太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

太陽光発電シンポジウムの劣化?その(1)

2015-10-23 19:50:21 | 仕事に関すること

関係していた団体が主催するシンポジウムを2日間拝聴してきた。招待状をいただいた身でありながら、決して悪意や中傷からではなく、一部なりとも次回に活かして貰えればと思い少々辛口の感想を留める。まず、シンポの副題が~100年先まで続く太陽光発電の安定成長を目指して~だがプレゼンの中に100年軸の図表もなければ、100年後のコンセプトすら無かった。はなみずきの歌詞に~君と好きな人が 百年続きますように~というのがあるが、これはロマンチストが聞けば感動するだろうが、シンポの聴衆は来年のあるいは来月、今日の仕事をどうしようかと悩み、そのヒントなりとも求めて高い参加料を払って聞きに来ている。看板に偽りありと言わざるを得ない。もし100年後の世界をコンセプトだけでも描いたとしてもプロセスがなければ一利も無い。それは遠くの夢でありすべてが先送りとなり現実逃避に成りかねない。昔地球をあるいはアジアを超電導ケーブルで結び電力融通のスーパーネットワークコンセプトを発表したところがあったが、そこに至るプロセスが描かれない限りそれは夢のまた先の宗教的”祈り”に近い。ガスパイプラインでライフラインをコントロールした国の現実を目の当たりにしたとき、地球規模の安全保障で電気を融通の可能性より危険性に気付いた人も多いだろう。さて個別プレゼンだが、この種シンポで陥り易い欠陥は、

1.伝えたいことを喋り、聴きたいことを喋らない。(民間企業スピーカーに多い、海に向かって喋れば良いのに)

2.やたら専門的な内容で聴きたいことが理解できない、あるいは言ってもわからないだろうと手抜き原稿で繕うため要点が逆に見出せない。(大学の先生や著名人に多い、学生と違って貴重な時間と高額な参加費を払ってきている人達ということを忘れないで欲しい)

3.政策の作用は伝えるが反作用(副作用)は伝えない(エリート官僚に多い)。

これらは各スピーカーのキャラクターにもよるが、大半は主催側の計画段階での失敗である。無料で開催するなら海に向かって叫ぼうが、知識の披歴やコマーシャルで終わろうが勝手だが有料でやる限り【今聴衆は何を求めて参加するのだろう】【彼らが聴きたいことは何だろう】と深く考えプログラムを構成し、スピーカ-にはその趣旨を伝える義務がある。

ここまでは前置きで明日はさらに印象に残った(感心あるいは役に立った)もの、残らなかったもの(毒にも薬にもならない)各プレゼンを独断と偏見(悪意ではない)に満ちて評価してみる。

 

 

 



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