パオと高床

あこがれの移動と定住

三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)

2006-05-27 20:54:10 | 国内・小説
言わずとしれた有名作品。○○文庫の百冊とかの定番。
それにしても、この人は言葉で勝負しているホントに凄い作家だ。ストーリーテラーでないわけではない。ストーリーは作る。また、観念性がないわけでもない。観念を見事に具象化する。だが、例えば、優れた劇作家がそうであるように、あるお決まりの形の中で見事に場面を言葉化し、そこに溢れるような豊かさを感じさせることができるのだ。
ここからここへ到ると決まった道筋を大きく膨らます創造力。場面である島の描写、登場人物の動く空間の表現、あざとさであるにもかかわらずそこに現れる作り物が持つリアリティ、一貫して作り出そうとする世界の統一性など、小説が、そこに書かれた言葉が作り出す小説世界で勝負しているのだ。現代文学が現代文学としてあるための意匠が、古典を衣装飾りしてしまう。



高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』(講談社文芸文庫)

2006-05-13 21:45:40 | 国内・小説
すごいよ、すごい。多分、このぐらいすごいだろうと思った以上だった。
高橋源一郎は、変な言い方だが、文学をブンガクにすることで、文学を豊穣な
「世界」に立たせている。浅薄になりそうな世界の有り様に痛烈に「否」を唱えている。ブンガクであることで文学史にしっかり個人の亀裂を入れている。
これは、例えば、ドナルド・バーセルミだったり、アメリカン・アヴァンギャルドの作家たちだったり、方法的にヌーヴォー・ロマンの作家たちだったり、がやったことを見事に、成立させているのだ。
メタファーが言葉の仮面をかぶり自立してキャラクターとして動く。そこに観念を超える「痛さ」の実感が溢れてしまうのが、高橋の、タカハシの、オリジナリティーなのだ。
また、
実は言葉の世界はリアルの世界なのだ。と、疑似リアルを飛び越して襲って来ちゃうところが凄いのだ。

この『ジョン・レノン対火星人』はかなり以前に読んだ『虹の彼方に』より面白いように思う。あの、『虹の彼方に』を読んだときの驚きを超えちゃった。
憤り、怒り、痛切さ、とんでもないあっけらかん、憎悪、そして、再生への非道義的な欲求、粘質性と淡泊さ、デフォルメされたコラージュ、ラディカルさ、こぼれおちるリリカルな精神、そして辻褄あわせへの拒否、これを支える強靱な知の躍動、しかし、同時にそれを支える脆さ。これらが表現の場に踊り出しているのだ、観念は観念の領域を変え、現実は現実の領域を変え、相互が織りなすリアリティの在処を求めて。
変革されるべき何ものかは、常に変革を求める意志の中にあり、その意志は、否応なしに訪れる宿命的な偶然の中に育つものかもしれない。その、仮借なさに、表現は、表現の自由を求めて戦い続けるものなのかもしれない。本来(?)・・・。
今でも、とっても刺激的な一冊だった。