パオと高床

あこがれの移動と定住

カレン・ラッセル『レモン畑の吸血鬼』松田青子訳(河出書房新社 2016年1月30日)

2017-01-09 12:24:39 | 海外・小説
書き出しは、こう。

  十月、ソレントの男と女は「真っ先に花開く果実」を意味するプリモフィオ
 ーレ、つまり最もジューシーなレモンを収穫する。三月には黄色いビアンケッ
 ティが熟し、六月には緑色のヴェルデッリが後に続く。どの季節にも、ベンチ
 に座り落下するレモンを眺めるわたしの姿がある。

そして、レモン畑に観光に来た人々は、この老人である「わたし」を見て、

 男やもめだとか、子どもに先立たれた老人だとか、彼らはささやき合う。わた
 しが吸血鬼だとは思いもしない。

と始まる。ページ数で26ページほどの短編。描写の魅力と設定の面白さ、そして、漂う哀切感が、いい。

内容は、解説にもあることばを使えば、「〈倦怠期〉に直面した吸血鬼夫婦の物語」だが、この設定がコミカルさとはほど遠く、
切実な情感を持って描かれる。しかもべたつく情緒ではなく、さらりと、しかし、沁みるような詩情。
吸血鬼は、死ねない、終わりのない永遠性の中で、しかも同胞を他に見出すことができないという状況の中で〈倦怠期〉を迎え
てしまうのだ。

主人公のクライドは、女性の吸血鬼マグリブに出会うまで、人間が作り上げた吸血鬼の物語の中にいた。つまり、血を吸うことが
生命を維持するもので、太陽の光に当たると体は崩壊し、にんにくがダメな存在として生きてきた。ところが、マグリブが、そん
な彼を物語の嘘から連れ出す。

 「で、血に何の効果もないことにいつ気がついたの?」
  この会話がなされたとき、わたしは一三〇歳にさしかかっているところだ
 った。十代の早くから、数パイントの血を飲むことなしに一日たりとて過ごし
 たことはなかった。血に何の効果もない? 額は火照り熱くなった。

血には何の効果もない。それなら「一体全体何のためにこの牙はあるのだ」と彼の100数年は一気にゆらぎだす。が、彼らは太陽の下、
デートを重ね、彼は恋に落ちる。オーストラリアでの太陽の描写がいい。

  そこでは、太陽が雲をレースのテーブルクロスのようになるまで焼き払っ
 てしまう。

  外では、世界全体が燃えていた。音のない爆発が低木の森を揺り動かし、光
 の塵が静かなロケットのように燃えている。まばゆい太陽の光の束が、ユーカ
 リとトクサバモクマオウの合間に落ちていった。(略)太陽で死ぬことはない
 のだ! 

彼は昼間の柩から出る。「マグリブが現れたことで、永遠はわたしを脅かすものではなくなった」。しかし、ある日、マグリブは
洞窟へと飛び去っていく。そこでは永遠が顔をのぞかせる。人間の結婚制度は「死が二人を分かつまで」というが、彼は考える。

  いつか死ぬという根本的な事実を知りながら、どの程度まで人間の愛は育
 つのだろうかと考えてみることがある。わたしには永遠によくわからないま
 まであろう方法で、何もないところから生えてきた緑色の茎のように愛はら
 せんを描く。さらに近頃では恐ろしい考えが頭から離れない。我々の愛は地球
 の滅亡よりも前に終わるだろうと、と。

蝙蝠となって飛び去るマグリブに対して、老いたクライドは飛ぶことができない。そんな彼がマグリブを追う姿が痛い。

血ではなくレモンを吸うようになった吸血鬼の心情や、レモン畑の描写なども含めて、筆致の魅力に引き込まれる一作だった。

ケリー・リンクやエイミー・ベンダーと通じる、ファンタジーから脱領域していく魅力的な作家だ。
あっ、そういえば、吸血鬼の永遠の孤独を描いた萩尾望都の『ポーの一族』という漫画があった。昨年、続編が出たような。
あの漫画はよかった。ラッセルも知っているのでは…。
コメント
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