太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

惜しむ夏

2020-08-26 06:53:35 | 日記
残暑は続いているがコロナ禍を残して確実に夏は終わろうとしている。この年になると何をするでも無く過ぎ去る季節は全て惜しまれる。それは後何回この季節を迎えられるだろうかという寂寥からくるのかも知れない。どうも年がいくとある頃から来るべき季節を待つことより過ぎ去るものに思いが行くようになる。それは仕方のないことだろう。
今年は短い夏休みだったが水の事故は結構あった。特に川は危ない。急に深くなったり、思いのほか流れが強かったり、ある深さから突然水が冷たくなったりする。水泳の達者な人でも油断は禁物である。川の思い出は泳ぐより大人になってから行った渓流釣りが印象に残る。天然のアマゴやイワナを釣りに出掛けた。車で行くのだが道中の車中も楽しいひと時である。大概一人くらいはやたら渓流釣りに精しい者がおり一端の講釈を受ける。簡単には釣れないが大きな岩がゴロゴロし、間を縫って水が流れ、所々に澄んだ水が小さな滝壺のようになり山の緑が写って美しい。釣りに飽きたらその冷たい水に浸かる。もう半世紀くらい前の話である。思い起こせば遊びの思い出ばかりで家で勉強した記憶など殆どない。中学の後半でやっと高校受験もあり少しは勉強しただろうか。今の子供は可哀そうにも思うが時々コロナ関連で小学校の教室が映るが生徒は30人いるかいないかである。こちらは50人クラスで一学年10組を超えた。何だか過保護な教室に見えるのは時代の遅れでもあるのだろうか。30人が何を甘えとるかと思うのは年のせいか。年よりが昔話に頼るのご容赦願いたい。GOTOトラベルと言っても行けそうな所は行き尽くし、イートと言っても珍しいものなどもうあまり無い。まだ少し時間はあるが80になって明るい未来を語る不気味さよりもまたその話と言われる方が凡人には似合っている。
昨日はコロナ感染は全国で718人、東京で182人だった。上がったり下がったりに一喜一憂しているわけではない。ただ注意して見守っている。惜しむ夏が去って秋がきても残りの人生ただただ静かに人に迷惑を掛けないよう過ごそうと思っている、のはキーを打つ指先が言っていること。まだまだ何かをやらかして、あの野郎といわれるくらい憎まれっ子になるつもりだ。その方がもしもの時に惜しまれない。静かになるのは去ったあとの世の中だ。その分あちらの世界は賑やかになるだろうが。


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