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🏯 国宝・姫路城 🏯

2010年04月11日 | 世界遺産

1993年12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともにユネスコの世界遺産委員会で我が国で初めて世界文化遺産に登録されました。

これは姫路城が、我が国の築城技術が高揚期を迎えた江戸時代初期に造営された最も完成された城郭建築であり、壮麗な連立式の天守閣群をはじめ数多くの建物が築城当時のままの美しい姿で今日まで残る唯一の城としてその普遍的価値が認められたものだそうです。

姫路城が長い歴史の中で一度も戦や大きな災害に遭うことなく奇跡的に生き残り、多くの人々の努力と熱意によって保存・整備されてきた結果であります。

姫路城の生い立ち                                播磨の守護職「赤松 則村」が元弘3年(1333)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346)城を構えたことに始まり、その後小寺氏、黒田氏が守ってきたようです。                                 最近の研究で築城は16世紀中頃の黒田重隆・職隆の時とする説もあるようです。

黒田官兵衛孝高のとき、彼の勧めで羽柴秀吉が天正8年(1580)西国攻略の根拠地として入城し、翌9年3層の天守閣を完成させました。

その後、羽柴秀長、木下家定と続き、関が原の役後、徳川家康の女婿「池田輝政」(52万石)が入封し、慶長6年(1601)から8年の歳月を費やして南の外堀を現在のJR山陽本線付近とする程の大きな規模に城域を拡張し、姫山に5層7階の天守を築きました。

池田氏3代のあと入封した本多忠政(15万石)は、長男忠刻とその室「千姫」(徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、元和4年(1618)今日に見る姫路城の全容が整備されたとの事です。

その後、城主は松平氏、榊原氏と変わり、酒井氏が寛延2年(1749)入封して明治維新を迎えました。

現在、大天守と三つの小天守、これらを結ぶ渡櫓(以上「国宝」)をはじめ、化粧櫓など櫓27棟、門15棟、土塀約1,000m(以上「重要文化財」)の建造物と、内濠・中濠の大部分が残っており、中濠以内は特別史跡に指定されています。

約半日、自分がどこにいるのか?分からなくなるほど天守や城内外を歩き回った。         工事現場の人は既に工事の準備に取り掛かっている。                                                        3月までは工事用クレーンも観光客に配慮して景観を損なわないように運転して下さっていたが、今後約5年は姫路城(白鷺城)の雄姿はお預けです。

 

 

 

 


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