太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

国民は見ている覚えている

2024-06-25 07:38:33 | 日記

 昨日は平日だったが自転車散歩に出掛けた。このところ雨続きで行けてなかったからだ。気温は30℃くらいありちょっとした上り坂で汗が噴き出る。草いきれでムッとした空気は夏の匂いだ。帰ってからも中々汗が引かない。多少なりとも運動になるかと思っているが効果は分からない。先日70歳になった仕事仲間だった者から近況報告が届いた。この4月に完全に仕事をリタイアし、今年の秋語学研修で2か月ばかりイギリスに行くと言う、常に何かにチャレンジしている男だ。ホームステイではなく寄宿舎に入るとか言っていた。ところが近況ではふくらはぎと膝に違和感があり、まともに歩けなくなったとのこと。医者に行くと加齢による膝関節症と診断され今は注射と薬で治療しており少しマシになったとのことだが渡英を気にしている。何かあったら直ぐ医者に行く医者大好き人間だ。1年ほど前は肩の調子が悪いと言って医者に行ったら関節の腱が切れていると言われ即手術をした。ガタイが良く如何にも健康そうな彼だが加齢には勝てない。難しいのは老化現象と本当の病気のサインの判別である。見誤って重篤な病気に罹ったとしても自己責任ではあるがそれが元で周りに迷惑を掛けてしまうことは怖れる。老化現象は個人差が大きく大抵の人は未だ俺は(私は)そこまで老化していないと考える。場合によっては奇蹟を信じてしまう。待ち受けているのは奇蹟ではなく鬼籍なのだが。

秋の総裁選に向けての動きが報じられる。気になるのは長老とか重鎮と呼ばれる人の発言だ。若い人は多分影響を受けてしまうだろう。誘導とか恫喝になりかねない。若い人も寄らば大樹の何とかで下心が出て来る。これでは若い人は育たない。時には大樹の陰に雷ということもある。自分が勤めた役職以下の人の人事に口を挟むのはどうかと思う。第一次安倍内閣では「再チャレンジ」ができる社会というのがスローガンにあった。「一度事業活動や起業などで失敗した人が、何度でも挑戦できること、また挑戦できる社会」という概念だ。安倍さんの意志を継いでか政治の世界では素直に受け入れられている。キングメーカーとか長老、重鎮などと言う言葉を聴く度に国民は旧態依然とした政治の世界を想像してしまう。

 



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