素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 大倉バス停から鍋割山へ ▲

2021年12月16日 | 丹沢山塊

落葉した静かな山歩き。

小田急線 や国道246号線 から北側に望め、丹沢山塊の南側に並ぶ丹沢表尾根から鍋割山稜の鍋割山(標高 1272m)と塔ノ岳(標高 1491m)を右回りの周回コースで歩いて来ました。

大倉バス停前の駐車場(平日は1日駐車料金 500円)に6時 40分到着。             直ぐに出発準備を始め、7時 05分出発。

バスターミナルと道を挟んだ反対側に道案内板があり、それに沿って西側へと進路を取る。

最近の山歩きは極力、今まで歩いたことのないコースを選択しているので、常にマップ上に自分の位置を確認しながら歩いている。

舗装路から外れ、竹藪から杉林の様な中を 20分ほど進んだら西山林道に合流した。

ぶつかった西山林道を右折し二俣を過ぎ、鍋割山荘へ水を運ぶためのペットボトルが準備されている所で林道は終わる。そこまでは長い林道歩きが続く。

8時 15分 尾関廣先生之像前に到着。

尾関先生は明治 28年に愛知県で生まれ、13歳から登山を始められ、その足跡は国内はもとより海外にまで及ぶそうです。                                昭和 15年 純正な登山を普及し、その発展を願い全国の登山団体に呼びかけ組織化を図る。   昭和 30年 全日本山岳連盟を結成、後に会長となり社団法人日本山岳協会に発展させた。

丹沢国定公園化運動や大自然を道場に青少年育成と遭難防止のため県立登山訓練所の設立に尽力された。

二俣通過、8時 23分。

幅の広い勘七沢を渡り、更に林道を進む。

西山林道の終点地には、鍋割山荘へ水を運ぶためのペットボトルが置かれている。      8時 55分通過。

ここを過ぎると登山道に変わる。

沢を渡り樹林帯の中の涸れ沢を登る。

20分ほど登ったら登山道に陽が当たって来た。日差しが強い。

9時 20分、後沢乗越に到着。5分ほど小休止。

ここからは目的の鍋割山に向けて北に進路を取る。                        前方には急登が目に入るが落葉して明るい登山道であり、焦らずノンビリ進んだ。

途中には緩やかな登りも見られた。

山頂に近くなると、登山道が綺麗に整備されていた。その先に小丸、大丸の稜線が見えた。

10時 40分、鍋割山荘が見えた。

 

 

山頂にはテーブルベンチや山案内方位盤が設置され、綺麗に整備されていた。

展望最高で富士山がとても綺麗に見えた。

20分休憩し、周りの景色を楽しむ。 

 

  次はブナ林の鍋割山稜へ進みます。   

 

  ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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▲ 足柄峠から矢倉岳まで歩く ▲ 

2021年12月11日 | ジオパーク

いつも見慣れた景色を空から見てみようと、ドローン撮影のお手伝いをして来ました。

依頼を受けると日本中どこでもドローン撮影をして下さる方にご協力頂きました。      ドローン撮影するには国土交通省への許可申請が必要で、素人には分からない手続きは全てお願い致しました。

撮影は箱根ジオパークの南足柄エリアであります。

箱根ジオパークは神奈川県西部の2市3町(小田原市、南足柄市、箱根町、湯河原町、真鶴町)で構成されています。

※ まず、言葉の説明をさせて頂きます。

ジオパークとは、『大地の公園』という意味で、地域の自然に親しみ、その成り立ちを楽しむ場所をさします。

ジオサイトとは、大地の活動や地域の歴史・文化などを実際に学ぶことができるスポットをいいます。

南足柄エリアには、認定を受けたジオサイトが8ヵ所あります。

今回、8ヵ所あるジオサイトのうちの2ヵ所(足柄峠、矢倉岳)をドローン撮影して頂きました。

                          

日程は決まっており、午後には雲や風が出ると不味いので早朝出発。

まず最初に足柄峠の足柄城址へ、到着7時 15分。 早速、撮影準備開始。          朝の冷え込みが強いので沢山のバッテリーを用意して頂きました。

足柄峠を通る足柄道は、箱根を通る東海道よりも歴史が古く、古事記や万葉集にも足柄の地名が残っています。                                    西暦 800年の富士山の延暦噴火の際には足柄峠が通行不能となり、迂回路として箱根峠が整備され、江戸時代に東海道が整備されると、一部は矢倉沢往還として利用されました。

 

現在は、足柄古道として保存、紹介されています。

また、足柄峠には小田原北条氏の支城であった足柄城🏯の遺構が一の曲輪(くるわ)から五の曲輪まで並ぶ連郭式の山城となっています。

一の曲輪から二の曲輪を見た所で、間の窪みは空堀になります。

ドローン撮影は1時間ほどで終了し、8時半に次の撮影地 矢倉岳に向かう。

古い登山道は山腹に沿って走っていたが、大雨により崩壊し尾根沿いに登山道が変更されており、そちらの道をご案内した。

県立21世紀の森や洒水の滝への分岐である山伏平で 10分の小休止。9時半、出発。

矢倉岳到着、9時 50分。 早速、準備を開始して頂きました。

矢倉岳は、約115万年前に足柄層へ貫入したマグマが地下深くで冷え固まった深成岩体。  その後プレートの圧力により標高870mまで隆起した、世界的にも極めて新しい岩体で、石英閃緑岩からなっています。

その矢倉岳とは富士山の左手、お結びの様な丸い山。 私たちは丸い山の山頂にいます。

その特徴的な形状(お結び型)が足柄峠を見張る櫓(やぐら)のようであることがその名の由来といわれ、足柄道におけるランドマークとしても機能していたと考えられています。

山頂は何の障害物も無いので安心なのですが、撮影者の方にはモニターで見やすい映像を確認しながら撮影して頂き、私は登山者の方々にもご協力頂き、一緒にドローンの行方を追いました。

瞬時に100m~150m上がってしまうので、目で追っていないと見失ってしまうのです。

時間と共に雲が現れましたが、意外と雲の流れが速く撮影に慣れた方であり、後で綺麗な映像を見せて頂き、今まで見たことのないカメラ位置からの映像に感動しました。

お忙しい中、山にまで登って頂きドローン撮影まで、誠にありがとうございました。

 

 

  ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

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西湖 いやしの里 ❝根場❞ 2021

2021年12月07日 | 史跡・名勝探訪

秋の根場〈ねんば〉いやしの里を歩く。

世界文化遺産 ❝富士山❞ の麓に広がる富士五湖の一つ、西湖。                         湖畔の北西、富士山を正面に望む扇状地には、かつて『日本一美しい』と称された集落が広がっていました。

その集落は武田信玄の時代に、既に形成されていたとされる根場(ねんば)集落。            そこには約 40軒の兜造りと呼ばれる茅葺屋根の民家が棟を突き合わせるように建っていました。

日照に恵まれ積雪も少ない陽だまりの里で、人々は林業、炭焼き、養蚕、酪農などに勤しみ、力を合わせて独自の文化を形成しながら、平和で豊かな暮らしを営んできました。

村人総出で茅葺屋根の葺き替えを行ったり、昔ながらの茅葺の民家を存続する一方で、より良い暮らしを求めて村をあげて取り組むなど、先進的な村づくりをしていました。

1966(昭和 41)年9月、西湖周辺では秋雨前線と台風 24号によって大雨が続いていました。

 

そこへ台風 26号による記録的豪雨が追い打ちをかけ、ついに耐えきれなくなった山腹が崩壊。「山津波」と呼ばれていた土石流が一気に沢を下り、根場集落を直撃しました。

                                                             9月 25日、未明であったとのことです。

これにより、当時 41棟あった茅葺民家のうち、37棟が全半壊、平和な暮らしは一瞬にして奪われ、集落は消滅してしまいました。

その災害から 40年を経た 2006年、台風災害で失われた美しい茅葺集落の原風景を復活させ、地域の歴史や文化、この地ならではの自然環境を生かした新たな観光交流拠点を創出することを目指して、20棟の茅葺家屋を中心とした『西湖いやしの里 根場』が誕生しました。

 

 

古材を用いて当時のままの兜造りの茅葺屋根を再建すると共に、炭焼き小屋や蚕を育てる養蚕室なども再現されています。

長い時間をかけ蘇った茅葺集落で四季折々の美しい風景を楽しむことができます。

西湖いやしの里 根場では『ふるさとの四季』をテーマにした年中行事を開催しています。

抹茶、お団子、季節の甘味、時には いやしの里産の野菜を使用した食事もご用意しております。

ノンビリと是非お立ち寄りください。

  

 

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▲ 鬼ヶ岳から王岳経由、根場集落に下る。▲

2021年12月03日 | 山梨百名山

富士山を真正面に望む展望と岩稜のコース。

展望良好の鬼ヶ岳(標高 1738m)からの景色を充分に楽しみ、次のポイント鍵掛峠を目指す。

鬼ヶ岳出発、10時25分。

岩場を過ぎると赤土の様な滑り易い急な下りとなり、日影は霜柱が立ちスリップに注意しながら慎重に下る。

下り切るとアップダウンを繰り返しながら王岳まで約2時間のヤセ尾根歩きが続く。     途中にある鍵掛峠までは約1時間。見晴らしが良いのでキョロキョロ。

尾根上の各所に岩場が現れ、ここは登山者が間違えて 直進し岩の上に進み、アレ!道がない と戻るので踏み跡がハッキリしており間違え易い。                                岩に登らず、左側から岩を巻いて進む。

岩の上から眺めた富士。

王岳に向かう尾根上の名もなきピーク。 

南アルプス遠望。  (左から甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、中央の雪をかぶった北岳を含む白峰三山)

ヤセ尾根は風が あると怖いが、今日は気持ち良い歩きができた。尾根の一番奥が目指す「王岳」。

鍵掛峠通過、11時半。目指す王岳までの中間点に来た。                              前方のピークは「鍵掛」という標高 1589mの山。

この尾根では珍しく安心して歩ける広い登山道。

この尾根歩きは、常に富士山を視界(左側)におさめながらの展望最高のコースである。                   下に見えるのは西湖と根場(ねんば)集落であります。

王岳(標高 1623m)はクマザサに囲まれた山であり、足元が見えない時があり注意が必要である。

王岳到着、12時 50分。この山頂はとても広く富士山側(南)の展望良好。                   山頂は風も無く暖かかったので、ノンビリ 30分休憩し昼食を 取った。出発、13時20分。

ここからは根場集落へ下る。下山道は尾根上を西へ 50mほど進むと分岐がある。       通過、13時 25分。

下り始めはクマザサの道の急な下りで、以前ササに滑って事故が発生しているので慎重に足元に注意しながら下った。

クマザサの道を 15分下ったら、尾根を外れて東に進路を取る。通過、13時 35分。                            道の標示板が小さく勢い良く下り直進して踏み込んだ人がおり、道の様に見えるので突き進むのは危険である。目立つ標示板が欲しい所です。

14時 05分、林道の取付き点に出た。

林道に出た。とホッとしたが、石や枯れ葉が折り重なり足場が悪く非常に歩きにくい下りであった。 集落近くまで下りてくると紅葉がとても綺麗であった。

根場集落の登山者専用駐車場に14時半、無事下山しました。                登山者専用駐車場から見た、ピラミッド型の雪頭ヶ岳(中央)。 お疲れ様でした。

着替えてから「かぶと造り」の茅葺民家の建ち並ぶ、いやしの里 根場を見学してから 15時 15分、帰途に着いた。

 

 

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▲ 根場(ねんば)集落から鬼ヶ岳へ ▲

2021年11月30日 | 私の見た山・登った山

鬼ヶ岳(標高 1738m)や王岳(標高 1623m)は御坂山塊の御坂山から黒岳に通じる尾根を南西に進んだ最後の方に聳えています。

西湖の西側に『いやしの里 根場(ねんば)という「かぶと造り」の茅葺き集落があります。                                         そこは観光施設であり、大きく整備された駐車場がありますが、その更に西側に登山者専用駐車場が準備されています。

今回の周回コースは反時計回りで下の地図の右手の緑のコースを登り、鍵掛峠まで進み、そこからは赤のコースに入り王岳へ、そこから根場の駐車場に戻りました。

根場の駐車場に到着、7時10分。直ぐ登山準備を始め、7時半出発。                      初めて目指す山で登山口が判らず、 地図を見ながら本通りに出て東に進む。               そこで「十二ヶ岳登山口」の標示板を発見、自分の目指す山ではないが、その登山口に進んだ。

更に進むと、自分の向かう通過地点の標示板が現れ、間違いなしと確信し前進。           東入川に沿って、広く緩やかな斜面を登って行くと東入川の堰堤横を通過。

約25分ほど歩いて東入川堰堤広場に出た。7時55分通過。

堰堤広場に出てからは、東入川を横切り雪頭ヶ岳への登りが始まる。

8時半を過ぎた頃から登山道に日差しが入って来た。

徐々に斜度が増し、足取りが重くなる。 9時13分「ブナ原生林」 の標示板通過。

この時期は木々の葉が落ちているので明るく周りの景色が少しづつ見えてくる。          本栖湖方面に目をやると、左に大室山(標高 1468m)、右の方には尖ったピークの竜ヶ岳(標高 1485m)と奥の毛無山(標高 1945m)などの山々を望むことができた。

山の斜面は厳しさを増し、岩場が現れロープが設置されていた。                 崩れ易そうな岩場であり、慎重に取り付いた。

岩場を登り切ったら、見晴らし良い場所に出た。9時55分。

南側には富士山と手前、富士五湖の西湖。

東側方向に目をやれば河口湖とドーム状の尾根を見せる杓子山(標高 1597m)。

暖かい見晴らしの良い場所からの景色を充分に楽しんでから、北側へと進路を取った。          細い尾根上の登山道に変わり、そこのピークが雪頭ヶ岳(標高 1710m)であった。10時着。

5分ほど休憩したが、田の畔ほどの細い尾根状の山頂でバランスを崩すと危険なので写真のみ撮って移動開始。山頂より、これから進む山並みを俯瞰す。

鬼ヶ岳に向かう尾根上からは遠く、右から甲斐駒、鳳凰三山、白峰三山が遠望できた。

10時10分。鬼ヶ岳に向かう尾根上にハシゴが現れた。                               風があると怖いけど好天なのでルンルン気分でキョロキョロしながしながら慎重に登る。

10時15分、鬼ヶ岳に登頂。                                           山頂には大きな岩が沢山あり、北東の尾根上に有る金山(標高 1686m)方向から見ると、その岩が鬼の角の様に見えるとのことから付いた山名の様です。

   次に鬼ヶ岳から鍵掛峠経由、王岳へと進みます。

 

 

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🍂 醍醐寺の秋 🍂

2021年11月25日 | 世界遺産

秀吉が 花の宴 を開いた、山科の名刹。

醍醐寺といえば桜。                                              ときは慶長3(1598)年3月15日、ここで一世一代の花見をしたのが、太閤秀吉。          でも当時は桜の名所ではなかったようです。                              ですが名所でなければ名所にすればいいだけのことと、吉野山から選りすぐりの桜、およそ700本を移植したのだそうです。

その様な、あまりにも桜で有名な醍醐寺ですが、紅葉 も楽しむことができます。

金堂は醍醐天皇の御願により、延長4年(926)に創建された建物とのことです。

当時は釈迦堂といわれていたが、永仁、文明年間に二度 焼失。                              現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)の満願寺から移築したお堂で、正面7間・側面5間の入母屋造りの平安末期の建物だそうです。                        この金堂が、醍醐寺の主なお堂であり、安置されている薬師如来坐像が御本尊です。

金堂の横から五重塔を眺める。

五重塔は醍醐天皇の御冥福を祈るために建立。天暦5年(951)に完成したとのことです。                               初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。                                          高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が搭の三分の一を占め安定感を与えています。

京都府下で最も古い木造建築物となっており、国宝に指定されています。

紅葉やイチョウが色づく季節は朱塗りの弁天堂 が水面とよく合う紅葉の名所となっています。

堂内には音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁財天(七福神の一つ)が祀られています。

観音堂を中心に広がる林泉(林や泉水などのある庭園)及び弁天堂、鐘楼、伝法学院などを総称して大伝法院と呼ばれています。観音堂の水煙とイチョウ。

これらの諸堂は醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものだそうです。

   

 

 

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🍂 琵琶湖疏水付近の散策 🍂

2021年11月18日 | 京都の四季

春と秋、大人気の散策路。

南禅寺の近くから銀閣寺前の参道まで続く、疏水べりの約2Kmの散策路  ❝哲学の道❞

哲学者『西田幾多郎』博士らが、ここを歩きながら思索にふけったことから、そう呼ばれるようになったとのことです。

近くに京都大学がありますから、当時は学者の方々が良く散策されたようです。

春は桜のトンネルが延々と続き、桜吹雪が疏水に降り注ぎ、秋にはモミジが枝を水面の方に大きく張り出している。

 

西田幾多郎博士が京大の教授を務めていたのは大正時代、その頃は今ほど人家は無く、ノンビリと散策が楽しめたのだと思います。

川の流れは、自然であれば高い所から低い所へと流れます。                       ですから京都の川は鴨川を含め、全て北から南へ流れています。何気なく見ていると気付かないのですが、ここは南から北に流れているのです。                              土木工学者『田辺朔郎』博士が設計施工した人口の川だからなのです。

道すがらには、サツキの美しい「安楽寺」、椿が咲く「霊鑑寺」、さらに浄土宗を興した法然上人ゆかりのお寺「法然院」などが並んでいます。

11月中旬頃の紅葉の時期は、「もみじの永観堂」の名にふさわしい眺めを楽しませてくれますが、あまりに多くの参拝者に驚き「見返り阿弥陀」様の拝観も落ち着いてできず、京都五山の最高位に列せられた南禅寺へ。

勅使門~三門~法堂~方丈と一直線に並び、それらを塔頭が取り囲む臨済宗南禅寺派の大本山。

境内にはアーチ橋の上を疏水が流れるレンガ造りの水路閣が建ち、桜と紅葉の名所でもあります。

こちらは永観堂ほどの混雑はなく、枯山水庭園を歩きました。

 

 

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🍂 秋澄む 🍂

2021年11月13日 | 郷土の秋

里の秋。

お花が散って 実が熟れて、

その実が落ちて 葉が落ちて、

それから芽が出て 花が咲く。

そうして何べん まわったら、

この木は御用が すむか知ら。

金子みすゞ名詩集より 『木』

 

 

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▲ 乾徳山から国師ヶ原経由徳和に戻る ▲

2021年11月08日 | 山梨百名山

乾徳山は狭い岩場の山頂で、登山者が増えて来たので11時55分、下山開始。

山頂付近の登山道は狭いし岩場にクサリなどで、登山者が多いと渋滞するので皆さんが休んでいる時には行動を開始する。                                             山頂から最後の富士山を眺める。

今回は周回のコース取りをしたので、戻らずに北側の黒金山方向へ下る。               大きな岩場の下りであり水のタル迄は慎重に進む。水のタル通過 12時05分。

岩場の終わった鞍部を通過 12時10分。 ホッと一呼吸 

この鞍部から左へ下るルートがあり、これを下れば乾徳山の西側を巻いて国師ヶ原に出る。

下り始めは樹林帯の中の岩と木の根が入り混じった急な下りであり、足元には充分注意して慎重に下る。

下る途中でも青空に紅葉がとても綺麗に映えていた。

斜度が緩くなり国師ヶ原近くになると、木漏れ日の当たる苔の綺麗な道を進む。

 

 

国師ヶ原高原に建つ高原ヒュッテ通過 13時10分。

国師ヶ原の標示板を通過 13時15分。

今日一日雲一つない好天で、国師ヶ原から素晴らしい乾徳山の山姿を拝むことができた。

国師ヶ原から少し下った所の錦晶水通過 13時35分。  冷たい水であった。

錦晶水を過ぎてからは徳和川沿いの登山口まで、樹林帯の中の薄暗いガレ場下りが延々と続いた。 登山口通過 14時20分。

徳和集落で見られた甲州独特の突上屋根型の住宅。

徳和集落の野球場臨時駐車場に14時40分。無事戻りました。               着替えてから山岳遭難防止キャンペーンのアンケートに記入を済ませ、集落の投函ボックスに投入し帰途についた。

 

 

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▲ 徳和集落から道満尾根経由乾徳山へ ▲

2021年11月05日 | 山梨百名山

山頂部の岩場のスリルと360度の展望が楽しめる山です。

乾徳山は甲府盆地の北東部、笛吹川の右岸にそそり立ち、下部は混交樹林、中腹はなだらかなカヤトの原、山頂部はキリリとした岩峰で変化に富んだコースが魅力の山であります。

乾徳山登山口バス停のそばに20台ほど止められる無料駐車場があるが、6時45分に到着した時は土曜日であり、既に満車状態。

仕方なく50mほど下った所の野球場が臨時駐車場になっており、そこに止めた。           直ぐに準備をはじめ7時15分出発。                                      徳和公園の所で警察官の方々が山岳遭難防止キャンペーンを実施されており、アンケート用紙とポケットティッシュ、ホカロンを頂いた。

乾徳山へは周回コースやピストン、一部周回など自由なコース取りができる所であり、私は色々な景色の楽しめる周回コースを計画した。

徳和公園~徳和峠~道満山~大平高原分岐~月見岩~扇平~乾徳山~水のタル~国師ヶ原~乾徳山登山口~徳和公園  昭文社の「山と高原地図」のコースタイムは6時間50分。

計画通り徳和峠に向かう、その途中より眺めた徳和集落。

林道を登ると獣除けの柵が造られていたが、上から下って来た軽トラのおじさんが柵を開けて下さり、お礼と少しの会話をしたら「紅葉がいいぞ。」と教えてくれた。

少し登ったら徳和峠に付く前に道満尾根への道標があり、そちらに進む。通過 7時30分。

道満尾根に出るまできつい登りが続いたが、足慣らしでゆっくりと登る。

尾根に出てからも道満山(標高 1314m)までは厳しかった。 道満山通過 8時35分。

道満山から大平高原分岐までは、意外と楽な尾根歩きが続いた。登りが遅いので、ここは闊歩した。

大平高原分岐通過 9時20分。ここは国師ヶ原への分岐でもあるが、直に月見岩に向けて登る。

月見岩に向けての登りは、道満山への登りと同様、厳しい登りであった。 ただこの前後の木々の黄葉が素晴らしく何度も立ち止まり眺めた。

9時40分頃、森林限界を越えたように見晴らしがとても良くなった。南アルプス遠望。

そして富士山も顔を出してくれた。

道は緩やかになり 

林を抜けたら、目指す乾徳山が目の前に現れた。

カヤト原の月見岩着 10時丁度。暖かくて気持ち良い。

乾徳山よりの扇平に10時10分着。 ベンチに良さそうな石が幾つもあり10分ほど休憩をした。

南方向に甲府市街や富士山が綺麗に見えた。

天気に恵まれ、休んでいてもポカポカと暖かかった。

山でのミカン最高でした。

ここからいよいよ岩混じりの登山道に取り付く。

コメツガの樹林の中、木の根につかまり体を引き上げ、岩につかまってバランスを取る。

所々に展望の良い場所があるが、チラリと見るくらいで楽しむ余裕はない。 

クサリにつかまり飛び出した岩を避けながら登って行く。

それを越えると山頂直下までは緩い登りとなり、最後の岩場が見えてくる          鳳岩着 11時15分。

長いクサリが垂れ下がり、クサリを手にしたら岩の細い割れ目に足を掛け、体が振られない様に慎重に登る。

巨岩が積み重なった山頂に立てば苦労して登り切った充実感に、周りの素晴らしい展望の満足感が加わり最高です。  乾徳山登頂 11時20分。

延々と続く奥秩父の山並み、甲府盆地と御坂の山々の向うには霊峰 富士山や南アルプスの峰々が雄大に広がっている。 

土曜日であり、狭い山頂大混雑、素早く昼食 を済ませ、下山開始 11時55分。

 

次に、乾徳山から国師ヶ原経由、徳和集落に下ります。

 

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🍂 石山寺の秋 🍂

2021年11月02日 | 古寺巡礼

滋賀県大津の南端、琵琶湖から流れ出る瀬田川の西岸に位置する、真言宗の大本山。

『寺は石山、仏は如意輪』といわれるとおり、霊験あらたかな観音様として奈良時代より広く信仰されてきました。

石山寺は、天平19年(747)聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって建立されました。    その名の通り、石の山の上に建つお寺です。

 

境内の本堂前には大きな岩が聳え立っています。

こちらは天然記念物の『硅灰石(けいかいせき)』というもので、世界的にも珍しいものだそうです。     本堂や多宝塔は、この『硅灰石』の上に立てられています。

「この山の上に八葉の蓮華のような大きな岩があり、そこは紫雲たなびく美しい場所である。ここが観音の聖地である。」❝石山寺縁起絵巻❞第一巻には、近江の守護神 比良明神が石山の地について、この様に述べる場面が描かれています。

このことから、石山寺は古来より神聖な土地として人々の信仰を集めていたようです。    松尾芭蕉翁も何度も足を運ばれたようです。

石山の 石にたばしる 霰かな ❞ 

石山寺の名の由来でもある巨大な硅灰石の上にあられが激しく降り注いでいる光景を詠まれた句だそうです。

源頼朝の寄進により建立されたと伝わる国宝の多宝塔。

                   

上下二層のバランスや軒の曲線の美しさで日本が誇る最古最美の多宝塔として知られています。

 平安時代に観音信仰が広まると、京の都からほど近い石山寺へ参拝する石山詣でが貴族の間で流行したようです。                                                 毘沙門堂の紅葉。

その中でも、文学者が多く参詣されました。

かの有名な紫式部は、当山に参籠(さんろう)した際、湖面に映る月を見て『源氏物語』の構想を思いついたと❝石山寺縁起絵巻❞に記されているとのことです。

他にも『蜻蛉日記』の作者 藤原道綱の母、『更級日記』の作者 菅原孝標の女も石山寺に参籠し、その時のことを作品中に描いているそうです。

 

 

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🍂 三井寺の秋 🍂

2021年10月27日 | 古寺巡礼

滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有する三井寺は、正式名称を『長等山園城寺(ながらさん:おんじょうじ)』と申し天台宗の総本山であります。

境内に天智、天武、持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)が有ることから『御井(みい)の寺』と称され、後に「三井寺」と通称されるようになったのだそうです。

仁王像が守護する三井寺の玄関。

「大門」とも呼ばれるこの仁王門は徳川家康の寄進によるものだそうです。            門の左右には室町時代の仁王像が鎮座しています。

金堂へ向かう参道の紅葉。

金堂とは三井寺の本堂。桃山時代を代表する名建築で国宝に指定されています。

松尾芭蕉翁が参拝された時に詠まれたという句碑がありました。                                三井寺の 門たたかばや けふの月

こちらは、平安時代に弁慶が三井寺から奪って比叡山まで引き摺り上げたと伝えられる梵鐘を収納する霊鐘堂。

この鐘を、いざついてみると「イノー、イノー(関西弁で❝帰りたい❞)」と響いたので、弁慶は怒って 谷底へ投げ捨ててしまったのだそうです。

鐘には、その時に付いたとされる傷が残っています。

霊鐘堂から、仏典類を網羅した一切経(大蔵経)を収めた書庫である一切経蔵の参道にて

唐院は開祖 智証大師をお祀りしている三井寺の聖域、奥にある三重塔は奈良の世尊寺(旧比蘇寺)から移築されたもので、重要文化財に指定されています。

ちなみに、三重塔横橋は映画『るろうに剣心』のワンシーンに使用されたとのことです。

一切経蔵側から見た三重塔です。

園城寺の境内は余りにも広く、山号である長等山という山にも登ってみたかったが時間の関係で欲張りは出来なかった。                                         お寺より山伏の装束で修行体験ができるので、役行者になった気分で長等山を登りたかった。

 

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▲ 越前岳から呼子岳経由、山神社駐車場へ ▲

2021年10月18日 | 私の見た山・登った山

二度目の越前岳。この所ずっと歩いてなかったので久し振りに出掛けてみた。

前回は越前岳(標高 1504m)の北側を走る国道469号線の十里木にある登山口から登ったが、今回は山神社登山口より入山。 見どころが多くノンビリと歩いた。

越前岳山頂で昼食を済ませた。(12:17~12:50)                            午前中の道中では晴れ間がみられたが、山頂付近は朝から雲に覆われていたせいで、木々の枝々に付いた雫が風に 吹かれると落ちて来た。到着時のガスに煙る山頂。

本来なら富士山 や鋸岳、位牌岳といった山々をはじめ、富士市街やその先に駿河湾が見えるはずでしたが、この天気なので足元の花々を探しました。

山頂で見られた可憐な花たち。越前岳付近では沢山のリンドウを見ることができた。     右のはメイゲツソウかな❓ 葉まで撮らなかったので、ハッキリしません。

休憩の後は次の目的地「呼子岳」に向かう。出発、12時50分。山頂からは南方向に下る。                                    道は少しの間急降下が続くが、間もなくなだらかな尾根道になってくる。尾根道で風の通りが良く、がやたらと落ちて来た。

越前岳から40分ほど進んだら、右に高場所尾根経由今宮へ下る道との分岐を通過。13時半。

進路を確認し、その先も高低差のほとんどない細い尾根を進む。

呼子岳到着、13時40分。山頂は狭いが可愛いお地蔵様が迎えてくれた。

山頂の西側は切れ落ちているので注意となっていたが、ガスっているので怖さは感じなかった。

呼子岳出発、13時55分。割石峠に向かう。                                  道は迷うこともなく少し戻り気味にヤセ尾根を下る。

呼子岳、割石峠間の尾根沿いでは沢山のトリカブトを見ることができた。

割石峠通過、14時05分。

峠には割石沢の源頭が突き上げており、深く切れ込んだその先に好天であれば駿河湾 が見えるらしい。

ここから山神社駐車場へ戻るため、北側の樹林帯の中を下るが、ある程度下ると石のゴロゴロした涸れ沢下りとなる。石も苔むしており浮き石も見られたので一歩一歩慎重に下った。

斜度の緩くなった大沢を下るが、樹林帯の薄暗い中であり、ハッキリした登山道がある訳ではない河原歩きで、道を見失い易くケルンと赤いテープ表示を頼りに下った。

大沢橋通過、15時10分。 橋といっても全体が苔に覆われ、ウッカリすると見過ごしてしまう所であった。

その後も踏み跡をたどりながら進み、林道らしき道に出ても雨で深く掘られており、歩く場所を選びながら下った。

山神社駐車場到着、15時40分。お疲れ様でした。                                 今回は実質6時間ほどの歩行時間であったが、この位ではまだまだ歩けそうである。

 

 

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▲ 黒岳、越前岳、呼子岳 回遊 ▲

2021年10月14日 | 私の見た山・登った山

富士山と駿河湾の間に位置し、かつては富士山より高かった ❓ といわれている連山が愛鷹連峰であります。

愛鷹連峰は標高こそ1500mをわずかに抜くに過ぎないが、静かな原生林やスリルのある岩場など変化に富んだ山登りが楽しめるところであります。

山神社駐車場に8時25分到着。                                   山神社~愛鷹山荘~富士見峠~黒岳(標高 1087m)~富士見峠~鋸岳展望台~富士見台~越前岳(標高 1504m)~呼子岳(標高 1310m)~割石峠~大沢橋~山神社駐車場

山神社をスタートして反時計回りの周回コースを歩いて来ました。出発 8時45分。

山神社駐車場の左手に小さな鳥居が見える。                                    冠松次郎筆跡の「松永塚」石碑を見て、鳥居をくぐり苔むした石段から登り始める。

この辺りは杉が植林されており、国道469号線から山神社駐車場までの林道両側に京都の北山杉の様な手入れの行き届いた綺麗な杉林が見られた。                                    苔むした石段を登って間もなく小社が見え、安全登山の参拝を済ませる。

そこから45分ほど杉林の中を登り、やがて左方向へのトラバース道となった先に無人の愛鷹山荘が見えた。山荘通過、9時半。

山荘裏手の急坂を5分ほど登ったら、越前岳と黒岳をつなぐ稜線上の富士見峠に踊り出た。  富士見峠通過、9時35分。 峠付近は植林された桧が成長しており富士山の眺めは悪い。

富士見峠からピストンで黒岳に向かった。                             大きなアップダウンは無く順調に進み、広い尾根伝いには樹齢300~400年といわれる黒岳自然杉群落が見られた。

黒岳到着、9時55分。 展望は悪いが広い山頂でした。10分休憩。

写真だけ撮り、富士見峠に戻る。富士見峠通過、10時16分。

峠からは愛鷹連峰最高峰の越前岳を目指して尾根を登る。                         登山道は粘土質で滑り易く、雨上がり時には転ばないよう注意が必要な所であり、その上深くえぐられ両側には小灌木が生い茂り、中々歩きにくい。

富士見峠から40分歩いたら鋸岳展望台に着いた。10時55分。                  ここからは鋸岳の鋭さを望める場所だが、この辺りから上空に雲が現れ残念なことに望むことは出来なかった。

これから向かう富士見台の手前に「北白ガレン」と地図上に表示された箇所があり、何だろう❓と不思議に感じていたが、行って見たら絶壁状の爆裂火口であった。              直下手前の谷が水蒸気爆発を起こした大沢爆裂火口と言うようです。通過、11時25分。

左手にはロープが張られ、「危険注意」の看板が沢山見られたが、登山道には小灌木が鬱蒼として火口壁は見えず、カメラを持ち上げ頭の上から撮影した。                         富士山や箱根火山より古いという説もある愛鷹火山と言われています。

北白ガレンのふちを注意しながら通過して、アセビの茂る道を25分ほど登ったら、富士見台に着いた。11時52分。

 

ここには、昔の五十銭紙幣の看板が建てられていました。                         ここ富士見台から岡田紅陽氏が撮影された写真が紙幣になったとのことです。

残念ながら、この日は富士山や周りの遠景は何も見えませんでした。 天気下り坂。

富士見台から25分ほど樹林帯の道を登り詰めて、愛鷹連峰最高峰の越前岳に到着した。    12時17分。

山頂の西側の展望は開けているが山全体が雲の中で展望なし、風が出たりで寒くなって来た。 防寒着を着てから、ノンビリ昼食とした。

 

 

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⛰ 懐かしの剱岳 ⛰

2021年10月08日 | 日本百名山

巨大な岩塊・剱岳へ 

最もポピュラーなルート「ツルギの銀座」と言われる別山尾根を往復する。

この別山尾根ルートは剱岳への一般ルートとして知られていますが、気の抜けない岩場の登下降が最大のポイントとなります。

実際に別山乗越から剱岳を眺めても、そこに登山ルートがあるとはとても思えない。

山が急峻にせり上がり、ピークや尾根が重なり合って巨大な山塊を形成しているからです。

途中にエスケープルートは無いので、取り付く前の体調や天候状況の確認は必要です。

   ※ここでの写真は2012(H24)年9月22日に撮影したものです。

 

                                    

黒四ダム下より出発し、内蔵助平経由真砂沢ロッジへ。翌日は剣沢雪渓を攻め、剣山荘へ。

剣山荘に荷を置き、必要最小限の荷で剱に向かいました。

ここでは、剣山荘からの別山尾根ルートをご紹介いたします。

剣山荘を過ぎると緩やかな登り斜面に取り付き、ソロソロ休憩でもしようか と思う丁度良いタイミングで一服剱に到着する。

一服剱のピークに立つと前剱が眼前に大きく迫っている。                         ピークから前剱に向かうには、一旦 武蔵(たけぞう)のコルという鞍部に下る。                 ここから稜線の右手、剣沢側のトレイルをたどる。岩がゴロゴロしたガレ場でありスリップや落石、浮き石に細心の注意をする。                                            やがて狭い溝のようになったガレ場に入ると、上部に今にも落ちそうな大岩が見えてくる。

これが前剱大岩で、岩の左側をクサリに沿って通過。 岩溝を抜けた所から、滑り易い岩場を登り詰めると稜線に出て、そこから岩稜をたどると前剱に到着である。

前剱からは頂稜の剱沢側を進み、直ぐに東大谷側へ稜線を乗り越えて、足場が不安定で急峻な岩稜を下る。                                                 それは「登山道」という言葉が不似合いなほどであり、足元がスースーする様な鉄のブリッジを渡って岩棚をトラバースをして行く。

クサリに沿って岩峰の右側を巻き、平蔵谷側をクサリで下る。クサリが約20m。                       下り切ると前剱ノ門と呼ばれる鞍部に到着。

前剱ノ門からは足元の安定したザレ場を慎重に登る。

ルートは平蔵谷側から稜線に出て、東大谷側をトラバースし平蔵ノ頭へ。

更に東大谷側を進むとゴツゴツとした岩に当たり、その岩場をクサリで越え高度感抜群の一枚岩をクサリに沿って下る。

この先は平蔵谷源頭部の岩峰帯を通過する。ルートは平蔵谷側を巻いて進み、登下降路が分かれたところに有る短いクサリ場を過ぎると平蔵のコルに出る。

平蔵のコルに下り立って振り返ると、行き来できるのが不思議なほどの一枚岩。

                                           ここから始まる急な岩場の登りがカニのたてばいです。

平蔵のコルから平蔵谷上部を少し本峰南壁よりに横切った先が取付き点で、垂直に近い50m程の岩場が立ちはだかる。 クサリが設置されているが、慎重・冷静に行動する箇所です。

難所と言われるカニのたてばいを登り切ると、傾斜の緩くなったガレ場の登りとなり、早月尾根からの登山道と合流し、 

                                           稜線上をしばらく進めば、待望の剱岳山頂に立つ。  

岩稜状になった独立峰の山頂で地図を 広げると、後立山連峰、立山三山、槍穂高、薬師岳など360度の大パノラマであるが、雲が多く残念であった。

でも山頂から八ッ峰の岩峰群 を見下ろす、迫力ある眺めは最高でした。

岩と雪の殿堂と言われ、目もくらむような高度感が味わえる豪快な剱岳は、その厳しさゆえに、登山路は別山尾根と早月尾根の2本しかありません。

山頂から北側へ踏み跡が見られるが、北方稜線へはバリエーションルートであり、一般登山路ではなく素人の踏み込みは禁止となっている。

山頂からの景色を充分に楽しんでから下山路へ。                                剱岳は富士山や槍ヶ岳等と同じように、登山路と下山路が別ルートになっています。

下山路は、まず慎重にカニのよこばいへと進みます。 落石に十分注意する。

クサリの付けられた高度感あふれる岩場を岩棚に沿って下って行くが、ホールドスタンスを確実に捕え、 細心の注意を払う。

                                                                 クサリ場を過ぎると、次は長いハシゴの下りとなる。ハシゴに乗り移る時、風 やザックによりバランスを崩さないよう慎重に取り付く。 下り切るとガレ場に出て平蔵のコルに着く。

最後のクサリで降りた先に簡易トイレがある。                            コルからは岩峰帯の平蔵谷側の岩場を巻いて行くが、クサリに振り回されることもあるので、岩を確実につかむ方が安全である。                                          次に東大谷側へ下る急な岩場、約10m降りると平蔵の頭を巻いて通過。

平蔵の頭からは一度稜線に出て平蔵谷側の下山路を進むと前剱の門に出る。

剱岳では土の登下山路は無く全て岩場であり、クサリやハシゴで滑らないようにゆっくりと、下山時は登り以上に慎重に歩を踏むことが必要です。                                    一服剱まで来れば、剣山荘や剱沢小屋が見えてホッとするが、最後まで気は緩めずにしっかりと足元に注意をする。

                          

翌日は別山乗越から立山三山を経由して室堂バスターミナルへ下山の予定でしたが、あいにくの雨になってしまい剱御前小舎で休憩し、雷鳥平から室堂平に上がりバスターミナルへ戻った。

室堂平の草紅葉がとても綺麗でした。

 

 

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