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『孫子』巻七軍爭篇

2019-04-23 10:15:17 | 四書解読
巻七 軍爭篇

孫子は言う。およそ戦争をするときの法則は、将軍が君主の命を受けて、配下の兵を合わせ、兵役を課した農民を集め、軍門を構えて敵と対陣して宿営するが、敵軍との争いほど難しいものはない。敵軍との争いが難しいのは、回り道をしながら結果的に近道になるようにし、降りかかる災難を結果的に我が軍に有利になるようにしなければならないからだ。そこで敵を避けて回り道をし、一方では利益で敵を誘い惑わせ、我が軍が前進するとは思わせないようにし、利益を与えておいて敵を遅らせ、敵に送れて出発しながら、結果的に敵に先んじて至るようにする。このような事が出来るのは迂直の計を知っている者である。敵軍との争いには利益もあれば危険もある。輜重車など直接戦わない者も含め、全軍を挙げて利益のために戦えば、俊敏性を失くして利益を得ることができない。後れる兵を棄てて利を争えば、輜重車を棄てることになる。すなわち、よろいを脱いで丸めて担いで小走りし、日夜休むことなく、通常一日で走る倍の距離を強行軍して、百里の遠方に利を爭えば、上軍・中軍・下軍の大将が捕われてしまう。それは強い兵は先行し、弱い兵は後れ、十分の一の兵だけが目的地に到着するに過ぎないからだ。五十里の遠方で利を争えば、先発の上軍の大将は捕虜と為る。半分の兵だけが目的地に到着するに過ぎないからだ。三十里の遠方で利を争えば、三分の二の兵が目的地に到着するに過ぎない。このように物資を補給する輜重車が無ければ軍は亡んでしまうし、兵に支給する食糧が無くなれば軍は亡んでしまうし、必要な財貨が無ければ軍は亡んでしまう。このほか遠征に関しては、諸侯の状況も予め理解しておかなければ、諸侯と親しく交わることができない。更に遠征途上の山林・険しい場所・湿地帯。沼地などの地形をよく知らなければ、安全に軍を進めることができない。又道案内がいなければ、地の利を得ることができない。このようなことから戦いは敵を欺くことを基本として、利を得る為に動き、部隊を分散させたり、集合させたりして変化を作り出すものである。そのゆえに、動くときは疾風のように速く、ゆったりと行進する時は林のように厳かに、侵略する時は火のように烈しく、動かない時は山のように泰然としており、我が軍の動向は曇り空で日月が見えないように知り難く、一たび動けばその勢いは雷のとどろきのように激しく、村を襲って人々を離散させ、敵地を徐々に奪い兵を分けて守らせ、敵の軽重を量り知ってから動くのである。こうして敵に先んじて迂直の計を用いるものは必ず勝つ。これが戦争をする時の法則である。軍の制度に、「戦場では指揮官の声は聞こえないから、金や太鼓を作ってそれで知らせ、指揮官が手で指揮しても見えないから、旌旗を作ってそれで指揮する。」とある。金鼓や旌旗は兵士の耳目を一つにするものである。兵士が一つになり行動するようになれば、勇気のある者だけが先に進んだり、臆病な者がしり込みするようなことが無くなる。これが兵士を用いる方法である。又夜戦では松明や金鼓を多くし、昼戰では旌旗を多くするのは、敵の耳目を惑わす為である。こうして敵軍の気力を奪い、敵の将軍の心を奪って戦意を喪失させることができる。又、朝は気力が満ちており、昼は気力が鈍っており、日暮れは気力が尽きて帰ろうとしているので、戦いの上手な者は、敵を攻撃するにも、敵の気力が満ちている時は避け、敵の気力が鈍り尽きている時に攻撃する。これが気力を上手に利用することである。我が軍をよく治めて、敵軍の秩序の乱れを待ち、我が軍は静寂を保ち、敵軍の騒然となるのを待つ。これが己の心を治めて敵の心を乱すことである。我が軍は戦場の近くに陣を構え、敵軍が遠くからやってくるのを待ち、こちらは安楽にして敵の疲れるのを待ち、こちらは十分な食事をして敵が飢えるのを待つ。これが我が軍の力を治めて敵の力を弱くすることである。隊列がよく整って進軍してくる敵は迎え撃つな。盛大な陣を構えている敵は攻撃するな。これが変化によく対応するということだ。これらのことから戦争の法則は、高い所に居る敵には向かって行くな、丘を背にしている敵は攻撃するな、偽って逃げる敵は追走するな、戦意が高く鋭い敵は攻撃するな、おとりの兵に騙されて食らいつくな、帰国する部隊は攻撃して止めようとするな、敵を包囲したときは必ず一か所は開けておけ、窮地に陥っている敵を更に追い詰めるようなことはするなということである。これが戦争をする時の法則である。

孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、交和而舍、莫難於軍爭。軍爭之難者、以迂為直、以患為利。故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至。此知迂直之計者也。故軍爭為利、軍爭為危。舉軍而爭利、則不及。委軍而爭利、則輜重捐。是故卷甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、則擒三將軍、勁者先、疲者後、其法十一而至。五十里而爭利、則蹶上將軍、其法半至。三十里而爭利、則三分之二至。是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡。故不知諸侯之謀者、不能豫交。不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍。不用鄉導者、不能得地利。故兵以詐立、以利動、以分合為變者也。故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震。掠鄉分衆、廓地分利、懸權而動。先知迂直之計者勝。此軍爭之法也。軍政曰、言不相聞、故為金鼓。視不相見、故為旌旗。夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也。人既專一、則勇者不得獨進、怯者不得獨退。此用衆之法也。故夜戰多火鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也。故三軍可奪氣、將軍可奪心。是故朝氣銳、晝氣惰、暮氣歸。故善用兵者、避其銳氣、撃其惰歸。此治氣者也。以治待亂、以靜待譁。此治心者也。以近待遠、以佚待勞、以飽待飢。此治力者也。無邀正正之旗、勿撃堂堂之陣。此治變者也。故用兵之法、高陵勿向、背邱勿逆、佯北勿從、銳卒勿攻、餌兵勿食、歸師勿遏、圍師必闕、窮寇勿迫。此用兵之法也。

孫子曰く、凡そ兵を用うるの法、將、君に命を受け、軍を合わせ衆を聚め(注1)、和を交えて舍するに(注2)、軍爭より難きは莫し。軍爭の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為せばなり(注3)。故に其の途を迂にして、之を誘うに利を以てし、人に後れて發し、人に先んじて至る(注4)。此れ迂直の計を知る者なり。故に軍爭は利為り、軍爭は危為り(注5)。軍を舉げて利を爭えば、則ち及ばず(注6)。軍に委して利を爭えば、則ち輜重捐てらる(注7)。是の故に甲を卷きて趨り(注8)、日夜處らず、道を倍して兼行し、百里にして利を爭えば、則ち三將軍を擒にせられ、勁き者は先んじ、疲るる者は後れ、其の法十が一にして至る。五十里にして利を爭えば、則ち上將軍を蹶し、其の法半ば至る。三十里にして利を爭えば、則ち三分の二至る。是の故に軍、輜重無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積無ければ則ち亡ぶ(注9)。故に諸侯の謀を知らざれば、豫め交わること能わず(注10)。山林・險阻・沮澤の形を知らざれば、軍を行ること能わず。鄉導(道案内)を用いざれば、地の利を得ること能わず。故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て變を為す者なり。故に其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く(注11)、動くこと雷震の如し。郷を掠めて衆を分かち(注12)、地を廓むるには利を分かち(注13)、權を懸けて動く(注14)。先づ迂直の計を知る者は勝つ。此れ軍爭の法なり。軍政に曰く、「言うこと相聞えず、故に金鼓を為る。視ること相見えず、故に旌旗を為る。」夫れ金鼓旌旗は、人の耳目を一にする所以なり。人既に專一なれば、則ち勇者も獨り進むを得ず、怯者も獨り退くを得ず。此れ衆を用うるの法なり。故に夜戰には火鼓を多くし、晝戰には旌旗を多くするは、人の耳目を變ずる所以なり(注15)。故に三軍は氣を奪う可く、將軍は心を奪う可し。是の故に朝氣は銳く、晝氣は惰り、暮氣は歸る。故に善く兵を用うる者は、其の銳氣を避け、其の惰歸を撃つ。此れ氣を治むる者なり。治を以て亂を待ち、靜を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり(注16)。近きを以て遠きを待ち、佚を以て勞を待ち、飽を以て飢を待つ。此れ力を治むる者なり(注17)。正正の旗を邀うる無かれ、堂堂の陣を撃つ勿れ。此れ變を治むる者なり(注18)。故に兵を用うるの法、高陵には向う勿れ、邱を背にするには逆う勿れ、佯り北ぐるには從う勿れ、銳卒には攻むる勿れ、餌兵は食う勿れ、歸師は遏むる勿れ、師を圍めば必ず闕き、窮寇には迫る勿れ。此れ兵を用うるの法なり。

<語釈>
○注1、十注:梅堯臣曰く、國の衆を聚め、合して以て軍と為す。張預曰く、國人を合して、以て軍を為し、兵衆を聚めて以て陳を為す、等諸説あるが、私は「合軍」は、将軍配下のそれぞれの常備兵を合わせることで、「聚衆」は農民に兵役を課して聚める意に解釈したい。○注2、十注:梅堯臣曰く、軍門を和門と為す、兩軍交々對して舎するなり。○注3、十注:張預曰く、迂曲を變じて近直と為し、患害を轉じて便利と為す、此れ軍爭の難きなり。○注4、十注:張預曰く、形勢の地、爭い得れば則ち勝つ、凡そ近く便地を爭わんと欲せば、先づ兵を引きて遠く去る、復た小利を以て敵に啗わし、彼をして我が進むを意わず、又我が利を貪らしむ、故に我以て後れて發して先に至るを得、此れ所謂迂を以て直と為し、患いを以て利と為すなり。○注5、十注:梅堯臣曰く、軍爭の事は利有り、危有り。杜佑曰く、善なる者は則ち利を以てし、不善なる者は則ち危を以てす、兩軍交爭するに奪取する所有り、言う、之を得れば則ち利あり、之を失えば則ち危あり、と。「故に軍爭は利の為にせば、軍爭は危為り。」と読む説もあるが取らない。○注6、十注:張預曰く、軍を竭くして前めば、則ち行くこと緩やかにして、利に及ぶこと能わず。「舉軍」は、直接戦いに参加しない輜重車や工兵なども含めたすべての軍のこと。注7、「委軍」の解釈について、「委」は委棄するの意に、「軍」は、遅れる部隊の意、後れる兵は棄てて先に行くこと。○注8、「卷甲而趨」とは、よろいを脱いで丸めてかついて走ること。○注9、十注:張預曰く、輜重無ければ、則ち器用供わらず、糧食無ければ、則ち軍餉足らず、委積無ければ、財貨充たず、皆亡覆の道なり、此の三者、軍を委てて利を爭うを謂うなり。○注10、十注:梅堯臣曰く、敵國の謀を知らざれば、預め鄰國と交わりて、以て援助を為す能わず。○注11、十注:張預曰く、陰雲、天を蔽い、辰象觀る莫きが如し。○注12、「掠鄉分衆」は、“郷に掠めて衆に分かつ”と読み、奪った物資を兵士に分ける意に解釈する説が多いが、私は次句との関係を考えて、“郷を掠めて衆を分かつ”と読み、敵の人的資源を分散させる意に解釈した。○注13、「廓」は“ひろめる”と訓ず、「廓地分利」は“地を廓めて利を分かつ”と読んで、敵地を得てその利益を兵士に分ける意に解釈するのが一般的であるが、私は、“地を廓むるには利を分かち”と読み、敵地を少しづつ切り取り、兵を分けてその地の利を守らせる意味に解釈した。注12と注13とをこのように解釈した理由は、一般的な読みをすれば、それは戦後処理の内容になり、それまで述べてきた軍争の法からかけ離れるからである。○注14、十注:張預曰く、權(おもり)を衡(はかりさお)に懸くるが如く、軽重を量り知り、然る後動くなり。○注15、「多い」の解釈は、火鼓を用いることを多くする意と、火鼓を多くする意とがある。後者を採用して、夜は松明と金鼓で敵を惑わせ、昼は旌旗で敵の目をごまかす意に解釈する。十注:梅堯臣曰く、多きは、以て敵人の耳目を變惑せんことを欲するなり。張預曰く、凡そ敵と戦うに、夜なれば、則ち火鼓を息めず、晝なれば、則ち旌旗相續け、以て敵人の耳目を變亂し、其の我に備うる所以の計を知らざらしむ。○注16、「譁」(カ)は口やかましく騒ぐ意。十注:張預曰く、此れ所謂善く己の心を治め、以て人の心を奪う者なり。○注17、十注:張預曰く、此れ所謂善く己の力を治めて、以て人の力を困める者なり。○注18、十注:杜佑曰く、正正は整齊(まとめととのえる)なり、堂堂は盛大の貌。張預曰く、此れ所謂善く変化の道を治め、以て敵人に應ずる者なり。

<解説>
題意については、十注:王晳曰く、爭は、利を爭うなり、利を得れば則ち勝つ、宜しく先づ輕重を審らかにし、迂直を計り、敵をして我が勞に乘ぜしむる可からざるべし。張預曰く、軍爭を以て名を為すは、兩軍相對して利を爭を謂うなり、先づ彼我の虚實を知り、然る後人と勝を爭う、故に虚實に次すなり、とある。
 この篇は何といっても誰もが知っている武田信玄の旗印“風林火山”の出典であるということだ。戦争の心得は迂直の計を知ることであり、動と静とを上手に運用することであり、そのうえで敵を制御する四つの方法、治氣・治心・治力・治變に務めることである。