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『孟子』巻第七離婁章句上 七十一節、七十二節

2017-10-19 10:14:02 | 四書解読
七十一節

孟子は言った。
「自ら己を害う者とは、俱に語り合うことはできない。自ら己を棄てて顧みない者とは、俱に事を為すことはできない。口を開けば礼義を謗る。これを自暴というのである。仁義と言うものを知っていながら、己はとても実行出来ないと思い、怠惰にに暮らしている。これを自棄と言うのである。仁というのは、人が心を安らかに落ち着かせる家であり、義というのは、人が進むべき正しい道である。それなのに仁という安住の家に住まず、義という正しい道に進もうとしない。何と哀しいことではないか。」

孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有為也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。

孟子曰く、「自暴する者は、與に言う有る可からざるなり。自棄する者は、與に為す有る可からざるなり。言、禮義を非る、之を自暴と謂うなり。吾が身、仁に居り義に由ること能わざる、之を自棄と謂うなり。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠しくして居らず、正路を舎てて由らず、哀しきかな。」

<語釈>
○「自暴者」、朱注;「暴」は猶ほ「害」なり、自ら其の身を害う者は、禮義の美為るを知らず、之と言うと雖も、必ず信ぜられず。○「自棄者」、朱注:自ら其の身を棄つる者は、猶ほ仁義の美為るを知れども、但に怠惰に溺れ、自ら必ず行うこと能わざるを謂う、之と為すこと有れども、必ず務むること能わず。

<解説>
趙岐の章指に云う、仁を曠しくして義を舎つるは、自ら暴棄するの道なり。

七十二節

孟子は言った。
「人の道は身近な所の在るのに、人はわざと遠くに求める。人の為すべきことも日常の身近な所の在るのに、人はわざと難しい所に求める。人の道も為すべきことも、遠い所や難しい所に求めなくても、自分の親に心から親しみ、年長者には心から敬意を表すようにすれば、世の中仁義が行われ、天下は安らかに治まるのだ。」

孟子曰、道在爾。而求諸遠。事在易。而求之難。人人親其親、長其長、而天下平。」

孟子曰く、「道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り。而るに之を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とせば、天下平らかなり。」

<解説>
服部宇之吉氏云う、親親は仁、長長は義なり、人仁義を遠く難しとすれど、吾が親を親しみ、吾が長を長とするは近く易し、然れば仁義決して遠からず、亦た難からずと。仁義の道は、遠くの場所に、求め難しい理論の中に在るのではなく、親に親しみ、年長者を敬うという手近な所に在るということである。