昭和34年(1959年)は私の生まれた年だが、伊勢湾台風が猛威をふるい多くの尊い命が奪われた年でもある。海抜0m地帯である飛島村では130名の村民が無くなり、被害が多かった新政成の筏川河口に「伊勢湾台風殉難之碑」が建てられている。
碑は飛島村が伊勢湾台風から3年半後の昭和38年3月に建てられている。碑の裏には亡くなった人の住所と名前が刻まれている。
当時の烈風と高潮津浪に立ち向かい助け合う人々を思わせるレリーフが掲げられていた。
飛島村のもう一つの顔は0m地帯の河口地帯にあり、昔は名のとおり飛島ができていたところに新田開発を行った干拓の歴史とも言える。従って新たな土地を作った人はヒーローである。
津金文左衛門は、苦難を乗り越えて1801年に767ヘクタールの大規模な飛島新田が完成した。この偉業をたたえ元松神明社に銅像が建てられている。また、毎年5月には供養が行われているそうである。
土地が低いため干拓しても排水ができなければ、土地が使えない。昔の排水機場が保存されている。それが、大宝排水機場保存館である。
歴史的には「大宝新田は飛島村で最も古く、元禄6年に開拓されましたが、地震などで地盤が沈下、干拓を利用しての自然排水ができなくなり、長い間湛水被害に苦しんできました。こうした窮地を救うため、明治39年に完成したものが大宝排水機場です。
この排水機は大寳家十代目、大寳陣が当時としては最新鋭のドイツ製ポンプ2台を個人資金で購入設置したものです。 このポンプによって、長い間湛水の被害に苦しんだ飛島村の住民の生命と生活が守られ、米の収穫量も増加するという大きな成果をあげました。 」ということだ。
これが、「現存する日本最古の大型渦巻ポンプ」。手前は内部のインペラが見えるように外側をカットしてある。普段は施錠されているために内部は見学できないが、この日は村の職員さんに頼んで見せていただいた。
最後は、明治末期の建築物「六角れんが蔵」。
㈱大宝農林部の書類倉庫として使用されており、天井に至るまで全てれんが造りのシャレた建築物ですね。
国宝級の史跡があるわけではないが、歴史の重みを感じさせてくれるものが、まだまだたくさんありますよ。