことは覚えています。そして、月6~7回位の割合で投稿してきました。規模のちょっと大きい自家菜園作りをして来ましたから、野菜作りの投稿が多かったことも事実ですが、生活の中から生まれてくる文章という感覚で投稿してきました。どちらかというと、写真を多用している感覚でやってきました。私の作風がどんな形か分析することはできませんが、50代の頃にイメージした人生とは、全く違った老後を歩いているようです。

 ブログを始めて数ヶ月して3男の息子から「私の70代」がYhooやGoogleの検索でトップに来ているいることは凄い!と言われました。その時は殆ど感じませんでしたが、80代になってから「私の70代」のタイトルは「ごまかしている」の念に駆られたことも事実です。しかし結局そのまま来てしまい、これからも行くつもりです。ブログを開設したときタイトルを付けねばならなかったですが、何の思い(先見性)もなく、瞬時に”私の70代”とつけました。私にはそんな運の良さがあるようです。ブログを始めた初期の頃、検索でトップを競った人たちが消えていき・・・、最近は20歳下の新老人の人たちが現れてきました。そのブログを拝見すると、豊かな時代で学歴のある文面をみて淋しさを感じますが、生まれた時代を選ぶわけにはいきませんから、我が道を歩いていきます。

 

 

       

コメント (1)

6月の畑 (西瓜と枝豆の収穫)

2018年06月28日 | 野菜つくり

 ここ4日間ほど大変蒸し暑い日が続いています。まだ梅雨は明けていませんから、曇りがちの日が多く、雨も大降りで長雨ではありません。畑も午前中半日を目安にでています。特に連続茶前(6時前には)に出かけて、7時ごろに帰るようにしています。日中程ではないですが、べっとりと汗をかきます。朝食時は1時間半ぐらいは休んでから畑にでますが、もう朝方と違って流れる汗で顔を手ぬぐいで拭いっぱなしです。勿論休憩はこまめにとり、水分補給もしています。まだ「熱中症」らしきものに罹った経験はありませんが、悲劇は起こさないよう心がけます。畑に出ると云ってもこの時期は、作業の半分は草かきです。「もうちょっと頑張ろう」いう作業は絶対しないことにし・・・体が「休みなさい!」といったら、途中でも従っています。12時前には帰るようにしています。心配するからです。これから本格的な夏に入っていくわけですが、こんな感覚でやっていきます。 

                    
                     西瓜が、昨日初めて収穫しました。3品種で8本植えてありますが、今のところ順調です。

                    
                     枝豆も初めての収穫です。大半の野菜は進物用です。

 

コメント (1)