詩人佐々木幹郎の東シナ海を巡る旅である。歴史に思いを馳せ、伝統の根に好奇の翼広げ、言葉の由来に反射する。海を渡る海洋民族の道程は交易の証であり、今ある私たちの拠点であるのだ。東シナ海の向こうにある「唐」、佐々木幹郎は「海彼」という言葉を遣って、「それは海の彼方にあって、外国を意味する古い日本語としての〈海彼〉そのものであった」と「あとがき」に書く。その「海彼」から届く文化。それは時間の中で内部化していく。旅は、国際詩人祭で出会った、天安門事件以降国を追われた中国の詩人との話に始まる。その出会いから「移動する」ということに憑かれたように、詩人は、東シナ海を渡る旅にでる。鹿児島の坊津と秋目浦から鑑真の跡をたどる。この秋目津の章はよかった。そして、遣唐使船を思いながら、海を渡った様々な人たちへと想像の触手を伸ばし、江南デルタで、普陀山で、舟山群島で、信仰や習俗の交流を考察していく。学究的でありながら想像的であり、推察と確認を、飛躍と地道を往来するように、今と過去とも往還しながらフィールドワークする。旅は、「凧」への考察で一端、蕪村と中原中也という二人の詩人を引く5ページくらいの間奏に入ってから、長崎から釜山へ移動する。唐辛子の「唐」にこだわり、「唐」を求めて、その「唐」がとらえるスケールを探しに。釜山から済州島に至る二章が個人的には面白かった。連想は済州島で「橘」と「桜」にまで至る。そこから、今度は、元寇に乗って、平戸、鷹島に戻ってくるのだ。だが、これで帰還したわけではない。旅は元寇が、また大陸へ戻っていったように、上海の現在に戻って、その変貌の渦中に入り込んで一端終わる。そう、変化の継続が移動の継続なのだと告げるように。これは、港である「浦」をたずねる旅でもある。「浦」は歴史を抱えこみながら、ひっそりと佇み、あるいは変貌して巨大な港湾都市に変わりながら、今も海に向き合っている。佐々木幹郎は「あとがき」で書く。「東シナ海。 日本列島と大陸とのあいだに横たわるこの海は、中国を中心とするアジアの漢字文化圏の真ん中にある。 日本列島はその文化圏の環の周辺に位置する。そのことの意味を、日本からだけではなく、また大陸からだけでもなく、東シナ海という海の歴史の中から、考えてみたいと思った。〈海は都市である〉という副題を付したのは、海こそが都市と同じように異文化交流の場であったからだ。」これは、「環日本海文化圏」という言葉などとも重なり、刺激的で魅力的な視座である。裏表紙に書かれた「クレオールな東シナ海、ハイブリッドな漢字文化圏」という言葉の一部に触れることができたような気がした。ただ、このフレーズ自体は何だか不思議な言葉だが、このフレーズも交易の結果の言葉だと思っておこう。
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