行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

霊地でもある「大田切橋梁」には近づけなかった

2021年10月24日 | 土木構造物・土木遺産


車中泊を経験し、市や明けた早朝に万内川の堰堤を見学して、予定にはなかったがここまで来てそのまま戻るのはもったいないと思い、妙高高原方面に向かった。
ここには土木学会が選奨する「日本の近代土木遺産・現存する重要な土木構造物2800選」のAランクにある大田切(おおたぎり)橋梁がある。1887年(明治20年)に旧信越線(現・妙高はねうまライン)の敷設に伴い建設されたもの。
大田切川の深い谷底にあり、一級河川の関川に合流する地点に位置する。上信越道の大田切川橋(写真上の奥)や国道18号の妙高大橋(写真手前のトラス橋、新橋)のすぐ下流で、写真からもその谷の深さが伺える。



線路近くまで行くことはできたのだが、この深い谷を下る道と勇気がない。先に触れた矢代川第一発電所と同じように、山歩きの装備が必要な場所。
橋梁の上には鉄道のために盛土がされており、線路レベルよりもかなり低い場所にあることが予想される。グーグルの航空写真で下調べはしたのだが、なかなかアプローチが見つからない。地元の人にでも案内してもらわないとダメだな。
まあ、あえなく断念したのだが、帰ってきてから調べてところ、旧道の妙高大橋から撮影したものと思われる写真を見つけた。「しまった!」まあ、矢代川の発電所ととももに、再訪の機会を狙いますか。まあ、こんなことは度々あること。



旧道の旧道は行きかうクルマもなく、今の時期はうっそうとした木々にかもまれた場所で、北国街道の難所だった。「田切」という地名は、深くえぐられた谷がある場所を意味するそうだ。
そんなところに清水の音が響く。「大田切清水」という名水が湧き出る場所があって、昔から街道を行きかう人の喉を潤していた。ちょっとしたパワースポットのようにも感じられる。
一方、線路わきには国鉄時代の殉職者慰霊碑が立つ。昭和21年冬に「遭難」事故があったということで、7名が犠牲になったと記されている。なんでも信越線の工事でも多くの方が殉職された場所でもあり、それからすると霊地でもあるんですね。




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