私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

曾孫8人 (小さな人格)

2021年08月10日 | 曾孫

 曾孫が8人になりました。但しここで紹介する曾孫は7人目で・・・4月に一度投稿しております。4ヶ月ぶりでもう赤ちゃんではない?の感覚です。コロナウイルスで会うのがままならない状態ですが・・・写真をみて小さな人格をを感じます。曾孫を複数見るようになって、90代になって、小さな子にも人格を認めると思うようになりました。この子たちとは、90歳近い年代の差があり、未来がある訳です。幸せを祈ります。そして元気な姿を見ると、心の平穏をつくずく感じます。

                                                   

                                                   

 


7人めの曾孫

2021年04月24日 | 曾孫

 7人めの曾孫です。多くは動画で送られてきますが、私がブログに投稿出来ません。動画の方が孫の生い立ちの表情が良くわかります。しかし 挑戦していますが、まだ成功していません。畑が忙しくなってきたこと?コロナウイルスで気分がそがれて?休止しています。

 女房と二人で折々写真を見て微笑み癒されています。ありがたい94歳だと思っています。ひたいに小さな傷が出来たようですが、男の子だからこんなことはあることです。

                                 

                                 

                                 

                            

                            

 


私は恵まれている?

2020年01月09日 | 曾孫

 この時期の起床は、おおよそ5時半としています。起きると直ぐ寒暖計を見ることにしています。今朝は13℃でし
た。室内と外気との差は8℃の認識ですから・・・、冷えこんでない朝でした。10℃を切ると外は薄氷が張り、7℃を切ると張る氷も2cm以上、外の水道の蛇口も凍てついて熱湯で溶かさなければという認識です。薄氷が張ったのも複数日ありましたが、今冬は総じて暖かい冬と云えます。今朝は9時を過ぎると畑の草取りに出かけました。働いているとポカポカと春の陽気と云った感じで・・・2時間半今日の運動量をこなしたという思いです。 

 正月4日に「曾孫の夢さんだん」を投稿しています。そのブログが皆さんから訪問いただき、おどろき且つうれしく思い・・・同時に私は、貴重体験?恵まれた立場にいるのだなーと自覚いたしました。
 野菜作りの道を歩いて・・・、ブログは週1回程度の投稿で・・・きましたが、それも90代になるとおぼつかなくなってきました。だから第一目標を自立できる老後(自分の足で歩けて、自分の事は自分でできる)に切り替えました。この点についてまた投稿出来ると思っています。畑仕事ができて・・・ブログが何時まで書けるかな?(写真は4人目の曾孫)                                              

 


曾孫の夢さんだん

2020年01月04日 | 曾孫

 今年の正月の生花は、千両を主として立てました。これだけ千両をもちいたのは初めてじゃないかな?。南天を含めて実のなる草花は当たり年です。生け花の流儀は全くの我流ですが、今年も私の担当でした。観音菩薩像がありますが、私の三人目の弟が数年前に寄贈してくれたものです。木工の仕事をしていましたが、定年後趣味で彫ったもので・・・ブログで初めての紹介だと思います。

 正月三が日が過ぎて4日穏やかな日を迎えました。午後からは来客があると思いますが、ひまな午前中にパソコンに向かいました。 昨日3日までに17人の客を迎えました。本家であるという因縁で盆・正月に兄弟・子供・そして孫たちが来てくれのが習いとなっています。
 9人の孫がいて7人が結婚しました。その内昨年は平成生まれの外孫三組が結婚披露宴をあげました。その3組が元日に顔をだしてくれたのが異色でした。元気で長生きしたのも一因ですが、有り難いと思っています。すでに6人のひ孫がおり、この一月中頃にもう一人ひ孫が生まれます。3組の新婚さんの中の一人の嫁が「子供を産むまで元気で長生きしてください」といってくれました。

 夜になって90歳になった女房と話しました。本当長生きすると、十数人のひ孫が見えるかもしれないと・・・。そんな正月です。

               

               


曾孫の見える老後

2019年06月25日 | 曾孫

 先日娘の子供(孫)の家族に畑で採れた野菜5~6種類を送りました。昨年好評だったトウモロコシは25本入れました。「トウモロコシは1回で半分無くなりました」というお礼のメールと一緒にひこ孫たちの写真が送られてきました。昨年は、この6月は娘の家に行って孫たちに会っており、ブログでも投稿(曾孫三態)しておりますが、1年ぶりの再会です。成長に驚いています。

 ふり返って見るともうブログをはじめて12年余になり、早い段階からひ孫をとり上げてきた思いです。勿論お母さんの了解を得たうえですが・・・。私自身も可愛さが心の底にはありましたが、客観的に冷静な目線でとり上げてきたつもりです。1年前のブログでも”ひ孫離れ”にも触れています。それだけに今回は写真を見つめて・・・迷いました。そしてこれで最後にします。思春期・青春期そして社会人としての自分の道を確り歩いてください。見守るとしてもほんの僅か・・・と云うより余生をどう終わらせるかを考えます。大きいお爺ちゃんは・・・。
  

                                               

                                              

                                              

                                              

 


曾孫三態

2018年06月20日 | 曾孫

 娘の所の二週間の滞在中で唯一の楽しみがひこ孫との接触でした。娘夫婦とは5キロほど離れたところに住んでおり、複数回顔を出してくれました。娘も孫たちを呼んで折々食事をしているようで、ひこ孫たちも第二の我が家へ来たという感じです。日曜日にバスケットのクラブ活動をやっているという事で娘が連れていってくれたほかは、夕食をかねて2晩来てくれました。可愛いという以前の印象と違って成長したと感じました。自我が芽生えているとも感じました。人格的にも認めて・・・私達が孫離れしなければならないと思ったわけです。もうこれからは、外から見守っていきます。それぞれの所作をじっと見つめて・・・折々シャッターを押しましたが、ひこ孫との再会は心癒されました。 

                  
             監督さんに許可を得てから写真をとりましたが、三人とも短い休憩時間に私の所に集まってきてくれました。

                  
                 食事のあと娘が”抹茶をたててくれましたが、孫たちが我流で抹茶をたてて楽しんでいました。

                  
                  二晩めは、二人の孫が裁縫箱を出してもらい”刺繍とぼたん付け”の練習をはじめました。

 


曾孫の成長

2017年12月16日 | 曾孫

  実は私一人で行くつもりでしたが「お父さん、送り迎えするからお母さんと二人で京都にきませんか!」と、声がかかりました。女房に話すと、「送り迎えをしてくれたら,行く行く! 」と言いだしました。お母さんが、八十八歳の米寿を迎えて、祝ってあげようという気持ちが、娘にあっての誘いだと、私は推測しました。                                                                              

 「お言葉にあまえて行くことにしました。ただお父さんもお母さんも、以前と比べると 食事の量が半分になりましたから、外での食事は無用ですから・・・」 「孫たちが大きくなって、総勢でいくと大変だから・・・私の手料理でしますから・・・」という事で安心しました。
 それを近くに住む次男に話しましたら、「お姉さんの所で、送り迎えは大変だから送りは僕がする」ということになり、当日(日曜日)夫婦で迎えに来てくれました。娘の所で2晩世話になり、帰りは孫夫婦が(水曜日休日)送ってくれました。
 
 娘の手料理で充分ご馳走さんでした。80代後半になると食事の量も本当に少なくなります。3年ほどまえから、先ず私の食事の量が減り始まました。(女房の脊椎圧迫骨折が起きたころ)母性本能か私に食べさせようとして? トラブルが起きるようになりました。「食べなさい!それは自分で決める!」と云った心模様です。
 
 「腹が減っていたら眠れない 」と云っていた女房が、最近本当に食事の量がすくなくなりました。 私より遅れて来た感じですが、顔の生気はあって客観的に大丈夫だと判断しています。私もこの2年間で体重が5キロへりましたが、むしろそれが膝にはいい感じです。背筋が通って、歳にしてはすいすいと歩いているようです。具体的には、以前は駅の階段の上がり降りは、手すりに手を添えていましたが、最近は手すりに沿って歩くようになりました。が それに溺れないように心がけています。

 どうもこの年代は、消費したエネルギーを補充する程度のバランスの良い食事で、美食を追う年代ではないょうです。むしろ心の平穏求めていきます。

 そう云う意味で、京都の曾孫たちに会えるのは何よりの楽しみでした。その曾孫たちにも年に1回、女房は3年ぶりじゃないかな?当然ですが大きくなっていました。車で10分ぐらいの所に別居していますが、夕飯時に娘の家にやってきました。女房は顔と名前を合わせるのに精いっぱいでしたが、私達とはほとんど目線を合わせませんでした。おじいちゃんやおばあちゃん(娘や婿)とは、盛んに交流しています。ここで大きいおじいちゃんや大きいおばあちゃんは、焦ってはいけません。30~40分ぐらい過ぎると、向こうから寄ってきてくれるようになりました。一番上の男の子(4年生)タブレットに夢中でしたが、五目並べをしました。タブレットは、自分の家には置いていないようですが、娘の話ですと、「何処のお医者さんが良いだろうか?」と話をしていると、検索して町の医院名を持ってきたそうです。今の小学生はそうか・・・という思いです。

 印象になったのは、二人の女の子でした。(3年生と1年生)始めは、パパとママの名前を書いて持ってきて・・・から始まって、漢字の一字の読み方から、二字漢字の読み方に入りました。遊び感覚でしたから細かくは覚えていませんが、解らない字は習っていないという返事でした。最後になりましたが「恋愛」と書きました。3年生がしばらく考えていましたが「おじいちゃん最初の字入れて・・・」と言いました。「れ」といれたら!「あっわかった!」と呟きました。
 ここで終わりにました。文章にはできませんが、種々心に残る印象を受けました。素直に育ってくれることを願っています。それにみんなが良くしてくれて、ありがたいと思っています。

                

                      

                      

                       


フラワーパークとひ孫

2015年04月17日 | 曾孫

 昨夜も雨が降ったようで、その余韻が今朝がたまで残っていました。「午前中は、畑は駄目か!」の思いで、フラワーパークに写真を撮りに行く事をきめていました。傘は持って出ましたが、降られることは無く、帰った11時頃には晴れてきました。フラワーパークには、毎年2回ほど写真を撮りにいくわかですが、同じ写真か、似たような写真にならないようにと、思いながら車を走らせました。10分とかからない距離です。
 午後からは先ず畑に出て、4時ごろに帰ってからパソコンにむかいました。今回は今迄よりは、広い範囲を歩いた写真と、ひ孫達の写真と組み合わせてみました。

                    
          勿論お母さんの許しを得てからですが・・・。

 

フラワーパーク


淋しいですが、忘れません!(ひ孫)

2014年09月18日 | 曾孫

 なかなか、ひ孫から離れられません。と云うよりひ孫から”自立”出来ません。勿論ブログで取り上げるには、親の了解を得てからにしていますが、今上が一年生、来年は長女が一年生にあがります。そろそろ人格を認めて、本人の了解をとる必要があると考えるようになりりました。総じてひ孫が、可愛いから・・・”という根拠からは、脱却しなければならない、歳になったと思っています。

 私達の身の上にも、物理的な現象が起きるようになってきました。先ず女房の「脊椎管狭窄」です。本人自身も今後の行動が制約されるし、現状「介護」という程ではないですが、私の生活も可なり、狭められてきました。私自身の老化の問題も勿論あります。野菜作りもこの秋からか、今迄に半分以下にする段取りでした。女房との旅行も5年ほど前から取りやめにし、私一人で京都の娘の家や孫に家の庭などの手入れに行く程度にし、ひ孫に会うことと、奈良、京都の社寺の観光を楽しみしていた訳です。

 京都の孫の嫁から「おばあちゃんの病状は如何ですか?」 「おじいちゃんは元気ですか?」のメールと、ひ孫の写真が送られてきました。「おばあちゃんは、ちよっと歩くのが大変・・・、私は何とか、こなしています!」「この秋は、そちらへ行くことは出来ません」の返信をしておきました。淋しいですが止もう得ません。

      ひ孫達の成長のあかしの写真を少しとりあげて、今後の成長を見守ることにします。 

           

           

           

           

       おじいちゃんも、おばあちゃんも頑張って生きていきます。


ひ孫&姉妹

2013年05月18日 | 曾孫

 週初めに京都に行った主目的は、庭の手入れと花壇の衣替えですが、ひ孫たちに会うことは楽しみに出かけました。その13日は、午後から家を出て夕方(6時ごろ)娘の家に着きました。が もう娘の家に来ていました。
 「若い者の都合で孫たちを預かっていた」というのが事実で、ままあることにようです。だから孫たちも自分の家のように慣れたものでした。
 私との会話は、上の6歳がほんの1~2度程度でですが、全く他人という雰囲気ではありません。と云うより、下が4歳2歳ですが、自分の感覚で動いているようです。夕食の時もパパとママは来ませんでした。

 だから、違った表情を2・3見せてくれました。私はもっぱらシャッターを押すだけでしたが、家に帰って映像を見て、微笑ましい一場面のあるのを見つけて、投稿することにしました。

                   

  

  

  

 去年10月に会っていますが、4歳と2歳の姉妹が成長した仕草を見せてくれました。その分、自分が歳を重ねたことを自覚します。 上は、 面倒みが良いタイプのようで、心が美しい子に育ってくれるよう・・・願っています。