私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

先生の家の梅

2016年02月27日 | Weblog

 今朝もマイナス2度の冷え込みでした。明るくなってから部屋の外をうかがうと、庭木が揺れていなくて風がないようです。しかし外に出てみると身に沁みる寒さで、結局午前中は部屋に閉じこもりました。
  しかし午後からは食事を早く済まして畑にでました。そして一番に先生の家の梅のあることを思い出して駆けつけました。

 投稿前に内諾を得ようとメールしました。

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 早々と返信がありました。

          

       

       

       

       

       

       

       

 昨日と、打って変わり暖か日になり、写真をお送りしたいと思いながら撮りました。4月になったら桜も撮って送りたいと思います。

 

 


もう春近し

2016年02月24日 | Weblog

  2月中頃になると、暖かい日と寒い日が交互にやってくるようになりました。雨の日も適当にあって・・・、一雨ごとに暖かさ(春)を感ずる陽気と云えます。今季は、遅い初雪が1月18日と24日に降って以来、雪を見ることはありませんでした。
 4日前の22日は、朝から”シトシト雨”で珍しく一日中続きました。予報では全国的には荒れ模様の天気と報じていました。翌23日24日は朝から晴れましたが、風が強くて頬に当たる風は”おー寒い”という感じで・・・、畑に出るのも収穫程度ですまし、外に出る用事を2~3すまして過ごしてしました。道すがら、梅の花が7分から8分咲きとなっている気づき・・・、写真を撮ってきました。

 普段畑にでる道端の梅の木です。何時も通る道ですが、「今日は、種蒔きをしよう!」とか、大きな目的を持って行くときは景色も目に入らぬものです。余裕ある時とか(暇な)いや、ハタと気がつく事もありますから・・・、運が良かったとも言えます。その写真を一日”ああでもない、こうでもない”と試した結果投稿することにしました。近所三軒の庭の梅の木ですから、特にマクロの写真は、2回も3回も撮り直しをしました。朝陽が眩しくて、液晶画面が見ずらかったのが原因です。それに写真の梅も、木によっては当然のととですが、もう少し前の方が撮り頃という事に気がつきました。今度は気をつけます。

          

          

          

          

          

 我が家には1本の梅の木、しかも花梅の若木です。子供の頃は食卓に必ず、あの塩辛い梅干しが出ていたもので、何処の家でも2本や3本の梅の木があって、自家用の梅干しを漬けていたものです。現代はそんな食風習もなくなって、花を鑑賞するだけになってしまいました。

 今朝は、マイナス4度の冷え込みになり、雲一つない晴天なりました。が 頬に当たる風は冷たいです。山陰から北海道にかけて、日本海側は雪のようです。典型的な冬の天気ですが、11時頃になって北陸のちぎれ雲が流れてくるようになりました。午後からは、畑に出て大根とほうれん草の種蒔きをします。

 


連鶴の歴史

2016年02月22日 | Weblog

 折り鶴と連鶴
 
折鶴が文書として現れるのは江戸時代です。江戸時代初期の1682年に出版された『好色一代男』の中で、「比翼の鳥のかたち」をした「おりすえ」をつくるという記述があります。ただし『好色一代男』では図や絵がないため、「比翼の鳥」の折り紙がどのようなものなのかは定かではありません。はっきりと折鶴が描かれるのは1700年に出版された『當流七寶 常盤ひいなかた』です。その「ひいなかた」の中の「落葉に折鶴」の中に、着物の模様として折鶴が描かれています。

 その後、折鶴を発展させた連鶴が誕生したと考えられる訳ですが、明確な形で連鶴が記載されたのはているのは1797年京都で出版された『秘伝千羽鶴折形』です。しかし1800年前後の複数の浮世絵に、連鶴と思しき連なった鶴が描かれており、『秘伝千羽鶴折形』以前から連鶴が存在していたと考えられます。具体的には、少なくとも18世紀の江戸時代中期には、連鶴が折られていたと考えていいようです。

 この『秘伝千羽鶴折形』は、49種類の連鶴の折り方が絵入りで書かれています。この書物は、現存する世界で最も古い遊技折り紙の書物であり、伊勢国桑名の長円寺11世住職、義道一円によって作られています。これが江戸時代に、しかも、 地方の一僧侶によって考案されたということは驚異的であり、この折りかたは現在でも「桑名の千羽鶴」として知られ、桑名市無形文化財に指定されています。

          
 
 日本の和紙
 折紙は、紙漉きの技術が中国から伝えられた推古天皇の頃から 「御幣」や「紙垂」のように祭祠儀式用として登場し、 平安時代以降の折紙は、熨斗や紙包など儀式・贈答・儀礼に 用いられるようになりました。
 折紙が遊びとして登場するようになったのは、 江戸時代に入ってからで、世の中の安定、紙の普及、庶民層の 台頭など,所謂平和な世の中になって、芸術的な折紙が誕生しました。なかでも鶴は、昔からめでたいものの 象徴となっており、その形の優美さと併せて折紙の代表になりました。
 日本の折り紙は、他から伝わったものではなく独自に発達したものであり、千代紙の様な折り紙専用の紙は、他にはありません。19世紀にはヨーロッパにも独立した折り紙の伝統があり、現代の折り紙は、日本やヨーロッパを起源とし、日本の開国と共に両者が融合したと考えられます。現在、日本語の「折り紙」という言葉は世界に浸透しており、欧米はじめ多くの国で「origami」という言葉が通用します。

     
 

 この稿を書くにあたって、インターネットで調べていて一枚の紙で100羽近い連鶴が作れることを知りました。その幾何学的製図をみて・・・世の中には、頭の良い人がいるもんだ!・・・と感服しています。数学が全く弱い私には「ビックリ ポン」で、この稿を書くだけで精一杯です。

                   
                    88羽連鶴の製図画面

 

 


2月の畑 (ころもがえ)

2016年02月20日 | Weblog

 日中は、春を思わせる”ぽかぽか陽気”が間をおいて訪れるようになり、梅も大分開花してきました。日向の菜の花も目立つようになりました。しかし 朝方は、0度以下の日も結構ありますが、午前は10時ごろから、午後は早めの4時ごろには上がるようにして、畑に出るようにしています。春に向かっての畑の準備とか、部屋に閉じこもるより、少し体を動かさなければ!の思いからです。
 昨日は、畑の草取りを目的に午後から畑に出て・・・、畑の写真を撮ってきました。

                 
 収獲の済んだ畑を耕運機で耕しました。この畑が夏の野菜で一杯になるのは5月からですが、2月末には少しですが葉物野菜の種を蒔きます。

        
 3本ある柿の木も暖かい日を選んで剪定を済ませました。今年は、「高鋏」を購入して、無理をせず一日一本の割合で怪我をせぬよう心掛けました。

 暖冬で、豌豆のその後の経過

        
       1月8日の写真 (莢豌豆)            2月19日の写真

        
       1月8日の写真 (グリンピース)           2月19日の写真

 11月20頃蒔いた豌豆でしたが、暖冬の影響で育ち過ぎていましたが、予想通り2月に入ってからのマイナスの最低気温と、日中の厳しい北風に打たれて、立ち枯れの状態になってしまいました。特に下段のグリンピースは、全滅の状態です。
 暖冬が原因でであった事は確かですが、この豌豆の直ぐ北側に、菊が作ってあり、その背丈が1メートル余あり、北風をふせぐ状態になって「絶えず日向」と云う環境が、徒長を招いたと考えています。いい体験をしました。5月は、莢豌豆やグリンピースのない食卓になりそうです。

 

 


連鶴

2016年02月17日 | Weblog

 正月に戴いた「折り鶴」で投稿しましたが、2月に入ってから又「折り鶴」を戴きました。戴いてから今日フォトチャンネルで投稿するまでに一週間かかりました。最初の3日間は、「さてどうしょうかな?」と思いながら・・・、一日2回か3回ぼんやりと眺めながら・・・、イメージが湧き出てくるのを待って・・・、構想が出てくると、必要な小さな買い物をして・・・、折り鶴の作者に(お嫁さんのお母さん)二つほど質問をして・・・、構図をまとめていきました。ひな人形を写真に撮るのと違って正直迷いました。
 試験撮影も行って・・・、撮影時間なども検討したうえで・・・、今日朝9時ごろから準備を含めて1時間半掛かって写真にとりました。

 正式には「連鶴」と云うようです。一枚の紙で折られているようで・・・、2羽から14羽の鶴が一ケ所か?又は2ヶ所で繋がっています。ほとんどをピンセットを使って製作するとのことです。繊細な技術が必要なことが、素人の私にも解ります。それに比べると、写真は未熟と自己判断しています。 

連鶴


2月の畑 (運転歴65年)

2016年02月10日 | Weblog

 此処へ来て、朝の最低気温がマイナス日が続くようになりました。今朝もマイナス5度です。しかし乾燥してるせいで霜はほんの僅か降りている感じです。朝は、起床20分ぐらい前に暖房を入れておきます。設定は23度で、室内温度は朝方で18度ぐらい、太陽が上がる頃になると20度ぐらいの、低めにしています。部屋に入ると、暖ったかく感じますが、慣れると暖かくなく、寒くない感じの節約型で通しています。

 畑の方は、朝方は畑の土が凍て付いていること、太陽が上がると、凍てついた土が溶けはじめる事を理由に部屋に閉じこもりますが、午後からは早めに畑に出るようにしています。そして夕方は、早めに帰るようにしています。そんな日課があと一ヶ月ぐらい続く感じです。
 昨日は白菜を収穫しました。12月頃からぼつぼつ収穫し始めて・・・、残っていたのを全部収穫貯蔵した訳です。約30株ですが、3月にかけて大切な野菜です。 

                    
 手前の白っぽいのは、中生種の白菜です。本来ですと、もっと早く食べるか?12月に収穫して新聞紙で包んで貯蔵すべきものでした。暖かかった事もあって手抜きしてしまいました。悪いとところは切り捨てて大切に食べます。

                    
 中生種が終わった後に食べる晩生種です。毎年必ず作るようにしています。私達の年代は、どうしても季節の野菜にこだわります。

 運転歴65年 
 
 この2月5日で車の運転を止め、今日で6日目になります。今のところ、もっぱら 畑へですが、一輪車を押して歩いていったり、自転車で行っています。
 60代頃は、先輩諸氏の運転状況を見たり、聞いたりして思っていたことは、「75歳頃が運転を止める目安」と思っていました。が、高齢者講習を4回も受けて此処まで来てしまった訳です。しかし 75歳では一つの節目を付けました。ドライブ旅行はこれが最後だと、連れと白川郷ー高山ー上高地ー安曇野の3泊4日の旅行で終止符を打ちました。いご旅と名のつくものは、人に乗せてもらうか、公共交通を使ってきましたが、そのJRジパングも昨年契約をうちきりました。
 その頃から、野菜作りに便利な軽貨物自動車にして・・・、結果は16年間乗りました。これでもう終わりと距離計を見てみたら約36,000Kです。1日当たりにすると約6.2Kになります。

 もう!運転免許の更新は受けないと決めていましたが、誕生日が近づいてくると”つい、考えてしまっている自分”がありました。そんな迷いを三男に話したら・・・、「確か、1ケ月か2ケ月余裕があるよ!」でした。それを聞いた女房が喜びましたが、1ケ月の有効期限にこだわるより、早く自動車ない生活に慣れる方を選びました。
 行動範囲が、極端に狭くなりますが・・・?野菜作りと、ブログは続けたいと思っています。宜しくお願いします。

 
 


2月の畑 (一番の冷え込み)

2016年02月06日 | Weblog

 今朝は、今季一番の冷え込みになりました。起床は5時10分でしたが、起きると直ぐ寒暖計を外に出しておきました。マイナス5度でした。夜が白々と明ける頃に(7時前)計測したらマイナス5.5度になっていました。やはり気温は、暗い内よりも太陽が上がる前の夜明けの方が気温が下がることを実感しました。
 「食事が済んで、陽が上がったら・・・、畑へ行って写真を撮ってこよう」と思いながら、連れが腰を痛めてから私の担当になった仕事を、淡々とこなしています。その一つを紹介します。朝食ですが、2月に入ってから殆ど「お粥」にしています。白粥ではありませんが、海産物(コンブや小魚の乾物)をほんの少々いれる柔らかい(箸はたたない)ものです。一人分のご飯を二人で食べるといった量ですが、それで足りていますし・・・美味しいと言ってくれます。野菜を多くとり、栄養のバランスはとっていますが、二人とも80代後半になって・・・食事の量が少なくなってきたのが現実です。

 連れが脊椎骨折で「車椅子生活や寝たきり」にならなかって有難いと思っており、それは医学の進歩のお蔭だと思っています。お互いに自覚して・・・、至らぬ分を互いに補ないながら・・・・、自立した老後を送りたいと考えています。具体的には連れの場合、朝起きるとしばらく足が”ふらつく”ことと、両手で物をもって歩くことが不自由というより?駄目な感じです。この二点を補う程度でいける老後は有難いと思っています。

 そう言えば、朝の担当に洗濯があります。洗濯機にほり込んで、洗剤を入れてスイッチオンだけですが、干すことと、取り込むととが私の原則私の担当です。今朝は、冷え込みで外の水道の蛇口が凍って溶かしたついでに、洗濯ものを干しておきました。
 
  8時半写真を撮りに出た時、洗濯ものが氷り付いていました。記憶にないくらい冷えた,めったにない朝でした。

                   
           氷の厚さは、1センチ3ミリです。

                   
           湿度が低いせいか畑が、真っ白に凍てついていました。玉ねぎの畑です。

                    

          
           上2枚は、ブロッコリーで盛んにいただいています。

                   
            サニーレタスです。

      冬の野菜も半分以上収穫を終えました。暖かい日を選んで・・・、ぼつぼつ畑を耕して行きます。

 

 


2月の畑 (仏花つくり)

2016年02月02日 | Weblog

 昨日1日に、5日で車に乗ることを止めるわけで・・・、今のうちに買い物をしておこうと、午後から連れと一緒にでかけました。必要な買い物というより、「二人で出掛けた最後の買い物を印象として残そう!」と云うような感じでした。店を3軒回って、最後はタネやさんで春のジャガイモの種を3キロ私は買いました。女房は、畑からは手をひいていますが、以前の癖が出て、花の苗を一杯買いました。

 明けて2日は、朝から晴天になりました。午前中はちょっと冷えこんでいましたから、昼ご飯を早く食べて畑にでました。久しぶりの畑仕事です。

               
 陽が燦々とふりそそいでいました。上衣を脱いで仕事にかかりましたが、梅の花が咲き始めていて最初にカメラを向けました。

     
       夏菊の小菊・中菊で6ポット                  金魚草3色で6ポット

     
         金盞花3色で6ポット                   カーネーション3色で6ポット

              
         24ポットを、こんな感覚で植えることにしました。石灰と鶏糞が鋤きこんであります。   

     
    植え終わって、株間に配合肥料を一つまみー          ビニールトンネルをかけてやりました。

 久しぶりの畑仕事で、立ち上がる時に腰のあたりに痛みを感じましたが、慣れると消えていく、心地良い痛みです。もう2月下旬頃からは、種まきが始まります。花作りはまだ素人ですが、仏花などに必要で作っていきたいと思っています。