首都直下地震時の帰宅困難
いつ起きてもおかしくない首都直下地震。「東京湾北部地震」とも呼ばれるこの地震(マグニチュード7クラス)は、今後30年に発生する確率は70%だとされる。(県危機管理防災部危機管理課)
交通機関が麻痺、頼みの電車がストップした場合、東京へ出ている埼玉都民はどうして家までたどりつくか
東日本大震災の際、首都圏で約515万人の帰宅困難者が発生、その日のうちに帰宅できなかった。首都直下地震では、ざっと2倍の約989万人、1000万人に膨らむと、内閣府は推定している。
「帰宅困難者」とは、内閣府の定義では、自宅から10km以内では徒歩で全員が帰宅でき、10~20kmまでは自宅から1km離れるごとに10%が帰れなくなり、20km以上離れると、全員が帰れなくなると推定している。
その中に埼玉から東京都に出かけている94万人(うち通学生10万)の埼玉都民がいる。逆に埼玉に来ている都民は約13万人。
埼玉都民だけではない。平日の真昼に大地震が起きた場合、県消防防災課は、買い物や観光、訪問など県外にいる県民は136万人と推定している。そのうち東京23区は88万人だという。
千代田区が11万と最も多く、新宿区が8万5千、港区が8万4千、中央区が6.8万、豊島区が6.3万人と続く。
問題はこの埼玉都民の「帰宅難民」をどうして無事に帰宅させるかである。
この帰宅難民は、自宅と家族の無事を確認しようと、一刻も早く徒歩ででも帰りたい一心だ。「帰心矢の如し」なのである。
ところが、これだけの人数が一斉に帰宅するにはいくつかの問題がある。
まず挙げられるのは、地震発生直後の火災や倒壊事故の発生が予想されるため帰路の安全が確保されないことである。このため「むやみに帰らず、その場にとどまること」「一斉帰宅の抑制」を、政府も東京都、関係各県でも呼びかけている。
もし留まることにした場合、どこに収容するか、食料や水、トイレをどうするか。課題はつぎつぎに発生する。
交通機関による往復に慣れきっているため、勤務先や出先から自宅まで歩いた経験を持つ人は極めて少ない。
このため県では迷子にならないよう、主な道路に案内標識を置くことにした。「ここは○○市○○○3丁目」「○○駅まで12km ○○交差点まで23km」とセットにした標識を立てるのである。
停電も予想されるので、蓄電式の照明灯も必要になる。コンビニなどの「帰宅支援ステーション」には、地図も欲しいところだ。
平時から災害時に備えて訓練しておく必要もある。各市町村で多くのマラソンやハーフ・マラソン、ウォーキングのイベントが催されている。
観光の宣伝や体力向上だけでなく、例えば日本橋から自宅まで歩いてみる災害対策ウォーキングを何度か開催したらどうか。
17号線で日本橋からさいたま市浦和区まで約20km、大宮まで約30km。決して歩けない距離ではない。一度歩いておくと非常時にも必ず役立つはずだ。
ここまで東京からの帰宅について述べてきた。忘れてならないのは、埼玉県内でも帰宅困難者は発生することである。
東日本大震災では、大宮駅前は5千人以上の帰宅困難者であふれた。県は近くのさいたまスーパーアリーナを開放、毛布や飲料水も備蓄があったので、翌朝JR線が動くまで、約5300人が一晩をしのげた。内閣府によると、この大震災で県内には約33万人の帰宅困難者が発生した。
13年の県の推計では、首都直下地震が起これば、県内にいて自宅に帰れない帰宅困難者は74万7千人に上ると推定される。
その居住地の内訳は、県内37.5万、東京都12・9万人。発生市別ではさいたま市14.2万、川越市4.4万、川口市3.2万、熊谷市3.1万といった順である。