私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

老いの道

2016年12月22日 | 老いの道

 連れが、この10月からデーサービスに行くようになりました。介護支援で「要支援2」の認定を受けて1年余になります。最初の頃、じょうだんに「デーサービスに行きますか!」と聞いたら、絶対に行かないと答えましたが、お隣のおばあさんにさそわれて・・・、すんなりと行くようになりました。
 散歩など道路の歩行は、乳母車を押してです。家の中や屋敷まわりは、杖なしで歩いています。軽くて小さな仕事は、自主的にやっている感じで・・・”居てくれて!良かった”の現状です。

 デーサービスは、週2回で午後からの約3時間半(送迎を含めて)行ってきます。軽い体操・器具を使ってのリハビリ・ペーパーテスト等をしてくるようです。それと、介護支援を受けている者同士(おじいちゃん、おばあちゃん)ですが、会話や出来事と印象を客観的に話してくれます。話しぶりから言って、楽しそうです。先日ぷっりと言いました。「痛い痛いといって、寝てて死んでいったけど、ありがたい世の中で・・・感謝している」と(親の事)、同感です。

 昨日22日は、そのデーサービスの日でした。朝から暗雲が垂れ込めて、何時雨が降ってもおかしくない空模様でしたが、結果雨らしい雨は降りませんでした。畑に出ることはなく家の中で過ごし、午後遅くなってパソコンに向かっていましたら、明るい表情で帰ってきました。そしてカードと写真を机の上に置きました。ちゅうちょする事なく2枚の写真を合成しました。 

              

       

 父親が逝った歳になりましたが、確かに進んだ豊かな時代を生きています。感謝するだけでなく、自立できる老後を送るよう心掛けたいと思っています。

 


師走 (お墓の掃除)

2016年12月20日 | 神社 仏閣

 12月の中頃になると、畑に出ながらも正月を迎ええる段取りを考えるようになりました。具体的には、家の外回り(主に窓ガラス)の掃除、お風呂・トイレの(タイル)、座敷(仏壇)と自分の部屋が私の担当と云うより、その程度は出来るといった感じです。勿論一回でする訳ではなくて、3回か4回に分けてするつもりです。掛かりは、例年ですと25日以降でしたが、これからは好天気を選んで早めにと決めていました。
 去年から、餅つきをしなくなって楽になりました。その大きな原因が食の変化です。昔は、正月三か日は勿論の事、小正月までは毎朝ぞう煮を食べ、焼き餅などは冬じゅうおやつなどで食べていました。現代は、食生活が素晴らしくよくなったという事です。

 女房から、お墓の担当を代ってから、意識して花つくりをするようになり、バケツ一杯の花を持ってお墓へ行くことが多くなりました。もう十年余前になりますが、郷土史編纂で、旧地域のお墓を調べた関係で、この墓の石仏の由来・歴史が頭に入っており、親しみを持っているという感覚でした。だから、お参りに行くという感覚より、「また来ましたよ!」という心情でした。
 普段から奉仕する人がみえて、綺麗に保たれていましたが、御堂や石仏には超年のほこりが付いているかんじで・・・、一度大掃除をしなければ・・・の思いが、年半ばに芽生えていました。

 先週12日今季一番の冷え込みと氷が張った以後、北風の強い冷たい日が続いて畑にも出ない日が4日続いて、17日(土)北風のない、水に手を入れても冷たくない日になりました。完ぺきではないですが、小堂と石仏を午前中かかって磨きました。
 7組ほどの人が墓参りにみえましたが、一人からこの地蔵さんの「前掛け」を作ってみえる人がみえるみえることを知りました。「綺麗にしておきますから、その人にお伝えください」と話しておきましたら、翌18日(日)畑の帰りに、地蔵さんに「前掛け」を掛けてきた、二人のご婦人(篠崎さん中村さん)に出会いました。早速写真を撮ってきました。

           
      「うしろひぼ西霊園」の小堂で、江戸時代中期に建てられた石仏です。

           
 一番左側の石仏が「地蔵菩薩」です。元禄7年(1694)の銘があり、322年前この墓に最初に祀られています。中央に一段高い石仏は、「阿弥陀如来」です。安永7年(1778)の銘があり、238年前に一番遅く祀られています。阿弥陀如来の右3体、左3体は「六地蔵」です。享保12年(1727)の銘があり、289年前二番目に祀られています。以上8体の石仏は、元禄7年から安永7年の84年間に建立されており、信仰の変遷が伺えます。

            

           
 上2枚の写真は「六地蔵」です。童顔でそれぞれに表情が違い彫りが深い素晴らしい石仏(彫刻)だと思っています。と同時に、ご先祖様に敬服の念を持っています。
 
 地蔵菩薩 人は必ずこの世を去り、冥途へと旅立ちます。冥途では、現世での善業・悪業の深さに応じて裁かれて、六道界巡る”輪廻転生”を繰り返す信仰が生まれました。その冥界の不安と恐怖に怯え、迷える人を救うために建立されたのが地蔵菩薩で、六道界(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)ごとに6体を並べて祀ったの六地蔵です。
 
 阿弥陀如来 限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。

 子供の頃は、お墓とは暗い所、怖い所でした。そういう意味では、今はお墓は明るい所です。明治初期の生まれの祖父母を知っていますが、死に対する考え方も随分変わってきたと思います。ただ先祖がよりどころとした信仰は大事にしたいと思います。先祖があっての今の私たちがあるからです。その心は感謝です。


縁は異なもの (太郎と花子・その2)

2016年12月14日 | 随想

 ”毎月一回お会する”を心掛けてきましたが、11月はお邪魔することは出来ませんでした。理由は、畑が忙しかったこと・・・、特にミカンが豊作で収穫に時間がかかった事でした。車でしたら一回で運べる量でしたが、自転車で一籠づつ運びましたから・・・。弟と京都の紅葉見物に行ったのも心の忙しさでした。そう「太郎と花子」にインフルエンザが流行していたことも一因でした。
 2月の誕生日を境に車に乗る事を止めましたが、一言でいうと凄く不便です。が何時か決めなければならないことで・・・、何か起きて止めるか、息子に言われて止めるか、私は自分で決める道を選びました。
 
 「太郎と花子」へは、自転車ーバスー電車ータクシー を乗り継いで行っています。車の事を思うと、倍の1時間ちょつと掛かりますが、私の生活サイクルも歳相応に”ゆっくり”になりましたから、ちょうどいい感じです。Tさんとは1時間ちょっと、Sさんとは2時間弱対等に話あってきます。立派な老人ホームに入居して見えますが、私の事を思うと、行動と範囲が極めて狭い訳で、世間の新しい空気を持っていくいう雰囲気です。元気なうちは行きますから、よろしくお願いします。

             
 今回は、全て携帯のカメラで撮りました。このカメラを信頼できないというより、まだ使いこなせません。未熟だという事です。使用できる映像だけでの投稿になりました。

            
       ホールのクリスマスツリーを何枚も撮りましたが、これだけが何とか?・・・です。

            
       前日メールしておきましたら「謹賀新年」の書を書いて、この他2枚の計3枚いただいてきました。

            
 Sさんが、入居者方から頂かれた「孔雀?鶴?」で、百歳近い方の作品だそうです。右は、Sさんが、まねて作られた作品です。これは、「鶴それとも鶏?」そんなことより、90歳を過ぎての挑戦する行動力には敬服です。負けないように心がけるつもりです。


12月のコスモス

2016年12月10日 | 風景

 12月7日朝今季一番の冷え込みになり、初霜が降りました。平年より10日遅く、昨年より2日早いと気象台は伝えていました。その翌朝ミカンの収穫後の片付けのため畑へ出ましたら、コスモスが健気に咲いていました。霜で萎れた花が2割弱ぐらいありましたが、早速携帯で写真を撮りました。
 散歩の人から「コスモスがきれいですね!」と声を掛けられました。「この時期こんなに咲いていますが、何故ですかね!」「さあ私には解りません?」・・・事実11月中頃まで目についた道端のコスモスも見当たりません。ここ10日間位は、ミカンの収穫に追われて意識することはありませんでしたが、12月に入ってコスモスが咲いているのは何故だろうと考えました。

 10月17日に「コスモス園を夢見て」で咲き始めたコスモスを投稿しています。11月6日に花盛りのコスモスを撮って投稿しています。安易な結論は出せませんが?、道端のコスモスは、咲いた花が自然に枯れて、落ちた種が芽を出して咲く・・・、自然育ちなのに対して、私のコスモスは、新しい土地に初めて種を蒔いて、肥料も与えてある環境の違いぐらいしか、思いつきません。その違いで、この差が出るのかな!!?

 
             

             
        上二枚の写真は、12月8日の撮影です。

 このコスモスも放任して来年芽が出て来るのを待つ予定です。但し新しい品種を買って蒔き、倒伏を防ぐ管理を来年はするつもりです。


年賀の写真

2016年12月06日 | 風景

 年賀状に自分の写真を使うようになって3年になりました。もう10年近く前だと思います。そうした年賀状をいただいて「これいいな!」と思った記憶が消えませんでした。写真は、畑の野菜を含めて多く撮る方だと思いますが、年賀状に使える写真はありませんでした。それが3年ほど前「これ使ってみようか?」という写真がありました。それが「金閣寺」でした。金閣寺の年賀状にについては、後日 こんな話がありました。
 正月に、私のいちばん下の弟夫婦が来てくれた時「あの写真は、絵葉書からとった写真!?いやお兄さんが写された写真!?」と話題になったと話してくれました。それに自信を得た訳じゃないですが、2回3回と続けて来れました。
 そんな写真が撮れるようになったと思っています。11月になると今回はどんな写真を使おうかと、畑の合い間に考えています。実は先日、京都の嵐山、東福寺の紅葉見物に行った時も「若しかして、良い写真が撮れるかもしれない!」と、内心思って出かけましたが、適当な写真はありませんでした。

 この一年間で、撮ってあった写真で構想を練ってみました。その過程が凄く楽しいです。大袈裟にいうと、生きがいをを感じます。出来たら90代へ続けていきたいと思っています。 

              
        お嫁さんのお母さんから頂いた連鶴です。若い時に収集した埴輪を添えてみました。

               
    畑でミカンを採るときに、美しく感じて携帯で撮りました。ホントの影は自分で・・ちょっと苦労しました。
     
              

 3枚の写真は、ブログで投稿したものです。アゲハ蝶は候補に挙げていましたが、文字を入れることは止めにしました。枚数が一時の事を思うと半数になりましたから・・・。それだけ世間が狭くなったという事です。淋しいことですが、止もう得ません。

 


「クサカゲロウ」でした

2016年12月04日 | 観察

 11月23日に「この虫は?(カゲロウ)」で投稿しています。

 約10日間、間をおいたという訳ですが、前回の投稿の内容が中途半端になっていることに気がつきました。 
 畑の方は、ミカンの収穫で頭が一杯で、と云っても果実を採るとることは軽作業で・・・、自転車での運搬に神経を使いました。その作業も8割がたを済ますことが出来ました。

 12月に入って朝方の最低気温が7℃前後の朝を迎えるようになりました。外気が7℃ですと、部屋の温度は14度前後で・・・、冷たいと感じる陽気ではありません。しかし 畑に出るのは、陽が上がってきた8時半から9時前と云う感覚になってきました。

 朝の時間に余裕が出てきて、前回投稿のカゲロウを「みどりの虫カゲロウ」で検索しましたら、一発で出てきました。

以下インターネットから・・・

クサカゲロウ(草蜉蝣、臭蜉蝣)は、アミメカゲロウ目(脈翅目)クサカゲロウ科 に分類される昆虫の総称。一般的には成虫は黄緑色の体と水滴型で半透明のをもつ。日本では、ヤマトクサカゲロウヨツボシクサカゲロウ等10種ほどは人家周辺の環境で普通に見ることができる。

 成虫の体長は10 - 30mmほどで触角は糸状で体は前後に細長い。翅は水滴型で、翅脈が細かい目状に走っており、一部の種を除き斑紋はなく透明である。前翅より後翅のほうが小さい。種の識別には頭部の斑紋や雄の交尾器を用いる。主に夜行性で、灯火に集まる。クサカゲロウの名については、その色の体色や、臭いためである(「くさ(い)」カゲロウ)とする説がある。ただし、成虫がくさい匂いを出すのは、日本ではヨツボシクサカゲロウをはじめとするクサカゲロウ属の数種とシロスジクサカゲロウおよびキントキクサカゲロウだけであり、多くの種の成虫は悪臭は出さない。花粉やアブラムシの甘露を主食とするが、カイガラムシアブラムシを食べる種もいる。

 幼虫は柔らかな腹部と、小さな頭部に細く鎌状に発達した大顎を持つ。足は三対の胸脚のみで、全体としてはアリジゴクをやや細長くしたような姿である。すべて肉食性で、アブラムシやハダニなどの小動物を捕食するためアリマキジゴクと呼ばれる。この食性から農業害虫天敵としても利用されている。種によっては、幼虫は背面に鉤状の毛を持ち、そこに様々な植物片や捕食した昆虫の死骸などを引っ掛け、背負う行動を取る。この行動は琥珀に封入された個体の発見により、1億1千万年以上前には既に存在したことが知られている。[1]この行動はアリなどの攻撃から逃れるためのカムフラージュであると言う説もあるが、その効果は未だ明瞭にされていない。

 私の初感 始めて見る、小形ですが大変美しい虫と云った印象でした。日本で人家周辺で普通に見ることが出来るという事ですが、夜行性であるという事、具体的には夜の街灯に集まる習性等から、そういう環境と、関心が無かったことから、今迄目にすることはなかったようです。今回朝の湯飲み茶わんのなかに一匹は、偶然と云うか?「クサカゲロウ」に、ご縁があったという事です。
 幼虫は、アブラムシやハダニを捕食する農業害虫の天敵のようです。野菜作りをしていますから、アブラムシには関心を持っていますが、アリジゴクに似た幼虫は見たことありません。幼虫も夜行性かな・・・?
 小さなことですが勉強しました。今後、若しかしたら・・・クサカゲロウの幼虫や成虫に出会うかもしれません。そして新しいものに出会う老後を送りたいですね。