パオと高床

あこがれの移動と定住

チェーザレ・パヴェーゼ『月とかがり火』米川良夫訳(白水社)

2008-11-28 03:19:00 | 海外・小説
丘の上には月。そして、かがり火。かがり火が燃やすもの。かがり火が明るみに出すもの。「わたし」の追憶は月の光に映しだされる。追憶は映しだされては、燃やされていく。過ぎていった時間。それを包み込む季節の移り変わりの不変さ。情感は、叙事的記述の背後に抑え込まれる。故郷を離れた「わたし」は、「わたし」の共有した時間の追憶に自らのなくしてしまった時間を見いだす。取り戻せない時の弔いだろうか。そして、自らが不在だった時も過ぎていった丘の時間が、故郷に残ったものから告げられるとき、「わたし」は喪失した故郷の前で、自らが抱える空白を寄る辺ないわたしの不在として感じるしかないのかもしれない。追憶だけが誠実に生きられる時間。しかし、それが作りだす場所は単に追憶だけの世界ではなく郷愁を伴った人が生きる場所として現れる。すでに、人は大戦の悲惨の中でお互いの無惨さと誠実さと、そして狂気と正気を裏返し反転させながら生きたのかもしれない。日々の暮らしの中で、あるいはファシズムとそれへの抵抗の中で、翻弄される生。生き抜くしたたかさと、脆弱な人間の運命。そこにある人が生きていることの証しが、静かに綴られていく。小説を貫く緊張感は、張りつめていながら、突きつけてくるようなものではない。その緊張感が読者を引っぱるのだ。問うことがただの問いにならない。むしろ作者の自らへの問いのようなものが、ボクらを引きつける引力になる。彷徨う心が行き着く場所は、どこなのだろう。ボクらがボクらの生活の場所の中でうずたかく積み上げていく時間の堆積。抗いながら、抗いがたく、ある故郷のイメージ。イメージとしての故郷は喪失されたのだろうか。故郷を離れたあとの「多くの土地を知っているということは、また、だれも知らないということだった。」という表現と、故郷に戻ってから、故郷を記述する「わたしはこの白い、乾いた土に見おぼえがあった。丘の小径の踏みしだかれた、滑りやすい草。日の光のもとではやくも収穫の香りがする丘やぶどう畠のあの酸いような匂い。空には風の吹き流す長い縞模様、うっすらと白い泡のような雲が浮いていた」という表現のどちらもが心に残る。そう、そして、故郷のこの表現の続きに、「子供のころ、雲や星の行く道を眺めていたときから、わたしはもう自分でも知らないうちに放浪の旅を始めていたのだと気がついた。」で、あっ、この「わたし」にとって故郷は離れるべき場所だったのだということを、それまでの動機付け以上に納得させられるのだ。その結果として抱えこむ痛さとともに。1949年にこの小説を脱稿し、翌年パヴェーゼは自殺している。彼はこの小説の先に何を見たのだろうか。そこにも、丘にあがるかがり火が見えるような気がするのだ。
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長田弘『長田弘詩集』(思潮社現代詩文庫13)

2008-11-16 09:00:00 | 詩・戯曲その他
『ぼくらが非情の大河をくだる時』というのは清水邦夫の戯曲だったが、抒情の大河に対して、それを泳ぎ切り、対岸で振り返りながら、感傷を直立させた詩篇だ。始点はすでに傷ついている。その露出した傷は血を流さすに、流す血の変わりに言葉を沁みだしてしまう。

  花冠りも 墓碑もない
  遊戯に似た
  懸命な死を死んだ
  ぼくたちの青春の死者たちは もう
  強い匂いのする草と甲虫の犇きを
  もちあげることができないだろう。
  汗に涙が溶け
  叫びを咽喉がつかむ、ぼくたちの
  握りしめるしかなかった拳のなかで
  いま数えることのできない歳月が
  熱い球のように膨らむのだ。
  夏のサーカスのように
  ぼくたちの青春は 不毛な土地を
  巡業して廻っているのだろうか。
  ぼくたちは きっといま
  ハードボイルド小説みたいに孤独だ。
  ぼくはきみが好きで
  きみはぼくが好きだ
  そうして ぼくたちは結婚したが、
  それがぼくたちの内なる声のすべてなら
  婚礼は血の智慧がぼくたちをためす徴し、
  唯一の経験であるやさしさだった。
       (「われら新鮮な旅人」)

1965年に出された詩集『われら新鮮な旅人』。近接過去はすでに取り戻せない過去形を刻みつけている。複数の「ぼくたち」が生きた単数の時間は明日への分断のなかでも未来を志向する。その手前の痛みの現在。この始点に向けて、詩集的には数年に渡る沈黙の後、詩集の量産期に入る。そこに刻まれた言葉は、経験を受容し、経験を読書によって錬磨し、すべての経験に人があるために人となるための蓄積を見いだしていく。現在形の生は生きていく時間によって、常に「新鮮な旅人」なのだ。その痛みも含めて。
繰り返される詩句。

  愛してください、
  愛するひと。

痛烈な痛みと不安の上に言葉は舞い降りてくる。かけられるベールは露呈した傷を覆いながらうずくまる存在に屹立する時を与える。今に至る長田弘の道程はここに始まっている。今はそれが慈雨のようなのだ。
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韓成禮(ハン・ソンレ)『柿色のチマ裾の空は』(書肆青樹社)

2008-11-12 11:36:00 | 詩・戯曲その他
1997年発行の詩集である。ハン・ソンレという名前を知ったのは、韓国詩の訳者としてだった。詩の訳者自身が詩人であるということは、むしろ当然のことで、だからハン・ソンレが詩人であるということは当然だったのだが、何故か、ハン・ソンレ自身は母語で詩を書かないのではないかと勝手に思いこんでいた。母語を外国語に訳すという詩的営為は、かなりエキセントリックだ。もちろん外国語を母語に訳す訳者もそれはそれですごいわけで、例えば、その行為の先達として堀口大学などのすぐれた仕事を知っているし、堀口大学のようにたくさんの詩人を訳した人という限定をつけなければ、金子光晴のランボーや福永武彦のボードレールなどなど、詩の翻訳の歴史もすごいものなのだ。ただ、母語を外国語にして紹介するということは、さらに越境性を持っているような気がする。もちろん、言葉の性格からいって、韓国語と日本語の距離は近い。単語配列が同じだし、助詞の配置が同様といえるし、漢語由来の言葉は共有している。フランス語を訳す距離に比べると格段に近親性があるし、中国語の訳は語の数自体からいっても、むしろヨーロッパ系の言語よりも日本語翻訳は距離が遠いような気がする。そんな中で韓国語は極めて近親性がある。しかし、それでも音の配列での音感や語彙に乗せた意味、ニュアンスは違うのではないだろうか。母語には母語が持つ論理構造と価値概念と感性基盤がある。外国語の日本語翻訳でよく言われることは、外国語への精通はもちろんのことだが、むしろ訳者の力量は日本語力にあるのだということで、それがアウェーをホームにする力なのかもしれない。そう考えると実は、この地点には越境はない。あたりまえのことで。ただ、思考の過程には越境は存在する。ところが、それが、母語を外国語にするのではフィールドが変わる。ハン・ソンレの訳業は、韓国現代詩をその詩人の個性に即しながら日本語の世界に連れ出す、かなりスリリングな作業なのだ。しかも、多くの詩人を訳しわけていくという作業はかなりな困難を伴うのではないだろうか。その困難の作り上げる橋を渡る。そこには韓国の豊饒な詩の世界がある。そして、最初のささやかな驚きと喜びに立ち帰る。そのハン・ソンレは、韓国詩の翻訳者であって、魅力的な詩人であったのだ。例えば、『脱領域の知性』としてボクらは誰を思い出すだろう。母語を捨て、あるいは奪われ、外国語で創作活動を行った作家、詩人として誰を思い浮かべるだろう。そして現在、余儀なくに関わらず、自ら選んでも含めて、ボクらはボーダレスな同時代人として誰を思い浮かべるだろう。そんな活動の越境性は、おそらくグローバリズムに同調せずに、むしろ抗う知性としてグローバルなのではないかと思ったりするのだ。
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筑紫哲也ー読書日記ではないですが

2008-11-08 11:40:00 | 雑感
筑紫哲也が死んでしまった。ここのところ、時代を築いてきた多くの知性がなくなっていく。筑紫哲也は、その番組でコメントを聞くことで、安心できた人だった。あっ、この考えでいいんだと思わせてくれるものが、彼のコメントにはあった。昨夜の「ニュース23」で、天野祐吉と姜尚中の追悼の話を聞いていると、本当に筑紫哲也は垂直と水平の思考を持ったジャーナリストらしいジャーナリストだったのではないかと思えてくる。新聞、テレビ、政治、文化という垣根を、ボーダーを、越えていったところを語る天野と、戦後を起点にして歴史のなかでの戦後民主主義を追いかけていたと語る姜尚中。その両方が筑紫の時間と空間を支えていたのだと思う。意見、思想的に対立する者を一刀両断にせず、その中に多事と争論を見いだしていく。柔軟な思考とバランス感覚は、逆にぶれない定点を持っていたからこそ可能だったのかもしれない。これからは、ゆっくりと、活字の中の筑紫哲也の声を聞いていこう。もうコメントを聞けないのが残念だ。
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宮崎法子『花鳥・山水画を読み解くー中国絵画の意味』(角川書店)

2008-11-05 14:27:00 | 国内・エッセイ・評論
去年の夏、黄山に行ったとき、まず山水の世界が現実にあることに驚いた。それより以前に、筑紫哲也が「ニュース23」のキャスターだったとき、黄山に行ってからの感想で同様の感慨を語っていた。そういえば、僕が中国で最初に訪れた場所は桂林だった。桂林に行ったときの最初の印象も、これが中国、あの山水画の世界だといったようなものだった。山水画は現実にある世界なのだ。しかし、現実に近寄れる場所ばかりではない。そこを描き続ける山水画には、当然その歴史があり、引き継がれてきた意味が込められている。表現には意匠がある。それを読み解く快感が、ここには、ある。著者は、山水に描きこまれた「行旅」と「漁父」の意味を探る。「なにものにも縛られず、拘泥せずに自然に身を任せて生きる自由な精神ー老荘的な思想が漁父によって示されている」という屈原『楚辞』の「漁父辞」から「漁父」の特別な意味を見いだし、『荘子』、太公望、陶淵明の「桃花源記」などを引きながら、「漁父」の意味づけを行っていく。桃源郷への道を知るもの、あるいは精神の自由人、または生活者の表象。そして、山水世界に描かれる「漁父」の姿を歴史的変遷の中で作品に即しながら読み解いていく。また、「行旅」する旅人が宋代以前と以降によって変化していくことを解読していく。まず、高士と呼ばれる身分の高い教養人が集う園林の絵画がある。そこは仙境であり、理想の余暇に集う。しかし、人物が中心である時代の絵は山水画ではないとされる。以降、人物と景色が逆転していく。五代から宋代にあって、仕事上の旅であり、楽しむものではなかった「行旅」が、旅人を景色を見ているものとして描いていない図像にあると作者は読みとる。そこは「山に入って山を見ず」の状況なのだと言う。そして、山水を楽しむ能力を持つものは、「景色の外にいる観者であり、画中の旅する庶民たちは漁師と同じように自然の一部のように存在している。自然は、ささやかな人の営みを包み込んで、雄大である」となるのだ。景色を「愛でる特権」を持つものは、これらの画を描かせ、眺めることの出来た支配階級やその精神性を共有できた世界の人びとのものだと著者は考える。さらに時代からの言及は続く。宋は北方からのモンゴルの侵入によって南下する。杭州で栄える宋代山水画は「臥遊」という言葉であらわされるように、実際の旅ではなく、「実在の地のすばらしい風景に代わる役割を担う」ものになる。想像の世界になるのである。「八景」や「十二景」が描かれる。それが元代に引き継がれながら、元の支配がはずれた明代になって、「紀遊」に変わる。明代には「具体的な名勝の地に自ら出かけ、その旅の実感から旅人自身である文人たちが山水画を描くことが始まっている」と著者は書く。経済的な発展を背景に旅が楽しみとして可能になったと推察する。黄山ブーム、そしてモンゴル平原や雲南の紀遊図が盛んになっていく。仕事の旅から空想の旅、そして実際の旅への変化と山水画の移り変わりが解読されていき、面白い。山水画は自然を自然としてだけ描かない。そこには人が描き込まれ、詩が書き込まれる。著者は書く。「山水画は、どれも人間とまったく無縁に存在する純粋な自然美だけを描いたものではないことは明らかである。旅人も漁師も、山水画としての世界を成り立たせるために、不可欠の要素であったと考えることができる」と。中国では人工の介在しない自然というのはないのかもしれない。それは、人との関係のない自然は存在しないという考えにもなるだろうし、文字通り人の手を加えても自然は自然なのだという考えにもなるのではないだろうか。たとえば、「金魚」に中国の人工と自然の考えの極端が表れているような気がする。これはオリジナルと二次生産の関係にも繋がるのかもしれない。だが、そんな思いを感じながらも、中国山水画の持つ想像力、それは著者が書く次のような文で、真に創造的なものとなって出現している。「庭園も山水画も、自然を創造的に再現あるいは抽出、凝縮した世界である。自然は訪れるべき、隠れ住むべき世界であり、また同時に仙人たちの住む世界、永遠の世界でもあった。そして、自然はたった一つの石のなかにも現在している。山水画の中には、そのような時空を超えた中国の人々の山水への思いが、画中のモチーフや峰や石そのものの表現を通じて、明確に時にぼんやりと、様々な様相のなかに投影され続けたのである」この本は二部構成であり、一部が「山水画」で二部が「花鳥画」である。今、僕は一部しか読んでいないが、二部の「花鳥画」も楽しみである。今年の夏は、あのオリンピック騒ぎで中国には行かなかったけれど、確かに多くの問題を孕んでいる国だけれど、やはり中国に旅行したいな。
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