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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

新津油田、日本の近代化に灯をともした一丁目一番地

2020年11月22日 | 土木構造物・土木遺産


先に、中野貫一と中野邸記念館・泉恵園を紹介したが、中野貫一が石油王として活躍したことや、新潟の石油の歴史に触れることのできるのが「石油の里」だ。
新潟市秋葉区(旧新津市)の新津油田・金津鉱場だった場所には、先の中野邸・泉恵園のほかに、石油関連施設が点在し、歴史公園化されている(写真上)。
石油の世界館(写真下:世界館の内観)、里山ビジターセンター、古代館などの石油に関連する施設のほか、石油の精製施設跡(写真下)、油井跡が公園内の丘陵に点在する。金津から草水町にかけての新津丘陵北部には、煮坪という自噴の油井跡のほか手掘り・機械掘りの井戸が160本以上確認されている。



古くから石油が取れることは確認されていたが、本格的に採油が始まったのは江戸時代。そして明治期に入って中野貫一が上総掘りをはじめとする機械掘りを導入し、大正期には年間で12万キロリットルを産油する日本一の油田となった。
この明治期から大正期の機械掘りの施設群が、日本の石油業界だけでなく、日本の産業界に大きな光明をもたらしたということで、「近代化産業遺産」に認定(経済産業省・平成19年)されている。
保存されている油井の多くは、綱式機械掘り。ポンピングパワー(写真下:外観内観の2枚)という動力源から、ケーブルを動かして油井に伝えられて原油を汲み上げるるという方法だ。その足跡が丘陵の遊歩道から容易に確認できる。ここが日本の近代石油採掘の「一丁目一番地」なのだ。



阿賀町から新津丘陵へ、「クマ出没」の危険を顧みず山歩き。私にとっては結構険しいハイキングコースであったが、そこにで見ることのできる近代日本の繁栄を支えたであろう重厚な施設群は、静かなれどもその栄華を伝えてくれている。
近代化産業遺産のほか、平成18年度に日本の地質百選選定委員会により「日本の地質100選」に選定、令和元年に一般社団法人日本機械学会から日本国内の機械技術面で歴史的意義のある「機械遺産」に認定、平成30年に文化財保護法に基づく「新津油田金津鉱場跡」の国史跡指定、土木学会の現存する重要な土木構造物2800選で金津鉱場油井群がAランク(選奨土木遺産ではありません。)。

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