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『呂氏春秋』巻第十六先識覧

2018-01-13 10:26:50 | 四書解読
巻十六 先識覽

一 先識

一に曰く。凡そ國の亡ぶるや、有道なる者必ず先づ去るは、古今一なり。地は城に從い、城は民に從い、民は賢に從う。故に賢主は賢者を得て民得られ、民得られて城得られ、城得られて地得らる。夫れ地得らるるとは、豈に必ずしも足其の地に行きて、人ごとに其の民に説かんや。其の要を得るのみ。夏の太史令終古、其の圖法(図録と法典)を出だし、執りて之に泣く。夏桀迷惑して、暴亂愈々甚だし。太史令終古乃ち出奔して商に如く。湯喜びて諸侯に告げて曰く、「夏王無道にして、百姓を暴虐し、其の父兄を窮しめ、其の功臣を恥かしめ、其の賢良を輕んじ、義を棄てて讒を聽き、衆庶咸怨む。守法の臣、自ら商に歸せり。」殷の內史向摯、紂の愈々亂れて迷惑するを見るや、是に於て其の圖法を載せ、出亡して周に之く。武王大いに說び、以て諸侯に告げて曰く、「商王大いに亂れ、酒德に沈み、箕子を辟遠し、爰に姑と息とを近づけ(姑は婦人、息は寵臣)、妲己政を為し、賞罰に方無く、法式を用いず、三不辜を殺し、民大いに服さず。守法の臣、周國に出奔す。」晉の太史屠黍、晉の亂を見、晉公の驕りて德義無きを見るや、其の圖法を以て周に歸す。周の威公見て焉に問いて曰く、「天下の國孰れか先づ亡びん。」對えて曰く、「晉先づ亡びん。」威公其の故を問う。對えて曰く、「臣比(このごろ)晉に在るや、敢て直言せず。晉公に示すに天妖、日月星辰の行、多く以て當ならざるを以てす。曰く、『是れ何ぞ能く為さん。』又示すに、人事に不義多くして、百姓皆鬱怨するを以てす。曰く、『是れ何ぞ能く傷つけん。』又示すに鄰國服せずして、賢良舉げられざるを以てす。曰く、『是れ何ぞ能く害せん。』是きの如くなれば、是れ亡ぶる所以を知らざるなり。故に臣、晉先づ亡びん、と曰うなり。」居ること三年にして、晉果して亡ぶ。威公又屠黍を見て焉に問いて曰く、「孰れか之に次かん。」對えて曰く、「中山之に次がん。」威公、其の故を問う。對えて曰く、「天民を生じて別に有らしむ。別有るは、人の義なり。禽獸麋鹿に異なる所にして、君臣上下の立つ所以なり。中山の俗は、晝を以て夜と為し、夜を以て日に繼ぎ、男女切倚して(高注:「切」は「磨」、「倚」は「近」なり。「磨」は互いにこすり合う意で、「切倚」は抱き合っている意)、固より休息無く、康樂(淫酒に耽る楽しみ)して、歌謠は悲を好む。其の主惡むを知らず。此れ亡國の風なり。臣故に、中山之に次がん、と曰う。」居ること二年にして、中山果して亡ぶ。威公又屠黍を見て焉に問いて曰く、「孰れか之に次がん。」屠黍對えず。威公固く焉に問う。對えて曰く、「君之に次がん。」威公乃ち懼れ、國の長者を求め、義蒔・田邑(人名)を得て之を禮し、史驎・趙駢を得て以て諫臣と為し,苛令三十九物を去り、以て屠黍に告ぐ。對えて曰く、「其れ尚わくは君の身を終えんか。」曰く、「臣之を聞く、國の興るや、天、之に賢人と極言の士とを遺り、國の亡ぶるや、天、之に亂人と善諛の士とを遺る、と。」威公薨じ、肂(シ、仮葬の義)して、九月葬るを得ず。周乃ち分かれて二と為る。故に有道者の言は、重んぜざる可からざるなり。周鼎に饕餮(トウ・テツ、惡獣の名)を著す。首有りて身無し。人を食いて未だ咽まざるに、害其の身に及ぶ、以て報更を言うなり(人を飲み込まないうちに体が亡くなるという害に見舞われることで、因果応報を言っている)。不善を為すも亦た然り。白圭、中山に之く。中山の王、之を留めんと欲す。白圭固く辭し、輿に乘りて去る。又齊に之く。齊王、之を留めて仕えしめんと欲す。又辭して去る。人、其の故を問う。曰く、「之の二國は皆將に亡びんとす。學ぶ所に五盡有り。何をか五盡と謂う。曰く、之を必すること莫ければ、則ち信盡き、之を譽むること莫ければ、則ち名盡き、之を愛すること莫ければ、則ち親盡き、行く者糧無く、居る者食無ければ則ち財盡き、人を用うる能わず、又自ら用うる能わざれば、則ち功盡く。國に此の五者有れば、幸い無くして必ず亡びん。中山・齊は皆此に當たれり。」若し中山の王と齊王とをして、五盡を聞きて之を更めしむれば、則ち必ず亡びざらん。其の患いは聞かず、これを聞くと雖も又信ぜざるあり。然らば則ち人主の務は、善く聽くに在るのみ。夫れ五割して趙に與え(高注:中山、地を五割して趙に與えども、趙卒に之を亡ぼせり)、悉く起ちて軍を濟上に距げども(高注:齊悉く軍を起こして以て燕人を濟上に距げども、燕卒に之を破る)、未だ益有らざるなり。是れ其の存する所以を棄てて、其の亡ぶる所以を造せばなり。

二 觀世


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