私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

3月の畑 (山の桜)

2014年03月28日 | Weblog

  此処え来て(3月下旬)日中の気温が、20℃を超える日が続くようになりました。少し詳しくいうと3月に入って20℃を超える日は7日間あって、例年と比べると最多であると報じられています。
 今朝も、雲一つない空で夜が明けました。5時30分頃の東の空は、「三日月残月と夜明けの明星」の印象的夜明けでした。8時ごろには「間違になく暖かい!」を予測できる天気で、早々と畑に出ました。作業としては補助的なもろもろな仕事で、午前午後と4時間ほど畑にいました。特に午後からの作業では、シャツが冬物で”肌にべっとりと汗を”かきました。
 シャツを脱ぐほどの暑さではなく、休憩をとると汗が冷たく感じて気持ちが悪く・・・、腰を下ろしてゆっくり休むような雰囲気でもなく・・・、考えてみたらまだ3月ですもの・・・、だから、手早く仕事をすまして早々と(3時半)家に帰りました。

               
 朝からカメラを持ってでました。この桜は私は「山の桜」と通称呼んでいます。林の西側にあって、ずーと以前から 見上げるように鑑賞することはありませんでした。畑が林の東側にあって、目線が遮られていたことが原因でしたが、この一週間で林の木を都合で伐採して眼に飛び込んできました。そして初めて桜の周りを一周しました。
 以前から、遠目ににはこの桜を意識していましたが、早咲きでこの桜が「散り終わると、近所のソメイヨシノが満開になる!!」私には、目安になる程度の桜でした。が、これからは 余生をもっとも付き合う桜になるなるのではないかと・・・予測しています。 

   
 畑を撮るのが主目的でカメラを持って行った訳ですが、3月15日蒔きのほうれん草と小松菜です。トンネルをしていますから、灌水には気を使っています。春の第二次補給野菜です。

              
 2月12日蒔きのほうれん草です。朝からトンネルを剥がして陽に当ててやりました。もう、そろそろ収穫できそうです。

             
 2月12日蒔きの大根です。4月下旬収穫を予定しています。二者とも貴重な野菜です。

              
 イチゴにマルチを敷いてやりました。隣り町に住む次男の家庭用で、野菜だけは作ってやっています。親ばかの象徴??ではない・・・です。去年の事を思うと野菜全体が、少し面積が少なくなっような・・・いやそうしたいと思っています。


3月の畑 (夏野菜の準備)

2014年03月24日 | 野菜つくり

 今朝(24日)5時の天気予報では、日本全国が全て”晴れマーク”になっていました。久方ぶりというより、日本全土が一日中快晴とは、極めて珍しいことだと思いました。最高気温が九州の一部と、名古屋、岐阜地方が20℃は今年の最高気温です。

 「よし!!今日は夏作の準備をしょうー」と8時半に畑にでました。大陽は燦々とふりそそぎ、風は全く無風と言ってよく、働き始めて30分もすると、上着を脱ぐ暖かさというより、暑くなってきました。夏の南瓜、西瓜の元肥入れと、空いた畑の耕耘で、又昼食が済むと、早々と畑にでました。

             
 午後からの作業ですが、畑に白菜の晩成種(晩輝)が残っていました。昨年までは女房がやっていましたが「もう、ちょっと無理・・・」と判断してする事にしました。小屋の近くまで運んでおくと、新聞紙に包んで収納してくれます。空いた畑に、石灰窒素と苦土石灰を散布して午後の作業を終わりました。4時でした・・・耕運は明日します。

 畑の行き帰りに、道端の桜を主に写真をとってきました・・・河津桜と寒緋桜です。ソメイヨシノは、蕾は少し膨らんだ程度ですが、畑をやっていても結構花を楽しむことが出来ます。

             
  1955年飯田勝美氏が静岡県賀茂郡河津町田中で原木を偶然発見したことが由来の早咲き桜です。

             
  中国、台湾が原産と言われており、沖縄で桜といえば、この寒緋桜をいいます。二品種とも知り合いが1~2本植えてみえるものです。

            
       これは「花梅」です。家の陰にあって遅く楽しむことが出来ます。

   

 久しぶりに午前午後と働いて、心地よい疲れを感じています。


3月の畑  (ジャガイモ植え)

2014年03月22日 | 野菜つくり

 21日(春分の日)22日は、東北や北海道は吹雪のようです。私の所は天気は晴れですが、北風が強く体感温度は、寒いと感じるお彼岸らしくない日になりました。
 前回の投稿(15日)で2~3日内にトンネル栽培の大根とほうれん草は、間引きと追肥をすると書きましたが、雨の日や寒い日が続いて21日に、しかも日中の陽ざしのある時間を選んで、間引きと追肥を済ませました。今日22日は、昨日の事を思うと風が弱くて、「ジャガイモ植え」を出来たら午前中に済まそうと早めに出かけました。

        
男爵の種イモを7キロ用意してありました。大きいイモは、三つ切り、小さいイモは二つ切りにして、苦土石灰で切り口を消毒する意味でまぶしました。193個できました。

        
畝間75㎝、株間は約30cmで7列になりました。2年前までは種芋10キロから13キロ植えていました。しかしここ2年で7キロに定着しましたが、何れ5キロ又はそれ以下にしなければならないと思っています。
 種イモと種イモの間に、鶏糞をやく22キロ施しました。発芽して茎が伸びるごとに、2回にわたって土寄せをし、その度に化成肥料とポカシ肥料を施す手順です。午前中で終わりました。

 


3月の畑

2014年03月16日 | 野菜つくり

 昨日15日は北風の強い寒い一日でした。但し朝の最低気温は+1℃、今朝は最低気温が-1℃でしたが、日中は春を思わせる暖かさになりました。そんな陽気もありますが、昨日今日と春の葉菜類の種まきをしました。小松菜、ほうれん草、チンゲン菜、キャベツ、春レタスなどでトンネルが2本出来ました。

 午後からは、その片付け仕事があってカメラを持って畑の現状を撮ってきました。

         

         
 上からキャベツとブロッコリーです。今食卓に上がる主野菜で、ブロッコリーはもう脇芽になっています。

         

         
 上から玉ねぎとキャベツです。ここ4~5日で急に大きく育ったような気がします。キャベツはまだトンネルを被っていますが、一週間ぐらいの間にカンレーシャ(網)にします。

         

         
 上から大根とほうれん草で、2月12日蒔きのものです。2~4日後に大根は間引きをして、両者とも追肥をします。トンネルは外しません。

         
 西瓜、南瓜の敷き藁用の麦です。中耕土寄せをしましたが、上着を脱いても汗を感じる暖かさでした。もう農閑期とは言っておれない時期に入ってきました。

 


八十路の雑感

2014年03月13日 | 随想

  3月に入ってから、ちよっと御無沙汰していましたが、寝込んでいた訳ではありません。朝はいつも通り(4時半)起きて、夜もいつも通り(10時)就寝して、昼寝は適当にして、日中はほどほどに体を動かしていました。
 畑の方は、まだ準備的な作業ですが機械で耕して、ジャガイモやこの3月に蒔く畑は、苦土石灰を蒔いて整地しておきました。この作業はそんなに時間がかかる訳でなく、余裕の時間でお友達の畑と柿の剪定をかって出ました。(お友達は入院中)
 
 その畑は30坪ほどですが、草取りがある分手間がかかりました。柿は3本剪定というより”整枝”と云う感覚で、枝の張っている面積を小さくすること、樹高を出来るだけ低くするよう心掛けました。勿論家族の方に了解をえてですが・・・。
 家族の方からは私に要望もあり、私の自覚もあって、高い所え”ケタツ”で登ることは最小限にとどめ、地上から出来る”枝切りカッター”で大部分を安全に済ますことが出来ました。
 この他に、三回ほど車で外に出まし一回は市内の歴史資料館へ(車で10分)、あと二回は各務原の妹のところ(車で25分)えです。

 振り返ってみると、私の場合昼間を「どう過ごそうか・・・」と云う悩みはないようですが、”人生山あり、谷あり”と云いますが、気分的には「落ち込む?」時があります。具体的に言おうとすると、「恥ずかしいようなこと?そんな些細なこと?いや些細なことではない?」と迷っていることが、落ち込んでいるわけで・・・それが結果として御無沙汰していたことになる訳です。
 考えてみると、過去にもこんな状態はあった訳です。しかし こうして心情を書くことは無かったですが、「老いの気弱さ!」みたいなものを感じるようになりました。寂しい事ですが、「これが老いていく現象かと!」思ったりしています。

 「勿論これではいけない!!」の思いはありますが、こうしてパソコンの前にいる気分になったのは、東北震災3年目の映像です。震災に合われた人の苦難の思いを聞いていると、私の心の谷間などは「微細々」足るものです。前向きに生きていかなければと、自分自身に言い聞かせています。
  
          
  畑にある「菜花」が収穫することなく咲き誇って、それをに女房がバケツに一杯採ってきて庭先に置いています。もう10日余になります。気が付いてはいましたが、3日前にカメラに収めました。畑にある花とは、一味違う美しさ・・・・。
 
          

          

  上2枚の写真は、岐阜県各務原台地の畑作風景です。広大な畑に人参のトンネル栽培がおこなわれています。写真上の犬山城の足下を木曽川が流れています。 各務原台地と言われている高台になっており(一部は断層状態で低い)土が黒ボク土になっています。現在の木曽川の水面より5~10M高く、東西10キロ南北5キロ、約1900haの範囲にわたっています。
 木曽川の上流岐阜県と長野県の県境にある御嶽山(活火山)が数万年前の大噴火で流失した火山灰が堆積したと言われています。強い酸性土壌で牧草程度しか育たなかった土地を改良して、人参の一大産地となっています。

 妹が各務原に嫁いで、この風景を目にするようになり、パソコンをするようになってから、各務原台地の地質に興味をもち、色々写真をとり暖めていますが、まだ纏めることが出来ません。(地質学が必要だからと・・・)独りよがりに決めています。約束の時間に少し余裕があって回り道をして写真を撮ってきました。
 
 今回は他の用事で行った訳ですが、話をしていて、妹が老人介護が(軽度ですが)必要と判断して、即手続きをして、二回目はケアマネージャーの訪問に立ち会いました。(主人は13年前に寂)
 七人の兄弟が皆元気ですが、自分を含めて老後を考える歳になってきました。

 

 


桃の節句

2014年03月02日 | 随想

 ここ五日間暖かい日に恵まれました。朝方のマイナス0℃以下の日もなくなり、昨夜を含めて2回の雨が降り、15℃前後の3月下旬並み陽気でした。ちらほら咲き始めていた梅も樹木全体が紅梅あるいは白梅に浮びあがってきたこの頃です。

 27日夜「お父さん、スィートピアにお雛さんが沢山飾ってある・・・」の女房の声が耳にあって、28日丁度各務原の妹の所へ行く用事があって、途中ちょっと寄り道をして「雛飾りを」写真に撮ってきました。

 

 日本では平安時代から、高貴な女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着しきたお祝いです。寄贈していただいたお雛様がスィートピアのホールに一杯飾ってありました。


 
                 

 此処では2枚の写真を載せましたが、お雛様の数から言うと数百体?!!、ぞれぞれ趣向を凝らして飾り付けてあり、一言で云うと”圧倒”されました。
  実は、我が家にも”お雛様”が飾ってあります。先日はじめて”おじいさんおばあさん”になった若い者が、私が孫に買ったお雛様を、私から見ると”ひこ孫”に飾ってある訳です。それが結構新しく家の中が華やかになっています。そんなことが頭にあって写真を撮っている内に色々の思いが頭を巡りました。

 此処にあるお雛様は、私の家よりも新しくって立派に見えて・・・、しかし、不要になってここに寄贈されているんだ・・・、すると、これを送ったおじいさん、おばあさんは私達と同年代か、むしろ下の年代?、とすると、もう亡くなった人もいるし、介護を受けている人もいるだろう?・・・、今の時代は、核家族化が進んでお雛様も小型化してしまったのかな?・・・、それより、このお雛様で育った女の子たちは、結婚してもう子供がいるのかな?・・・、私たちの年代から思うと、結婚適齢期が5年ぐらい遅くなっている時勢ですから?・・・。

 そんな思いが去来する中で、シャッターを押した映像をスライドショーに纏めましたが、ちょっと風景を纏める感覚と違う思いです。