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第1,150話 加藤清正のリーダーシップ

2023年01月18日 | 仕事

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」 

これは、太平洋戦争時の海軍軍人 山本五十六の言葉です。人材育成において引用されることが多い言葉ですが、ここには人材育成のポイントとなることが示されています。

この言葉は、もともとは江戸時代中期の米沢藩の藩主 上杉鷹山の言葉「してみせて 言って聞かせて させてみる」が語源という説のほか、さらに遡れば中国の史記にも同様の意味の言葉があるとも言われています。こうした言葉が生まれる背景には、古今東西、人材を育成することは決して簡単なものではないということがあるのではないでしょうか。

日本において「人材育成」に熱心だった歴史上の人物は様々いますが、本日は部下(職人)への細かい気遣いをしていたと言われる加藤清正について取り上げます。

ご存知の人も多いかと思いますが、加藤清正は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、肥後熊本藩の初代藩主、虎退治や築城の名手として広く知られています。秀吉の子飼いから肥後の有力大名になりました。秀吉の九州平定に従い肥後国領主となった佐々成政が失政により改易されると、肥後北半国19万5,000石を与えられて隈本城に入り、後の天正19年(1591年)頃よりこれに改修を加え、熊本城としたのです。

その改修の際、加藤清正は築城職人に対して「大工の新左衛門の病気はどうだ?病気が良くなったら重ねて煩わないように、すべてに精を出して働くことは無用だ」や、「朝鮮から帰国した大工たちには10日間の休みを与えてから、城の建築に従事させること」など、細かい気遣いが感じられる発言をしていたと伝えられています。

歴史を振り返ると、配下の者を叱咤激励して城を築いた武将はたくさんいたでしょう。しかし、そういう中で加藤清正は19万石の大大名でありながら、直接接点を持つことが少なかったであろう職人に対してまで「大工の新左衛門」というように具体的な名前を挙げ、病状を気遣う気配りを見せていたのです。

このように自らの配下をとても大切にしていたと考えられる加藤清正ですが、その一方で城づくりにおいては一切の妥協をせず、作り終えたものに対して「本丸北の櫓は北側が下がってみえる。壊してやり直すこと」などやり直しを命じていたとの話もあります。指示についても、自ら筆を執り「馬屋を立てる場所の地割を厚い紙に書いて送れ。こちらから指示をするので、建てる用意をしておくこと」など実に具体的に行っていたようで、「うまくやれ」などといった曖昧な指示をすることはなかったのです。

我が国にも古今様々なリーダーがいたわけですが、19万石と言えば今なら大企業とも言える規模のはずです。そうした大きな組織のトップであっても部下を細やかに気遣いつつ、一方では仕事上の指示を具体的にしつつ妥協をしないという点で、加藤清正のリーダーシップには学ぶべき点が多いと思います。

こうした加藤清正の姿勢は、もしかすると「人たらし」と言われる一方で配下の武将を時に飴と鞭で巧みに支配した豊臣秀吉をロールモデルとしていたのかもしれません。様々なタイプのリーダーがいる中で、部下育成を含めたリーダーシップの一つのモデルとして、大いに参考にすべきものではないでしょうか。

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