ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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その風土2 「川の国」

2014年07月18日 16時03分14秒 | 県全般
その風土2 「川の国」

「埼玉県は川の国」だと言っても、信じてもらえるだろうか。初めて聞いた時は私も「エーッ」と驚いたものだ。

埼玉県はその面積約3800平方キロ㍍の中で、河川が3.9%の面積を占め、日本一だというのだ。

河川に湖沼、用水路の面積を加えると、5.0%で、琵琶湖のある滋賀、霞ヶ浦のある茨城県、水路や運河が交錯して「水の都」と呼ばれてきた大阪府に次いで、全国4位に後退する。

「川の国」であることは間違いない。地図を見れば明らかなように、埼玉と言えばまず、「母なる川」と呼ばれる荒川である。

埼玉、山梨、長野3県の境が交わる甲武信ヶ岳(こぶしがたけ 甲州 武州 信州の頭文字を集めた 2475m)から秩父盆地、長瀞、寄居を経て熊谷から南下、荒川低地を流れ下り、東京都北区の岩淵水門で、本流の荒川放水路と隅田川に分かれる。

荒川放水路は東京の下町を洪水から守るため、1911(明治44)年着工、難工事の末17年かけて1930(昭和5)年完成した。総数300万人を動員、30人近くの犠牲者が出た。

荒川の流域面積は、県内だけで2440平方km、県面積のほぼ3分の2を占める。

流域面積とは、分かりにくい言葉だ。河川の幅の総面積ではなく、河川に対して雨や雪の降水が流れ込む範囲が流域で、その面積を流域面積という。「集水面積」ともいう。

河川の幅とは、水が実際に流れている幅ではなく、堤防から堤防の間の距離を指すようだ。

西から流れ落ちる荒川とともに、忘れてはならないのは、北の群馬、栃木、東の茨城県との境を流れる利根川だ。日本一の流域面積を誇り、関東平野の大半を流域とする。

県内には、一級河川で荒川水系が98本、利根川水系が63本ある。合わせて161本。県の全面積がこの二つの水系の流域に覆われている。

言われてみれば、川の数は多い。目ぼしいものだけでも、西から入間川、高麗川、越辺(おっぺ)川、都幾川、新河岸川、綾瀬川、元荒川、古利根川・・・。

大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)という長く難しい名の川もある。徳川家康が江戸に入る前には、利根川の本流だったこともあるようだ。落しとは「農業排水路」のことで、大落古利根川は排水路になっている。

それに中川、千葉県との境界を流れる江戸川・・・。

こう言われると、「埼玉県は川の国」であると実感できるような気がする。観光資源が乏しい埼玉県では、これをなんとか活用できないかと模索が続いている。「川の国埼玉魅力100選」という小冊子さえできているほどだ。

県央部から東部へかけての平坦地が売り物ながら、県土の3分の1は荒川が作った山地である。

荒川は秩父の西部山地を下った後、秩父盆地を経て、台地・丘陵地を抜けて、荒川低地を流れ下る。県の地形の顕著な特徴の一つである、県北や県央部から東部へかけて広がる平坦地は、県土の3分の2を占め、荒川と利根川の合作だ。

日本はざっと7割が山間地とされる。埼玉県の山地と丘陵は、県土の3分の1ぐらいだからちょうど逆だ。

荒川は、「荒れ川」の名のとおり、史上何度も大小の氾濫を繰り返してきた。それは農産物への被害を与えた反面、流域に肥沃な土壌をもたらし、農民への恵みにもなった。

江戸時代まで、河川交通や物資流通の大動脈にもなった。その時代の荒川やその支流・新河岸川の河岸場の地図を眺めると、その数の多さに驚く。

河岸場は、単に船が発着するだけではなく、河岸問屋があって、交易の拠点だった。利根川中流の中瀬河岸(現・深谷市)は、秩父方面からの荷も寄居を経て、運ばれてきて、この付近最大の中継河岸だったという。

江戸時代の深谷のにぎわいの理由がこれで初めて分かった。

江戸へ特産の藍玉や蚕種、米、麦、上りは塩、醤油、酒、海産物、肥料用の干鰯などが主要な荷だった。

県の南部では肥船も重要な比重を占めていた。貴重な肥料だったのだ。肥船と言っても若い人には見たことも聞いたこともない人が多いに違いない。人糞が売買されていたのだ。大名屋敷から出る人糞は、食べるものが滋養に富むので値が高かった。

「埼玉県謎解き散歩」によると、大正半ばになっても県内には「埼玉病」というのがあり、死亡率は他の県より高く、体格も劣っていたという。

人糞を肥料に使っていたことによる「十二指腸病」で、水田の多い地方に多かった。駆虫剤の投与などで減ってきたのは大正10(1921)年以降だったとか。

肥桶を担いで肥料にしていた経験が、鹿児島で過ごした少年時代にあるので、糞尿譚(スカトロジー)には今でも大いに興味がある。

学校で検便があったので、持ってくるのを忘れると友達のを分けてもらった記憶が懐かしい。

英語を勉強するようになって、進駐軍が肥車(こえぐるま)を「ハニーカート」と呼んでいたのを読んで、「なるほど」と思ったものだ。

今でも付き合っている親友の一人は、アフリカ経験が長いので、駆虫剤を飲んでみたら便器一杯、サナダ虫が出たという話をしていた。

「寄生虫を腹に飼っていた方がいい」という寄生虫博士もおられるようだ。スカトロジーのねたは尽きない。