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『孟子』巻第六藤文公章句下 五十四節

2017-06-05 09:51:04 | 四書解読
五十四節

周霄が言った。
「古の君子は仕官したのでしょうか。」
孟子は答えた。
「当然仕えた。言い伝えでは、孔子は三か月も仕える主君がいなければ、心が落ち着かずおろおろし、辞職してその国を出るときは、必ず次に仕える君主への進物を用意したそうだ。又賢者の公明儀も、『古の人は、三か月も君主を持たないでいると、心配して見舞ってくれたものだ。』と言っている。」
「三か月仕える君主を持たないと見舞ってくれるとは、あまりにせっかちではありませんか。」
「士が位を失うのは、諸侯が國を失うようなものだ。礼の書物に、『諸侯は自ら公田を耕し、後を民が引き継ぎ、収穫した穀物を宗廟の祭りの供え物にする。夫人も自ら少し養蚕を行い繭から糸を取り、後は侍女が引き受け、得た糸で宗廟の祭りの衣服を作る。』とあるが、國を失えば、犠牲の獣もととのわず、けがれのないお供え用の穀物もなく、祭服も無いので、祖先を祭ることも憚られる。士も同じ事で、官職を失って祭祀の費用に充てる耕地がなければ、祭ることもできない。犠牲の獣・祭器・祭服の用意が出来ず祭祀を行うことが出来ないのだから、当然その後の一族を饗する宴も行えない。これでも見舞うには及ばないというのか。」
「辞職してその国を出るときは、必ず次に仕える君主への進物を用意したというのは、どういうことですか。」
「士が主君に仕えるということは、農夫が耕作をするのと同じことだ。農夫も國を出るからと言って、鋤やくわを棄てて行ったりはしないだろう。」
「私も魏の国に仕えておりますが、仕えるということがこれほど急な事だとは知りませんでした。仕官することがこれほど差し迫った大事であるなら、先生ほどの方がなかなか仕官なさらないのは、どうしてでしょうか。」
「男の子が生まれると、よい嫁を持たせてやりたいと願い、女の子が生まれると、よい夫に嫁がせたいと願う。これは人としてみんなの願いである。それなのに子供が親の許しや仲人の言葉を待たずに、竊かに壁に穴をあけて覗き合ったり、垣をのり越えて密会したりすれば、父母を始め人々は皆これを蔑むだろう。昔の賢人たちは仕官することを望まなかったのではない。ただそれ相当の正当な筋道によらないことを嫌ったのだ。正当な筋道に因らずに仕官さえ出来ればよいと思うのは、壁に穴をあけて覗き合う類の卑しい行いである。」

周霄問曰、古之君子仕乎。孟子曰、仕。傳曰、孔子三月無君、則皇皇如也。出疆必載質。公明儀曰、古之人三月無君則弔。三月無君則弔、不以急乎。曰、士之失位也、猶諸侯之失國家也。禮曰、諸侯耕助、以供粢盛、夫人蠶繅、以為衣服。犧牲不成、粢盛不潔、衣服不備、不敢以祭。惟士無田、則亦不祭。牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴。亦不足弔乎。出疆必載質、何也。曰、士之仕也、猶農夫之耕也。農夫豈為出疆舍其耒耜哉。曰、晉國亦仕國也。未嘗聞仕如此其急。仕如此其急也、君子之難仕、何也。曰、丈夫生而願為之有室、女子生而願為之有家。父母之心、人皆有之。不待父母之命・媒妁之言、鑽穴隙相窺、踰牆相從、則父母國人皆賤之。古之人未嘗不欲仕也。又惡不由其道。不由其道而往者、與鑽穴隙之類也。

周霄(ショウ)問いて曰く、「古の君子は仕うるか。」孟子曰く、「仕う。傳に曰く、『孔子は三月君無ければ、則ち皇皇如たり。疆を出づれば必ず質を載す。』公明儀曰く、『古の人は三月君無ければ則ち弔す。』」「三月君無ければ則ち弔すとは、以だ急ならずや。」曰く、「士の位を失うや、猶ほ諸侯の國家を失うがごときなり。禮に曰く、『諸侯は耕助し、以て粢に供し、夫人は蠶繅(サン・ソウ)して、以て衣服を為る。』犧牲成らず、粢盛潔からず、衣服備わらざれば、敢て以て祭らず。惟だ士は田無ければ、則ち亦た祭らず。牲殺器皿衣服備わらずして、敢て以て祭らざれば、則ち敢て以て宴せず。亦た弔するに足らずや。」「疆を出づれば必ず質を載すとは、何ぞや。」曰く、「士の仕うるや、猶ほ農夫の耕やすがごときなり。農夫は豈に疆を出づるが為に、其の耒耜を舎てんや。」曰く、「晉人(國)も亦た國に仕う。未だ嘗て仕うること此の如く其れ急なるを聞かず。仕うること此の如く其れ急ならば、君子の仕うることを難しとするは何ぞや。」曰く、「丈夫生まれては之が為に室有らんことを願い、女子生まれては之が為に家有らんことを願う。父母の心は人皆之れ有り。父母の命、媒妁の言を待たずして、穴隙を鑽りて相窺い、牆を踰えて相從わば、則ち父母國人皆之を賤しまん。古の人未だ嘗て仕うること欲せずんばあらざるなり。又其の道に由らざるを惡む。其の道に由らずして往く者は、穴隙を鑽(きる)ると之れ類するなり。」

<語釈>
○「皇皇如」、朱注:皇皇は、求むる有りて得ざるの意有るが如し。求めることが得られず、心が落ち着かない状態をいう。○「質」、「質」音はシで、この時代、仕官する時は礼物を送ることになっており、これを「質」という。○「禮曰」、今の『禮経』にはこれと同じ文章はない。○「耕助」、井田制の中央の一画が公田で、籍田という。服部宇之吉氏云う、君主先づ少しく躬ら耕し、後民力を籍(かりる)りて耕を終う、故に之を耕助と云う。○「粢盛」、趙注:「粢」は稷、「盛」は稲なり。朱注:黍稷を粢と曰い、器に在るを盛と曰う。○「蠶繅」、「蠶」は、養蚕、「繅」は繭から糸をくり取ること。○「惟士無田」、「惟」は“ただ”と読む説もあるが、“おもうに”と読む方がよい。「田」は、趙注は圭田とする、田猟に解する説もある。圭田のほうがよい。「圭田」とは、卿・大夫・士に祭祀の料として賜う田。○「晉國亦仕國也」、趙注に、魏は本晉なり、周霄曰く、「我晉人なり、亦た仕うること、其の急なること此の若きを知らず。」とあることから、「國」は「人」の誤りとする説がある。通常は「仕國」を仕えるに値する国であると解釈し、晉國も亦た仕國なりと読む、前説に従えば、晉人(周霄)も亦た國に仕う、と読む。前説を正しいとする根拠はないが、文意からすると、この方がよいので、これを採用する。

<解説>
五十二節と同じく、孟子が仕官しない事を弟子が憂えている。五十二節では、己を曲げて相手に媚びをうってまで仕官はしないと述べ、この節では、正当な筋道を強調している。師匠が仕官しないと弟子も不安であろう。