パオと高床

あこがれの移動と定住

田村隆一『20世紀詩人の日曜日』(マガジンハウス)

2009-10-05 14:49:27 | 国内・エッセイ・評論
田村隆一って、やっぱり、いい。詩のよさだけじゃなく、詩人としてのスケールが、いい。

聞き手になった二人のあとがき。
後藤繁雄は田村隆一を訪れた交流の日々をこう書く。「ことばだってここでは寝る。ことばだって休む。酒をこよなく愛し、毅然かつダンディな人が、この、ことばの休日の村の真ん中を散歩する。」
また、谷郁雄は「この本を読むのにリクツはいらない。食卓で読んでも、ベッドの中で読んでも、素晴しい効き目は同じである。ただし、読むのはあなたが個人に戻る〈日曜日〉に限る。」

1990年10月から1991年12月までの約1年に渡って、20世紀詩人田村隆一が、20世紀詩人について語った対談と奇妙な講義録である。落語の枕のような序の対話があって、では、始めましょうかの呼吸で、講義が始まる。講義のあと、再び対話。ずれそうで、本質を突いていて、結びに向かって対話は進む。それは、終わりをむかえはしない。何か、開かれて、時間の継続を思わせて、章は終わる。アルコールの海の先に、酩酊のよどみはなく、晴れ渡ったような視界は広がる。酩酊の心地よさは残るのだが。

ディラン・トマス、オーデン、西脇順三郎、エリオット、パウル・ツェラン、オクタビオ・パス、ルネ・シャール、ロルカ、タゴール、胡適、金子光晴。詩人は詩人を語る。この距離感は何だろう。慈しむ、敬意を示す、自己を見つめる、本質を見抜く。そして、興味を持ち、どこか面白さを感じとっている。また、語ること自体を楽しんでいる姿もある。

西脇と金子への講義が特によかった。西脇順三郎への「先生の帽子」という文章は、見事に詩人の書いた詩人論になっている。で、聞き手が「うまく書いてあるなあ。名文ですよ、これは」と言うと、「うまいだろ。」と言っちゃう田村隆一の茶目っ気が、また、いい。
最後の「スコットランドの日曜日」という旅行記エッセイ。これは、エッセイが詩と重なっていて、文章自体もどこか洒脱な散文詩のような風格がある。

確か、倉橋由美子が田村隆一の詩を読んで、その日本語の素晴らしさに驚いたというようなことを書いていたように思うのだが、また、田村隆一の詩を読みたくなった。それと西脇の『旅人かへらず』も。
コメント
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