《 西の富士、東の筑波 》と称される関東の名山。 筑波山神社の御神体山である霊峰 『筑波山』 を歩いて来ました。
筑波山は、女体山と男体山の双耳峰からなり、万葉の昔から人々に親しまれ詩歌に詠われた名山でもあります。 昭和 44年2月1日、筑波山塊が霞ヶ浦を中心とした水郷国定公園に編入され、水郷筑波国定公園が誕生しました。 公園内は特別地域または特別保護地区に指定され、沢山の 花々 が保護されています。
沢山の自然に咲く花々を見るのは、人工的につくられた植物園などとは違った良さがあります。ただこの時期には、静かな陽だまり ハイクが楽しめるので出掛けてみました。
大鳥居の下にある市営第四 駐車場に7時 05分到着。97台駐車可の所、私の車だけでした。 30分で準備を済ませ7時35分、 出発。外気温 2.0℃
市営第四 駐車場から大鳥居を目指して上がってくる上記の様な広場に出て、筑波山神社入口のバス停やトイレがありました。 大鳥居をくぐり参道を登って行くと、名物のガマ の油や置物などが飾られたお土産物店が並び、左手に筑波山大御堂と石柱が目に入り参拝した。
筑波山神社付近の様子がわからず、地元の方らしき人に「筑波山に登りたいのですが❓」と道をお尋ねしたら、出勤途中にもかかわらず御幸ヶ原コースの登山口まで案内して下さり、恐縮し丁重にお礼をしました。 知らない所で親切な対応を受けると今日一日が、とても良い日になりそうで嬉しかったです。
そんなことで筑波山神社は下山してから、ゆっくり参拝することにした。 まず目指す男体山への登山道は木製階段や案内板等が整備され、とても歩き易くなっていました。 ただ階段状の登山道が長く続くと最後まで足が上がるか心配でしたが、今回は意外と調子良かった。
登山道はケーブルカーの軌道に沿った形で 「御幸ヶ原登山コース」 が作られています。
杉やヒノキの樹林の中を登っていると、今年の筑波山整備事業として令和五(2023)年三月末に新築された東屋に到着、9時。 あまりにも立派な東屋でビックリ、休憩しながらケーブルカーを眺めることが出来ます。
木段の登山道も傾斜を増し、やがて岩や木の根がむき出しの道となる。
露岩帯を登り切ると男女川(みなのがわ)源流部に出る。 9時 18分。 《つくばねの峰より落ちるみなの川》と万葉集に詠われたところのようです。
源流部から更に樹林の中を登ると、大きな岩の間に香取神社の小さな祠が迎えてくれました。 通過、9時 31分。
この御幸ヶ原コースの斜面は、ほぼ木段で整備され 筑波山神社の御神体山として良く整備され、沢山の登山者に愛されている山と知りました。
木製階段を登り切ると、ケーブルカーの山頂駅や食堂兼土産物店などの建物が並ぶ、十分な広さのある御幸ヶ原に出た。9時 50分。 奥の峰は女体山方面で、こちらの稜線沿いには電波銀座の俗称通り電波中継塔が立ち並んでいる。
御幸ヶ原から北側の日光方面の景色を望む。遠方が霞んでいたのが残念だった。
まず御幸ヶ原より男体山を目指して岩の登山道に取り付く。
10時 10分、男体山御本殿の建つ標高 871mの山頂に到着。
直ぐに無事登頂できた旨の報告参拝を済ませ、南西方向には郷土の山『 富士山 』 を見ることが出来ました。 霞んだ中で見難く必死に目を凝らし、どうにか撮影できて良かったです。
山頂御本殿の裏側に男体山の標示板がありました。
岩場の山頂はあまり広くはなく、御本殿の横には我が国最初の高層気象観測所として創設された筑波山測候所がありました。
こちらの気象観測所は筑波山神社が所有しており、その管理・運営を筑波大学計算科学研究センターと共同で行っているとのことです。
10時 25分、下山開始。下山途中から見た、これから向かう女体山。
再び御幸ヶ原に戻り、下山した男体山を見上げる。
御幸ヶ原は男体山と女体山の鞍部で、ケーブルカーの山頂駅や回転展望台があり茶店や土産物店が並んでいます。
ここには昭和 60年(1985)4月 26日、昭和天皇が筑波山に行幸 ご登拝遊ばされた折に、お詠みになられた詩の石碑 がありました。