パオと高床

あこがれの移動と定住

太宰治「富嶽百景」(『現代日本文学大系77』筑摩書房)

2006-10-31 23:59:44 | 国内・小説
ぼけっとしていたら、唐突に、太宰治を読みたくなって、それもあの自虐的な作品群ではなく、いわゆる中期の短編を読みたくなって、取り出したのだが、よかった。高校の時に、年齢を重ねてもう一度太宰治を呼んでみてもおもしろいかもと、言ってた人がいたような、それはともかく、上手いし、何だか味があるのだ。ひしとした緊張感のようなものが文章の背後に隠れ、健全さへの願いのようなものが全体を包んでいる。富士の描写が太宰治の洒脱で軽妙な話体にのって綴られる。話の展開が短い枚数の中で躍動する。有名な「月見草」の描写だけではなく、茶店の娘さんとの会話や、見合い相手との会話、ラストの「酸漿(ほほづき)」などもいいのだ。「富士山」だけを撮られてしまった、カメラの「シャツタア」を頼んだ旅行者は、ちょっと気の毒だったかな。読点連続のだべり調が見事に削ぎおとされた文章になっているという気がした。

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城西国際大学ジェンダー・女性学研究所編『ジェンダーで読む<韓流>文化の現在』(現代書館)

2006-10-20 01:04:16 | 国内・エッセイ・評論
あの「冬のソナタ」に関する本だ。といいながら、シンポジウムと文章の二部構成で作られたこの本は、読解と考察の面白さに溢れている。
「刊行に寄せて」に書かれているように、シンポジウムでは、「物語」として「冬のソナタ」の構造分析をする水田宗子、女性像を読み解く尾形明子、主人公から男性像の新しさを語る岡野幸江、朝鮮半島と日本の歴史学、政治学からアプローチを試みる姜尚中、ブームの本質を解釈する田代親世の各氏が、「女性学、文学、政治学、エンターティメント研究の各領域から、」ドラマの内部や外部を精密、鮮明に読み解く。
また、二部では六編の評論が文化批評の諸相を展開している。
全編にジェンダーが軸としてある。そして、文化主体の可能性を探っていこうという姿勢が見られる。
作品批評の楽しさと問題意識の熱気とその現れのしなやかさが感じられる一冊だった。


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佐々木節『2時間でわかる旅のモンゴル学』(立風書房)

2006-10-08 14:00:01 | 国内・エッセイ・評論
モンゴルから抜け出せない。夏の旅行以来、ふっと草原や青空が浮かぶ。見慣れた遠くの山を見ると、モンゴルではあの山までが障害物無しで見渡せるのにと思ってみたりする。その思い出に浸りながら、うんうんと納得しつつ、また、そうなんだと興味をかき立ててくれるモンゴル旅行入門書だ。行く前に読んどきゃよかった。でも、あとからでも十分楽しい。99年発行の本だけど、今でも変わってないようなところが多かった。めまぐるしく変化し続ける開発ラッシュの国とは時間の流れ方が違うのかも。ただ、それでもウランバートル市内などは結構激変しているようで、価値観の違う遊牧の生活を、農耕民族の破壊や定住狩猟民族の暴挙が覆い尽くさないように祈りたい。
グローバル化という言葉の本質とその欺瞞について、ちょっと考えてみたくなった。


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遠藤次郎・中村輝子・マリア・サキム『癒す力をさぐる 図説中国文化百華』(農文協)

2006-10-08 04:31:23 | 国内・エッセイ・評論
東洋医学の本、かな?中国医学の幾つかの項目について医学源流と考えられる地域との比較検証が述べられている本だ。図表が面白い。また、漢方の体系化された世界の一端が見えるような気がする。妙な言い方をすれば、部位機能的身体と捉えるか、全的実現体として捉えるかの東と西の捉え方の違いを勝手に想像したりする。気の流れって何だろう。例えば、外科的技能からいけば、より精細な身体の内部俯瞰図が必要なのだろうが、漢方的な世界でいけば、むしろ必要なものは連結体系なのかもしれない。もう少し、考えてみたいいろいろが詰まっていたような一冊、かな?
トルファンの砂漠療法は、数年前に行った時の光景が思い出された。

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