私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

フラワーパーク江南(木曾三川公園)

2011年02月28日 | 風景

 もう8日前になりますが、開園早々の時間を狙ってフラワーパーク江南に行ってきました。「春先には、パンジーが花壇に植えられる」を聞いていましたから・・・。月曜日で朝早かった事もあって来園者は少なく高齢者が目につきました。特に眼をとめたのは、奥様が杖をついたご夫婦2組でした。私達より絶対若いご夫婦なのに・・・の思いでしたが、もし女房を連れてきたら”やはり杖が必要”な年になっています。 他人ごとではありません・・・??。

 昨年7月に、フラワーパークに来て写真を撮り投稿しています。この時期夏の華やかさはありませんでしたが、少し目線を変えてシャッターを押しました。

 

 

 
 2と3枚目の写真は屋上から撮りました。3枚目上部の矢印は、名古屋JRセントラルタワーが遠望できました。右がオフィスタワー(245㍍)左がホテルタワー(226㍍)です。 

 

 

 

  
 

 
 今回は、クリスタルホールホール内部(2階から)と外の眺めを撮ってみました。ここへ来て、必要以上に?、多くの写真を撮るように心がけています。”犬も歩けば棒にあたる!”感じでです。(ホトチャンネルで~)

 最近になって皆さんのホームページ・ブログを見るようになり、刺激を受けるようになりました。少しずつでも上手くなりたいという思いです。

 蒔いた大根が芽を出しました。ここ3日ほどは耕運機やトラックターで畑の耕しなど、小さな仕事も見てけて畑に出ることが多くなりました。 もう~すぐ春です。

 

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平城宮 西大寺

2011年02月24日 | 旅行

 2月6日大阪カメラ教室の帰路奈良西大寺に寄りました。昨年「平城宮遷都1300年祭」もあって平城宮大極殿・興福寺・薬師寺を訪れた時、次は是非西大寺を訪れたいと心に決めており、それが案外早く実現した訳です。

 天平15年(743・奈良時代)建立された東大寺に対する西大寺として、平城宮西側に天平神護元年(765)建立されました。奈良時代には薬師金堂・弥勒金堂・四王堂・十一面堂・東西に五十の塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍が配置されて、これら諸堂には密教系の仏像を含め多数の仏像が安置され、薬師金堂には21体の弥勒金堂には77体の仏像が安置されてその威容を誇っていたそうです。

 奈良時代とは、和銅3年(710)元明天皇が平城宮に遷都してから、延歴13年(794)桓武天皇によって平安京(京都)に都が遷されるまでの84年間ををいいます。
 平城宮は、中国の都長安を模して造られ、日本国内の実情に合うよう政治改革が行われ、遣唐使を多く送り、大陸の文化を導入して天平文化が開花し、「古事記」「日本書紀」「万葉集」など日本最古の史書・文学が登場した時代でした。
 しかし 中央では政争で政変・乱が多く起こり奈良時代は短期で終わったようです。

奈良時代の仏教は、鎮護国家の思想とあいまって国の保護下におかれて発展し、法会や祈祷が盛んにおこなわれました。政府は平城宮内に大寺院を建立し「奈良四大寺」平安時代には「南都七大寺」(大安寺・薬師寺・天興寺・東大寺・西大寺・興福寺)の僧侶は、教理を研究して宗派が形成されていきました。遣唐使で留学したり、外国出身の僧侶の渡来によって仏教は発展しました。

 しかし 西大寺は平安時代に入ると、火災など災害で多くの塔堂が失われて衰退して興福寺の支配を受けます。しかし 鎌倉時代の僧・叡尊興正菩薩(1201~1290)によって復興され、真言律宗の根本道場として伽藍が整備されました。現在の西大寺はほぼこの頃のプランを伝えているようです。その後、室町時代の元亀2年(1502)兵火による大きな被害を受けて、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建されたものです。

       
      本堂 光明真言堂とも言い、土壁を施さない総板壁の特異な建物です。

       
 本尊 釈迦如来立像 京都嵯峨清凉寺の「三国伝来の」釈迦如来像」(インドー中国ー日本)を模した霊像。

       
 塔跡 奈良時代には東西両塔が建てられましたが、その東塔跡です。創建当初のものはともに平安時代に焼失、東塔は藤原後期に再建されますが、室町時代の文亀二年(1502)に焼失しています。

       

        

       
       本堂を光明真言堂と言われる所以を肌身で感ずる荘厳さでした。

       
 四王堂  江戸時代の延宝2年(1674)再建されて、四天王が祀られています。
持国天・増長天・広目天像が銅造で鎌倉時代、多聞天像は木造で室町時代作と言われています。
 (後はフォトチャンネルで~)

 昨年11月から今年2月にかけて「平城宮遷都1300年祭」もありましたが、奈良時代の代表的な寺院、興福寺・薬師寺・西大寺を訪れることが出来ました。
 奈良時代の仏教は国の手厚い保護を受け、 裏返せば時の権力者がかかわって興隆と衰退の歴史があったようです。

 あおによし 奈良の都は  咲く花の におうがごとく いまさかりなり

 このうたに代表されるように、奈良時代は政治的改革が行われると同時に天平文化が花開いた時代でしたが、政界では権力者による血なまぐさい争いが絶えなかったようです。

 振り返って日本の今の政界をみると、血こそ流れないけれど奈良時代の乱に似ている・・・言論の自由はあるけれども、政治家の論争でも聞くに堪えない誹謗中傷の連続で、政権をとった場合の日本のリーダーとは思えない・・・人格を感じます?。
 目を外に向けると、北アフリカでは長期独裁政権が、改革を叫んで血を流している・・・、世界は、1300年前の奈良時代と少しも変わらない・・・ 政争は政治家の特権だろうか・・・歴史から人類は学べないだろうか・・・そんな思いが去来します。
 

  

 

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三寒四温

2011年02月20日 | Weblog

2月も中旬になると寒い日と暖かい日が間をおいて来るようになりました。先日14日は予報では雨だったのが午後雪になり3cmほど積りましたが、翌15日は温暖な日で一日で大半の雪は消えて、北陰の雪も翌日には消えるといった具合です。
 年を越したキャベツは盛んに、カリフラワーとブロッコリーはぼつぼつ採れるようになりました。その暖かい日を選んで、4~5月に採れる葉物の野菜を植えたり蒔いたりしました。まだ本格的ではなく、畑の隅にちょっと言った感じですが・・・。

       
       春キャベツで、5~6月にかけて収穫予定です。

       
       レタスです。

        
 春大根を蒔きました。黒マルチを敷き20㎝間隔に穴をあけ3ツボづつ蒔いてあります。マルチを敷く関係から元肥は二条蒔きの中央に鶏糞・有機化成肥料が入れてあります。黒マルチは防寒のためですが、3月中旬蒔きになれば必要ないと思います。

        
 その上すべてに、ビニールトンネルを掛けました。やはり防寒のためです。

        
 白菜・大根のあとを、石灰窒素を蒔いて耕しました。冬場では一ヶ月以上作付できませんがいいです。4月末に果菜類を予定していますから・・・。

 いまだ冬の服装で畑に出ますから、クワなどちょっと力仕事しますと”べっとり汗を”かきます。それが大変心地よいです。汗を出して働く・・・そんな春や夏が懐かしく待っています。

 

 

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白菜の収穫

2011年02月15日 | Weblog

 女房との間で3月から4月にかけての種まきや、夏野菜の作付計画の話が出るようになり、その一端として畑にある白菜を全部収穫して納屋に収納したいと思っていました。
 昨日14日は(月)は前日違って朝から晴れて暖かそうで・・・「夕方からは雨の予報ー」を頭において、二人で畑に行くことになりました。私は8時半ごろに、女房は家事もあって10時ごろに来てくれました。朝の畑は陽差しはあっても土は凍てついており、剪定した枯れ枝などを集めて暖(たき火)をとってからの作業になりました。

 前から触れてはいましたが、今年の白菜は例年にない出来栄えで、特に害虫の被害が大変少なかったのが良かったと思っています。二条植えを2列約100株をこの畑で作りました。毎年ですが、一般的な中生種(黄ごころ)と極晩生種(晩輝)です。二品種の違いは、味については”黄ごころ”は大変美味しく”晩輝”不味いです。だだ収穫時期が、黄ごころは2月までで、晩輝は3~4月にかけて調味することができて、畑に野菜が一番少ない時期で大変重宝しています。

 昨日の時点で、別の畑の30株と”黄ごころ”は8株を残して大方食べつくしており(進物にもー)、8株と晩輝40株の収穫収納になりました。

       

       
      切り落とした外葉は、早い時期に耕耘する予定で逐次片付けました。

       
      新聞紙2枚を敷いて包みます。防寒と乾燥を防ぐためです。

       
      こんな感じで全部の白菜を包んで納屋に収納しました。

 女房が手伝ってくれた分、早く済んで午前中に終わることが出来ました。まだ残っていた聖護院と青首大根も穴を掘って貯蔵しました。
 陽ざしもあって作業中汗をかくほどでしたが、終わる頃には曇天になり急に肌寒さを感じようになりました。午後は小雪がちらつき始めて、4時ごろから本格的な重い雪になり、明けて今朝は、一面の銀世界で積雪は3cmぐらいですか、5時起床の東の空は赤白く焼けて雲一つない晴天でした。9時45分現在小雨が降るがごとく、雪解けしずくが落ちています。
 良い時に白菜が収納できたと思っています。

 

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娘の孫 (縁は異なもの・・・)

2011年02月12日 | 曾孫

 「娘が3人目の出産のため里に帰ってきました」 そんな書き出しで今回投稿しようと思いましたが、もう1時間も思案にふけっています。考えてみたら、それは無理なようです。そんな文才も無いし、むしろ僭越であることに気が付きました。だから、以前から思っていたように、この子たちには父方と母方に合わせて4人のおじいちゃんとおばあちゃんがみえる訳だから、そのもう一歩外回りから「目線や愛情をそそぐべきだ!」に気が付きました。

 2月に入って初めての寒波で、11日は朝から(9時)雪が降り始め一日外に出ることはありませんでした。パソコンに向かう時間も多かったですが、夕方メールで12枚ほどの写真が送られてきていました。
 必ず写真を拡大して女房に見せます。その時によって、いろいろ表言はしますが、私たちにとって”癒される”時間たい”であることは間違いありません。問題はパソコンのできる”曾おじいちゃん”です。曾孫を取り上げるたびに、私の趣味であってはいけないと思っています。だから 必ず了解をとります。それに うまく言えませんが”居てくれて良かったおじいちゃん・おばあさんに!・余生をを自立できる老人”でありたいと念願し、努力しているつもりです。

        

        

                

        

        

        
  娘の孫は可愛いですね。里へ帰ってお産するぶん接する機会が多いからでしょうか・・・。

 一女三男の子を持つ経験からいって子供の幼い時、孫たちの幼い時の表情などの記憶と違って、曾孫になると客観的で鮮やかに接することが出来る思いです。若い時は社会的に現役あったこと、今は隠居の身であることの違いもあると思います。それに豊かになって社会と情報化時代もあるようです。
 一人の赤子は、本当に多くの人の愛情を受けて育つもので、健やかに育ってくれることを願っています。
 お父さん(孫)頑張ってください。男の役目だと思っています。 (タイトルは変更しませんでした)

 

 

        

 

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大阪でカメラを勉強

2011年02月10日 | 随想

 カメラの勉強に行ってきました。私の場合カメラは二つ持っております。2台めの一般的なデジタルカメラと昨年9月に買ったデジタル一眼レフです。(2台ともLUMIXです)デジタル一眼レフは購入しても約3ヵ月手にしませんでした。前者のカメラになれて間に合っていたことと、後者のカメラの撮影メニューが複雑過ぎて戸惑っていたからです。
 ”カメラが良いと、よい写真が撮れる”の思いが無駄になると、説明書を読んでどうにか”カメラにお任せ”でデジタル一眼レフを使うようになりました。基本的には、畑に出るときには前者のカメラ、その他は後者のカメラと使い分けていました。確か畑は作業の時に持って出ますから、砂ほこりなどで苦労していましたから・・・。

  しかし 2機種の差が皆無とは言いませんが、一眼レフがすべて良い写真が撮れると言い切れません。それが私の技術の未熟だと考えて、説明書を読んでみてもよく理解できないまま今迄きていました。近所に手を引いていただく人もなく、カメラ教室に通うのも”おっく”で、ホームページで知ったパナソニックの2時間のカメラ教室に行った訳です。

 この講習は(無料)パナソニック最新発売のLUMIIX GF2を使っての勉強でした。最軽量の一眼レフ(レンズが交換できるカメラ)画面を指先でワンタッチ操作できる簡単で便利なカメラという理解でした。その他の操作の説明はGシリーズ共通している感覚で、今までG1に対する理解度は20%でしたが、40~50%になったような思いです。帰って説明書を読み返してみましたが「なるほど!そうーか!」というところがでてきました。無駄ではなく勉強になりました。
 この投稿は、講習の時と帰ってから撮った写真で投稿します。

              
  最後の30分は、モデルさんを使っての撮影会になりました。今迄パソコンに取り込んでからAdobeで修正加工していましたが、”撮影時に綺麗な写真を撮る”設定で撮りました。GF2はメーカー(主催者)からの借り物で1枚しか印刷できませんでした。
 

    

   
 近所に蝋梅が咲いており今朝上記の思いで撮ってきました。下の中央の花弁が赤は珍しく初めて見ました。前と違うかな・・・?? どうですかね・・・?

 会場は大阪パナソニックセンターでした。大阪は幼少の頃に行った記憶程度で初めてと言っていいです。娘に”大阪環状線外回りで京橋西出口”を聞いておりましたから、ほとんど迷うことなく(一回聞く)行き着くことが出来ました。高層ビルがそびえ立つビジネス街といった感じと、日曜日で閑散としており、大阪城がビルに埋もれた感じで初めて見ることができました。
 毎日見ているNHK てっぱん のお好み焼きが頭にあって、お昼は京都の娘と(娘も講習を受ける)お好み焼きを食べました。印象は中部と関西は食文化が違うという感じでした。

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畑・アジアカップそして血圧経過

2011年02月04日 | Weblog

 2月に入ると北陸に大雪を降らせた寒気団も去って、しばらく暖かい日が続くようです。例えば今朝の部屋の温度ですが10℃でした。今年に入って初めてじゃないかな?それでも外は霜が降りていますから、朝は結構冷えこんでおり午後を選んで畑に運んであった落ち葉をトラックターですき込みました。 ていねいに落ち葉をかき集めた分、去年のことを思うと大量にあって畑を二回りトラックターをかけました。
 すき込んだ落ち葉の腐る状態をみて4月までにもう一度耕うんします。その時は畑全体に苦土石灰を撒き、ところによっては鶏糞などを撒きます。

            
 この作業が終わって、すき込んだ落ち葉が去年の倍あって”作付までに腐るかな?”が頭をかすめました。「夏の果菜類は植え付けが4月終わりから5月上旬だから大丈夫!」「3月には、種まきがあるけど、落ち葉がすき込んでない畑があるから、そこにすればいい!」と思いが去来しました。

 この作業は、この近辺では行われていません。過去に落ち葉を堆肥に積みましたが、すごく手間がかかり、苦労の割に効率が悪いと判断して一年で止めています。しかしこの作業は畑には「悪いはずがない!!」と続けるつもりです。

  2011 AFC アジアカップ  

 1月9日(日)ヨルダン戦に始まって1月29日(土)オーストラリアとの決勝戦まで、楽しく感動を持って見させていただきました。と言っても開催地がアフリカ・カタールの実況が夜遅かったため、すべて翌日のニュース又再放送で勝敗の結果を知ったり、観戦になりました。
 
 29日いよいよオーストラリアとの決勝戦になりました。「とても、深夜まで起きておれない!!・結果は朝のニュースで知ればいいー」と定時に寝てしまいました。
 早朝ニュースで「勝ってよかった!!」 サッカー場で、選手の出身地で、東京渋谷で応援していた若者の歓声を同感と感動でみていました。

 ニュースでの試合の経過や勝利の瞬間の選手の歓喜の映像を見て、身のしびれる感動を覚えました。体中が紅潮して涙がこぼれるほどでないですが、目頭が熱くなりました。
 感動は若者だけじゃない!! 老人も感動する感性を持ち続けよう!!  この二つの思いを込めたい気持ちがこの投稿になりました。
 

 この二か月の血圧の経過

   

 このニヵ月の統計だけでは短すぎると思いながら、毎日朝夕2回自宅で血圧測定している数値をまとめてみました。その結果あまりにも良いので第1回ということで発表する気になりました。

 上の表は、12月と1月のページごと7日分の平均です。
 今呑んでる薬は、(1)ニフェジビンCR40ミリグラム(末梢血管、心臓え栄養補給する冠血管を拡張する薬)  (2)オルメテック20ミリグラム(末梢血管を拡張する薬) (3)トリスメン2ミリグラム(尿を出して血圧を下げる薬)
 ●(1)(2)は12月16日から呑みはじめました。それ以前はやはり2錠呑んでいましたが、血圧が高めで推移してきましたから、(2)をよく効く強い薬に変えたら、むしろ血圧が高くなっいます。
 
 ●1月 6日診察で気分の不調を訴え(3)離尿剤を呑みはじめました。と同時に「食事半減」を宣言して食事の 量の制限を始めました。(間食を含めて・前2回の投稿で訴えています)

 表で見るごとく次の週(1月7日~13日)から下がり始めて2週目からは著しい改善が表れてきたのが見られます。自分でもびっくりしています。
 老後の食事に対する考え方(3本柱で・・・)がまとまりつつありますが、今少し実績を積み重ねてからにします。 参考にしてください。

 

 

 

 

 

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