素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 矢倉沢集落から矢倉岳経由、足柄峠へ  №3~1 ▲

2022年05月05日 | ジオパーク

地元の山、矢倉岳(標高 870m)~金時山(標高 1212m)~明神が岳(標高 1169m)の三山を歩いて来ました。

コロナが2年以上も続き、今年は何の規制もないゴールデンウイークとなり、あちこちが賑やかに動き出したことは、とても嬉しいことと思います。

テレビ報道を見て混雑する空港、駅、高速道路などを見ていると、中々出る気にはなれません。

そんな事で、乗り物は使わずに歩くことにしました。

自宅を5時 15分に出発。                                    矢倉沢公民館に6時 25分到着。矢倉岳がとても綺麗に見えました。

矢倉岳山麓に佇む白山神社前を進む。

この神社は矢倉沢地区の鎮守神であり、石川県白山市に総本社のある「白山比咩(しらやまひめ)神社」で末社は全国に 2700以上もあるそうです。

鹿止め柵を6時 48分に通過し、茶畑越しに相模湾を望む。

見上げれば木々の若葉が綺麗な樹林帯の中を登る。

矢倉岳は矢倉沢地区から登ると最初の急な登りは元気な内なので難なく超えてしまうが、途中の緩やかな登りを越え、山頂にかけての2度目の登りは結構きつい。             そのきつい登りを頑張り、ようやくなだらかになって来た。

矢倉岳山頂着、8時丁度。 富士山がとても綺麗に見えた。

山頂着8時と早かったのに、既に2グループの登山者が休憩されていた。

  矢倉岳の生い立ち                                   この矢倉岳の山頂付近はマグマが地下深くでゆっくりと冷え固まって出来た『深成岩』と呼ばれる岩石でできています。                                かつて南足柄は本州と伊豆地塊に挟まれた海の底でした。                         約 115万年前、海底の地層にマグマが貫入し、そのマグマは噴火せずに そのまま固まり海底の地層ごと、フィリピン海プレートに乗って南からやって来た伊豆地塊に押され持ち上げられました。                                          その後、押し上げられた海の地層が風化して深成岩体が現れ、現在のお結びの様な形の山となりました。

 

山頂では 15分の休憩を取り8時 15分、足柄峠に向けて 出発。

山北町の洒水の滝や県立 21世紀の森への分岐となる山伏平通過、 8時 25分。

途中の斜面を通る登山道が崩壊しており、尾根上に整備された登山道へ迂回する。

明るい登山道になってくると足柄万葉公園は近い。

こちらの万葉公園には記紀万葉の頃、東国の人々が防人(さきもり)として九州防備のために徴用され、当時の官道であった この足柄の坂を越える時に住み慣れた郷里を目にすることのできる最後の場所で、しばし佇み郷里に別れを告げた。                              その万葉人が詠んだ歌碑を解説付きで、幾つも見ることが出来ます。万葉公園通過、9時10分。

足柄山聖天堂通過、9時 15分。

こちらの御本尊は『大聖歓喜双身天』であり、この辺りでは「聖天様」とか「聖天さん」と呼ばれています。                                          商売繁盛、縁結び、厄除け、開運を表し、霊験あらたかな聖天様として信仰されています。

神奈川県と静岡県の県境の足柄峠着9時 20分。

足柄峠には小田原後北条氏によって築かれた山城(足柄城址跡)があります。        自然地形を利用して足柄古道を監視するように5つの曲輪(くるわ)があり、また甲斐 武田信玄の進攻を阻止する意図があった山城です。

 

     ※ 次は足柄峠から金時山へ向かいます。(№3ー2)

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 信仰の山 仏果山・高取山縦走 ▲

2022年04月26日 | 丹沢山塊

丹沢東端のミニ山脈を縦走して来ました。

かつては山岳修験者の霊場だったといわれる峰々には、今もその名残りが色濃い。       狭い稜線などもあるが、そこはまた展望も良く、広葉樹の山肌が新緑や紅葉の時期には格別の趣を見せてくれ、お勧めです。

これから向かう仏果山(標高 747m)と高取山(標高 705m)は樹林に覆われた山頂ですが、どちらにも展望塔が設置され360度の展望が楽しめます。

今回のミニ山脈縦走の南東側に位置する「経ヶ岳」を出発して土山峠分岐に戻った。     土山峠分岐通過、11時 16分。

関東ふれあいの道を 進む。

丸太で作られた階段を登り11時 35分、革籠石山(かわごいしやま)を通過。

仏果山に向かう尾根に入ってピンクのミツバツツジが沢山見られるようになってきた。    周りの遠景が良く見えないので、近くの花々が顔を見せてくれるのが嬉しい。

長い階段やきつい登りが続いても、要所要所にテーブルベンチが設置されているので非常に助かる。

仏果山に近づくにつれヤセ尾根の道となり、バランスに注意する。

山岳修験者がこの一帯を霊場として修法のために歩かれた解説版があった。

                           

 山岳修験者のはなし                                         丹沢山塊のうち経ヶ岳、大山を中心とする一帯は、昔 山岳修験者の修法の霊場であったという。ここより東方の八菅神社(愛川町八菅山)には、入峰者の名称・位・入峰回数などを記録した古文書が残っている。

伝説では大宝3年(703)に役の小角(えんのおづの)が八菅山に来たときから、この地を起点に平山・塩川滝などを経て大山まで7宿 30ヶ所を、おおよそ 49日間かけ加持祈祷を唱えながら修法を行っていたという。                                                    煤ヶ谷(清川村)の人々は修験者が行の途中で村に入ると進んで接待を申し出たり「願い事が叶えられる」という事から、特に行中で使用した草鞋(わらじ)などを所望したと伝えられている。    また、この修法は明治維新の神仏分離令によって廃止されたとのことです。

                          

仏果山山頂まで、あと 400mの案内板が見えた。

あと 400mの案内板を過ぎてから、修験者の霊場という雰囲気の険しい道となった。

不思議と危険な場所には綺麗な花が良く見える。 ヤマブキ

気を抜かずに必死で登っているのを優しく見守っていてくれる気がする。

危険だが誰もいないのでノンビリお花見もできて楽しい。 ミツバツツジ。

可憐なタチツボスミレ。 

キョロキョロしながら登っていたら目的の仏果山山頂に出た。12時半丁度。

可愛いお地蔵様が迎えてくれた。 

山頂自体は雑木林の中で見通しは悪いが、そこに巨大な展望塔が設置されており、天気が良ければ展望最高である。

折角なので展望塔に上がり、眼下の宮ケ瀬湖が少し見えた。

曇天で風も無く寒くも無かったので、山頂で 40分もノンビリした。 13時 10分、高取山へ向かう。                                        仏果山から高取山へ向かう尾根は登って来た時の厳しい登山道とは違い安心して下れた。

宮ケ瀬越通過、13時 35分。

宮ケ瀬越からは 500m少々の登り、しっかりした登山道であった。

高取山到着、13時 50分。  山頂は北東側に樹木が無く全体的に仏果山より明るかった。

仏果山と同様な立派な展望塔が設置されていた。

テーブルベンチも沢山あり、大人数でもノンビリできる山頂を単独貸切と贅沢が出来た。

15分の休憩で14時 05分、下山開始。宮ケ瀬越まで戻る。

宮ケ瀬越通過、14時 15分。                                    その近くでタコの様なものが沢山あるのに気付いた。なんだろう   

宮ケ瀬越から仏果山登山口バス停への下りは木製階段は有れど、岩やガレ場はなく快調に下れた。

下山途中でウラシマソウを見掛けた。 マムシグサにも似ていて見かけるとドキッとする。

下山口近くで見かけた登山届提出ポスト。  登山届は必ず提出しましょう。

14時 55分、宮ケ瀬湖湖畔にある仏果山登山口バス停に無事下山。ヤマブキの出迎えを受ける。

ここから大棚沢広場駐車場まで直ぐで 15時丁度に到着。 お疲れ様でした。

 

 

 

 

      ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 土山峠登山口から経ヶ岳へ ▲

2022年04月21日 | 丹沢山塊

弘法大師が経文を納めたといわれる経石(巨岩)がある経ヶ岳へ。

西丹沢は近くて良い山が沢山あるが、今回は東丹沢のミニ山脈信仰の山を縦走をして来ました。

標高が低いので年間を通じて登ることが出来るが、稜線上にヤセ尾根があり岩や木の根が多いので降雪直後は避け、新緑と紅葉の時期がお薦めです。

ほとんどの登山案内書では、稜線の北東側にある愛川町半原からのご案内ですが、私は宮ケ瀬湖側から大棚沢広場をスタートし~土山峠~半原越~経ヶ岳~仏果山~高取山~宮ヶ瀬越~大棚沢広場への周回コースを歩いて来ました。

当日の天気は良くなかったが、たまには雨の日の山歩きも良いかと思い出発。

大棚沢広場出発、8時 15分。まだ雨は降ってなく薄暗い。

宮ヶ瀬湖沿いの県道 64号線を南東側に進み、土山峠バス停の先にある登山口着、8時 45分。

道標はしっかり整備され、各所にテーブルベンチがあり、とても歩き易い登山道でした。

尾根上の土山峠分岐点通過、9時 36分。

なだらかな尾根道を進み、鹿止めの扉を抜け丸太作りの階段を下ると舗装された林道が見えてくる。その林道と登山道の交差する所が半原越。                                 半原越(はんばらごえ)通過、10時丁度。

昭和の初期まで煤ヶ谷(すすがや)は養蚕が盛んで、当時 糸の町として栄えていた半原へ、繭を背負って この峠を越えていたことから、「半原越」という名が付いたと云われています。

半原越から丸太で作られた長い階段を登る。

階段を登り切った所に丹沢山塊の山名案内板があり、晴れていたらその山々を確認しながら休憩できるテーブルベンチが用意されていた。 10時 10分、通過。

だが今日の天気では回りは真っ白なキャンバスを見ている様で残念だった。

そこから新緑の木々を見ながら尾根を進むと、前方に経石(巨岩)が見えた。

  経石の云われ                                      昔、弘法大師がこの岩(南側にある穴)に経文を納めたことから経石と、また経石のある山だから経ヶ岳(標高 633m)と呼ばれるようになったと伝えられています。            この中央上部にある穴に経文をおさめたようです。

10時 25分、経ヶ岳山頂着。 

国土の基本測量を行うための重要な基準点として三角点があります。            三角点には位置の基準点として一等から四等に区分され、眺めの良い山頂等に設置されています。

経ヶ岳には、二等三角点が埋設 されていました。10分の休憩で10時35分、下山開始。    曇ってはいたが寒くはなかった。

帰りに経石の上に綺麗なヤマブキが見送ってくれました。

下りでは、登りで気付かなかった花々が良く見えた。ヤマツツジ。

 

尾根を歩きながら、これから向かう仏果山(標高 747m)が見えた。

半原越通過、10時 52分。                                ここを通る林道は法論堂(おろんど)林道と呼ばれ、途中に法論堂という地名からとられているようです。

昔、修験者(山伏・僧侶)達が、この地で法(教え)を論じ合ったことから、法論堂(おろんど)と云う名が起こったと伝えられています。                             現在「宿(やど)」と呼ばれている旧家があるようですが、恐らく修験者達が宿とした所から云われたようです。                                        煤ケ谷の資料によれば「存円和尚、時々村舎に説法し村民をして輪回応報を聞知せしめ至法に遵(したが)わしむ。今の法論堂村 是れ也」とありますが、存円和尚とは仏果禅師のことだそうです。

                           

先程、一気に下った丸太作りの階段を再び登り返し、鹿止め の扉を抜け緩やかな尾根を進み土山峠分岐まで戻る。

土山峠分岐通過、11時 16分。

この先は「関東ふれあいの道」を進み仏果山を目指す。

 

 

     ※次は仏果山から高取山縦走コースを歩きます。

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。  

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🐾 桜時を歩く 🐾

2022年04月09日 | 春景色

河津桜は終わり、染井吉野に変わりつつあり、地元を歩いて来ました。

暖かな陽気の中の山道を歩いていると、沢山の花が出迎えてくれる、この時期ならではの良さである。

普段は中々歩くことをしていないので、付近の桜を見て歩くことにした。

御殿場線の松田駅を8時 20分、出発。

まず、西平畑公園を目指す。  到着8時 35分。                              こちらの桜は河津桜で、足柄平野では逸速く春の訪れを知らせてくれる。4月2日の訪問時には既に葉桜に変わっていた。

菜の花やチューリップ、白モクレンなどが綺麗であった。

自然館を抜け農道を登り最明寺史跡公園を目指す。意外と遠く約1時間掛かった。      史跡公園到着、9時 50分。 標高 456m。

街中の桜は満開となっていたが、こちらは6~7分咲きで枝垂れ桜の方は、まだ蕾であった。

人里離れた山中で、密教の奥義を追求する真言宗の名刹として鎌倉時代の承久3年(1221)松田郷を治めていた大庭平太景義が、この地に招いた源延という僧侶により現在地に建立されたものだそうです。(当時は西明寺)

その後の文明元年(1469)、隣の大井町金子に移転しており(現 最明寺)、なぜ移転したのか?など謎も多いようです。

中央にある池の北側斜面を登り、山北町の高松集落を目指す。 10時半発。

最明寺史跡公園から高松集落にある高松分校には、なだらかな道を30分で到着した。11時。

校舎横の桜も満開であり、新しいランドセルを背に入学式や卒業式などが賑やかに行われていた往時が偲ばれ、壷井栄の長編小説『二十四の瞳』が浮かんだ。

                           

場所が山と海の違いは有れど、瀬戸内海の小豆島に生まれた大石先生が新卒の女性教師として島の岬の小学校に赴任、そこで受け持った12人の子供を可愛がる。                 しかし、第二次世界大戦の嵐はこの小さな島の子供たちをも巻き込み、ある少女は紅灯の巷(ちまた)へ、ある少年は戦場へと行ってしまい、戦争が終わった時には大石先生も子持ちの未亡人となっていた。・・・・・

                            

自分の小学1~2年の担任の女性教師が、この高松分校から赴任されて来られ、優しい先生であり大石先生と重なり、一度どんな学校か見て見たかったので、とても満足した。

高松分校から戻り、尺里峠(第六天)への登り道に進む。尺里峠着、 11時 40分。

100m南側に富士山展望台の標示板を見つけ立ち寄る。

青空でなく雲の多い日であったが、富士を望むことは出来た。

11時 55分、尺里峠より高松山を目指す。登りの途中、樹林帯の中にミツマタが群生していた。

土曜日であり高松山(標高 801m)山頂には沢山の登山者が休憩されていた。 12時 55分着。

高松山登山の途中で昼食 は済ませたので、5分の休憩で13時下山開始。

ビリ堂通過、13時 15分。

新東名高速道路の工事現場を通過し、眼下に山北町の向原集落が見えてきた。 14時。

尺里川通過、14時 25分。上流の桜。

尺里川下流は桜のトンネルの中を流れていた。

岩流瀬(がらぜ)橋到着、 15時 05分。酒匂川左岸の桜が見事でした。

福沢神社のある文命堤に到着、15時 20分。

怒田運動公園に到着、 15時 40分。こちらの桜も満開で多くの家族連れが見えていた。

サクラの映える青空を思いながら出発したが、ノンビリ歩きながらまずまずの桜狩りを楽しむことが出来ました。

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🌷 春の花めぐり 栃木② 🌷

2022年04月05日 | 春景色

群生するカタクリなど可憐な山野草を求めて、栃木へ

『清明』 二十四節気の一つ。                               全てのものが清らかで生き生きとする頃のこと。                          若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。

                                            栃木県那須郡那珂川町の八溝県立自然公園内に位置し、自然豊かな雑木林に関東最大規模を誇るカタクリの群生が山の斜面を埋め尽くしていました。

以前はカタクリの群生地を追って 秋田県仙北市西木町、新潟県南魚沼市の「六万騎山」、神奈川県相模原市の「城山かたくりの里」などを巡った思い出があります。

小さい頃、祖母に『葛湯を作ってもらい、寒い時に体が温まり大好きでした。       葛デンプンまたは片栗粉の水溶きに砂糖を加え、熱湯を注ぎトロリとした飲み物。体が温まり葛の発汗作用などから、風邪の初期に用いると良いといわれていました。                そんな思い出があり小さい頃から『カタクリ』という名は聞き覚えがありました。

今まで見たカタクリの花は小さくて可愛らしいといったイメージをもっていましたが、栃木のカタクリは予想外に大きくビックリしました。    

                       

🌸 カタクリ : 片栗 🌸 ユリ科                                 雪解けの林に咲く高貴な花。雪国などでは群生が見られる。

落葉樹林の林下に群生し、早春に咲いて初夏には地下で休眠する。紅紫色の花の美しさから ❝ 春の妖精 ❞ にも喩えられる。                                  花は陽が当たると開いて反り返り、夕方に閉じる。

                                

🌸 ミズバショウ : 水芭蕉 🌸 サトイモ科                            山地の湿原などに群生し、北海道や東北ではふつうに見られる。

白い仏炎苞に包まれた、棒のような花穂に細かい花を密に付ける。夏には葉が1mにもなり、別の植物のように様変わりする。

歌にもあるように、尾瀬のシンボルとして名が知られ清楚な花で美しい。

                         

🌸 ザゼンソウ : 座禅草 🌸 サトイモ科                           仏炎苞が紫褐色で茎が無く直に仏炎苞が延びており、不気味な感じがする。

座禅を組む達磨大師の姿に見立てて名がつき、別にダルマソウ(達磨草)とも呼ばれる。   花は早春から開き、悪臭を放つようです。

四季の彩りが競い合う最高の時に、栃木の自然を満喫する散策ができ、お疲れ様でした。

 

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🌷 春の花めぐり 栃木① 🌷

2022年04月02日 | 春景色

山の斜面一帯に咲き誇る花々を求めて栃木へ

花は、その年の気象 状況により開花時期といえども早かったり遅かったりと、最高の状態で見る難しさがあります。

今年はどうだろうか と思案しながら、花好きの皆さんと共に歩いて来ました。                 地元の方の お話では、今年は 寒かったので一寸遅いとのことでした。

訪問先は栃木県那須郡那珂川町の『富山(とみやま)いわうちわ群生地』です。

                              この花の群生規模としては、❝ 日本一 ❞ ともいわれている富山いわうちわ群生地へ軽いハイキングを兼ねながら見学して来ました。

🌸 イワウチワ:岩団扇 🌸 イワウメ科                             生育地は山地で高山植物とはいえないが、雪解けと同時に登山口周辺でよく見かける。    淡紅色の花は清楚で可愛い。    

🌸 ショウジョウバカマ: 猩々袴 🌸 ユリ科                            早春の林で見られる、細長い花被や雄しべ、雌しべをもつ花。

花の色は淡紅色から濃紅色まで変化が多く、白色のものもあり、花は横向き又は斜め下向きにつける。

 

🌸 シュンラン : 春蘭  🌸 ラン科                               早春、ほかのランに先立って咲くことから名がついた。

木々が芽吹く頃、雑木林の林床に10~25cmの花茎を伸ばし、黄緑色の花を咲かせる。

中心の唇の形をした花びら(唇弁)は白色で濃い紅紫色の斑点がある。

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ ぶらり金冠山 ▲

2022年03月29日 | 私の見た山・登った山

展望最高で西伊豆最北の ❝金冠山❞ 標高 816m へ。

沼津市と伊豆市の境にある標高 725mの戸田(へだ)峠から金冠山を目指す。出発、13時 20分。

  

まず、車両進入禁止のゲートを抜け、広く舗装された道を登る。

距離的には近く、直ぐに登れる山であり山頂からの展望が良いので人気の山なのです。    登る途中にはアセビ(馬酔木)の木が群生していました。

この木は強い神経毒を含み、馬が 食べるとマヒして酔ったようになるので馬酔木と書くようです。

13時 40分、金冠山山頂着。

晴れてはいるものの富士山は望めず、もちろん遠望も効かず、近場が見えただけで残念でした。

山頂から更に北西方向に見える真城山(さなぎやま)方面。

北側には駿河湾に浮かぶ淡島や沼津アルプス(海の向こうの低い尾根)遠望。

海底火山時代の痕跡は低いながらも険しい山地を、本州へ衝突後の大型陸上火山は、なだらかで雄大なシルエットを作り出しています。

伊豆の衝突という大事件は、海底火山の痕跡を隆起させると共に、遠くに見える丹沢山地を隆起させることになりました。

西側に建つ金冠山の石塔。

20分ほど金冠山山頂からの景色を楽しんで、 14時 だるま山高原レストハウスに向け下山開始。

金冠山から だるま山高原レストハウス迄の下りは、防火帯のように切り開かれた広い道でとても歩き易い。

北アルプスも歩いた経験のある皆さんで散歩感覚でした。

久し振りのハイキングで皆さんに気持ち良く歩いて頂け、多くの解説版により伊豆の歴史も勉強でき楽しいミニハイクとなりました。

14時 35分、車の待機する「だるま山高原レストハウス」に無事下山。お疲れ様でした。

 

 

               ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 伽藍山~古稀山~達磨山縦走 ▲

2022年03月24日 | 私の見た山・登った山

西伊豆スカイライン に沿った標高9百m前後の尾根を南から北へと縦走して来ました。

2020年12月に山仲間の皆さんと道志山塊を歩き、それ以降コロナの変異株 が次々と現れ中々多くの皆さんと共に歩くことが出来ませんでした。

なかなか1人で山に行こうと考える方は少ない様に思います。                     仲間の方々と同行しながら話を聞いていても、ツアー的に実施されれば参加したいが、1人での山歩きは敬遠される方が多いようです。                             また、これからもコロナが終息しない限り大人数での山行は難しい様に思います。

北東方向に怪しい黒い雲。❓  

皆さんそれぞれで、登山できるような練習を普段から工夫されています。

クマザサの中の、とても歩き易い伊豆山稜歩道です。

今回は、山仲間の中に『古稀』となられた方が2名も居られたので、その名の山を目指したのです。                                         標高といい、周りの景色といい、歩き易いし、尾根の右手には伊豆スカイラインがあり、車が付き添っているので、何があっても対応できるコースで安心でした。

伽藍山駐車場を 10時出発。                               久し振りでしたので歩きながら世間話から、どこへ行って来たや、この時期に咲く花がある山へ行きたいやら雑談していると、いつの間にやら古稀山(標高 920m)山頂に到着、10時 45分。

山を歩きながら常に海が見えるのも気分爽快である。戸田(へだ)港遠望。

伊豆半島の昔は南の海にあった火山島や海底 火山の集まりで、これら火山の集まりが火山活動を繰り返しながらフィリピン海プレートと共に北上し、本州に衝突して伊豆半島が出来上がりました。 

                                           古稀山を下り、前方に見えるのは達磨山。

これから向かう達磨山(標高 982m)は、その火山を代表する山であり派生した山の1つが『古稀山』であります。                                    伊豆スカイラインと合流してから、達磨山への長い階段を登る。

皆さんに頑張って長い階段を登って頂いたら、山頂でなく緩い尾根の先が山頂だった。    達磨山山頂着、11時 35分。                                  珍しく大きな岩が5つ位あり、登山者が多かったので昼食は次の場所にした。

達磨山は本州に衝突後に活動した伊豆を代表する大型陸上火山の一つ(達磨火山)であり、失われたかつての山頂部分は今の達磨山標高より500mほど高く、浸食の激しい西側斜面にあった雄大な山体であったと推測されています。

達磨山を下り、小達磨山を目指す。

下り切った所に広場があり、何組かの登山者が昼食を取っていたので、私たちも風のない場所に陣を取り30分程の昼食休憩とした。

「達磨山」という山名は座禅した達磨大師の姿に似ていることに由来していると云われており、山頂においては360度の展望が望め、視界の良い時には遠く赤石山脈や御前崎まで見ることが出来るそうですが、この日は雲が多く近い富士山の姿も見えませんでした。

小達磨山を越え戸田峠に向かう。

この伊豆山稜歩道はとても良く整備され、階段が少し厳しいが広いところもあり全般的に歩き易いお勧めのコースです。

戸田峠到着、13時 10分。

伊豆山稜歩道は伊豆市「修善寺 虹の郷」を起点に「達磨山」を経由し「伊豆の踊子」で有名な「天城峠」までを結ぶ全長 43Km の自然歩道です。                     明るく開けた峠道、富士山や駿河湾の展望、そして深い樹林帯の歩道と変化に富み、子供さんからお年寄りまで皆さんが楽しめるコースです。

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

😢 胸が塞がる想い 😢

2022年03月19日 | 出来事

毎日、砲火の中を逃げ惑う女性や子供たちの姿を、テレビを通じて目にしています。

たった1人の気の狂った独裁者(ウラジーミル・プーチン)のプライドを満足させるために、もう1ヵ月になろうとしています。

2月 24日、ロシア軍がウクライナへの侵攻を始めました。

その後の2~3週間後に見えてきたのは、ウクライナ軍の抵抗にロシア軍が苦戦する姿です。  そんな事からロシア軍は態勢や戦略の見直しを行い、使用兵器も徐々に大型で強力なものへと変わりつつあります。

この様な状況下での攻撃については過去の歴史が物語っているように思います。          太平洋戦争で米軍は日本本土を爆撃しましたが、当初は主に軍事関連施設を狙っていました。 所がその爆撃に成果が見られないと、その後に推し進められたのが市街地への無差別爆撃であります。

当初は短期間でウクライナを制圧できると考えていたものが、長期戦となりイラつきが見えるようになって来ました。                                     高齢の人々はプーチン支持者が多いようですが、ネット社会であり多くの人がスマホを所持する時代で、どこからでも最新情報が得られ「ロシアは可笑しい」と思う人が声をあげています。

ですが反戦集会やデモも激しい弾圧にさらされ、3月半ばまでに反戦集会への参加などで約15千人以上が拘束されました。

また、ロシア軍の活動について政権側が「フェイク(虚偽)」と見なした情報を流した記者らに、最長15年の禁錮刑を科す法改正が行われました。                    3月 14日には、プーチン政権の支配下にあるロシア国営テレビで、生放送中に女性職員が戦争反対と手書きの紙をかざした。                                そのスタジオで拘束され警察署に連行、その後罰金刑で済んだようでホッとしました。    ロシア国営放送の職員の中にもフェイクニュースを流すことに心を痛める方がいたことにロシア=プーチンでなく、フェイクニュースしか見ることのできないロシア国民が不幸に思います。

ウラジーミル・プーチンが大統領に就任した2000年以降、ロシアの言論環境は悪化の一途をたどって来ているとのことです。

でも、ロシアのウクライナ侵攻は現在も進行中で、爆撃は学校、幼稚園、産婦人科病院、集合住宅など無差別です。

一日も早くロシア国内の政治家、知識人、国民などから「戦争反対」の声が大きくなっていくことに夢と希望を託したい。

 

             ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 権現山から二本杉峠東コースを下る ▲

2022年03月04日 | 丹沢山塊

計画通りに、世附権現山より残雪の残る北斜面を下る。

暖かな広い山頂を、ブラブラ歩き回りノンビリできて最高でした。              山頂北側の窪地にはテーブルベンチが2つあり、ラジウスを持参しコーヒータイムでもしたかった。

窪地から見た山頂方向。樹間からは雪化粧をした富士も望めた。

丹沢で野生動物に会ったことはありませんが、鹿 の足跡や大豆まめより少し大きな黒い糞は見かけました。 (足跡のイラストと糞の写真はお借りしました。)

 シカを目撃したときは情報をお寄せください | 那須町行政ページ鹿の糞

残雪や湿地の所では、上記の鹿の足跡がはっきりと確認できました。

                              

世附権現山に丁度 12時に到着し、昼食兼休憩をして12時 35分に二本杉峠に向けて下山開始。  北斜面で残雪があったがアイゼンを装着しなくとも何とか下れた。

この二本杉峠へのコースは地図にも正式コースとして表示されているが、山頂と峠の中間地点に崩落個所があった。                                  両側が切れ落ちナイフリッジ状になっていた。

ザイルで補完はされているものの慎重に通過。13時丁度。

崩壊していたからこそ右手に見えた。丹沢主稜線の山々。  

崩落個所を無事通過し、先のピークを目指す。  

標高849mのピークより二本杉峠に下る。

二本杉峠通過、13時25分。 陽当たりはここまででした。

二本杉峠を通過し、県道76号線の山北藤野線に下る二本杉峠東コースは薄暗い杉林の中を下る。密集した杉林の中を下る登山道であり、枯れ枝が散乱し足に引っ掛けないよう注意した。

13時 35分。2度目の危険個所が出現 、左側が大きく崩落していた。 

登山道の幅が狭く、砂状で崩れ易いのと滑り易さがプラスされており、靴ひもやズボンの裾をまとめバランスを崩さぬよう慎重に下った。 

登山地図には正式ルートとして表示されていたが、朝登って来た権現山南東尾根コース(登山道一部不明瞭に付き、初心者不向き)の方が、ずっと安全と感じた。

2度目の崩落個所を通過してからは安心して歩けた。13時 55分、細川沢沿いに出た。

細川沢の沢音を聞きながら、左岸を東にのんびり下る。

14時10分、麓の神社に到着し無事下山のお礼を済ませて、三保支所横の駐車場に向かった。

細川橋バス停通過、14時 20分。丹沢湖沿いの県道76号線を南へ向う。

14時 45分、無事駐車場に到着しました。

 

 

   ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 世附権現山ハイク ▲

2022年03月01日 | 丹沢山塊

若葉が茂る頃からは展望が悪くなるので、その前に陽だまりハイクの感じで歩いて来ました。

西丹沢には山頂が広く牧歌的な大野山(標高 723m)、5~6月頃にサンショウバラが見られる不老山(標高 928m)、同時期にシロヤシオツツジやバイケイソウなどが見られる檜洞丸(標高 1601m)、視界は悪いが山頂や避難小屋が綺麗に整備された畦が丸(標高 1292m)、トウゴクミツバツツジやトリカブトの見られる大室山(標高 1587m)、そこを下って武田信玄公が犬を先頭に通ったと云われる犬越路など、花々や歴史の一端に触れることのできる山々が存在する所が西丹沢であります。

 

若葉や花々が芽吹く頃には視界が悪くなり、ほとんど足を運ぶ人のいないマイナーな山『世附(よづく)権現山』 標高1018mを、今ならまだ遠望も効くので登って来ました。          車は三保郵便局と山北町役場三保支所の間に17時までなら止められる無料駐車場があります。

駐車場出発、8時50分。                                県道 76号線(山北藤野線)に出て丹沢大山国定公園の標示搭を左に見ながら永歳橋方向に進む。

丹沢湖の中央に架かる永歳橋に近づくと右手に浅瀬方向に向かうトンネルが見え、そのたもとに浅瀬入口バス停が立っている。そこが登山口である。

浅瀬入口バス停の登山口通過、9時。

落合隧道の右手から登り始め、最初からきつい登りが続く。

この浅瀬入口から権現山へのコースは、昭文社の登山地図には「道標は有るものの途中の登山路が不明瞭に付き、初心者の通行不向き」と表示され、現地にも標示板が出ています。

永歳橋のそばにある水力発電所の送水管横を通過、9時28分。

最初の急登は、まだ元気があるので難なく通過。

春先過ぎ、若葉が芽吹けば何も見えない所、今の良い所は木々の合間から周りの景色が見えることである。左端に宝永山が見えた。

こちらのコースは権現山南東尾根コースであり、日当たりが良いもので和紙の原料となる「ミツマタ」の群落が見られた。今の時期はミツマタしか見られなかった。

南東方向には木々の合間から丹沢湖が俯瞰できた。

逆を望めば目指す世附権現山が見えるが、眼前にそそり立って見える。

この世附権現山南東尾根コースは山頂に着くまでに4回ほどきつい登りを頑張ったが、最後の登りが岩や木の根が多く また滑り易い上、どこが登山道なのかが判別付きにくく時間がかかった。

急登を登り切ったら山頂かと思いきや、広い尾根上に道標があり山頂まで300mとの表示を見て、最後の力を振り絞った。

広い尾根には陽当たり良いのに残雪が見られた。

やっとの思いで目的の世附権現山(標高 1018m)に到着した。 12時丁度。

山頂付近は広々して窪地にはテーブルベンチが2つもあり、この時期ならではの日当たりの良さで昼食をしていてもポカポカと暖かかった。

 

    ※ 次は二本杉峠経由で細川橋バス停に下ります。

 

    ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🌸 曽我の郷 🌺

2022年02月18日 | 春景色

暖かな日に曽我の梅林を歩いて来ました。                         今年は寒いせいか、まだ少し開花が遅れているようです。

曽我の地は古く『曽我郷』と呼ばれ、これまで梅の花がかおる里、曽我兄弟のふるさとの地として知られてきました。

曽我の郷の魅力は、緩やかに起伏する曽我丘陵の所々に雑木林が残り、谷間には清らかな水が流れ、その沢の奥には滝が懸かって、しっとりと落ち着いた風情も懐かしいところです。

梅林の続く中の細道は鎌倉時代からの伝承を語る古道で、道端には宝篋印塔・五輪塔・石仏など、石造建造物も少なくありません。                          そして振り返れば、足元の足柄平野の先には相模湾が陽に光り、箱根連山が展開し、晴れた日には富士ものぞいています。

このように美しい風景の中に、数多い史跡や文化財を秘めている地が曽我の郷であります。

梅林内は緩やかな傾斜は有るものの、ブラブラ歩きながら観梅するには気になりません。

青空に紅梅や白梅そして、葉の出る前に直径2cmほどの香りのよい黄花を下向きにつけるロウバイも見かけました。

梅も葉に先だって開く花は5弁で、ロウバイ同様 香気が高く顔を近づけると、とても良い香りがします。

色鮮やかな花を見たり香りの中にいると、風は冷たいが直ぐそこに春が見え隠れしています。

                                                             

                        

 

春さき、梅の花を、チラホラ見かける頃ほど、平和と日本の土の香を感じるときはない。

私は梅が好きで、いつか「梅」の随筆をまとめてみたいと思っている。

梅に関する折々の感興や話題を古今に集めたら、たちどころに一冊にはなる。

                   吉川英治著 『梅ちらほら』抜粋

                                           

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 高松山から第六天を往復す ▲

2022年02月09日 | 丹沢山塊

暖かく天気も良いので、このまま下山せず東にある第六天まで往復することにした。

広くしっかりした尾根道の「高松山尺里峠コース」である。

当初は尺里集落から高松分校~第六天(尺里峠)~高松山~ビリ堂~尺里集落と反時計回りのコースを予定していたが、新東名高速の工事で計画が狂った。

「高松山ハイキングコース」と矢印で表示されていた標示板に気をとられたが、本当は高松分校の方へ行けたのかもしれない❓ 

 

山頂からの景色は最高で、静かであり暖かいしとても気持ち良かった。           11時10分に山頂に到着、30分ノンビリ過ごして11時40分、第六天に向けて出発。

登りながら景色を見ることにして一気に第六天まで下った。到着、12時 05分。

案内板には ❝ 尺里(ひさり)峠 ❞ を通称【第六天】という表示がされていた。

 

  虫沢【第六天】再建経緯の解説                                 高松山の登山口の一つであるここ尺里峠 (通称「第六天」という)には、旧来第六天を祀る御堂が建っていたが、昭和 10年前後に どういう事情か山北町岸の天社神社に移転合祀(ごうし)されたという。(虫沢地区古老の話)

その後は、この広場の馬頭観音石像 の隣に小さな石碑としてひっそりと形を留めていたが、それも戦後のいつ頃からか消失してしまい台座の石だけが残っていた。

近年になり、虫沢古道を守る会の手により、周辺の山道が整備されるに従い、主なき台座が忍び難いとの声が上がり、同会の発願寄進により第六天の石碑 『他化(たけ)自在天』が新たに建立(正面から見て左側)の運びとなり、平成24年(2012)10月6日(土)関係者参列のもと、石碑除幕そして開眼供養式が執り行われました。

なお、【第六天】とは火災、盗難除けなどと、更には家内安全、五穀豊穣の功徳を招来する神霊であるといわれています。

第六天の他化自在天を参拝し 12時15分、高松山に向け出発。登山道は広くて気持ち良い。

12時 20分、富士見台通過。

12時 25分、桜平通過。 この尾根伝いは桜の木が多く3~4月は綺麗だと思う。

真弓ヶ丘通過、12時半。

この辺りはニシキギ科の落葉高木《マユミ》が多いので、この名があるようです。      初夏に淡緑色の小花を多数つける。角張った球形の果実は熟すと4裂し、赤い種子を現す。  材は器具用に利用されるようです。

登りの続く尾根のうち一部平坦地の「馬ノ背」通過、12時45分。

12時50分、男坂・女坂分岐を通過。

高松山山頂まで直登の厳しく長い階段に挑戦、これが男坂。

長い階段を登り詰めカヤト原の山頂に戻る。12時55分 

南東方向の江の島方面、かすかに江の島が確認できます。

南方向の足柄平野と霞んで右手に真鶴半島が確認できました。

高松山山頂からの遠く左の愛鷹連峰と富士。

高松山は往復4時間半、ノンビリでも5時間見れば楽しめる山で、是非お勧めです。       冬は陽だまりハイクといった感じですが、春先からは桜や沢山の花が見られます。

この山は、田中澄江著書『花の百名山』でも紹介された楽しい山です。 

 

 

     ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 貸切の高松山 ▲

2022年02月03日 | 丹沢山塊

山頂が広々して大野山に似た ❝高松山(標高 801m)❞ へ。

私が小学生の頃、高松山の麓にある高松集落内の『高松分校』から担任の先生が赴任されてきました。

十年一昔と言われますが、もっともっと昔のことです。

舗装された道路も少なく、町中を走る車も凄く少ない頃でした。

その先生は子供の気持ちにとても優しい先生で中学生、高校生になっても記憶にありました。 その先生に驚いたのは、優しさだけでなく女性でありながら当時、自家用車通勤をされていたのです。                                        今でこそ女性ドライバーは当たり前の時世ですが、当時は子供心に「凄い」と感じ、車を見せて頂いたりしました。

 

今でも心の隅に そんな思いがあり、気分転換に出掛けてみようと地図を見ていたら、そうだ『高松分校』を見たいと思い高松山へ向かいました。

 

御殿場線の山北駅を8時半出発。                                   中学校への通学時に歩いた頃に思いを馳せ、歩きながらの風景の変化を楽しんだ。      東名高速道路下の尺里(ひさり)地区にある公衆トイレに8時 50分到着。

白いコンクリートの柱が一杯あるのに驚いた。 

そこからは尺里川の右岸を北に進む。

尺里川に沿って道なりに進み、その先は新東名高速道路の建設工事が急ピッチで進められていた。令和5年4月 16日までの工期となっていた。

9時、「高松山ハイキングコースはこちら」と案内板が設置され、それに沿って進む。    右手に見える丸山の山頂 には、 ❝ 株式会社トヤマ ❞ (精密機械製造)が見えますが、本当にどちらから見ても丸い山です。

上に登って行くにつれ大規模な工事が進められていた。

この先は登山道が鉄パイプで作られた通路や階段に沿って工事現場を通過。9時 20分

工事現場を抜けた所に高松山への案内図があった。                       それを見て予定のコースと違っているのを知り、そのままビリ堂経由で高松山を目指した。

当初計画は高松集落にある『高松分校』を見てから高松山を目指す予定であったが諦めた。

ハイキングコースの案内板から上部は普通の登山道に変わった。

鉄塔 № 369 を 10時 05分 通過し、緩やかな登りが続く。

馬頭観音石像2体と中央に石碑があった所を通過、10時 17分。

樹林帯の中の緩やかな登山道を軽快に登り詰める。

10時半、大小の石像が1体ずつ建てられた木立の中の『ビリ堂』に到着した。

ビリ堂(標高 678m)は、東方面の観音沢と西方面の太田沢の尾根筋に位置し、このハイキングコースは、昔から花女郎路といわれ山北、ビリ堂、高松山、ヒネゴの頭の尾根筋を通り八丁集落に通ずる路であったとのことです。                             ここは、夜になると動物たち(鹿、イノシシ、穴熊、狸、キツネなど)の運動場になっているようです。

花としてはに、エイザンスミレ、ミツバ、は、てんなんしょう、オオバギボウシ、は、フシグロセンノウ、モミジガサ、ツリガネニンジン、は、カンアオイなどの野草が咲き乱れる花の山であります。                                        ビリ堂のいわれ由来は、一番びり、最後にある観音堂のためビリ堂と呼ばれています。   

 

5分の立ち休憩を取り、最後の詰めで高松山山頂を目指す。                    整備がされている長い急階段を、一歩一歩踏みしめながら ゆっくりと高度を稼ぐ。

長い階段を登り切り、分岐の尾根に出る手前数十mの登山道は、どこが道だか判らないほど荒れていてビックリした。 

ビリ道分岐の道標のある広い尾根に出た。通過、11時 05分。                   道標には山頂まで、あと5分とあり力が湧いて来た。

緩やかな登りであり、速足で山頂に向かう。

高松山山頂到着、11時 10分。

山頂はカヤト原であるが山頂付近一帯は綺麗に刈り取られ広々として気持ち良かった。 

暖かくて、貸切りのテーブルベンチでノンビリ昼食休憩を取った。

 

    ※ 次に高松山から第六天までの高松山尺里峠コースを往復します。

 

      ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

▲ 大野山から地蔵岩経由、旧共和小へ ▲

2022年01月26日 | 丹沢山塊

山頂は広々し、ほぼカヤト原に覆われ一部ヒノキ林であるが、展望良好で牧歌的であり、とてものどかである。

日差しは暖かいがジッと風に 吹かれていると汗が冷えて寒くなるので、パーカーかウインドブレーカーを羽織っていれば快適である。

まず大野山に向かう途中、アチコチで木製の人物や動物の像が迎えてくれました。         これは工芸家の方によるチェーンソーを使って一本の丸太から彫り上げられるチェーンソーカービングの作品。これらの人物や動物の像を探して歩くのも楽しい。

山頂の中央には竜集大権現の小社が祀られている。

竜集大権現から西に目をやると東屋と霊峰 ❝富士山❞ の幽姿が望めた。

特に日当たりの良い南側には、木の皮が和紙の原料になるミツマタが青空に向かって咲いていた。                                         枝が必ず三又に分かれるのでこの名が付いています。

山頂から北に目を向ければ西丹沢の山々と昭和 53年(1978)三保ダムの建設により出現した人造湖である ❝丹沢湖❞ が俯瞰できる。                                自然を大切にした美しい湖で「かながわの景勝 50選」「全国ダム湖 100選」「関東の富士見百景」などに選ばれています。

大野山は西丹沢前衛の低山ですが、北東方向に目をやれば奥深い丹沢山塊の峰々が遠望できます。

東方向に目を移すと山頂一帯に牧場が広がり、明るく牧歌的な雰囲気が楽しめます。

陽当たりの良い所でストレスもなくゆったりと過ごす牛さんのお腹は重そうでした。

 

 

更に南東方向には足柄平野を流れる二級河川の酒匂川や遠く相模湾が望めます。

山頂からの景色を充分に楽しみ 12時40分 下山開始。旧共和小学校跡までは往路を戻ります。 戻りながら南側の右手には、寒いのか襟巻をした熊さんが見送ってくれました。

熊さんの右手には遠く伊豆大島が薄っすら見ることができました。

地蔵岩に向けて、あの厳しかった長い階段を軽快に下る。

陽だまりハイクといった、のどかな登山道をノンビリ歩く。

地蔵岩分岐を 13時半、通過。  車道を旧共和小学校跡へ向かう。

旧共和小学校跡前着、13時35分。                            以前は子供たちが駆け回り賑やかな声が響き渡る、そんな風景が感じられました。    

山北町には大きな町立川村小学校があり、その分校として昔は「共和分校」と呼ばれていました。

その校庭の隅に今はあまり見かけない二宮金次郎さんの若かりし頃の像がありました。    家計を助けるために山へ枯れ枝拾いに行き、その行き帰りの道中で読書、当時の模範的姿勢でありました。                                                   が現在の交通事情では、❝ 歩きスマホ ❞ は絶対にやってはいけないですね。

往路は旧共和小学校跡まで道なき道を藪漕ぎしながら無事たどり着きましたが、最近テレビでも低山での道迷い遭難が発生しているので、危険は避け道案内通りの標示板に沿って正規ルートを下りました。                                     古宿の集落を通過し、東名高速の高架橋下の車道を山北駅に向かう。高架橋下通過、14時。

14時10分、ようやく朝通った発電所の通水路が見えた。 行きは左の尾根を登りました。

約5時間、小春日和の丁度良いハイキングでした。 

 

 

           ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする